2024年3月27日水曜日

断想: 「表現の自由 ≒ 嘘をつく自由」も一面のロジックではある

いまそれなりの年齢に達している人で、経済学を学んで、卒業論文を書いた経験のある人なら、『成長の限界』を記憶しているに違いない。

実際、Wikipediaを参照するとこんな風に紹介されている:

成長の限界(せいちょうのげんかい)とは、ローマクラブが資源と地球の有限性に着目し、マサチューセッツ工科大学のデニス・メドウズを主査とする国際チームに委託して、システムダイナミクスの手法を使用してとりまとめた研究で、1972年に発表された。「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」と警鐘を鳴らしている。

ちょうど一次産品価格が世界的に暴騰して、日本でもいよいよ「狂乱物価」の時代になる頃だ。

時代背景というのは、いつでも「新しい経済理論」、「新しい経済予測」を生み出すものなのである。そもそもアダム:スミスの『国富論』は18世紀終盤のイギリス社会、というよりスコットランド社会があってこそであるし、マルクス経済学も19世紀後半のヨーロッパがあってこそ生まれたものと言える。一次産品価格が暴騰すれば、「成長の限界」を考えるのが自然であったわけだ。 


人間というのは、同じような思考をするものだ。というのは、こんなタイトルのネット記事を見つけたからだ。

大谷翔平の「MLB永久追放」と水原一平氏の「国外退去処分」の可能性はあるのか…米国の弁護士が指摘する「最悪の事態」

へえ~~~っと思って読んでみると、内容は正反対だった。そういえば、20世紀のスポーツ新聞にもよくこんなヘッドラインが踊っていた。


それにしても、人間社会ってものは今も昔とまったく同じで、その事にまず驚く。

例えば

地球最後の日が来る可能性はあるのか?その確率は

というのは、これまで何度か見かけたことがあるし、今後将来にかけて忘れた頃になると、アクセス増を狙って同じタイトルをアップするメディアが必ず出てくるに違いない。

小惑星が地球に衝突する確率はゼロじゃないんですよ。現実に落ちたこともあるわけですからね。ありうるんですヨ!

自分だけは死にたくないと願う人間の煩悩は、そこを攻めれば、いくらでも稼げるわけである。いわば必勝のメディア戦略だ。もっと日常的な話題を挙げると

今後1年以内に「世界大恐慌」がくる可能性は

ウクライナが降伏すれば、ロシアはフィンランドと戦端を開き、NATOとの戦争が始まる

中国が台湾を奇襲するとき、ロシア軍は北海道に上陸する

 もうキリがないねえ・・・大盗賊だった石川五右衛門の辞世の句であると伝えられる

石川や 浜の真砂は 尽きるとも 

   世に盗人の 種は尽きまじ

この伝でいうと

日ノ本の 浜の真砂は 尽きるとも

   デマに驚く 人はつきまじ

人を不安にさせる虚言で儲ける人は、実質的には反社会的行為をしている理屈なのであるが、それもまた表現の自由として保障されているわけだ。虚言を虚言として理解し、間違いは間違いであると指摘できるだけの判断力、理解力は、民主主義社会には不可欠の要素であって、それを身につけさせるのが義務教育の役割であると考えれば、

表現の自由 ≒ 嘘をつく自由

こんな一面も確かにある。「表現の自由」を主張すればモラルに反するケースはある。これは認めざるを得ない。結局、法は法、モラルはモラルで、二つは別なのだ。

そもそも小説は完全なフィクション、歴史小説の半分はフィクション、ノンフィクション・ドキュメンタリーも筆者の主観が混じっているという点では、一部はフィクションであるわけだ。


もちろん1972年の『成長の限界』は、システム・ダイナミックスを駆使した異端的であったとはいえ、一つの学術的アウトプットだった。だからこそ、衝撃をもって受け取られ、今もその当時のことを覚えているのである。

実際問題として、世界経済の成長が限界を迎えれば、脱炭素、水不足問題、地球温暖化等々、いま悩んでいる地球規模の問題は自動的に解決される可能性が高い。

成長の限界、ええぞなもし! そうならんもンじゃろか。

人の意見は色々である ― が、評価<秀>であるのは極々一部であるのが人間世界の常なのだろう。

一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ

犬の世界も人間の世界と似ているということか。 

どの政治家の言か忘れたが

声なき声をきく

意外に本質をついている考え方かもしれない。小さい声を聴くという姿勢こそ、正当な意見を見出す確率が高いというのが小生の立場だ。

【加筆修正】2024-3-30

0 件のコメント: