2024年4月25日木曜日

調整インフレとは逆の調整デフレ。衆愚政治がついにやってくるか?

小生の少年時代はずっと固定為替相場制が続いていて、1ドルは360円だった。これは誰でも知っていることだと思う。

固定レート制というのは、毎日の円ドル相場が強制的に固定されるという意味ではなく、円ドル取引が360円で固定されるように、中央銀行が介入する、つまり為替市場の需給がバランスするよう政府機関の介入行為を国際的に公認するという制度である。

ところが、戦後の高度成長を経て、日本の、特に製造業の国際競争力が強化され、高品質の商品を低価格で販売できるようになった。国内で低価格であれば世界市場でも低価格になるのが固定レート制である。それで貿易収支の巨大黒字が定着した。

当時は、ドルで収入があれば、為替リスクもないので、国内取引に充てるため円に転換するのが普通だった。だから貿易黒字が定着すれば、輸出産業によるドル売り、円買いが増える。実勢としては円高に向かう。その潜在的な円高を止めるため日銀は円を売って、ドルを買うという介入行為を続けていたのが、固定為替相場制という制度の主旨である。故に外貨が蓄積された。

昭和41年(1971年)にニクソン大統領がドルと金の交換停止を突然発表し、戦後の国際通貨体制が崩壊した。その年の終わりには「スミソニアン体制」へ移行し、1ドルは308円に切り上げられた。が、この体制も基本は固定相場制であり、したがって各国は協調介入を行ったわけだが、結局、それでもアメリカのインフレ高進体質は変わらず、そのためドル安基調が続き、ついに昭和48年(1973年)に国際通貨市場は変動為替相場制へと移行することになった。毎日の為替レートは市場が決める。それがルールとなり、政府による意図的な為替操作は原則禁止となった。

で、今日に至る、というわけだ。

1970年代の日本政府の第一の心配は円切り上げ、つまり<円高>であった。

円高になれば、国内製造業が海外で販売する日本製品のドル価格が引き上げられる。販売数量減少が予想される。ドル価格の引き上げを抑えようとすれば、円ベースの出荷価格を値下げするしかない。ドル価格が変わらなければドルベースの売上高も変わらない。となれば利益が減る。どちらにしても輸出産業には打撃だ。

だから<円高>をとにかく回避したい。これが1970年代における日本の基本姿勢だった。


円切り上げを避ける、つまり実勢であった円高傾向に逆行して、円安へと導きたいなら、円の実質価値を下げる。つまり日本でもインフレを興せばよいという理屈は誰でも思いつく。これが《調整インフレ論》である。日本をインフレにしたいなら需要を刺激するのが一番だ。それには低金利を維持するか、でなければ財政支出を増やせばよい。

実際、1970年代の世界経済ではアメリカ、イギリスによる《インフレ輸出》が主たる問題として意識されていた(例えばこれ)。

そして、1970年代前半には一次産品の市況上昇が日本の物価にも波及し、1973年には第一次石油危機が訪れて「狂乱物価」の時代になった。その頃、日本国内では

為替レートを守るために調整インフレを容認したのではないか。輸出産業を守るために、国民にインフレを押しつけているのではないか。

そんな非難が根強くあったことを覚えている人がどれほどいるだろうか?


そもそも為替レートには購買力平価説が長期的には当てはまることが知られている。

同じ1個のBigMacがアメリカでは5ドル、日本では500円という価格が販売されているなら、BigMacを基準とする限り、1ドルと100円は同じ実質価値を持つ。日本でBigMacの価格が低下して、50円で1個のBigMacが買えるようになれば、1ドルと50円が同じ実質価値をもつ。であるので、レートは100円から50円の円高となる。これがBigMac指数である。この対象を広げて、全商品で平均すれば購買力平価となるわけだ。

1970年代の円高基調は円の実質価値が上がったからであるが、それは日本国内の産業の生産性が上がったからである。生産性が上がり、供給力が拡大した一方で、賃金も上がり、所得が増え、市場で循環するマネーも増えて、商品を買い支えることができたわけである。マネーも増えるが、生産能力も拡大されていたので、日本のインフレはアメリカほどではなかった。故に、円高圧力が強まったのである。

しかし、1970年代当時は、マクロ経済の自然な流れに反してでも為替レートを守りたかった。そこで、低金利を維持して国内のインフレ進行を容認した。

現時点はどうか?

日本の当局、というか世間は変わらないもので、ヤッパリ「円ドルレート」にこだわる。1970年代は円高に歯止めをかけたかった。今は円安を止めたい。心理は同じである。


実は、1970年代と同じくインフレは先ずアメリカで進んだ。

ドルでインフレが進むなら1970年代と同じくドルが低下し、円が上がるのがロジックだ。ところが、そうならなかった。

それは、アメリカがインフレ抑止のため金利を上げたからだ。これはドル投資を有利にするので円安を誘う。

つまり足元の円安は、前者の効果より後者の効果が大きいことからもたらされている。なぜ、前者の効果が弱いのだろう?

一つ注意した方がイイのは、日本でもアメリカほどではないが、インフレが進んでいるということだ。このインフレ進行を抑えるため日本でも金利を引き上げていれば、今の円安も相当程度は抑えられたはずだ。

ところが日銀は金利引き上げには動いていない。今はインフレを抑える意志がないということだ。アメリカのインフレは粘着的でまだなお終息には至っていない。日本はアメリカよりもインフレ率は低かった。それでも日本でも賃金は上がり始めており、日米のインフレ格差はやがて縮小することが見込まれる。であれば、金利格差のみが残る。

つまりアメリカはインフレ抑制的であり、日本はインフレ刺激的なのである。故に、それぞれの通貨の予想される実質価値は、円はドルより弱い。これが円安を誘っている側面は否定できないと小生は観ている。

期待インフレ率は統計的に確認されるはずであるが、日本とアメリカとで期待インフレ率は実際にどの程度になっているか。精緻な測定が必要だと思う。

1970年代は、円高基調に逆行して為替レートを守るための調整インフレ論があった。いまは円安を止めたいと願う人が次第に増えてきたようだ。

日本人はどんどん貧乏になっている。海外旅行にも行けない。以前には買えたのに輸入ブランド品は高嶺の花になった。ワインもシャンパンも高すぎる。日本国内の高級ホテルに日本人は宿泊できず、金持ちの外国人ばかりが利用できるようになった。観光地の料理屋に行けば吃驚するほどの金額になった。土産品も高すぎる。何だかすごく貧乏になった感じがする・・・・・・・

これじゃあストレスがたまる一方だ、というわけだ。 

しかし、1970年代のように調整インフレを引き起こして円の実質価値を下げるのは論外だ。確かに論外なのだが、とにかく賃金を上げてインフレにすればいいのだ、と。それで問題を解決できるのだ、と。こんな愚か者が意外に世間受けがいいのは社会全体が愚かになっている証拠だろう。メディアが愚かになると、世間も愚かになり、有権者が愚かになれば政治家は安心して愚かでいられる。単なるインフレが進めばますます円安になるロジックだ。

必要なのはこの反対で調整デフレが要るのだ。調整デフレが言い過ぎなら《調整ディスインフレ》と言えばイイ。要するに、円の実質価値を守るのである。《調整ディスインフレ政策》、具体的には日銀による金利引き上げ政策を主張する人がこの立場だ。金利ゼロから、アメリカ並みの5%は無理でも、2%乃至3%位まで引き上げればイイ。アメリカと同じようにインフレ抑止の姿勢を断固として示せば円安の歯止めになるだろう・・・

小生も、正直なところ、これが本筋ではあると思う。


しかし、この理論はまさに戦前期・日本の民政党・浜口内閣が円ドル相場の安定を目指して金解禁を強行し、超デフレの惨状を招いた「昭和恐慌」を彷彿とさせる。昭和5年(1930年)から昭和6年(1931年)にかけてのことだ。

その当時も投資、投機を目的として大規模な円売り、ドル買いを行った国内商社を浜口政権は非難したものだ。足元の日本でも、財務省が投機筋を非難するかと思えば、新NISAを活用して米株を買っている人に非難がましい視線が寄せられている。

浜口内閣による金解禁は当時の日本経済の病根にメスを入れるという意図をもっていた。というのは、第一次大戦期のバブルとバブル崩壊、関東大震災による打撃、この二つで増大した不良債権、国際競争力を失い貿易赤字が続く中で脆弱になった円レート、ゾンビ企業を延命させるための産業政策と、こうした1920年代の経済政策を180度転換して、旧金本位制下の固定為替相場へと復帰するためのデフレ政策。これが金解禁であった。

この金解禁は、当時の日本経済と政党政治を崩壊させるほどのものとなったが、結果としては日本の産業を大いに強化したと小生はプラスの側面を見たくもあるのだ。この点は前にも投稿したことがある。


もう一つの可能性は1960年代の高度成長期の経済政策だ。低金利下で設備投資を加速し、国内産業の生産性が上がれば供給能力が拡大する。供給能力が余剰能力にならないようアコモデイトすれば結果として円の実質価値が上がる。生産性向上を通した供給増加と商品安、つまり実質的なデフレ政策なのである。

上のどちらも「調整インフレ」とは逆の「調整デフレ」、イヤイヤ「調整ディスインフレ」と言える。

但し、現時点の日本はエネルギーとマンパワーにボトルネックがあり、それを根本的に解決する政策を何ら検討していない。飛躍的な省エネルギー技術が進展するならまだしも、設備投資をしても総供給能力が上がらない確率が高い。ここにも(今は目立たないが)日本のインフレ体質が隠れている。マスメディアも(分かっているのだろうが)無視を決め込んでいる。大谷選手と殺人事件ばかりを話題にしている。昔のスポーツ紙、芸能誌と同じだ。

まったく、どいつもこいつも無責任野郎だて・・・

つくづく思いますネエ。

ともかく、足元の円安は意外と根が深いかもしれないのだ。これをくつがえして、円安を円高にもっていくには、だから、1970年代の「調整インフレ」とは逆のことを実行することになる。もちろん同じ「調整デフレ」といっても上に述べた後者の方が良い政策であるのに決まっている。当時と同じ人物が日本社会の上層部にいれば、逆の状況でも政策を上手に展開できるかもしれない。しかし、当時の日本を支えた人物群は今はもう世を去っている。


金解禁のような強烈な国内産業再編成を強行するという選択が、意図するにせよ、しないにせよ、無知のためか、蛮勇のためか、まるで初心者が大胆な運転をするような感覚で実行されてしまう。そんな時が来るのではないか。正に《衆愚政治》である。

衆愚政治が展開される前提は足元では充たされている。そういう予感を感じる今日この頃であります。危ない、危ない。




2024年4月23日火曜日

断想: 「専業主婦」をみる現代的視線への異論

実を言うと、専業主婦の第3号被保険者を廃止するべきであるとか、配偶者控除を廃止するべきであるとか、意義のない浅い議論だとずっと以前から思っている。

実際、<専業主婦>をキーワードにしてブログ内検索をかけてみると、非常に多数の投稿がかかってくる。

例えば、2016年4月14日の投稿にはこんなことを書いている:

税制もまた行政府が行う政策の一環だ。同棲をしている二人と、正式に結婚をしている二人はもう差別しない。そう考えるなら、税負担も平等にするべきだ。しかし、育児には家庭が必要で、家庭を築くには正式に結婚することが望ましい。そう考えるなら、専業主婦となるがゆえの利益は、そのことの社会的利益に対応するものと考えて、(一定期間かもしれないが)育児に専念する行為に対する報酬であると意味付けても、小生、それほど道理に反しているとは思えないのだ、な。そもそも今は子育てに優しい、出生率を高める方向の制度が必要なのではないか。

極右だとは自覚していないが、かなりの保守である。というか、内縁の夫婦と正式の夫婦を差別するなという意見も入り込んでいるので、かなりのプログレッシブではないかとも意識している。

かと思うと、 2016年8月8日には

確かに「女性が就労しやすい」ことで達成しやすくなる目的はある。労働供給のボトルネックを緩和して、潜在成長力を上げるという目的にはプラスだろう。ある意味で「経済合理性」があるとは思う。しかし、プラス効果は一面的だ。ロジックとしては、就労しやすい=主婦専業を奨励しない。これも別の面で言えることだ。

女性が就労を選びやすくすることは、女性が主婦専業を選びにくくすることと同じである。本当に、こうすることが今の日本社会の現実にマッチしたことなのか。

いや、いや、参りますネエ、旧すぎて・・・と言われそうだ 。

ごく最近になっても、

非市場家庭内サービスを担当していた専業主婦が、労働市場に参入し、サラリーをもらって働くようになれば、それまではゼロであった付加価値がプラスになるので、人口で割った一人当たりGDPが成長するのは当然の理屈であって、IMFの分析担当者が言う通りだ。

しかし、<国内総生産=GDP>という概念を考えるとき、主婦(と限ったわけではない)が担っている非市場性の<家庭内労働>も本来は帰属評価をして「国内総生産(=GDP)」に加算するべきなのである。

以前は、家庭内主婦労働を評価しないマクロ経済統計に対する不信感がずいぶんあったものである。平成25年には ― もう昔になったのか —、内閣府が家庭内の無償活動を評価、加算した拡大GDPを試算しているが、上のような問題意識に応じる試みだった。

「主婦労働」を評価しようという問題意識そのものが、もはや「時代遅れ」になってしまったのかもしれない。問題意識がなくなリャ、研究もせんわナ、ということだ。

しかし、新たな時代なら新たな時代として、研究の積み上げが必要だ。経済分析への取り組みがまったくとられないまま、世間が「少子化対策」、「子育て支援」、「財源調達」、「ジェンダーフリー」などと騒いでみても、これはいわば「負の世論」であって、有意義な政策形成にはほとんど寄与しないと観ている。そんな下向きの世論に応じて政策を展開してみても、それはいわゆる古代ギリシアのプラトンの昔からある「衆愚政治」というものだ。


・・・その果てに、家庭内で働いていた女性たちが労働市場へ参入し、そこで報酬を伴う仕事に就き、足元では女性労働者 ― ほとんどが非正規だが ― の就業率もほぼ上限に達し、ビジネス現場では空前の人出不足になった。

この状況をどのように考え、どのように評価すればよいのだろう?

日本の労働力人口の減少が始まった1998年以降、この25余年間、日本は一体何をしてきたのだろう?


騒がしいイデオロギーと落ち着いた国民生活とは、しばしば両立しないものだ。

騒がしい集団には注目して報道し、静かで安定した人たちが共有する基本的問題には無関心をつらぬく日本のジャーナリズムの底の浅さも、現代日本社会の世相を醸し出している一因なのかもしれない。


2024年4月22日月曜日

ホンノ一言: うっかりstreamyasの泥沼に迷い込んだ次第

土曜の夕刻にそれまで使用していたスマホ"Aquos R2"の外側カバーが外れていたので、よく見ると本体裏蓋が隙間が出来るほどに浮かび上がっている。これはバッテリーが膨張したからだと思い電源を切っておいた。改めて日曜朝に電源を入れようとすると起動しない。何も準備できないまま頓死である。

これには参った。

気を取り直して、夕方6時から"SONY Experia 10V"へ機種変更する作業を始める。

この時になって旧機"Aquos R2"の電源を押すと再び立ち上がったので驚いた。こんなこともあるのかというわけだ。おかげでデータ移行がずいぶん楽になった。

データ移行が終わったから、個別のアプリが従前と同じように動作するかどうかは試してみないと分からない。

大体は、問題なく終わったが、Amazon関連アプリがパスワードだけでは通らないことに気がついた。二段階認証になっているのだ。携帯番号を登録しているのだが、何と小生のスマホにはSMSで認証コードが届かない。

改めてPCからAmazonに入り、Amazonのアカウントサービスでログイン、セキュリティ上の変更をしようとしたところ、やはり携帯のSMSが着信しない。もう一つ登録しているYahooメールには届いたのだが、それが非常に遅い。これでは使い物にならない。

そこで、認証アプリを使ってワンタイム・パスワードを生成する方式に変えることにした。

<Google 認証>で検索すればよいと記されていたので、そうすると果たして「認証アプリ」というのがある。

これが思わぬ落とし穴であった。

結果から言うと、既にネットでは要警戒の書き込みがあるが、"streamyas"にクレジットカード情報を登録してしまった。

これが警戒するべき画面であった:


その時は、なぜか認証アプリを入手する意図で続行をクリックしたのだ、な。実に《意図》という奴は、時に始末におえない。

で、最後に行きついたのが"https://automathrill.com/index.php"というサイトだ。認証アプリを入手するつもりが、これはおかしいと流石に気がついた次第。

そもそもGoogleの認証ソフトを入手したかったのであるから、素直に"Authenticator"を選べば良かったのである。

それが怪しいサイトに連れていかれ、5日間の無料期間が経過すれば毎月7400円余の課金がチャージされるという状況になったのは、嘆かわしい限り。

こんな展開に何故なってしまったかを思い返すと、まずスマホが頓死した。データ移行に時間を費やした。アプリを一つずつ元の通りに動作するように調整していく。ところがAmazon関係のアプリがパスワードで通らない。二段階認証でSMSがスマホに届かない。イライラする。それで認証システムの利用に変えるか、と。アプリ検索してトップに出てきたものを軽率にダウンロードして実行した。実はそれが爆弾であったのだ。

一口に言うと、強引だった。

失敗は、よくよく経過を一つ一つ整理すると、失敗への道筋が分かってくる。

誰でも決してバカではない。明らかに愚かなことはしないものだ。が、結果として愚かな失敗をやってしまう。今回は自分でそれを演じた次第。

勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。

某監督が言ったとおりだ。

直ちに「これは違う」と気がついたので、先ずは無料会員期間が終了する以前にキャンセルの意志を伝えることにした。キャンセルの意志を視える化しておくことが大事だ。後日の証拠にもなろう。

それで毎日、Request of Cancellationのメールを相手のCustomer Serviceに反復して出し続けている。が、返信はない ― おそらく、このまま返信はないだろう、そもそも詐欺的行為をしているわけだから。なので、登録したクレジットカードを無効化することになるだろう。それでもしつこく請求してくるようなら、これはもはや犯罪である。警察に被害届を出してからカード会社と相談するしかない。

まずは覚え書きということで。


2024年4月18日木曜日

ホンノ一言: 生理現象だからって人前で話せば下品になるって感覚は大事ですゼ

この4月からスタートしたNHKの朝ドラは、いつも視ないカミさんも毎日視るようになって、中々の傑作ではないかと思う。

特徴を一つ挙げるとすれば、女性の生理がドラマの中でオープンに語られる点かもしれない。こういう筋運びは余りなかったことだ。実際、ネットでは色々と賛否両論、というよりリアクションと言うべきだが、寄せられている模様。

一つ感じるのは、なぜこれ程の話題になるかネエ、ということだ。


「そもそも論」として、男女を問わず人間の自然な生理現象を恥じたり、隠したり、話題にしづらい雰囲気があるのは、おかしなことである。

だから色々な生理現象は、すべてドラマの中でオープンに語ってよい、寧ろそれを恥ずかしがる方がおかしいのだ、と。多様化とは自然な生理現象を自然な話題にできるということなのだ、と。話はこうなるのであろう。

確かに、理屈は分かる。自然な生理現象を恥ずかしいと感じる社会心理こそ道理に合わない。その通りである。


しかしながら、だからと言って、求めて何度もそれを話すとすれば、それはそれで《下品》というものかもしれない。


考えてもみなせえ。男女共通の生理現象と言えば、言うまでもなく《大小便》だ。

ところが、近年の学校では、校内のトイレで大便をするのを知られたくないという雰囲気が強いそうだ。これは道理に合わない。

いま文字で「大便」と書いたが、朝ドラの編集理念に則して言えば、「大便」という生理現象をそのまま文字に書くのを控えるという感性はおかしいということになる。生理現象なのだから、遠慮せずどんどん使いなセエ、ということになる。

とはいえ、友達と遊んでいる最中に

ちょっとクソしてくるわ

と笑いながら平気で話していた昔の学校風景がはるかに洗練されていたとも言えないような気がするのだ、な。

「大便」とか、「ウ〇コ」とか、「クソ」とか、それをズバリと言わず、つまり隠して、そっとトイレで用を足してくる。それはそれでその人間集団の品格という徳性になるのじゃあないか、と。

退屈な話を聴いているとアクビをしたくなるのは自然な生理現象だ。が、教室で前を向いて大あくびをすれば、話している教授は「無作法な奴」と感じて気分を害するかもしれない。もし商談で大きな欠伸をすれば、相手は「無礼者!」と怒って席を立つ(かもしれない)。生理現象だからと言ってマナーを否定する理由にはならない。社会を維持する上で、やはりマナーを守ることは大事なのである。商談中の欠伸を我慢せよと命令しても、それが個性の抑圧には当たらないだろう。


朝ドラを視ながら朝食をとっている視聴者も案外多いのではないかと思う。

食事をしているかもしれない視聴者がカメラの向こう側にいると想像するとき、自然な生理現象だから話題にしてもイイという話しにはならないのではないか。そんな話題を避ける感覚だから、社会は進歩しないのだ、と。そうは言えないでしょ、ということだ。

要するに、マナーではないかと思うのだ、な。

多様化の時代というのは、善かれと思って継承してきた価値を疑い、是とされてきたモラルもマナーも、全て人間の個性を抑圧する不自然な束縛として否定する時代なのであろうか?

だとすれば、

多様化という時代は、つまりマナー以前の原始人に戻る時代である

そう思ってしまいますがネエ・・・

それで本稿の標題が決まったわけだ。

2024年4月17日水曜日

断想: いま楽しいことは将来の苦、いまの辛さが懐かしくなるのは普通にある

町外れにあるネッツ店でタイヤ交換をして来た。

冬タイヤを夏タイヤに換える頃には、毎年、道端の残雪が僅かになる。やがて桜が咲き始めると強風が吹き荒れる何日かがやってくる。桜はあっという間に葉桜になる。ちょうど黄金週間に入る頃である。気温は10度前後で小高い山に登ると肌寒さを感じる。GWが明けると厳冬期に凸凹になった道路を補修する工事があちこちで進む。そして工事が一段落すると、その頃までには白樺林は若葉の新緑になっていて、隣町ではライラック祭りがある。国道沿いのアカシアの花も開き始めると、初夏がやってくる。林の中でエゾハルゼミが短い夏の先触れのように高い声でさかんに鳴く……

まあ、こんな風に春から夏にかけての時候を毎年過ごしているが、これを幸福と言うのか、単調と言うのか、変化がないことは不安がないという事なのか、不安がないというのは平穏ということなのか、自分にはよく分からない。「ものも言いよう」なのだろう。

ただ、雪国に春がやってくる時節の晴れやかな嬉しさは格別である。これは真実である。

思ひきや 雪ふる里の わび住まい

     妻とよろこぶ 春の知らせを

首都圏で暮らし続けていれば、分からずじまいであった幸福だ。

誰であれ楽しかった思い出や、哀しかった思い出があるものだ。若い頃は、楽しかった時のことを思い出しては幸福感にひたったものだ。しかし、幸福の裏側で自分が気付かないままにやっていた独善や傲慢をやがて認識する時が来る。傷つけていた人たちに謝りたくともそんな機会は来ず、埋め合わせなど出来ることではないのだ。楽しい思い出は苦い追憶に変わる。これも浮世の摂理というものだろう。

反対に、辛い思い出は思い出したくもなかったが、時がたつといつの間にか懐かしい日々となって思い出されるのは実に不思議である。

ながらへば またこのごろや 偲ばれむ

     憂しと見し世ぞ 今はこひしき

藤原清輔の作である『新古今和歌集』のこの和歌には以下のような解説を窪田空穂が付けている:

これからのち生きながらえたならば、今と同じように、また現在のことがなつかしく思い返されるでしょう。憂いと思った頃が、ただただ今になると恋しいことです。

失恋もまた時の経過とともに美酒になるということか。時間は、ワインやウイスキーを産むだけではなく、人の心も別の心に換える。それは忘却ではなく、事の真相に到達するということなのだろう。裏もまた真なり。

2024年4月15日月曜日

ホンノ一言: 一致指数の急落から「景気悪化」を予想するのは無理ではないか

報道はあまりされなかったが、今月5日に内閣府から景気動向指数(2月分)が公表された。それによると、先行指数は(まあまあ)横ばいを続けているものの、生産・販売の現状を伝える一致指数が1月、2月と急落しているのが目立つ。

先行指数(le)と一致指数(co)を図にすると下図のようになっているので、ちょっと吃驚する。




実際、内閣府は今回の一致指数に基づき

景気動向指数(CI一致指数)は、下方への局面変化を示している

と判断している。

しかし、この判断はどうなのだろうナア、とやや疑いを感じる。あまりに機械的ではないですか、ということだ。


先行指数は2021年7月をピークとして低下してきたが、23年1月以降は横ばい基調を続けており、その動きに変化はない。寧ろ、足元の2月を含めて強含みである。


もし本年に入ってからの一致指数の変調が先行指数のピークアウトに伴うものだとすれば、2年もたってから先行指数の変化が一致指数に現れてきたことになる。しかし、先行指数の先行性はせいぜい半年ないし1年程度である。

直近で国内景気を話題にしたのは、多分この投稿だと思うが、そこでは

先行系列の悪化の動きは止まっている。横ばい基調が1年間続いている。

先行系列の横ばい基調は昨年12月まで変わっていない。ということは、この先の一層の景気悪化は考えにくい。そう予測するべきだろう。

こんな風にまとめている。


とすれば、2年も遅れて先行指数のピークアウトがいま一致指数にやってきたと判断するより、年明け以降の一致指数の急低下は一過的なものととらえるべきではないか。

実際、一致指数が急低下している背景は、耐久消費財出荷や鉱工業生産、輸出数量の急落である。これは、ダイハツの検査不正が発覚し、昨年12月に多数の車種の生産、出荷が停止に追い込まれたことが大きい。しかし、2月以降、次第に生産が再開されている。

なので、先行指数の動きをみても、この先も一致指数が悪化していくという可能性は小さいと(今は)みている。先行指数は悪化の兆しを見せていない。

 


2024年4月12日金曜日

ホンノ一言: 予測や判断は一年もたてば全く違うものになりうる、ということ

アメリカのインフレが予想外に「根強い(sticky)」という特性があるので金利引き下げの開始時期も後ずれするだろうと。そんな予想が高まっている。その分、株価にもネガティブな影響が出ていたりするのが、足元のアメリカ経済だ。

コロナ禍の後の供給ボトルネック、ロシア=ウクライナ戦争の勃発、インフレ率の急上昇、FRBによる攻撃的金利引き上げ、そして景気後退なきインフレ終息でソフトランディングと喜んでいたら、どうやらそんなに簡単には事は運ばないようである。

昨年5月までのデータに基づいて本ブログでは投稿でこんな図をアップしていた:

投稿したのは昨年6月だが、その時は
このところの投稿でよく使っている図で、(薄いグレーの線は)対前月インフレ率の年率値である。太線は原系列をSTLによって成分分解して得られる基調値(=Trend+Cyclical成分)だ。図で明らかなように直近の5月時点で基調値は2パーセントを僅かだが下回っている。
と説明している。

ところが、本年3月までのデータを用いて、最新時点の図を描き直すと下図のようになる。



図を作成したJupyter Notebookには以下のようなメモを付したところだ。
対前月インフレ率をSTLで成分分解し、TC成分を原系列と重ねて描画すると上図のようになる。

これを見ると、昨年秋以降、TC成分は低下基調から下げ止まり、更には反転上昇へと動きを変化させたことが窺われる。そして直近時点である2024年3月のトレンド値は4.1%という水準に留まっている。

実は、昨年5月のデータを見ながら書いた6月時点では、
対前月インフレ率のTC成分は既に2%というインフレ・ターゲット値に戻っていることが分かる。

と書いている。

要するに、

このままの物価動向が1年間続くとすれば、1年後の前年比インフレ率は2%に収まってくるはずだ

という見通しだったのだが、その後、ほぼ1年間のデータをみて計算し直すと、ターゲット値である2%には収まりそうもない、4%位になる。これは認められない。そんな物価上昇がまだ続いている、ということである。

確かに、アメリカのインフレは終息には至っていない。

とはいえ、トレンド値を計算する時にどの程度まで長く遡ってTC成分を計算するかというパラメーターを非常に長めに設定し直すと、上の図はこんな風に変わる。




これは、まるで大雑把なヒストグラムに似て、傾向・循環成分の変化が明瞭に伝わらない。

ただ、非常に概括的にデータをみるなら、毎月のインフレが次第に収束しつつあるという判断は依然として可能であるとも言える。


同じデータを見るとしても、見ようによって色々な判断が可能だ。まして、新たなデータが追加されれば、以前の予想とはまったく異なったものになる。

景気予測と景気判断は科学というより、アートに近い側面があると言われるのは、こんなところだろう。








2024年4月10日水曜日

ホンノ一言: 性別とトランスジェンダーについてのカトリックの観方について

トランスジェンダーやLGBTQの人権問題は、記憶している限り、グローバル・スケールでいま最高の盛り上がりを見せている。

では具体的にどんな社会がこれから到来するのだろうかという予測をたてようとすると、途端に曖昧にならざるを得ない。

例えば、生殖器を切除した男性なら中国宮廷に「宦官」という職名で多数勤務していた。自発的去勢者も多くいたと伝えられている。彼らは男性とは認識されなかったようだが、女性でもなかったわけで、つまりは「無性者」という感覚だったのだろうと想像している ― そもそも日本にはないシステムであるから、感覚的リアリティは得られるものではない。そうかと思えば、以前投稿したことがあるが「男色」も「同性愛」も積極的に公開することではなかったにしても、それがイイという人にとってはあくまで自由、自然な趣向であった。

つまり、「婚姻」や「生殖」、「性行為」という点とは別に、男女の性別差をどう理解すればよいのか、遺伝子上の差異、生殖上の差異、法律上の差異、表現・感覚上の差異等々、互いに関連するかもしれない差異尺度が混在していて、どの尺度でどんな議論をして、落ち着きどころのよい結論が得られるのか、大多数の人たちにとってよく分からないというのが現状ではないだろうか?

そうしたところ、ローマ法王が声明を出したので、アメリカのNYT辺りは大きく報道した。

The sex a person is assigned at birth, the document argued, was an “irrevocable gift” from God and “any sex-change intervention, as a rule, risks threatening the unique dignity the person has received from the moment of conception.” People who desire “a personal self-determination, as gender theory prescribes,” risk succumbing “to the age-old temptation to make oneself God.”

Source: The New York Times

Author: Jason Horowitz and Elisabetta Povoledo

Date: April 8, 2024 Updated 1:11 p.m. ET

URL: https://www.nytimes.com/2024/04/08/world/europe/vatican-sex-change-surrogacy-dignity.html

人為的な手段で男女の性別に介入するのは、神が与えた個人の尊厳を毀損する、人間自らが神になろうとする思いあがった行為だ、という主旨である(と思う) ― 別に男性(女性)を女性(男性)に変えるわけではなく、せいぜい(昔からやっているように)生殖器を現代医療技術を用いて切除したり、それらしく模造するだけの事であるから、神の決めた性別を人間が変えるという指摘には当たらないと思うのだが。

ふ~~む、なるほど・・・ローマ・カトリックはこう考えますか。そんな感じだ。さすが<造物主>、というか<父なる神>の眼から世界をとらえるキリスト教だなあ、という訳だ。

正直に言うと、小生もかなりの部分で上の判断に与したいという気持ちはある。

しかしながら、仏教の観点から同じ問題をとりあげるとどんな理解になるのだろうと思わず考えた。

性を転換する、つまりトランスジェンダーという行為は、本質的に罪悪なのだろうか?

仏教には<五逆十悪>がある。

「五逆」というのは、

殺母、殺父、殺阿羅漢、出仏身血、破和合僧

「十悪」は

殺生、偸盗、邪婬、妄語、綺語、悪口、両舌、貪欲、瞋恚、愚痴

のことだ。

分かりやすく書き直すと、五逆

母親殺し、父親殺し、聖人殺し、仏を傷つけて出血させる、教団を破壊する

という行為。十悪

殺し、盗み、不純な異性関係、嘘、戯れ言、乱暴な言葉、陰口、貪欲、怒りや憎しみ、誤った見解

のことである。

極めて常識的であるし、むしろ現代日本社会でいかに「十悪」が蔓延しているかに改めて思いが至るというものだろう。

ただ、大事な点はリンクを上に付けているが、浄土系思想に基づけば

南無阿弥陀仏と称念すれば八十億劫の生死の罪が除かれ、往生することができる、とされる(同)。法然は『一紙小消息』に「十方に浄土おおけれど、西方を願うは、十悪五逆の衆生の生まるる故なり」(聖典五・九/昭法全四九九)として、十悪を犯しても往生はかなう・・・

要するに、悪を為す人は前世の縁からそうせざるを得ない業を背負っているからこそであり、まず最初に阿弥陀如来の慈悲によって救済の対象になるのだ、と。他力思想では、救済される側には努力の余地がなく、救済する側に絶対的な選択権がある。これ即ち、他力本願で、小生も信じている思想である。

だから、生を受けた身体を変改して別の性別に転換するという行為をするとして、例えばそれが悪であり、何らかの罪であるとしても、それはその人の業と煩悩によるもので、信仰の道を歩めば魂は(最終的に)救済される ― 人間世界では罪を非難されるかもしれないが、絶対的な意味では許される、受け入れてくれる、だから平穏な気持ちでいてよい。そんな見解になるはずである ― あくまでも他力思想の宗派によるもので、禅宗や日蓮宗ではどんな思考になるのかは詳しくない。 

キリスト教的世界観に立てば、この世界は神の意志によって造られたものであり、故に自然は人工的に改変してはならぬという思考に傾きがちだ。これに対して、仏教的思想はTVにもよく登場するように《厭離穢土欣求浄土》となる。この現世は、煩悩と罪業に汚れきっている、だから来世には清浄な浄土に往生したい、ということになる  ―  「即身成仏」を旨とする密教や現世利益を肯定する日蓮宗ではまた別の観方になるかもしれない。


こう考えると、トランスジェンダーが神の意志に反するという見方は、日本社会では共感されないような気がする。


2024年4月8日月曜日

断想: 皇族の「東大入学」をどう思うかという話し

将来の天皇になるであろう秋篠宮悠仁親王がどの大学に進学されるのかで話が盛り上がることが増えてきている。

そりゃそうだろうなあ、と思う。多くの人は(多少の?)関心をもつだろうと思う。

関心領域が昆虫の生態研究にあるということから、農学系統の研究基盤が充実している東京大学や筑波大学、東京農業大学の名が挙がっていたが、最近は北大も可能性としてあがっているらしい。

それでも、豊富な研究予算、首都圏所在に着目すれば、やはり東京大学に進学するのがベストではないかという声も多いという。

小生も一票を投じたい。

仮に東大に進学されるとなると、筑波大学付属高からの推薦入学という枠を使うことになりそうだ(と伝えられている)。

ところが、これについても五月蠅い批判が世間にはあるようで。

皇族、というより未来の天皇になるであろう身分ゆえに東大入学ができるのではないか、と。これは不平等である、と。

まず本稿の前提を書いておくと、現代日本社会、というより実は歴史を通して日本社会の底流にあったかもしれないのだが、いわゆる《平等原理主義》を小生は支持しない。

何度も投稿しているように、平等や不平等は社会的プロセスがもたらす結果であって、それ自体について善悪の価値判断を下すのは難しい。戦争や内乱によって私有財産が解体されることで訪れる平等社会もあれば、長期間の平和と経済発展の中で創業者利得を得る超富裕層が生まれ、その結果として不平等化が進むこともある。どちらにしても、色々な格差は自然に発生し定着するもので、誰の責任でもない。平等を最優先して強権的に不平等を消滅させる権力は別の悲惨さと腐敗をもたらすだけである。これが小生の基本的な立場だ。


明治から戦前期・日本を通して日本社会に潜在していた《一君万民》という思想は、むしろ有害無益で、負の影響を社会にもたらしてきたと考えている。日本の戦前末期の政治的混迷は、正に一君万民思想にかぶれた過激派軍人が下剋上の行動を起こし、上層階層に属する天皇の側近を「君側の奸」として殺害する蛮行から始まったものであった ― 当の天皇陛下が悲嘆にくれるとしても蛮行を義挙と盲信していたわけだ。ゲニ、ゲニ、思想というのは恐ろしいモノで御座る。

「一君万民」よりは「ノーブレス オブリジェ(noblesse oblige)」のモラルの方が個人的にはずっと好きである。


そもそも世襲による天皇の継承という憲法の規定そのものが不平等である。不平等な規定から出発している社会の下で、原理的平等に執着しても、双方を納得させる有意義な結論は出ない。無益な紛争を避けて、道理に適った議論をしなければならないのが、現実の日本社会だろうと思っている。

だから求められているのは観念論ではない。功利主義、もっと露骨に言えば便宜主義に沿って議論するしかない。日本社会の建て付けがそうなっている。実は、律令の建前が崩れた平安時代から以降、摂関政治、武家政治、内閣制度へ移りながら、日本はずっとこんなやり方で一貫してやってきた。そう思うのだ、な。

「ごまかし」と言わば言え、和を以て貴しとなす、これが日本のお国柄なのだ

というわけだ。この気風はちょっとやそっとでは変わらないというのが小生の日本社会観である。

実際にはそんな事はないと推測しているが、仮に悠仁親王が皇族であるが故に有利な評価を得て、東大に推薦入学が許可されるとしても、それ自体が問題であるとは小生には思えず、シンプルに考えてそれは良い結果につながると思う。

大体、皇族が百人もいるわけではない。毎年、二人や三人の学問に関心ある皇族が東大に推薦入学するとしても、東大の授業運営、研究管理に何ら影響はないであろう。

他方、皇族が東大に在学する若者と交流して、人間関係を形成するのは、日本社会にとってもプラスの効果が期待されこそすれ、マイナスになるとは全く考えられない。

話しは違うが、福沢諭吉の子孫は慶應義塾に自動的に推薦入学が認められる。これを「既得権」だと非難する人物が世間にはいると予想するが、既得権だろうと何だろうと、こうした扱いがマイナスの結果をもたらすとは到底考えられない。寧ろ教育機関としての発展を考える時、創立者の子孫を迎える制度は、プラスの効果を結果として期待できる。こういうロジックなのだろうと思っている。だから、小生の主観としては、こうした扱いは(小生の家族とは無関係だが)ウェルカムなのだ。

東大に入学して以降の成績評価で皇族を相手にするが故の不正が行われるのではないかと心配する向きがあるかもしれないが、愚かな杞憂だ。

入学試験問題が本当に知力を測定できる問題なのかという疑問は以前からあるが、そもそも大学の成績は入試を遥かに上回って下らないものだと思っている。

大体、同世代としてリスペクトできる人物であるかどうかは、周りの東大生が一番よく分かっている。指導教官も大規模授業ならともかく研究室内の学生の知力はマズ正確に把握している。

まったく評価されていないにもかかわらず、皇族であるが故に卒業証書だけは手にするとしても、そんな資格はむしろ皇族としては恥であり、しかもその恥部を同期の東大OBや教職員に知られているという事ほど当人の心の負担になるものはない ― 実質的な学歴詐称なのだから。そんな事が分からない愚物であれば、分かった上で放置し、自然の成り行きに任せるのが最上だろう。そう割り切っても日本には何らマイナスではない。

東大卒を一枚看板にして一流企業に就職したいという俗世間的な願望を皇族がもつとは思えない。そんな願望は持つ必要がないのだ。そもそも一般、普通の人物ではない。正に日本社会があえて残している例外的不平等だ。「不平等の取り扱い」に日本社会は慣れなければならない、そういう問題であるのかもしれない。

平等原理主義の主張の背後には往々にして嫉妬と恨み、それに日頃鬱積した反社会感情が隠れているものだ。

【加筆修正2024-04-09】


2024年4月6日土曜日

ホンノ一言: 大谷礼賛、海外憧憬、日本軽視、どんどんヤリナハレという話し

 <世論>の空間と<言論>の空間とは微妙に違うものだと思っているが、少し前の投稿で砂浜のようだと例えたネットにこんな記事があるのに気がついた。

 日本人って、海外で活躍する日本人でしか自身のプライドを保てない情けない民族になったんだな、と思いました。ひたすら「大谷を全米が大絶賛!」「大谷を韓国のファンも絶賛!」ばかりやっている。

 そして、日本国内で行われるスポーツイベントでは、「カナダ人記者が日本のスタジアムグルメのクオリティーの高さを絶賛!」なんてことを書く。本当に海外からの日本礼賛にしか頼れない惨めな国になったんだな、と思う大谷だらけのテレビ報道でした。

 しかし、テレビ東京=0回だったのは少しだけホッとしました。こういう時、空気を読まずわが道をまい進するテレビ東京には感謝です。

Source: Yahoo!ニュース

Date: 4/6(土) 6:05配信

Original: デイリー新潮

Author:  中川淳一郎

言われるまでもなく、小生が視聴したい「報道」の中には、もはやテレ東の「WBS」が含まれるのみだ。残りのニュース解説、ワイドショーは全て「エンターテインメント」に主観的には分類されている。 


しかし、このことで民間TV局を非難するのは、筋違いというものだ。

民間メディア産業は、文字通り「メディア=媒体」であって、何を伝える媒体かと言えば<広告の媒体>である。つまり、メディア産業の主たる収入源は広告収入、具体的には広告を出稿する顧客企業が支払うCM料金である。故に、民間テレビ局は放送レベルには元来関心は持っておらず(制作現場は良いモノを作りたいと願っているだろうが)、経営としては可能な限り多くの人が放送をみる、つまり視聴率を高くしたい、これが企業経営の目的変数であるはずだ。視聴率向上の努力は、顧客志向を実行しているわけで、責められる話ではない。その視聴率向上をもたらす素材が、いまは「大谷選手」なのであろう。それが支配戦略になっている以上、放送内容差別化の余地はない。

ロジックはこういうことだろう。テレ東の「WBS」は内容差別化戦略、というより「ニッチ戦略」を選んでいるからで、それは他局の放送が競合する結果として生まれるニッチ市場を狙ったものである、と同時に所属する人材の得意分野に基づくものでもあって、非常に理に適った路線である。

この辺のロジックは、SNSの巨人であるMETA社も同じである。META社は、最大のSNSプラットフォームで、世界で共有される世論形成の場を提供することを創業の理念としているはずだが、

理念だけでは収入を得られない

結局は、この論理に行きつくわけで、故にMETA社は「イイね」が多数付与されるような投稿が増えて、そこにある広告が多く視られることを求める体質があるのは、自然の理屈である。だから、いま問題になっているように著名人の名前を騙る「投資詐欺」の投稿規制にいま一つ積極的でない、それは詐欺であるにせよ投稿が多くの人に読まれるのはMETA社の利益に適っているからだ、と。そんな批判が寄せられたりするわけである。

広告の媒体を提供する事業と、良質なサービスを提供するという企業理念は、往々にしてトレードオフの関係にある。

TVだろうが、新聞だろうが、週刊誌だろうが、SNSだろうが、全てのメディア事業は上のような限界に直面している。


それはそれとして、

日本人って、海外で活躍する日本人でしか自身のプライドを保てない情けない民族になったんだな

引用したネット記事の上の下りだが、これはこれとして、当たり前のことで、日本人もやっと普通の国民になったんだナア、と。正直、そう感じております。

そもそも海外で活躍する日本人も国内で暮らす日本人と同じ日本人である。将来、海外で活躍するだろう少年少女も含まれているに違いない。そんな日本人が海外で活躍する日本人をみて喜ぶのは当たり前であるし、それを映像で視たいという心理も自然な欲求だ。

野球やサッカーばかりではない。日本人がノーベル賞を受賞したり、映画のアカデミー賞を獲得したりする時には、国民的祝い事として世間が盛り上がる。

そもそも日本人は<世界一>というのが大好きである。


日本国内の小さな成功では満足せず、広く世界に認められる仕事をして、グローバルレベルの大成功を目指す志は、失われた30年を通して、永らく待ち望まれたもので、これこそ明治の始め、昭和の終戦早々の時期には日本人が確かに持っていた<進取の気性>というものである。

ネット記事とは逆に喜ぶべき変化だと思う。

2024年4月4日木曜日

断想: 被災者に寄り添うとは・・・真の意味で寄り添えるのか?

この正月に能登半島で大地震が発生したかと思うと、昨日にはまた台湾でもっとマグニチュードの大きな地震が発生した。ちょうど朝早々で小生は定期的に通っている病院へ車を走らせている所だった。ナビに緊急通報が届いて「視聴するか」とのメッセージであったので「視聴する」を選ぶとワンセグ放送だろう、地震速報が流れてきたのだ。

ナビにも緊急通報が届くんだネエ

というのは、遅まきながらその時に知った次第。 

一日明けた今朝もワイドショーは昨日の地震にかかりきりである。番組担当のレポーターが昨日内に台湾まで飛んだのだろう、現地から被災地の情況を説明している。

倒壊寸前になった家屋の側には赤色をした、何という名の花だろう、美しく咲いているのが奇妙に印象的である。

小生: TV局のレポーターはわき目もふらず、倒壊した家屋の悲惨さを説明するのに、口を動かしている。その傍らには、美しい紅花が満開に咲き誇っている。家の人はいない。家を捨ててどこに避難したのか・・・

あるじなくとも 春を忘るな

だネエ・・・

カミさん: そんな言い方、ちょっと不謹慎だよ、台湾の人は大変なんだから。

小生: テレビ局の人は被害の悲惨に目を向け、芸術家は倒壊した家屋の横に咲く花を絵に描くかもしれないし、詩人なら呆然と立ち尽くす人の群れと、災害は関係なしとばかりに咲く花々を対比させて、詩の一篇を書くかもしれんよ。こんな言い方は、モラハラになるのかな?

カミさん: 感じは悪いと思うよ。

小生: 中国の詩人で杜甫って知ってる?

カミさん: その人、教科書で太字になってるヨネ、あたし、太字の名前は覚えてるのヨ(笑)。

小生:じゃあ

国破れて山河在り 城春にして草木深し

って知ってる?

カミさん: 聞いたことある。

小生: 『春望』ってタイトルだから季節は春なんだけど、唐王朝の時代、安禄山の乱で長安の都が荒廃してサ、みるも無残な風景になったのを詩にしてるんだよ。巷、巷には、行き場を失った浮浪者が数多いたと思うんだよね。それを「国破れて・・・」と詠っている。これも、考えようによっちゃあ、被災者からみるとモラハラになるかもね。呑気に詩なんか作ってないで、炊き出しでも手伝ってくれという人がいたかもネ。

カミさん: そうだね。詩を作るなんて適切じゃあないかもネ。 


よく『被災した方々に寄り添う気持ちをずっと持ち続けたいものです』と、テレビ、新聞といったメディア各社は力説しているのだが、所詮、被災しなかった人と被災した人は、もはや異次元の生活空間に立っているのが、冷厳な現実だ。

そして、人が世界をみる目線は色々様々である。

様々な人たちの中には、政府で働いている人たちがいる。その人たちは災害で困窮した人たちが難民となり社会的不安定を招かないよう生活を支援する仕事に当たっている。また、内乱に荒廃した首都の光景を詩にする人もいる。それが後の人の胸をうち、歴史に残る漢詩の傑作となることがある。そうかと思えば、食料不足に陥った都に食料品を運び、一山儲けようと企てる商人、農民の一団がいる。これら全てを含めた営みが人間世界の有りようである。そう思うのだ、な。

鎌倉時代の随筆家・鴨長明が著した『方丈記』も

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

こんな書き出しが有名で、世の無常を観想していると言われることが多いのだが、実際のところ『方丈記』は、京の都を相次いで襲った飢饉や大地震、大火といった災害がどれほど悲惨なものであったか、その被災状況報告が主内容(の一つ)になっている。

しかしながら、『方丈記』が日本文化において占める位置は、鎌倉期・京都の災害レポートというより、優れた文学的作品としてのものである。

まあ、何度も災害に襲われて荒廃した都をレポートすれば、世は無常とつくづく感じるワナ

というところか。そこには人間社会の本質を洞察している観察者の眼があるわけだ。


過ぎゆく歴史的時間の中で、後世代の人がいま現世代の人たちがやっているどんな仕事を評価し、どんな成果を残したいと思うのか、現時点においては分からない。故に、いま生きている人たちが、互いに人それぞれの営みをリアルタイムで論難し、大衆を動員しては倫理的判定を下そうとするのは、有意義なことではないし、まして適切でもなく、結局のところ儲かるのは紛争をエンターテインメントに変えるメディア業界とそこに出演する法律家だけである。大半の人はただ困るだけであろう。

人は自分に出来る目の前の仕事に精を出せばそれが必要十分、他人や世間を気にしながらイイ仕事は出来ないものである。

漱石が『草枕』で述べているように、

山路やまみちを登りながら、こう考えた。
 に働けばかどが立つ。じょうさおさせば流される。意地をとおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさがこうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいとさとった時、詩が生れて、が出来る。

忖度過剰、倫理過剰の現代日本社会はますます住みにくくなっている。これでは一流の人材から海外に流出するだけであろう。

やはり無常の世間というわけか・・・

【加筆修正:2024-04-05】



2024年4月2日火曜日

断想: 社会主義と同じく民主主義も行くところまで行くしかないのだろう

前稿の最後にこう書いている:

長岡半太郎が生きた明治という時代は天皇に統治権があった。国民主権ではなかったので、国民の側に統治の最終的責任があるわけではない。故に、日露戦争を知らずとも、一人の社会人として無責任であったとは言えない。

この意味で、長岡半太郎という生来の科学者は、文字通りの《良き臣民》であったわけだ。

こうした戦前期・日本に生きた人たちのメンタリティを自分で追体験できないことは残念だ。夏目漱石、森鴎外や島崎藤村、芥川龍之介、谷崎潤一郎、江戸川乱歩などの小説作品に登場してくる人物は、正に非民主主義的であった日本に生きていたが、作品を読む限り、作中で前提されている価値観の非条理を覚えることは(少なくとも小生は)ない。少なくとも理解可能である。というより、理解不能な社会を前提とした文学作品は理解不能のはずで読む気にはなれないだろう。


戦前期・日本が民主主義国でなかったことは自明である。それでも、明治から大正へ時代が移る時期に発生した「大正政変」より以降は、衆議院選挙で数的優位を得た政党の総裁が総理大臣に任命される(あるいは別に任命される人物を与党としてサポートする)慣行が始まり、国家の体制はともかく、政治は民意に基づいて行われる潮流が確かにあったのだと、個人的には理解している。

ただ、政治が民主的に行われるとは言え、参政権は(現代日本で流行っている言葉を使えば)いわゆる<上級国民>に制限されていた。それが非民主的要素だと判断するのは、確かに道理であるが、それでも戦前期・日本社会で最大公約数的だった社会心理は

良き「臣民」として生きて、カネのやりくりに困らぬ生活が出来りゃあ、それで十分幸せな人生ってもンです

自分で経験したわけではないので表現は困る。が、大体はこんなメンタリティで普通の日本人は生きていたのじゃあないかと想像している ― 実際、小生の祖父や祖母は、戦前から戦後にかけて社会人生活を送ったが、戦前期の日本社会が非民主的で、人権が全く無視されていたとは、思い出話の中で決して語らなかった。酷かった時代に生きた記憶があれば、率直にそう語っていただろうし、孫に見栄を張る必要はない。

非民主的であったはずの戦前期・日本社会でも、というより戦前期・日本社会であったからこそ、そこで生まれえた高尚な文化や洗練された芸術があったことを追憶する姿勢は、フランスの外相としてナポレオン戦争後のウィーン会議に出席したタレーランがアンシャン・レジーム下のフランス社会を美しくも回想した感性と、どこか共通する所があるように感じる ― それでもなお、永井荷風によれば、明治以降の近代日本そのものが、その醜悪さによって特徴づけられるのであるが。

要するに、戦前から戦後にかけて日本は非民主主義国から民主主義国へ変革させられたのであるから、日本人は民主化された日本を喜んでいたはずだというのが理屈になるが、実際のところは、そんな単純な機械的なものではなかった。そう思うのだ、な。


だから思うのだが、仮に日本の統治に最終的責任を負うのは戦前と同じく「天皇」であると規定して、その時々の総理大臣を(ある手続きに沿って)天皇が任命するという戦前期の慣習が復活したとしても、その他の社会制度がそのままであれば、日本人の大半は何も不満は感じないのではないか、と。そんな風に想像したりすることがある。

寧ろ、政権交代のない55年・保守合同体制を内容空虚なまま続けるよりは、社会的に評価される人物を天皇が総理に任命する方が、議会多数派の協力が要るにせよ、スピーディな政治が責任をもって実行できる。そんな風に思う日本人は意外に多いかもしれない。

もちろん、その場合でも予算や課税、外交や国防に関する事柄は、国会の承認が欠かせない。が、しかし、戦前期日本においても、基本はそうだったのだ ― にも拘わらず、戦前末期に政党と議会が機能マヒに陥った真の理由は今後何度も徹底して検証することが必要だ。

人は、社会がどう変化しても順応するものである。人は解決不能なことで深刻に悩んだりしない。1941年から45年まで続いた戦時中であってすら、自分にとって楽しい一日もあれば、哀しい事もある毎日だったという話を亡くなった母から聞いたものである。

幸福は社会の価値観やイデオロギーとは関係なく普通に生きる人に訪れるものだと思う。そもそも、何日か前の投稿で記しておいたが、日本では民主主義の実現が国民の間の幸福の実感に結びついていない。

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この間、脱線気味であるので削除。

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とはいえ

一度手にした普通選挙と参政権を日本人が自ら手放すはずがない。

行政府の長を選任できる権限を国会が自ら手放すはずはない。

これだけは断言できるだろう。 

ということは

社会主義も民主主義も一度始めれば、何がどうなっても、後戻りは不可能で、行くところまで行かざるをえない。

ひょっとすると、《国民国家》という統治モデルの現実妥当性に疑問が高まっていくとしても、自分自身を否定するような新しい国家モデルにソフトに移行できるチャンスはない。

こうも言えそうである。

2024年3月31日日曜日

断想: 国や社会がそんなに大事ですか?・・・という人も多いでしょう

世間ではワイドショーの影響か、海外で起きた戦争や事件、日本国内で起きている不祥事や事件について、数多の人々が人それぞれの意見を述べている。ずっと以前は、そんな「世論」の広がる媒体としては、商業メディアの他に、会社内口コミ、井戸端会議、理髪店や美容院で繰り広げられる世間話等々、自然発生的なおしゃべりが無視できないチャネルであったわけだ。それが今ではSNSやブログになった。が、その割には小生の知人でインターネットを発言舞台にしている人は少ない。SNSが「世論」を形成していると言われても小生にはピンと来ないのだ、な。マ、これもジェネレーション・ギャップなのだろう。

ここ近年は、「ご近所」と言っても所詮は他人で、「お付き合い」が希薄化したためか、「世論」といえば商業メディアを指すようになってきた。そして、日本社会で起きている色々な事実の報道に「無知な輩」は「〇〇バカ」であると叱責されているかのような雰囲気を感じるようになった ― これも単なる主観と言えばそうだ。

TV報道や新聞報道、週刊誌報道にまったく無関心であるとダメなのだろうか?


少し前に藤原定家の『明月記』、というか藤原定家のような「純粋の芸術家」について投稿したことがある。この人物は、『新古今和歌集』の編纂にも参画した歌人で高校の日本史教科書でも太字になっている。

藤原定家が生きた時代は、源氏と平氏が戦った「治承・寿永の乱」が数年続き、更にその40年後には朝廷と幕府が戦う「承久の変」が起こるなど、むしろ内乱と騒乱の時代であった。京を舞台にした王朝文化は権力基盤を喪失して衰え始め、それまでとは異質の感性に支えられた鎌倉文化が生まれてくる時期に当たる。なので、藤原定家も芸術家であるよりも前に一人の人間として世間の成り行きには無関心でいられなかったはずだ。しかるに

紅旗征戎吾が事に非ず

( たとえ大義名分があるにせよ戦争は自分には一切関係のないことでござる)

『明月記』にはこう記し、一切、論評はしていない。「論評対象にあらず」というわけだ。


その伝で言えば

自民党の裏金問題? 私には関係ございませぬ。

ロシア=ウクライナ戦争? 私に聞くのは野暮というもの・・・

イスラエル=ハマス紛争? 存じませぬ。

こんな姿勢になるだろうか?

そういえば、明治時代の物理学者・長岡半太郎は日露戦争を知らなかった(のではないか)と見られていたそうだ(これを参照)。


小生は、こんな姿勢で生を全うしようとする志が 非常に好きである。

自らが《天職》に選んだ仕事より自分にとって大事なことはない。自分に出来ることをするべきであって、自分が上手に出来ないことに口をはさむべきではないし、口をはさまないなら無関心でよい。

長岡半太郎が生きた明治という時代は天皇に統治権があった。国民主権ではなかったので、国民の側に統治の最終的責任があるわけではない。故に、日露戦争を知らずとも、一人の社会人として無責任であったとは言えない。

2024年3月28日木曜日

ホンノ一言: 水原氏が雲隠れするのは当然だと思うが

本日はスポーツ新聞ネタということで、いま進行中のドジャース・大谷選手が巻き込まれた違法賭博事件についてホンノ一言。

大谷選手が(質疑応答はないにしても)メディア向けに声明を出したのに対して、窃盗実行犯である(とされている)水原氏は韓国で開催されたドジャース対パドレス2連戦のあと、居所が不明で、雲隠れしている模様。

日本のマスコミは

ご自分の声でキチンと経緯を説明してほしい

こう指摘する向きが多いようだ。

しかし思うのだが、違法賭博の胴元であるボイヤー氏の背後にはラスベガスを本拠とする巨大犯罪組織があるという当局(=FBI等)の見立てが日本でも報道されている。

FBIがボイヤー氏の家宅捜索を行い、そこで大谷翔平名義の口座から入金があった事実(?)が露見し、世間で大騒ぎになっているのは、犯罪組織側からみれば想定外だったかもしれない。

だとすれば、水原氏とボイヤー氏がこれまでどんなやりとりをしたか。その詳細を語ることのできる水原氏は、FBIにとっても貴重な証人でありうる。司法取引もありうる。故に水原氏の口をふさごうとする勢力がいたとしても不思議じゃあない。もちろん、もっと危ないのはボイヤー氏の方かもしれない。

メディアに顔を出してキチンと自分の声で経緯を説明するような状況か?

ミステリーが好きなもので、ついそう考えてしまうのだが・・・

2024年3月27日水曜日

断想: 「表現の自由 ≒ 嘘をつく自由」も一面のロジックではある

いまそれなりの年齢に達している人で、経済学を学んで、卒業論文を書いた経験のある人なら、『成長の限界』を記憶しているに違いない。

実際、Wikipediaを参照するとこんな風に紹介されている:

成長の限界(せいちょうのげんかい)とは、ローマクラブが資源と地球の有限性に着目し、マサチューセッツ工科大学のデニス・メドウズを主査とする国際チームに委託して、システムダイナミクスの手法を使用してとりまとめた研究で、1972年に発表された。「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」と警鐘を鳴らしている。

ちょうど一次産品価格が世界的に暴騰して、日本でもいよいよ「狂乱物価」の時代になる頃だ。

時代背景というのは、いつでも「新しい経済理論」、「新しい経済予測」を生み出すものなのである。そもそもアダム:スミスの『国富論』は18世紀終盤のイギリス社会、というよりスコットランド社会があってこそであるし、マルクス経済学も19世紀後半のヨーロッパがあってこそ生まれたものと言える。一次産品価格が暴騰すれば、「成長の限界」を考えるのが自然であったわけだ。 


人間というのは、同じような思考をするものだ。というのは、こんなタイトルのネット記事を見つけたからだ。

大谷翔平の「MLB永久追放」と水原一平氏の「国外退去処分」の可能性はあるのか…米国の弁護士が指摘する「最悪の事態」

へえ~~~っと思って読んでみると、内容は正反対だった。そういえば、20世紀のスポーツ新聞にもよくこんなヘッドラインが踊っていた。


それにしても、人間社会ってものは今も昔とまったく同じで、その事にまず驚く。

例えば

地球最後の日が来る可能性はあるのか?その確率は

というのは、これまで何度か見かけたことがあるし、今後将来にかけて忘れた頃になると、アクセス増を狙って同じタイトルをアップするメディアが必ず出てくるに違いない。

小惑星が地球に衝突する確率はゼロじゃないんですよ。現実に落ちたこともあるわけですからね。ありうるんですヨ!

自分だけは死にたくないと願う人間の煩悩は、そこを攻めれば、いくらでも稼げるわけである。いわば必勝のメディア戦略だ。もっと日常的な話題を挙げると

今後1年以内に「世界大恐慌」がくる可能性は

ウクライナが降伏すれば、ロシアはフィンランドと戦端を開き、NATOとの戦争が始まる

中国が台湾を奇襲するとき、ロシア軍は北海道に上陸する

 もうキリがないねえ・・・大盗賊だった石川五右衛門の辞世の句であると伝えられる

石川や 浜の真砂は 尽きるとも 

   世に盗人の 種は尽きまじ

この伝でいうと

日ノ本の 浜の真砂は 尽きるとも

   デマに驚く 人はつきまじ

人を不安にさせる虚言で儲ける人は、実質的には反社会的行為をしている理屈なのであるが、それもまた表現の自由として保障されているわけだ。虚言を虚言として理解し、間違いは間違いであると指摘できるだけの判断力、理解力は、民主主義社会には不可欠の要素であって、それを身につけさせるのが義務教育の役割であると考えれば、

表現の自由 ≒ 嘘をつく自由

こんな一面も確かにある。「表現の自由」を主張すればモラルに反するケースはある。これは認めざるを得ない。結局、法は法、モラルはモラルで、二つは別なのだ。

そもそも小説は完全なフィクション、歴史小説の半分はフィクション、ノンフィクション・ドキュメンタリーも筆者の主観が混じっているという点では、一部はフィクションであるわけだ。


もちろん1972年の『成長の限界』は、システム・ダイナミックスを駆使した異端的であったとはいえ、一つの学術的アウトプットだった。だからこそ、衝撃をもって受け取られ、今もその当時のことを覚えているのである。

実際問題として、世界経済の成長が限界を迎えれば、脱炭素、水不足問題、地球温暖化等々、いま悩んでいる地球規模の問題は自動的に解決される可能性が高い。

成長の限界、ええぞなもし! そうならんもンじゃろか。

人の意見は色々である ― が、評価<秀>であるのは極々一部であるのが人間世界の常なのだろう。

一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ

犬の世界も人間の世界と似ているということか。 

どの政治家の言か忘れたが

声なき声をきく

意外に本質をついている考え方かもしれない。小さい声を聴くという姿勢こそ、正当な意見を見出す確率が高いというのが小生の立場だ。

【加筆修正】2024-3-30

2024年3月26日火曜日

ホンノ一言: 幸福度指数と民主主義指数が日本は大きく乖離している。何故だろう?

現在時点の世界の悩みの核心の一つはロシア=ウクライナ戦争である。これは確かだろう。もう一つ、イスラエル=ハマス紛争もある。こちらは宗教対立、民族対立だ。

本日投稿のテーマは前者である。

ロシア=ウクライナ戦争をどう観るかと言うとき

民主主義 vs 権威主義

この対立構造が必ず言及される。

少し昔なら(それほど昔のことを経験しているわけでもないが)

民主制 vs 君主制

という言葉が良く使われていた。

これが使われなくなった背景には、イギリス、日本、その他ヨーロッパ諸国には、今もなお世襲による「王制」 ― 日本は天皇制 ― が残っているが、これらの国々は明らかに民主主義的である、と。こんな認識があるのだろうと思っている。それで「君主制」ではなく「権威主義」という言葉に置き換えたものと推測している。

君主制でも「明らかに民主主義的」である国がある一方で、君主を戴く国ではないが「明らかに非民主主義的」である国がある。

要するに、民主主義的であるかどうかは、明らかに判定できる、と。インデックスによるにせよ、国民の声によるにせよ、判定は明らかであるというのが前提になっている。


なるほど《民主主義指数》なる統計数値をイギリスの調査機関が公表しており、それによると、例えば西欧やカナダ、オーストラリア、日韓などは高度に民主主義的であり、アメリカやイタリアは日本よりは民主主義の度合いが落ちる。ロシアや中国は非常に非民主主義的である。こんな概観が得られる。

へえ~~~、そうなんだ

と感じる日本人は結構いるのではないだろうか?

物価と生活感覚がズレるように、統計数値というのは、概してこういうものであるのは、やむを得ないところだ。

ちなみに、ロシア=ウクライナ戦争の一方の当事国であるウクライナだが、西側陣営から支援されている割には、その民主主義指数は決して高くはない ― ロシアよりはマシだが、伝えられている政府の汚職や腐敗を思うと、「どっちもどっち」という所なのだろう。


よく民主主義と国民の幸福度は概ね比例関係にあると言われる。実際、<民主主義 幸福度 相関>で検索をかけてみれば、多数の研究結果を確認できる。

ところが<日本人 幸福度>で検索をかけてみると、日本人の幸福度は世界の中で必ずしも高くはない。寧ろ「先進国」と称されるグループの中では最低である。そんな結果になっている。

おかしいじゃないですか?

日本は非常に民主主義的なんでしょう?

民主主義になると政治参加が実現するので国民は幸福を感じるのだ、と。こういうロジックなんでしょう?

なのに、日本人が幸福を実感していないというのは矛盾しているではないですか?

ま、疑問文の形式で述べるとこんな問いかけになり、面白いダイアログがこれに続くはずだ。

確かに言えることは、

観察可能な数値としては日本は非常に民主主義的であるが、それが国民の幸福に結びついていない。

こんな見立てになる。ということは、

民主主義社会であるにも関わらず、国民の政治参加を強く制約している状況がある(はずだ)。

こんな風に議論は進む。あるいは

民主主義社会であるが故に、日本人は(本心では)幸福を感じられないのだ。

これが日本社会の特異な真相であるのかもしれない ― 日本の民主主義は敗戦後に連合軍から押し付けられたものだと観る歴史観は今もなお確かにあるし、一面の事実でもあるのだから。


《国民の政治参加》が実現されていることの必要条件は何だろうか?日本では、その必要条件を満たしていない点があるのだろうか?

日本社会の社会心理には、欧米世界と異なる特異性が認められるのだろうか?

幸福度指数と民主主義指数がこれほど大きく乖離しているのは、これを説明する科学的説明がなければならない。


2024年3月23日土曜日

断想: 「大事なのは言葉です」は、そうでもなく、そうでもあるようで

週末ではあるが、母の祥月命日なので若住職が月参りに来て、読経をして帰った。いつも置いて帰る小冊子には北原白秋の以下の詩句が載っていた:

ひとつのことばで けんかして

ひとつのことばで なかなおり

ひとつのことばで 頭がさがり

ひとつのことばで 心が痛む

・・・

ひとつのことばを 美しく

何度も投稿してきたように、小生は唯物論に共感していた。だから、言葉は所詮は言葉でしかなく、自然空間は物理法則によって、人間社会は人間の生産活動と行動によって決まっていく。そう考えてきたのだ、な。

それと「月参り」は矛盾している。だから、日本の慣行に従いつつも、居心地の悪い感じがあった。しかし、最近になって、認識が変わって来たことは既に投稿している(これを参照、これも)。

人間は(だけではなく全ての生命現象は)物理化学的なプロセスである。生命はモノの世界にモノの現象として存在する。人間の意識も人間の身体を構成する物理的実体の中でか、間でか、で進む化学的プロセスである。一人の人間の意識と思考は、脳細胞を構成する物質の反応プロセスと一対一に対応するであろう。「人は考える」のではなく、そう考えるように物質が相互反応しているのだ。とすれば、言葉もまた詰まるところは自然現象であって、モノの世界に潜在していた特性の発現であると、今ではそう考えている。

自意識を有するに至ったモノの構成物として人間を理解するべきだと、そういうことになる。正に、空海がいった金剛界(=物質世界)と胎蔵界(=精神世界)は本質的には一つの世界であるとみる《両部不二》。その主旨にやっと共感できるようになったわけだ。

だとすれば、言葉をどう考えるかという認識も変わらざるを得ない。人間の言葉や抽象概念は、この自然世界、というか物理的宇宙において本質的な意味をもつのかもしれない。

どこかのワイドショーのMCがいった『大事なのは言葉です』という言葉。深い意味を込めて語っていた感じではなかったが、意図することなく大事な本質を言い当てていたのかもしれない。

住職は『やっと冬が終わりましたね』と言った。小生は『いつも通りの春が来ましたね』と応じる。住職は笑いながら『そうですね』、小生は『世間は騒がしいですけどね』と話す。『それでは失礼いたします』と言いながら、住職は帰って行った。

いつも通りの春である。

春は春 花は花にて 咲きにけり

   常ならぬ人の 世にはあらめど

世間は、詰まるところ《諸行無常》。自然は変わらないが、人々の話し声は年ごとに変わっていき、何年かを通してみるとノイズに限りなく近いような気がする。

杜甫の

国破れて山河あり

城春にして 草木深し

に近い発想だ。

とすると、やはり大事なのは言葉ではなく、自然です。こちらの方が性には合っていそうだ。

ただ、上の短歌とは逆の感性もある。古今和歌集に

月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ

   わが身一つは もとの身にして

こんな一首が巻15の恋歌五にある。在原業平である。

ここでは、自分独りは昔のままだが、月も春も昔のものではない、と。そう詠っている。要するに、想い人を偲んでいるわけで、月も春も眼の前の客観的自然ではなく、主観的な月と春をそう言っているわけである。実は、私たちの言葉で指しているのは、自分自身の心に感覚が映像として残し、そこに在るかのようにみえる存在で、外にある実体ではない。 

自分の主観あるのみ、直観あるのみ、という思想も小生は非常に好きである。

三島由紀夫と石原慎太郎の対談を記録した『三島由紀夫 石原慎太郎 全対話』(中公文庫)は、いま読み返してみると、文字通り珠玉の作品のように思われ、これに比べると、最近10年程の「言論」のレベルは、コクのある絶品ラーメンとコンビニで売っているカップ麺の品質差があると感じているのだが、その中の『守るべきものの価値』で三島は以下のように語っている:

ぼくは日本の文化というものの一番の古典主義の絶頂は『古今和歌集』だという考えだ。これは普通の学者の通説と違うんだけどね。ことばが完全に秩序立てられて、文化のエッセンスがあそこにあるという考えなんです。・・・あとのどんな俗語を使おうが、現代語を使おうが、あれがことばの古典的な規範なんですよ。

こんなことを言っている。小生も、じっくりと『古今和歌集』を読み返してみて、今はマアマア同感するようになった。

『古今和歌集』は紀貫之が中心となり905年にまとめられた和歌集で、時代背景としては平安前期にあたる。中国文化の影響を脱して、日本人のもともとの感性が発露する国風文化が興り始めた時期にあたる。

その後、『古今和歌集』は王朝文化のお手本的な位置づけを占め続けたが、江戸時代後半になって『万葉集』が再評価され、明治になってからは正岡子規が『貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候』と酷評するに至り、それ以降、日本の短歌、俳句は写生主義を良しとして来たわけだ。が、この子規による「短詩革命」は、明治という時代の雰囲気の底にあった西洋の自然科学、自然主義思想に過剰に影響されていたと小生は思うようになった。

「あるがままに書け、あるがままに描け、あるがままに造れ」という行き方は、思想として痩せていて、貧しい。

そもそも、客観的対象をそれが存在するままに、在るがままに書くことは、実際には不可能である。写実が大事ならカメラやレコーダーを使えばよい。モノではなく心のあるがままを表現するしか人間には可能でない。心を表現する時にだけ心は充たされる。少なくとも芸術はそうでなければならない。

痩せた思想を信奉するのは、日本人にとって不幸であるし、もともとの日本文化を支えた感性が失われることにもなる。文化を失う時が亡国の時だという理屈になるだろう。

最近はそう考えるようになった。

「心変わり」は世の常ということか。

それにしても、上の『対談集』では、三島の古典主義と石原の虚無主義が対比されていて大変面白い。どちらも一流のレベルに達していて、どちらが正しいと言えるものではないが、読む人がどちらに共感するかは読んでいて自分で分かるはずだ。


 


2024年3月21日木曜日

ホンノ一言: スキャンダルはあれど、「論戦」、「激論」がなぜ起こらない?

アメリカの政治と政治を取り巻く専門家集団を観ていて、時に羨ましいのは、そこに対立する二つの正反対の政治プログラムがあり、それぞれの提案について、自らが立つ立場を明確にしつつ―『これが国民のためになるのです』などと空虚な発言をせず―堂々と意見をオープンな場に公開し、批判を堂々と受けて反論する、そんな政治のルールが徹底されている所である。

これが、プラトン以来の《対話》、つまり質問と回答、攻守を逆にした逆質問と逆回答を繰り返す《相互批判》が真の知識に至るための唯一の正道であると考える西洋文明というものかもしれない。師の教えを傾聴する「師事」だけでは知識が増えるはずはない。これが理屈である。


アメリカだけではない。イギリスでも保守党と労働党は明確に政治路線が異なる。フランス、ドイツは多党が分立していて、その時々で異なった政党編成になったり、連立政権となるので、何だかスパゲッティ状況になっているが、それでもドイツの社民党とCDU・CSU、緑の党は主張がハッキリと違って具体的である。有権者は、対立する提案をみて、投票先を決めるのである。

日本政治が選択しつつある(?)二つの対立的方向と言えば、せいぜいが

原発を将来も維持するか、脱原発を進めるか?

マア、この位が意識されているだけだろう。そして、一方の現実として、経済成長軌道に復帰したいと願う日本には、エネルギー供給能力のボトルネックが迫ってきている。

論争が起きて当然の社会状況にあるはずだ。が、何だか静かなのだ、な。

論争は「分断」とは違いますゼ。「意識統一」、最近流行りの「価値観の共有」なんて民主主義ジャアありませんぜ。だから思想、信条は自由だと憲法に書いている。

どうやら日本社会は、戦前期・日本と同じで、民主主義をどう運営するかで、気迷い状態に陥っているのだと思う。 「合意」を最終到達点としたい日本社会の弱点がここにある。

交渉する二人なら「合意」か「決裂」を選べばよい。しかし、極めて多数の社会人が「合意」するなど非現実的だ。かと言って「決裂」すれば社会的不安定が生まれる。なので、一定期間だけ、一方の勢力の提案を採る。一定期間だけなら、という点に合意する。経験の蓄積に伴って、知識レベルも上がる。それに期待しよう。これが民主主義だと理解している。


そのアメリカも、社会保障、医療保障をどう維持するかでは苦悩しているようだ。KrugmanがNYTに寄稿しているのも、トランプとバイデンという今秋の大統領選挙を戦うことになりそうな二人の候補者の構想を比較して、いかにトランプ候補が危険な候補であるかを力説するものだ。

例えば、こんな風に締めくくられている。

So will Social Security and Medicare be on the ballot this November? Definitely. Biden has a clear plan to preserve these programs; Trump, wittingly or unwittingly, would probably help wreck them.

Source: The New York Times

Date: March 14, 2024

Author: Paul Krugman

URL:  https://www.nytimes.com/2024/03/14/opinion/trump-biden-social-security-medicare.html

Krugmanは、ノーベル経済学賞を2008年に授与された純粋の経済学者である。

日本の経済学者がここまで明確に、ある政治家が提案する政策を評価し、それと同時に別の政治家の構想をこきおろす評論を、大手新聞に載せるだろうか?

ずっと以前には、現代経済学(=いわゆる「近代経済学」)とマルクス経済学が対立していて、問題認識も政策構想もまったくの対立状態にあった。と同時に、現代経済学の専門家の間でも、たとえばバブル景気をどう認識するか、不良債権をどう解決するかで、喧々諤々の論争が繰り広げられた。直近の数年において、そんな百家争鳴、百花斉放とも言うべき論戦が、政治家や専門家の間で展開されているだろうか?寡聞にして聞かない。何だか、一つの方向に収束させたい共通の願いが見え隠れしている。それほど日本社会は、分断が嫌いで、合意が好きなのだろうか?一体なぜ、と感じる。

分断は常に存在する。合意などはその場限りの、あるいは強いられた虚構である。そのリアリティを直視することから為されるのが「政治」という努力である。

そう思いますけどネエ・・・


足元では、「日本病」とか、「人出不足」に加えて、「エネルギー問題」も未解決なのである。年金支給開始年齢も引き上げざるを得ないだろう。育児支援の財源も中途半端だ。

基本的な事は後回しにして、結局は何も考えない政治家がいる一方で、今するべき論戦を後回しにしている専門家集団が、いる。社会の閉塞状況をみて、自分の無力に立ち尽くしているような政治家の周りで、専門家が日常業務に勤しんでいる。どうもそんな情景を連想したりする。

杞憂なら幸いだ。

2024年3月18日月曜日

前稿の補足: 誰のための政党か、という問いかけが第一歩では?

前稿のテーマは、一つには「戦前期の政党政治崩塊」だった。日本における政党という「結社」、というか「組織」、「法人」は、遠く日露戦争前の1900年から存在し、一時は議会という場で日本政治を方向付けるほどの力を発揮したのだが、昭和初年から始まった「普通選挙」を機に急速に国民の信頼を失い、自己崩壊したのだった。

---2024-03-19追加

ほぼ同じ「言い訳」を前稿にも加筆したので本稿にも書き加えた。上で「日露戦争前の1900年から存在し」というのは立憲政友会の結成を指している。しかし「政党の誕生」という意味ではこれは間違いだ。第1回帝国議会は、山縣有朋内閣の時、1890年11月29日に開会されたが、議席は自由党(初代党首は板垣退助)、立憲改進党(初代党首は大隈重信)のいわゆる「民党」が過半数を占めた。明治10年代の自由民権運動から日本の政党が誕生したと考えれば、政友会結成よりも更に20年程は遡ることになる。本稿では、日本の「政党政治」が意識にあったので、藩閥政治が盛んであった時期にも政党が活動していた事実に触れずにしまった。これが提出レポートなら大減点だ。せいぜい「良」という評価だったに違いない。

------

その政党崩塊の急速振りが日本においては非常に特異で、特徴的である。この点について、一点だけ補足しておきたい。

かなり以前の投稿になるが

誰のための政党なのか?

という問いかけを書いたことがある。

たとえばこんな下りがある。

政治団体(=政党)は、自党のターゲットをどう定めるか?ここが最も大事な出発点だ。ターゲットが定まれば、ターゲット外の人たちが忌避するような政策を訴えてもよいのである。ターゲットが支持すれば政党としては成功なのだ。というより、そうしなければ実行可能な政治戦略はつくれないはずだ。もちろん勝敗は数で決まる。決まったものが正しいのだ。なぜ正しいかは学者が考えるべき事柄である。

更に、

 本当の意味での対立軸がいつまでたっても与野党から出てこない。「これが国民のためになるのです」と、それしか言わないから、そもそもターゲット(=支持基盤)が真に求めていることを本当にやる気があるのか。そんな問いかけすら、するだけ無駄であるのが現在の小規模野党群である。民主党政権時には、あろうことか自民党の伝統的支持基盤を吸収しようとしているように見えたこともあった。『要するに自民党にとって変わりたいだけか』。小生はそう思ったものでござる。

ズバリ一言で言うと、

あなた方が目指す政権交代とは自民党にとって変わることなンですか?

これじゃあ、零点だ!!

ダメでしょう、と。野党の意味がない。自民党を支援してきた有権者、団体は自民党の優良顧客である。その支持基盤をソックリ頂いて出来る政権は、ヤッパリ、自民党の支持基盤であった階層の利益に奉仕する政治をするしかないのである ― でなければ政権を失う。

簡単な理屈ではないか。

故に、野党のやるべきことは

自民党の支持基盤と対立する有権者層を岩盤支持層にして、更に浮動票を獲得するための中道的な経済政策を提案することである。

 要するに、自民党の固い支持層が嫌がる政策。それは自民党が絶対に言い出せない政策でもあるが、そういう政策を提案すればよいのだ。

例えば、富裕層への増税。累進所得税率の累進度強化。利子配当の分離課税廃止、あるいは分離課税税率の累進化。固定資産税率の引き上げ等の資産課税強化。相続税率引き上げ・・・これらは自民党支持層にとっては嫌なものですゼ。実際、岸田内閣は「新しい資本主義」とやらで金融課税(の強化?)を唱えていた(と小生は記憶しているのだが)が、今では口にチャックをしたかのようだ。しかし、中流を超える富裕層・準富裕層への増税を財源に、児童手当を増やせば、中流未満の人たちにはウェルカムでしょう。富裕層増税はアメリカのバイデン・民主党政権がいま検討している事だ。

『頭のいい人もいるでしょうに、なんで分からないかナア・・・』と、これまで幾度痛感したか分からない。日本の(共産党を除く)中道左派の低レベルには失望を通り越して、もはや視野から消えた感がある。まるで「透明人間」のような政治家集団だ。

長々と書いたが、実は、この辺に戦前期・日本の政党政治崩塊の根本的原因があると思うのだ。

それは、政友会にせよ、民政党にせよ、普通選挙を前提に成長してきた政党ではなかったことである。両党とも「恵まれた階層」にいる限られた有権者を相手に活動していた政党である。もちろん「恵まれた階層」と一口に言っても、地方在住の大地主もいれば、都市に住む新興企業経営者層もいる。大雑把に言えば、前者は政友会を、後者は民政党を支持していたと言われている。これら二つの階層は、求める政策に違いがあったので、自然と二大政党で支持基盤が分かれ、重点政策メニューも差別化されたのである。 

しかし、普通選挙を実施した後、それまでは投票をしなかった階層の有権者が新たに政治の場に流入した。当時の用語を使えば、財産をほとんど持たない《無産階級》、マルクス経済学でいう《プロレタリアート》である。

彼らを訴求対象とした政策に政友会も民政党も力を注いだことがなかった。なぜなら、そうした政策は自ずから社会主義的政策になるからであり、社会主義思想は当時の日本では「天皇制を脅かす」危険思想であると認識されていたからだ。故に、いずれの政党が政権をとっても無産階級の人々のために進められる社会政策は、微温的なものに止まり、コストを負担する経済界の意向に反するような施策が実行されるはずはなかったわけである。

とはいえ、普通選挙である以上、こうした中流未満の有権者からも票を獲得する必要がある。しかし、彼らのための政策は提案し難い。彼らのための政党ではなかったからだ。故に、スキャンダルに頼った。


19世紀のイギリス政治は自由党と保守党の二大政党のお手本のようであった。自由党は「ホイッグ」、保守党は「トーリー」と俗称されていた。自由党のグラッドストーン、保守党のディズレーリは、高校の世界史教科書にも載っている。

ところが、第一次世界大戦後のベルサイユ会議に自由党内閣の首相として出席したロイド・ジョージの後、自由党が没落したことは余り触れられることがない。

自由党に変わって党勢を拡大してきたのは、現在も英政界で勢力を有する労働党である。それまでの「ホイッグ対トーリー」は「企業家 vs 大地主」の利害対立から発生した構図である。企業家というのは、輸出大国としてのイギリスを支える製造業経営者であった。それが、20世紀初めには「労働党 vs 保守党」という対立構造に移行していったわけだ。その背景は、イギリス経済の成熟化が進む中で、「資産階層 vs 労働者階層」という利害対立構造が明瞭になったことにある。

今でも自由党は名称を変更しながらも存在し続けている。自由党が没落しつつある時代に経済学者・ケインズは活躍したが、彼は地主の党である保守党にも、労働者の党である労働党にもシンパシーを感ぜず、自由党を支持すると明言していた。

イギリスでは「誰のための政党か?」という疑問をほとんどの有権者は抱かずにすんでいるのではないか。

戦前期・日本の普通選挙の時代、日本に暮らす中流未満の有権者の利害を代弁してくれる政党は、危険団体視される左翼政党があるにはあったが、実際にはないに等しかった。投票する先がない。そんな状況は考慮しておく必要があるわけで、政友会や民政党に所属する政治家は正直なところ、新種の有権者たちを前にして困惑していたには違いないのだ、な。

現在の自民党は、かなりの右翼から、ひょっとすると中道左派までを含む「デパートのような政党」である、というのは前にも書いたことがある。しかしながら、自民党の固い支持基盤は確かにあり、彼らの利害に反する政策は決して自民党は実行しないし、仮に浅はかにもそんなことをすれば、自民党は支持基盤を切り崩され、政権を失う理屈だ。

しかし、自民党のミステークにつけいって、自民党の支持基盤を奪い取っても、政治が変わるわけでは決してない。そんな《オポチュニスト》のような野党は、有害無益なのである。

小売業界を見たまえ。デパートはデパートで売りたい客層と商品がある。スーパーはスーパーで売りたい客層と商品がある。客層が先ずそこにいて、業態が決まり、売る品も決まる。そこで経営戦略も決まるのだ。政党の成長衰退も、イギリスの政党史を振り返れば、自ずからその因果は明らかだ。

ちなみに、自民党は議員数合計を過剰に追及していると小生は思う。規模が過大であることから、どの有権者セグメントも要望に応える政策を実行してくれないという欲求不満を感じているような気がする。保守合同はせず、競争を維持したまま、個別政党ごとに支持基盤を選び、コミュニケーションを深め、党の「政策綱領」を練り上げた方が、日本政治はずっとマシになり、発展してきたのじゃないかナア、と。そんな風に思います。

ともあれ、日本の野党は、

自分たちの政党は誰のための政党なのか?

ビジネスと同じく、政治においてもターゲティングが最も重要で、ここからスタートするのが定石というものだろう。

【加筆修正 2024-03-19】

2024年3月16日土曜日

断想: 日本政治の現在位置は?

岸田内閣の支持率だけではなく、自民党の政党別支持率も歴史的低レベルにまで落ち込んでいるのだが、この理由は余りにも明らかだ。単に「安倍派と二階派(岸田派も)による裏金作り」にのみ主因があるのではない。とにかく

全ての(自民党の?)国会議員の(モラルとしても、政治能力としても)その低レベルに愛想がつきている

この辺りが、日本国内の有権者感情の最大公約数ではないか、と思う。ズバリいえば、

そもそもの阿呆が政治主導などと何を世迷言を言うとるか

と、マア、そんな所だろう。

本当の所は、自民党が二つに分裂するのが、日本人にとっては政治的選択肢を増やすという意味で、最もハッピーな帰結なのだろうと思う。個人的には、それを熱望している。

元々、昭和20年代においては保守勢力は、一方に吉田茂や鳩山一郎の流れをくむ自由党系、他方には吉田と同じ外務官僚であった幣原喜重郎や芦田均を中心とした民主党系という二大保守勢力が拮抗していたが、この対立構造は戦前期・日本の<政友会 vs 民政党>の二大政党構造を人脈としても大体は継承するものであった。

ずっと以前になるが、岸信介による保守合同が、戦後日本体制の安定をもたらした一方、1990年代以降の「失われた30年」という時代背景の下では、逆に日本の政治的選択を狭めてきた、と。そんな事を書いて投稿したことがある(これも)。

その決断の背景として、そこでは《共産主義警戒観》が当時の保守政治家に共有されていたと書いた。確かに、それは事実であったに違いない。中国本土から国民党が台湾に駆逐され、毛沢東の指揮する中国共産党が広大な大陸を支配するに至ったのは1949年である。その時点では、日本はまだGHQの統治下にあったが、1951年のサンフランシスコ講和で独立した後の1955年(昭和30年)に自由党と民主党が合同して「自由民主党」が生まれたわけである。

時刻表ミステリーではないが、時系列をたどれば、《対左翼警戒感》が自民党結成の主動機となっていたと推測しても、まずまず本質をついているに違いない。

しかしながら、保守合同を主導した岸信介氏の心中の動機は、他にもあったかもしれない。もしこの分野が専攻であったら、論文を(少なくとも)一本は書くつもりになったかもしれない。

一つは、岸信介という政治家は、昭和初期に登場した左翼的・革新官僚から大政翼賛会体制の下で政治を志した人物である。政党を否定する<専制体質>を元々もっていたとも想像される。もう一つは、<普通選挙による政党政治の大失敗>という戦前期・日本の経験がトラウマとなって記憶されていたのじゃあないか、と。そんな可能性もあると憶測しているのだ。

少し長いが、日本の政党の流れの概略をたどっておきたい。

日本においても、遠く明治以来、二大勢力が対立する政治構造があったのである。


日本政治において《政党》はそれなりに長い伝統をもっていた。

最初に伊藤博文が、というより伊藤の親友である陸奥宗光が死去した後、陸奥をとりまく土佐出身の人々が中心となり、伊藤を担ぐ形で誕生したのが「立憲政友会」である。1900年(明治33年)だから日露戦争より以前の結党である。その後、予算審議権をもつ帝国議会の支配的勢力になった政友会は、日本政治を動かす黒子役として強い力を発揮した。

---2024-03-19追加

政友会結成を「最初に」と書いているのは「政党の誕生」という意味では間違いだ。第1回帝国議会は、山縣有朋内閣の時、1890年11月29日に開会されたが、議席は自由党(初代党首は板垣退助)、立憲改進党(初代党首は大隈重信)のいわゆる「民党」が過半数を占めた。明治10年代の自由民権運動から日本の政党が誕生したと考えれば、政友会結成よりも更に20年程は遡ることになる。本稿では、日本の「政党政治」が意識にあったので、藩閥政治が盛んであった時期にも政党が活動していた事実に触れずにしまった。これが提出レポートなら大減点だ。せいぜい「良」という評価だったに違いない。

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次に誕生したのが、政友会と対立した民政党の母体である。これは少し細かい。長州出身の大政治家・桂太郎が宮中を担当する内大臣から総理大臣に任命され組閣しようとしたところ、「天皇の寵愛を利用して国内政治を壟断しようとしている」との猛反発をうけ、政界は騒乱状態になった。大衆デモが国会を包囲するに至り、桂は総理を辞任した。これが「大正政変」である。これに懲りた桂は自らも政党を結成しようと行動を始めたが、不運な事に急死してしまった。その桂の志を受け継いで桂シンパの政治家と官僚集団が集結して生まれたのが「立憲同志会」だ。陸軍出身の桂内閣が挫折した後、あとを継いだのは海軍出身の山本権兵衛で、薩摩出身の山本内閣を支えたのは政友会だ。ところが、「薩の海軍」に恨みをもった長州勢力はシーメンス事件を演出(?)して山本内閣を追い落とし、明治以来の大政治家・大隈重信に総理の座が回って来た。その大隈内閣を支えたのが上の立憲同志会だ。大隈内閣は、第一次世界大戦中の日本外交を進めるが、ここで大きなミスを犯した。「対華21カ条要求」である。この時点で、大隈内閣を支えてきた長州勢力の大立者・山縣有朋は大隈内閣を見限る。大隈退陣後に、大隈を支えてきた立憲同志会及び周辺勢力が集合して結成したのが「憲政会」である。

先の政友会の誕生には土佐派が中心になった。憲政会を結成させる背景としては大隈支持勢力があった。要するに、明治の自由民権運動以来ずっと続いていた《板垣自由党 vs 大隈改進党》の対立が、こうして(人脈としては?)継承されたわけだ。

その後、政友会も路線対立から二つに分裂し、その片方と憲政会が合同して「立憲民政党」が誕生した。このように時に応じて離合集散が繰り返されてはいたが、全体としては戦前期・日本ではずっと二大勢力が対立しながら、衆議院選挙があるたびに(貴族院は選挙がなかった)、議会の優勢を占める勢力が交代していたわけである。

もちろん戦前期・日本では、議会とは別に陸海軍を含む官僚集団が強い権力を持ち、彼らは選挙とは無縁であった。だから、戦前期・日本の政治を理解するには、政党とは別に官僚の動きをみる必要がある。が、それでも毎年度の予算が成立するかどうかは議会の協賛(≒承認)にかかっていたのだから、戦前の日本においても政党政治は曲がりなりにも機能していたと(小生個人は)考えているし、評価もしているのだ。少なくとも、1925年(大正14年)までは・・・


昭和になってから普通選挙が始まった。男性に限られていたが、納税額等による制限は一切なくなった。

その結果、日本政治はどうなったか?

戦前の「政界スキャンダル合戦」で何冊の本が書かれただろう?

普通選挙は普通選挙でも、政治的に未熟な国に導入される「普通選挙」で勝利するには、いわゆる「ポピュリズム」が必勝の戦略となる。もっともポピュリズムはそれ自体として悪いと断言できるわけではない。田中角栄が喝破したように、そもそも民主主義政治の本質は

政治は数であり、数は力、力は金だ

この認識に間違いはない。否定する人は、本質的には偽善者であると思う。

ただ数的優位を築くには、大変な政治的エネルギーと政治家本人の力量が不可欠である。ちょうど戦争において勝利を得るための兵器として、高価なミサイルと安価な毒ガスの区別があるように、低コストの政略がある。それは政敵のスキャンダルを暴露するという戦術である。つまり野党が選挙で勝つためには、与党の政治家の不祥事をメディアに垂れ込むのが、最も有効な戦術になる。

例えば、昭和になって普通選挙が始まった直後に《松島遊廓疑獄》で世間が騒然となり、憲政会の若槻礼次郎首相が辞職するに至ったが、この事件は冤罪、ほゞほゞ虚言とも言えるものであった。後にあった《帝人事件》は、事件自体がなかった全くの作り噺で、これまた目的は倒閣であったわけである。

以上のことを「ゲーム論」の観点から少し考察してみよう。

暴露されたスキャンダルの追及は、二大政党の双方にとって、ゲーム論でいう《支配戦略》になる。故に、結果として訪れる状況は必然的に《スキャンダル合戦》となり、政党政治への失望となって帰結する理屈だ。昭和・戦前の日本の政党政治を説明するロジックは「囚人のジレンマ」である。

「囚人のジレンマ」を回避するには、何度も戦略決定の機会が訪れるロングランの「繰り返しゲーム」として各プレーヤーが「ゲームのルール」を再認識する必要がある。そうすれば「フォークの定理」から双方とも最も望ましい行動を選び全体最適に到達できる理屈だ。

しかし、一方のプレーヤーが足元の結果を求める近視眼的行動をとれば、必ず「目には目を」の報復合戦になり、「囚人のジレンマ」の論理から最悪の情況を招く。そんな愚か者の失敗に気づき、ロジックを理解するだけの時間を歴史が与えてくれていれば、その社会は幸運であり救われる。

機会主義的な奇襲をかけても、次は相手の報復行為を招くだけである。近視眼的な利己的行為を自重し、長期の最適戦略を見定め、それにコミットすることが、そもそもの目的である自己利益を最大化する。それが出来ないのは、相手を消滅させる<殲滅戦>がゲームのルールだと思い込み、相手を消し去ることこそ<勝利>であると考えているからだ。確かに相手が消滅すれば自分自身が<覇者>となるので、「囚人のジレンマ」は消え失せる。しかし、発展した社会の中で相手を殲滅するなど達成不可能である。民主主義とは敵対勢力との折り合いの下で実現されるものだ。だとすれば、超・長期間の「繰り返しゲーム」に取り組むしかとり得る選択肢はない。

数多くの社会的な失敗と混乱を繰り返す中で、この基本的なロジックを学習し、国民として理解するだけの時間が与えられた社会はラッキーだ。例えば、王権と議会派が革命という内乱を戦ったイギリス、人口構成に影響が出るほどまで革命と戦争を戦い抜いたフランス、南北戦争という悲惨な内戦を経験し相互理解に至ったアメリカなどは好い事例だろう。

その意味では、幕末から明治維新に至る内戦の歴史は、全日本人の相互理解と相互信頼が不可欠であることを心から理解するには、時間が不十分であった、そんな解釈も可能かもしれない。それがひいては、戦前期・日本では、余りにも簡単に社会的な相互不信(表面的には嫉妬、危険視、排他性として現れる)が高まり、その不信が政党政治を崩壊させ、(清潔であるように見えるが政治には素人である)陸海軍の軍人に政治を任せるという事態に至った、その遠因になった、こんな見方もありうるかもしれない。

民主主義社会には欠かせない政党政治の失敗をリカバーできるだけの時間とチャンスが当時の日本には与えられていなかった。ここに日本の不運と悲惨があった。そんな風に歴史観としては思っているのだ、な。

元々は細かな些事で内容希薄なミステークが(誰かによって)利用され、デマとなって、まことしやかに、あるいは「犯罪」にフレームアップされて拡大され、メディアと有権者が政界スキャンダル報道に踊るという構図は、現在時点の日本だけではなく、遠い昔、普通選挙実施後の日本の社会そのものでもあったわけで、全ての日本人が参政権をもつ民主主義社会の実現に戦前期・日本は見事に失敗したのである。

これが戦前期・日本のデモクラシー発展史の最終到達点であり、この失敗のトラウマは現時点の自民党政治家たちにも、おそらく、共有された社会観として受け継がれているのではないだろうか?

一言でいえば、

保守政党が分裂すれば二大政党体制に移行するであろうし、それが有権者にとってはベストの状況になるのだが、その後の状況は再び救いがたい程の《ポピュリズム》に支配され、政党政治そのものが崩壊し、多分、自衛隊か、一部官僚が主導するクーデターが発生するであろう。

こんな杞憂が全く意識されていないのならば、むしろ幸いなことだ。

仮にこんな意識が本当にあるとしても、『羹に懲りてあえ物を吹く』という臆病は、最悪の可能性を回避しているわけで、決して非難するべきことではない。

要するに

有権者は政治家を信用していない。が、政治家の方も有権者を愚か者の集団と思い込み、決して信用してはいない。

ここで最初に戻る。

有権者は政治家が阿呆だと思っている。が、政治家の方も有権者を(本音のところでは)阿呆だと思っている可能性が高い。

もちろんメディアも阿呆だと思われている。こちらは有権者、政治家の双方からそう思われている(に違いない)。

これが、正直なところ、日本政治の現在位置ではないかと思っている。

【2024-03-18 加筆修正】


2024年3月14日木曜日

感想: 経済学初学者のためのベストワンの参考書?

随分以前 ― といっても昨年の事だが ― 著名な経済学者であるGregory Mankiwが推薦する経済学初学者のための参考書ベスト5がWall Street Journalに載っていた。そのベスト1はRobert L. Heilbronerの"The Worldly Philosophers"だった。日本語訳は『入門経済思想史 世俗の思想家たち』というタイトルで「ちくま学芸文庫」として刊行されている ― タイトルは余り良いものではないが、本文は読みやすい。ちなみに、そのベスト5というのは、

  1. Robert L. Heilbroner (1953), "The Worldly Philosophers"
  2. Milton Friedman (1962), "Capitalism and Freedom"
  3. Arthur M. Okun (1975), "Equality and Efficiency"
  4. Charles Wheelan (2002), "Naked Economics"
  5. Yoram Bauman and Grady Klein (2010), "The Cartoon Introduction to Economics, Vol. I

小生が学生の頃は、とにかくSamuelsonの"Economics"(=『経済学』)を読めというので、「あんな大部の本を読まないといけないのに、ハイルブローナーなんて読めるか」という感じで、一寸拾い読みをしただけで放擲してしまったことがある。というより、経済学の初学者から読むと、人物列伝でもなく、とにかく「面白くなかった」、ただそれだけであった。

そんな経験をしたのだが、マンキューが今でも

 For several years, I have been teaching a freshman seminar at Harvard. I always start with this book, and the students always love it. Most economics books are bloodless. They give us ideas, but the thinkers who first advanced them often fade into the background. Not so in “The Worldly Philosophers.” For Robert Heilbroner, economic ideas are intertwined with the passions of economic scholars and the historic circumstances in which they found themselves. He starts with the premise that “he who enlists a man’s mind wields a power even greater than the sword or scepter.” He then tells us about Adam Smith, Thomas Malthus, David Ricardo, Karl Marx, John Maynard Keynes and many others. 

フレッシュマンに対するセミナーでこの本を使い続けているというから、「そんなに良かったか?」と、改めて読み直してみたのだ、な。

ちなみに、本書はアダム・スミスの前に「経済の革命―市場システムの登場」という章を置いている。 そう言えば、学生時代の最初に手にとった時は、学説史の参考書だと思い込み(それはそうなのであるが)、特に有名な、例えばスミスやマルクス、ケインズ辺りを拾い読みしたのであった。

一冊の本というのは「拾い読み」するものではない。最初から順に読み通してこそ、著者が伝えたい本質が明瞭に伝わるものである。これを痛感したのが、第一の収穫だ。


順に読み通してくると、ヴェブレン、ケインズと来て、個人の学説としてはシュンペーターが最終となる。最終章は「世俗の思想の終わり?」という疑問形のタイトルが付けられている。

経済学をある程度勉強した人が本書を読むと、誰でも感じるのはメンガ-、ジェボンズ、ワルラスによる『限界革命』の意義が無視と言えるほどに軽視されているのは何故だろうかという点だ。ワルラスの一般均衡理論の重要性に至っては「完無視」と言ってもよい程でチョットした驚きである。ケインズの師匠である大経済学者・マーシャルに対して、冷淡とも言える姿勢を示しているのも、そこから来ているのだろう。つまり、経済学は市場による価格決定について説明すれば、その役割は果たせるのだ、と。価格が決定されるプロセスの中で需要と供給の均衡も自動的に実現される、むしろ需要と供給の均衡がいかに達成されるかが重要で、価格はその結果として形成されるのだ、と。(故に)政府は市場による価格調整メカニズムに決して介入してはならないのだ、と。政府が努力するべきことは、市場における競争を守ることである、と。このような経済学観に対して非常に冷淡であるのがハイルブローナーの特質である。これは全体を読み通せば、自然と伝わるはずであって、これが「本を理解する」ということだとすれば、拾い読みでは決して本質的理解には到達しないわけである。

上のような経済学観を基礎に置けば、マルクスに対する意外に暖かい目線も分かるし、ヴェブレン評もそうだ。シュンペーターで締めくくっていることもハイルブローナーにとっては自然な順序だったのだろう。

とすれば、最終章においてこう書かれているのも、自然な帰結である。

経済学が数学化したことは顕著で、・・・数学は今日では経済学に浸透し、形式化を推し進め、その好まれる表現様式となっているのだが、といって経済学を数学と混同する人など現実には存在しない。より深く、私の心中においてより重要な変化であるのは、経済学の(実際に真髄であるような)ヴィジョンとして、新たな概念がますます姿を現すようになったことであり、と同時に別のはるかに古い概念が姿を消しつつあることだ。その新たなヴィジョンが「科学」であり、消え去りつつあるヴィジョンが「資本主義」なのである。

この下りを読むと、ハイルブローナーが"Worldly Philosophers"と呼んだ人たちが何を訴えた人たちであったのかが、よく分かる。純機械的に言えば、日本語訳の「世俗の思想」は英語の"Worldly Philosophy"という対応関係になるが、これを更にドイツ語に機械的に変換すれば"Weltanschauung"が最も近い言葉だ。つまり日本語では「世界観」という言葉に近く、英語の"World View"よりはもう少し深い「世界哲学」、「世界理論」、マア、この辺のイメージでとらえれば、言葉の意味としては正確になると思う。"Worldly"を「世俗の」と訳するよりは、「世間の」という方が小生は好きであるし、「世間の」というとき「世界の」という言葉を日本人は普通に使っている。だから「世界観」という言葉がオリジナルのニュアンスに近くなると思う。つまり「ヴィジョン」である。

「資本主義」という概念は、世界哲学から誕生した概念なのであるが、そのような概念は現代経済学から消え去りつつあり、もっとメカニカルに経済現象をみる、即ち経済現象を科学的に解析することが経済学の役割である、と。そんな風に変わって来た、と。

そういうことをハイルブローナーは言いたいようで、だからこそ

19世紀ないし20世紀初期のそれに匹敵するほど有用たらんとするならば、それは深められ、広げられる必要があるだろうし、とりわけ今日われわれが手にしている干からびた残りかすのような経済学とは比較されねばならない。 ・・・本書は未来の世俗の思想(≒世界哲学)の希望に満ちたヴィジョンにささげられているのである。

こんな風に結ぶことにもなるわけだ。たとえ書いていることが「学説史」であっても、本書はハイルブローナー(というか、他の誰でも同じ理屈だが)が書いた「その人にとっての学説史」である。とはいえ、「これを1950年代という時代によく書けましたネ?」という感嘆は小生も感じているわけで、だからこそ、混じりけのない問題意識に溢れており、そこにマンキューも魅かれているのであろうと想像されるのだ。そして現時点においては、多くの人を引きつけるほどの説得力をもった「世俗の思想」、即ち世界ヴィジョンは一つもなく、そこに現代文明の閉塞感をもたらしている根本的背景がある。ハイルブローナーが70年以上も昔に本書を捧げた(はずの)新たな世界ヴィジョンは70年経った今も世に現れず、時代は混迷したままである、というのが唯一点極めて残念な事実であるのかもしれない。


確かに経済学は「資本主義」をどう観るかでダイナミックな発展を続けてきたのは事実だ。スミスから出発して、リカード、ミルへ至る発展は、資本主義がもたらした経済成長の結果、どんな社会が訪れるか、どうすれば良いかという問題に対する学問的回答だった。マルクスは資本主義が最終的に終焉する必然性について理論を構築した。ケインズ、シュンペーターも資本主義経済の管理、将来について新たな理論を提案したのだった。こうした思想の流れを「世俗の思想」と訳したのは、ちょっとまずかったネエと感じるのだが、それはともかく、現代経済学の極めて技術的性格と、ハイルブローナーが再活性化を願う"Worldly Philosophy"とを並べてみると、小生は必ずしも現時点の経済的分析ツールが「干からびた残りかすのような経済学」だとは感じない。

確かにマルクスは資本主義の崩壊と次の発展段階である社会主義の到来を予測したが、マルクスの経済理論を「真理」であると前提して、社会主義経済を実行したロシア(⇒ソ連)は、国家スケールの経済的悲劇を演出するだけの結果に終わった。一度、社会主義経済を始めれば、たとえミーゼスやハイエクが本質的批判を加えても、後戻りは不可能であるのだ。世界に関するヴィジョンは、提案は自由だが、実は的外れである確率も高いのだ。経済ヴィジョンだけではない。小生は、あらゆる「△△観」、「〇〇主義」はハナから「眉唾もの」だと仮定して、経過観察するのを行動原則にしている。大体、「資本主義」という用語だが、言葉の純粋な意味で「資本主義」であった国や時代は、いつどの国に実在したのか?そもそも「資本主義」という言葉も一つの抽象概念なのである。

現代経済学は、「経済成長」、「景気循環」、「不平等」といった経済的な問題について、データに戻づく実証的な分析ツールを提供することを任務としているようだ。小生は、そんな自覚は極めて健全だと思っている。


これが一つの結論であるが、もう一つの結論的下りを書くとすれば、

現代社会はもはや資本主義という概念で理解できない。

こういう事だとみている。

そもそも現代日本社会をみたまえ。どれだけの日本人が《資本主義》を良いことだと信頼しているだろう?むしろ

資本主義は私利私欲を是とする古くて悪い社会システムである。大事なのは社会である。利潤ではない。社会貢献こそ追求するべき目標でなければならない。

現代日本においては、「反・資本主義」感情を持つ人の方が、「親・資本主義」感情を持つ人よりは、はるかに多数を占めているように感ずる。でなければ「自由」、「規制緩和」、はたまた「小さい政府」や「新自由主義」に対して、これほどまでに強い拒絶がこれほどまで社会全体に広く浸透しているはずがない。 

そして同じ事情は、資本主義発祥地であるイギリスなど西ヨーロッパ諸国にも当てはまるように観ている。後は、アメリカだけではないか。そのアメリカも、党派によって、立場によって、企業利益よりは社会貢献をより重要視する人たちが増えているようにみえる。

経済学から「資本主義」というヴィジョンが消えて、「科学」というヴィジョンが主役を果たしつつあるのは、そもそも資本主義がもはやそれほど信頼されていない。この現実を先駆けて反映しているのかもしれない。そんな風にも思えるのだ、な。


 

2024年3月10日日曜日

断想: 進歩史観はイマイチという補足です

先日、「進歩史観」なる歴史観について投稿したばかりだが、書きながら「ここまで言うか」という気兼ねを感じて、その時は書くのを控えた下りがあった。このまま忘れてしまうのも残念だから、メモとして残しておきたい。

前の投稿にはこんな下りがあった:

どのような社会的混乱が眼前で進行するとしても、それは高度に進化した社会を実現するための「産みの苦しみ」である、と。こう考えるから「進歩史観」を信奉する人は必然的に極めて「前向き」の人物となる理屈だ。幕末の混迷の最中、『夜が明けるゼヨ~~』と叫んだ幕末の志士・坂本龍馬も、多分、こんな前向きのお人柄であったのだろう。ま、思想は自由だから、ご随意にということだ。

この伝で考えると、古代ローマの共和制廃止も、1930年代のナチス政権の誕生も、これらもすべて「進歩」であった、と。とにかく進歩史観というのは前向きなのである、と。こんなことを書いたわけだ。

しかし、それでも筋金入りの進歩主義論者であれば、「古代ローマ帝国ですケド、共和制を廃止し帝政に移行することによって更に400年以上も国として繁栄しましたよネ」とか、ナチス政権の誕生も「それ自体が進歩であったというより、あれは矛盾との格闘ですヨ。現在のドイツ社会の繁栄こそ矛盾の解消であって、ここにこそ進歩を見出すべきでしょう」とか、とにかく「ものも言いよう」になるのは確実であるわけだ。

「反証可能性」も何もないわけで、何を言っても、上手に辻褄を合わせてくる。


先日書くのを控えたというのは、

それを言うなら、古代エジプト文明はどうです?

紀元前3千年も昔から、多くの王朝が誕生しては繁栄し、衰退を経て滅亡してきた。このエジプト文明史を弁証法的な進歩の歩みとして観るのは可能だ。

しかし、最終的にどうなりました?

古代エジプト文明は完全に消滅した。今もなお復活していない。「進歩の結果として消え去ることもあるのです」と・・・ま、人間もいつか死ぬ。死ぬこともまた進歩の表れなのである。こんな風に強弁してもよいが、普通に考えれば、

消えて亡くなるのは進歩とは言わんでしょう

進歩史観と言われれば未来永劫ずっと一貫して前向きに進歩するものと考えるはずだ。

エジプトばかりではない。古代インダス文明はどうなりました。古代メソポタミア文明はどんな進歩史をたどりました?

インドがイギリスの植民地になったのは「矛盾の解消」であって、一つの進歩である、と。現在の中近東社会は、弁証法的な発展と進歩の歩みとして観るべきなのであると。確かに、サラセン帝国華やかなりし8世紀には大いに繁栄した。その後、オスマントルコ帝国の盛時は16世紀に訪れた。これを矛盾の解消であったと観てもよいかもしれない。が、その繁栄からも矛盾が生じ、より高度な社会へ進化するステージに入ったと見られるはずが、もう400年以上もイスラム教国家は苦悩している。まだなお混乱の最中にある。

産みの苦しみが400年も続くなんてこともありやすか?あっしにゃあチョット長すぎるように思えるんですがネエ・・・

ちょっとおかしい。まあ、キリがないので止めよう。


思うに、進歩史観などよりは、日本の平家物語が伝える《盛者必衰の理》の方がヨッポド信頼できる。

諸行無常の響きあり。《無常観》の方がずっと現実に沿った歴史観である。

個人的にはそう思っている。

夏目漱石は日露戦争前の日本の世相を対象にして

滅びるね

と「偉大なる暗闇・広田先生」に語らせている。永井荷風は明治以降の近代日本の堕落振り、その醜さを常に罵倒した。作家にこんな非難をさせて、本当に「進歩」なるものが日本社会にあったんでしょうかネエ・・・?ちょっと疑問でありんす。進歩したのは、日本社会でなく、西洋の進んだ科学技術を導入したという、ただそれだけの事でござんしょう。

福沢諭吉だけは「進歩」の肝心要のところが分かっていたと思うが、結局、総理大臣自らが「清水の舞台から飛び降りる覚悟」をもって太平洋戦争を選んだ結果、国家もろとも自爆するに至った。福翁の夢も見果てぬ夢と相なった。戦後日本体制については何度か投稿したが、これ以上は語る価値なし、というところだ。

以上、下世話な内容だが、先日の投稿の補足ということで。 

2024年3月9日土曜日

ホンノ一言: 「夫婦別姓」・・・議論するならシュールに盛り上がってほしいものだ

夫婦同姓に対して女性が抗議の声を上げる例が増えている。選択的にせよ、統一的にせよ、《夫婦別姓》を希望する人は今後も増えるに違いない。なぜなら自分がどう名乗るかに対して公的権力が強制的な制約を課するというのは、どう考えても道理に合わない。小生もそう思うからだ。

そもそも公的な手続きに《正式氏名》というのは、もはや必要ではないはずだ、というのは随分前の投稿でも書いたことがある。

父と母、いや別姓であれば父方、母方の祖父と祖母、父方、母方それぞれの父方、母方の曽祖父と曽祖母・・・、みな姓が違うだろう。どれを名乗ってもいいんじゃないの?経済的にはどの苗字を名乗るかによって実質は何も変わらないよね。お好きにどうぞ、と。未来の社会はそんな名前=記号である社会になっていくかもしれないのだ。となれば、マイナンバーだけあればいいよね。番号で行きますか。公的文書に氏名は書かなくともよろしい。マイナンバーを記載してください、と。

番号1924562238の方、窓口までお越しくださあい・・・(ディスプレイニモ番号ガ点滅スル)

名前はすべて通称となる。

ええぞなもし。いいねえ。これまたクールな社会ではないか。現在はそれまでの過渡期であろう。

 実際、<夫婦別姓>でブログ内検索をかけると結構複数の投稿がかかってくる。今では、それほど重要な事柄でもないと思うようになったが ― 時代の流れを見通すと、もう細かな些事でござんしょう ―、以前は相当に関心をもっていたことが分かる。

人の名前とは都合によって実は自由に変えられるものなのだ、と言う点はよく分かる。そして、本来は自分の名前くらいは自由に変えられるものであって当然だろう。これが「あるべき形」だろうと思われるのだ、な。

大体、全ての日本人が名字を持つ必要がありますか?「ケン」、「マリ」、それでいいんじゃないかい?『私は(正式の)苗字なるものは持ちません』、そんな選択肢もあってイイんじゃない?そう思いますケド・・・。 

実際、日本社会でずっと認められてきた当たり前の感覚はこんな風であった。

夫婦同姓は、明治になってから政府が全日本人に課した戸籍制度に発するもので、伝統というよりは旧法以来の法律的慣行と言えるものだ。

その戸籍制度は、父系的な家産相続制度、軍事的な動員力把握の必要性ともども、両方とも過去のものになってしまった現在、存在意義はほとんど失われている。血縁関係の確認なら、出生時にDNAデータを採取して永久保存すれば、それで済むことだ。

本人確認、親子確認、血縁関係確認等々は、今後将来にかけて、想像を絶する程の技術革新が予想される領域だ。「家族」の認定は住民票をベースにすればよい。

議論するなら、シュールに展開してほしいネエ。それが個人的な願望だ。 

2024年3月3日日曜日

断想: 「進歩」、「前向き」という言葉が濫用されていないか?

歴史観には多種多様なものがある。「唯物史観」や「陰謀史観」という用語はよく知られている(と思う)。が、現代世界で多くの人が暗黙の裡に肯定している歴史観はというと、《進歩史観》になるのではないだろうか?

過去から未来に向かう時間軸に沿って、世界は段々と進歩してより良い社会になるはずだ、と。そんな意識を多くの人が持っていると思う。

法制、暮らし、文化等々、この世界は常に移り変わっている。今まで良しとされていたことが、世間の急な変化で今後は駄目だとされる。こんな例は数多あるのが最近年の社会だ。

一見すると、世の中はこんな風に進歩するンだよね、と。こういう風に感じる人は多い。

ではあるが、実はこんなことも経験した。

勤務先の大学の将来構想委員会なる会議に、ある期間、出席していたことがある。研究教育の将来像について審議するのだが、ある年、学部の助手を「公募手続き」を経ずして、研究業績を評価したうえで、そのまま准教授に昇格させる人事を容認しようという提案がなされたことがあった。

学長、副学長等執行部による提案であったにも拘わらず、委員会の投票で否決されたのだが、その理由として文科省の要望には従わないという「反・中央感情」だけにはとどまらず、

これまで認められてきた制度をなぜ否定し新しい制度に変えるのか?

いわば《変えるという姿勢自体》に対して否定的な教員が多数を占めていたのである ― ちなみに、小生自身は変更に賛成していたが、こんな守旧的で頑固な人物は、たとえ意見の違いがあっても、大変好きである。

思うに、日本経済は「失われた30年」と言われるほど、長い期間ずっと停滞しており、停滞から脱して成長軌道に戻るには、各分野で構造改革を進める必要が指摘されている。ところが、いざ改革を進めようとすると、社会の多数から改革そのものに対して強い拒否が出てくる。小生が勤務先で経験した守旧的な反対とよく似ているのだ、な。そうして、強く反対している人がいるのに何故変えるのか、という結果になる。

実は、このような変えること自体に対する批判は、極めて儒教的な感情である。

儒教では理想社会を古代・周王朝の盛時に置き、それ以降は時代が下るにつれて腐敗、堕落が進み、間違った社会になってきたという歴史観をもつ。極めて保守的である。何かを変えることは腐敗、堕落の現れだという理屈になる。であれば、伝統として継承された制度や理念は改変不可。改革は、一部の人々の邪念による利己的企てであるとして、容認しない。連綿と受け継いできた国家の制度は礼式そのものであり守る。そんな気風が形成される。

儒教の創始者である孔子が生きた時代は、周王朝が衰退して列強が相争う春秋戦国時代になっていた。戦争が絶えない戦国の世に生きれば、誰もが平和を望むものである。世は次第に堕落してきた、私利私欲の追求ばかりをやっている、という歴史観をもつとしても、それは自然な出発点であったろう。

これに対して、現代日本社会で流行している、というより無意識に前提されている歴史観が《進歩史観》であるのは、もはや自明であると思う。

世界は常に進歩するものである。世界の歴史は過去から現在まで進歩してきた歩みそのものである。

確かに科学技術は発展してきた。進歩史観は、科学技術にとどまらず、法制度、人権尊重、倫理など社会全体としてもより進んだ社会に進化していくはずである。こう観るのが進歩史観である。

半月前にも投稿したが、進歩史観によれば理想社会は過去ではなく未来にある。その輝ける未来に向かって、社会は変わっていかなければならない。そのために私たちは努力しなければならない。道理に合わない諸制度は変革していく必要がある。変化すること、即ち進化であり、進化即ち善なのだ。こういう価値判断になる。


こうした《進歩史観》の根底には、独人・ヘーゲルの哲学があることは、ホボゝ周知のことであろう。

言うまでもなく、ヘーゲル哲学の基礎には弁証法がある。弁証法では、

ある命題(テーゼ)を提起したあと、それと矛盾する(かのように観える)命題(アンチテーゼ)が提起される。しかし、矛盾は解決されなければならず、両方を包含する統合命題(ジンテーゼ)が(いずれ)導出される。これを止揚(アウフヘーベン)という。

「テーゼ」、「アンチテーゼ」、「ジンテーゼ」という用語を一度も聞いたことがない大学生はいないはずである。

ヘーゲルの最大の仕事は、歴史の展開そのものを弁証法の下で理解したことである。ということは、歴史は過去から現在に至るまで、常により高次元のジンテーゼを実現する過程として理解されるべきものになる。その時代、時代が直面した諸問題は、テーゼに対するアンチテーゼが生んだ矛盾であり、その矛盾を解消するプロセスとして歴史を理解する。より高度の世界を実現する過程が歴史であるというわけだ。これが《進歩史観》である。

このヘーゲル哲学は、特に19世紀の大陸欧州の哲学に深い影響を与え続けた。マルクスの経済理論もそうだ。マルクシズムの根底にはヘーゲル哲学がある ― 但し、精神と物質の役割を逆転させた唯物史観をとった点がマルクスの真骨頂だが。いずれにせよ、それほどの昔ではない以前まで、ヘーゲルは克服するべき巨人であり続けたわけだ。


しかしながら、「進歩史観」はヨーロッパ文化に限っても決して伝統的な歴史観ではなかった。これ自体、フランス革命の勃発と欧州全体への革命の波及という特殊な時代背景の下で生まれえた特殊な歴史観であった。とはいえ、多くの人の目には伝統社会の崩塊と映った「乱世」が、弁証法に基づいて18世紀末から19世紀初めのヨーロッパ社会を眺めれば、社会は「崩塊」にあるのではなく「進歩」として認識されるのだから、誠に奇妙奇天烈、不思議な思想であったとも言える。

その後、19世紀を通してヨーロッパ社会は(弁証法がもたらしたわけでも、ヘーゲルが主唱した世界精神が活動したわけでもなく)自然科学の発展によって大いに高度の文明社会を構築できたから、マア、ヘーゲルの言ったように事後的にはなったわけだ―そこが孔子が生きた時代とは異なる。

どのような社会的混乱が眼前で進行するとしても、それは高度に進化した社会を実現するための「産みの苦しみ」である、と。こう考えるから「進歩史観」を信奉する人は必然的に極めて「前向き」の人物となる理屈だ。幕末の混迷の最中、『夜が明けるゼヨ~~』と叫んだ幕末の志士・坂本龍馬も、多分、こんな前向きのお人柄であったのだろう。ま、思想は自由だから、ご随意にということだ。

しかし、繰り返すが、こうした進歩史観は決してヨーロッパ社会で伝統的な歴史観ではなかった。同じように、現代日本でも「変革大好き人間」が数多いて、変革即ち進歩だと考えるのが常だが、こうした「進歩史観」は決して日本文化に継承されてきた歴史観ではない。


もし進歩史観を通して歴史をみれば、たとえば古代ローマが数百年の伝統であった共和制を捨て去り、皇帝が統治する帝政へと変化したことも「進歩」であった。

更に、第一次大戦後に理想主義的理念に基づいて発足したワイマール体制をナチス政権が打倒したことも「ドイツ社会の進歩」であったことになる。


要するに、その時代に生きる人々にとって「進歩」であると考えられた「変革」も、事後になって振り返ってみると「進歩」とは逆の「退歩」であった、と。「誤り」であった、と。将来の事実から過去の誤りが明白なものとなる。こんな事例は無数に見つかるわけである。何があっても「これも進歩のための産みの苦しみです」と言い放つ御仁がいるとすれば、その人の脳はどこかのピンが一本抜けている奇人なのであろう。

今日の投稿で何が書きたいかと言えば、

「正しい歴史観」というのは、存在しない

そもそも経験を超越してハナから真理であると言える命題が人類社会に関してあるはずがない。

社会の変化は、進歩や進化ではなく、その時点では単なる「変化」である。

その変化をどう評価するかが、常に私たちに求められている。が、それには進歩史観という一般命題は無用である。というより有害無益である。

変化がもたらす結果を観察することが大事だ。そして、その時に生きる人たちが現実を観察した結果として、その変化を「受容」するか、「修正」するか、「棄却」するかを選択すればよい。ある変化が「進歩」と言えるのか否かは、一般的な歴史観が決めることではなく、生きている人々が経験に基づいて判定するべきことだ。もちろん、人生は短し、学芸は長し、だ。その時の人々が判定する結果も暫定的評価でしかない。「歴史的評価」というのは、何百年という長い時間の経過の中で、徐々に固められるものである。

そもそも「武家政治」なる日本政治の在り方が、日本社会にどんな影響を与えてきたか?こんな古い基本的な問題であっても、今もなお色々な評価があるではないか。

これが小生の立場である。

こんなことを言うと、進歩史観に立つ人は、進歩を受け入れない守旧派の頑迷だと言って小生を非難することは分かっている。しかし《保守》と言われる姿勢が個人的には好きである。



2024年3月2日土曜日

断想: いわゆる「言論」も国ごとに、メディアごとに違いがあるようで

アメリカでは今秋の大統領選挙に向けて各州の予備選挙が進行中で、文字通り「政治の季節」、「言葉の年」といった情況だ。

他方、日本でも安倍派の裏金問題がこじれて、政局となる一歩手前の情況だ。政治倫理審査会でも野田・元首相と岸田・現首相が丁々発止(?)の質疑応答をしたばかりである。

ただ、どうなのだろうネエ・・・と感じてしまうところがある。

ひょっとしてこれは、英語と日本語との違いということか。そんな風にも思ったりする。

日本語は、心の中のニュアンスの微妙さを言葉にする時、非常に強力だ。

たとえば、「何があったのですか?」という単純な疑問文であっても

何があったンですか?

何があったのでございましょう? 

何かありましたか?

何かあったのか? 

何があったの?

何があったのヨ? 

何ごとだ? 

何ごとですか?  

何があったん? 

何かあったん? 

なンかあったん?

なんがあったんや?

なんかあったんか? 

何かあらはったんですか? 

等々、男女の言い方の違いもあるし、目上、目下の関係も同一の意味の言葉に織り込むことができる。表現が様々であることと、話者の気持ちが様々であることが対応している。これが書き言葉であれば、更に一部をカタカナにしたり、漢字にしたり、ローマ字にしたり、「・・・」を入れたりと、とにかく縦横無人に繊細な心の綾を言葉にして表現することができるのである。また、上の例文からも分かるように、日本語にはそもそも文法上の「時制」が曖昧だ。

日本のヤフコメを読んでいると、だから、書いている人は内心で怒りを感じているのか、情けないと感じているのか、誰かを揶揄っているのか、当てこすりたいのか、冷静な自分をアピールしたいのか、実は自慢話をしているのか、マア、この辺りの心理まで文章から読み取ることができる。・・・これは日本語という言語に備わった強みであると小生は思っている。

英語で言えば、ほぼ単一に

What's going (on)?

あたりで揃うのではないかと思う。

使う言葉の違いが社会の違いになっている(かもしれない)点は、ネットでも視える化されていると思うのだ。

例えば、同じYahooでもUS版と日本版があるが、双方のYahoo Comments(ヤフコメ)を一覧すると、日本語は情緒を微妙なニュアンスと併せて表現するのにに適しているように感じる。それに対して、英語は情緒を伝えるにはドライ過ぎる。が、客観的に主旨を述べるのには適している。そんな風に感じるのだ、な。だから、同じヤフコメでも、US版では微妙な当てこすりは目立たず、皮肉であっても言葉の意味としての皮肉であって、書いている著者の表情が目に浮かぶような情緒タップリのコメントは無い(小生の英語力にも関係するかもしれないが)、そう思われるのだ、な。

しかし、実は、細かなニュアンスを表現する「言葉の楽しみ」は、客観的な情報空間が豊かであるということを意味しない。

ともすれば、『ああ言えば、こう言う』というおしゃべりに堕するのが、日本語空間における言論の弱みであると、小生は勝手に考えている。

このように、日本語には日本語の強みと弱みがあり、英語には英語で強みと弱みがある。あとの言語もそれぞれ個性をもっている。比較言語学には素人だが、そういうことだろう。

ただ、民主主義を上手に運営するためには「議論」が欠かせない。実証的かつ客観的な言葉の使用が求められる。上下関係が自然に言葉使いに表れるとすると議論のツールとするには不向きだ。心を伝えるには美しい言葉が豊富にあり実に強力な日本語だが、であるが故にロジックを主張する時ですら、無用な感情のニュアンスが紛れ込むことがママある。討論する言語として、日本語は適切なのかという問いかけは確かに問題意識としてはあるかもしれない。

だからこそ、明治の文明開化の時代、啓蒙思想家や文人たちは、日本語を用いて、いかにして西洋直輸入の科学、哲学、思想等々、色々な学問を言葉にするかで悩んだ。その当時、多くの単語が造語されたり、言文一致体への移行が進められたのは、日本語で言論空間をつくろうという懸命な努力であったと解釈している。

日本で初代文部大臣・森有礼以来、時に《英語公用語化》が提唱されたりするのは、この辺の困難を実感したからではないかと推測している。

福沢諭吉は、わざわざ慶應義塾の敷地内に「三田演説館」を建てて、西洋で言う「スピーチ」の技量を育てようとした。そして、いま日本の初等中等教育だけでなく高等教育においても、「ディベート」教育が有用ではないかと指摘する声が増えている。

最近年で強調されている英語力の向上は、西洋文化の輸入に励んだ明治初めのスピリットに戻るだけでも、成果につながるはずだ。しかし、それより何をどのように話すかがもっと大事だろう。そもそも日本語を使って話すことを、そのまま英語で話そうとしても、同じようには話せないだろう。

明治の先達の努力を忘れ去ったような言葉のかけあい。「ああ言われたから、こう言い返してやった」と言った風な「言い合い」は、理屈の体裁をとっていても日本語ゆえに感情が混じり、感情のぶつけ合いになる。これでは日本社会の改善や進歩にはほとんど寄与しない。とはいえ、「ああ言われるときは、こう答える」という様なシナリオ式の進行も、予定調和的ではあるが、時間の無駄である。これだけは結論として、ここにメモしておいてもイイように思う。

政治や経済、科学や芸術について、世間の意見は様々あれど、

  • ネットは「砂浜」に似ている。ほとんど砂ばかりだが、美しい貝殻を見つけられることがある ― 特に台風が過ぎた後は。
  • 学会は、アルプスと高山植物が魅力的な「高原」に似ている。
  • テレビが展開する言論空間は、客を乗せては歓声をあげさせるお子様向けの「遊園地」のようだ。
  • 新聞がつくっている空間は「喫茶店」。店ごとの癖があるが仲間どうしで話がはずむ。大手紙は都会のルノアール。スポーツ紙、芸能紙は、大衆向けの「居酒屋」だ。
  • 台頭ぶりの目立つ週刊誌は「回転寿司」。所詮、大した品質ではないが、競争が激しいせいか、面白い品を出してきて、飽きさせない。

キリがないが、ベッドの中で上の例えを思いつきました。

アメリカ社会(やヨーロッパ社会)でもこんな傾向があるのかどうか定かでない ― 言葉だけではなく、発行部数や読者層のセグメンテーションも違っているので、多分、違っていると思う。

2024年2月29日木曜日

ホンノ一言: トップにいかなる人物を求めるか、という話しでは?

一週前の投稿のタイトルは「断想: 昔のチカン、いまハラスなのか?」というものであった。そうしたところ、今朝のTVで、岐阜県岐南町の町長が99件の「セクハラ」を理由に辞職するとのこと。

情けないネエ

という地元町民の声が伝えられているが、中には

これがセクハラとは思えないけど、人によってはそう感じるかも

そんな声もあるようだ。

ホームページをみると住民が25,726人。岐阜市の南隣に位置し、町政がさほどに難しいとは思えない。ひょっとすると、もっと上品な紳士が町長であってほしいと願う感性が地元にはあるのかもしれない。

一般に、昔の(という程の昔を知っているわけではないが)職場では、無遠慮に弱みを指摘されたり、強圧的に業務を指示されたり、厳しく叱責されたりする情景が日常茶飯事であったのは事実だ。肩をたたかれたり、机をたたかれたり、拳を突き出されたり、マア、色々な情景が職場にはあった — 現在の若者世代が感じる程に地獄だと思いはしなかったが。小生自身が怒鳴られることはなかったが、ドア越しに『何をやっとるんじゃ』くらいの声が漏れ聞こえてくるのは、さほど珍しい事ではなく、そんな時は

いま叱られているのは誰?

などと、近くの女子職員―なぜだかそんな時は女子職員を相手に話すのだが―とヒソヒソと確かめ合ったりしたものだ。

こんなことも、「今は昔」の語り草となってしまったのかもしれない。

その頃は、

雑草は踏まれるほどに強くなり

あるいは又

艱難汝を玉にす(かんなん なんじを玉にす)

苦労や困難を乗り越えることによって、人は鍛えられ、大成するものだ 

こういうことが、共有されていたモラルで、叱られたくらいでヘコたれるなら、早く辞めて別の仕事を探した方がいい・・・まあ、大体はこんな感覚でした。

要するに

温室育ちは、いざという時、役立たず

こういうモラル観が、概ね日本人で共有されていたように覚えているのだ、な。

となれば、そもそも21世紀になって流行し始めた《△△ハラスメント》という言語表現が、その当時の職場に広がるはずはなかったわけである。大前提となるモラル感覚が別であったのだから ― もちろん、その当時のモラル観も戦前期・日本の感覚と比べれば、別世界のようであったはずだ。

歳月怱々。時代は変わった。まるで、関ヶ原、大坂の陣に参陣した古武士が世を去っていきつつあった1650年前後、四代将軍・徳川家綱の時代もかくやと思わせる変りぶりである。

一つ思い出すのは、その頃の企業のトップは、どこも割と上品な白髪の紳士で、どこに出しても恥ずかしくないような品格のありそうな、穏やかで円満な人物が多かった。おそらく、中を切り回していたのは副社長とか専務といった辺りで、この辺の人物は剛腕と形容される人柄で、部下からは強面のやり手として認識されていた。そして、家老のような専務の下には鬼軍曹のような中間管理職がいて、会社は発展を続けていた。これが極めて昭和的な社内風景、省内風景であった。こんな風な印象が残っているのだ。

実は、上品な白髪の紳士はトップとしては恥ずかしくないのだが、将来予測が困難な乱世にあっては、無能で指導力不足を露呈することが多いのも事実だったと思う ― もちろん全てのケースがそうだとは言わないが。

この事が、ごく最近の日本企業で頻発する《△△ハラスメント事件》の根本的な背景にあるのだと、勝手に解釈している。

要するに、

上品な紳士はしばしば無能であり、人柄でトップを選任するような会社は発展しない。だから、最初からヤリ手に経営を任せたい。ところが・・・

結局、足元の日本社会は、この辺りで理想と現実の歪み。いわば《社会的適応不全》を生じさせているのではないかと、勝手に解釈しているのだ。

弱肉強食の戦国時代が到来するまでは、日本社会には京の都という中心があって、そこには伝統的な朝廷と公家、更に室町幕府という武家の中心が一体となって、存在していた。上に立つ人は、誰もが室町風の礼式を身につけ、最高の品格を醸し出していた。

しかしながら、

品格は統治能力とは比例せず

この厳然たる真実が、応仁の乱のあと、露呈した。国ごとに実力者が台頭し、中央政府の権威は崩壊し、戦国時代へと移っていった。強者となりうる人物が有するべきは、礼式と品格ではなく、統治能力と軍事能力、つまり実力のみになった。アクの強い強者に支配されるのがイヤなら、暇をもらって、別の場所、別の土地に移ればよい、というわけだ。

別に戦国時代に限らず、

あらゆる批判に対してトップは結果(のみ)をもって対抗するのだ

と。この覚悟がトップに座る人物にあればそれで十分だ、こんなモラルが支配的な時代もあったはずである。品格から選ばれた上品な紳士にこの覚悟を求めても難しい(のではないか)。

人物評価基準は、時代背景の変化に伴って変わるし、また変わるべきものである。

クリントン大統領がセクハラ行為に関わらず評価された背景にはアメリカ経済の復活という結果があった。日本の池田勇人首相が『貧乏人は麦飯を食えばよい』という暴言歴があったにもかかわらず日本人に歓迎されたのは所得倍増計画の成功という結果があったからである。


人間関係には《相性》という要素もある。

アップル社創業者のSteve Jobsは、時代を変える新製品を次々に発案する天才であったが、彼に着いて行ける部下も誰でもよいというわけではなかった。着いて行けない部下がいるからと言って、それはトップの責任ではない。日本のホンダ創業者・本田宗一郎、最近ではソフトバンクの孫正義も同様のことが言えるだろう。


いま日本は平時ではなく、乱世にある。この意識があるかないかで、人物評価基準が分かれてくるのは、やむを得ないことである。TVが、特定の一つの人物評価基準を選んで人を批評するのも、小生は嫌いだが、マア、やむを得ない。


なお、くだんの岐南町の町長だが、行政能力はどう評価されていたのか。寡聞にして知らない。念のために追記しておきたい。



2024年2月28日水曜日

ホンノ一言: 「無謀な戦争」という哀しい選択?

同じマスメディアでも新聞社はどちらかと言えば粘着質で、会社ごとのイデオロギーが滲み出ているものだが、テレビ局は(NHKを含めて)身軽で、よく言えばニュートラルなのだが、悪く言えば軽薄で、定見がない。

ロシア=ウクライナ紛争も勃発後まる2年が経過し、昨夏のウクライナ反攻作戦の失敗もあって、ここに来てロシアの優勢がかなり明瞭になってきているとのこと。ウクライナ国内の徴兵もうまく運んでいない様で、くわえてゼレンスキー政権と軍部の不和も伝えられている。

今朝見たワイドショーでは

太平洋戦争という無謀な選択をした日本からみるとデスネ、そもそもウクライナは、ロシアを相手にミンスク合意を必ずしも守らず、ロシアを挑発していたわけです。こういう無謀な戦争に至るべきではなかった。私はそう思いますネ。

などという意見が堂々と出てくるようになったから、世論というのは風のまにまに漂う花びらの様でもある ― ちなみに、この点ばかりは、小生も一票を入れたい。

そんな世論の頼りなさが、ロシアのプーチン大統領の狙いどころでもあるわけで、この発想は戦前期・日本の陸軍も同じであったと伝えられている。もし海軍が「真珠湾奇襲」という奇手を選んでいなければ、その後の展開はまったく違ったものになっていた確率が高いというのが個人的歴史観である。

今回のロシア=ウクライナ紛争は、戦後国際社会の平和維持システムの欠陥が現れたものだ。

その根底には「選挙を心配する」指導者の心理がある。「オーディエンス」、つまり第三者が(この場合、有権者ということだが)モニターしている時、動的ゲームのプレーヤーはより攻撃的になるという研究結果がゲーム論で(記憶が正しければ)得られている。

紛争ぼっ発の直後に投稿した観方は今に至るもまったく変わっていないことに寧ろ驚く:

その結果、本来は仲の悪い2国の地域紛争であるのが、世界的な危機に拡大し、しかも最終的決着までには長い時間を要するという情勢になってきた。

ヤレ、ヤレ・・・これではまるで世界版の「応仁の乱」だネエ。東軍、西軍に分かれた所も同じだ。

結局、この紛争で何が起こったか?

ウクライナの荒廃とロシアと分断されたドイツの相対的沈没。ドイツを巻き込んだロシアの拡大戦略に対する鉄槌。何だかイギリスの思惑がズバリ的中した感じもしますネエ・・・。反ロシア感情のままに突っ走るウクライナは使い勝手のいい道具であったわけか・・・?もちろん最初から計画的にやったことではないのでしょうケド・・・。

でもロシアの拡大戦略を責めるのは、現時点の西側的な視線であって、そもそも緩衝地帯であったはずの東欧諸国をそのままに置いておかず、あらんことかNATOの軍事同盟に加入させる決断をしたクリントン政権こそ、危機を意識したロシアがエネルギーを武器にNATO切り崩し戦略をとる誘因を与えた。

このようにして、因果は巡る。

日本の応仁の乱にも、直接的原因というのはありませなんだ。

そういえば局所的なお家騒動が幾つかございました。それだけであった。小さい事は放っておけばよかったのである。ところが小さな紛争の当事者が大勢力に支援をもとめ、その結果、日頃から仲が悪かった大勢力どうしが対立するに至った。あとは歴史の通り。この乱によって京の都は焼き尽くされ、破壊されつくした、そういう哀しい、悔やんでも悔やみきれない事実があるだけである:

汝(なれ)や知る

都は野辺の 夕雲雀(ひばり)

上がるを見ても 落つる涙は

停戦後にウクライナ国民が感じる心情にかなり近いのではないかと想像する。

いまはそんな風に観ている。 



2024年2月25日日曜日

ホンノ一言: 今年は何かが起こるのだろうか?

冬の間は下の画像ファイルをデスクトップにして季節感を出すようにしている。前は、この風景をみて車に向かい帰宅の途についていた。時には、ドアが凍結して開かず、仕方がないので後ろのハッチバックドアを開け、そこから運転席に移動するという仕儀になったこともある。スキーの楽しみがなければ、冬の雪はただただ厄介者である。



朝起きてゴミを集積所まで持っていくのはカミさんの仕事であったが、数年前にカミさんがぎっくり腰に襲われてからは、小生が担当するようになった。

ゴミを出す朝は

雪しんしん 生ごみを出す 朝六時

ゴミ出しのない日は

しんしんと 雪降りつもる 朝寝かな

山茶花から梅に移り変わる頃の東京の冬が懐かしいが、北国の冬も中々捨てがたい味わいがある。長く雪国で年を過ごすことになったのも、いわゆる前世からの宿縁というものか。

道程の 思いはかくや 一歩ごと 雪は鳴くなり 我は歩めり 

桜花 開く予報を 聞き居れば 母失せし後の 年を数えつ

わが父の わづらひをりし 病をば 我もわづらふ この齢にして

父は、何故だかよく分からないが、オホーツク海に憧れていたと何度か聞いたことがある。富山県で一度暮らしてみたかったとよく話していた。これも縁というものだろう。


日本に暮らしているからこんな呑気な事を書いているが、同じ冬でもロシア、ウクライナの人たちは、生死の狭間にいるわけで、(文字通り)救いのない日々を送っているに違いない。

そんな酷烈な毎日であっても、子供というのは遊びに興じるもので、時に笑い声をあげてもいるだろう。そんな情景は、時代を問わず、国を問わずあったはずで、実際に日本も戦争が終わってからまだ100年もたっていない。亡くなった両親は、戦時の学校での友達付きあいや勤労奉仕を語りながらも、戦争が終わった夏、日本の敗戦を悔しがるよりは、空襲警報がなくなったことが何より嬉しかったと、ホッと安堵したと、そう話すのが常だった。

まあ、戦場に近い地域にいる人は「この戦争を早く停めてほしい」と心から願っているのじゃないかと想像するし、戦場に遠いところで比較的安穏に暮らす人は「領土は譲らない!勝つまで頑張ろう」などと言いたいかもしれないネエ。それに対して、「戦いたい人は、どうぞどうぞ、率先してご自分が戦ってください」というのが、戦場近くで暮らす一般住民の正直な心理ではなかろうか、と想像している。

ネットには下のような記事も出るようになった。

[ロンドン発]国際情勢を専門とする米調査会社ユーラシア・グループは8日、今年の「世界10大リスク」を発表した。

 中でも衝撃的なのは、3番目のリスクとして挙げられた「ウクライナ分割」だ。

「ウクライナは今年、事実上分割される。ウクライナと西側には受け入れがたいが、現実となるだろう。戦争は最前線が変わらないまま互いに防戦となり、ロシアは少なくとも現在占領しているクリミア半島とドネツク、ルハンスク、ザポリージャ、ヘルソンの4州(ウクライナ領土の18%)を維持するだろう」(ユーラシア・グループ)

 物量に勝るロシアは戦場で主導権を握り、今年さらに領土を獲得する可能性がある。

Source:JBpress

Date: 2024.1.10(水)

Author:木村 正人

URL:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/78820


ウクライナの領土を欲しがっているのはロシアだけではないようだ。ロシアは特に東部に拘ているが、ウクライナ西部には隣国ルーマニアが(歴史的理由から)関心をもっているという。ハンガリーもそうらしい。ひょっとすると、ポーランドも(歴史的理由から)無関心ではないかも・・・

・・・だろうネエ、と考えてしまいます。

だから、素人を大統領に選ぶのは危なかったんじゃないの?・・っと、小生などは他人事ですが、考えてしまいます。


そういえば、ウクライナのゼ大統領は、先般、軍の最高司令官を解任し、ロシア生まれのシ将軍を後任とした。シ将軍、教育もロシアで受けたという。

何かが起こりそうだネエ・・・と思うのは小生だけだろうか?

秋のアメリカ大統領選挙。こちらもゼ大統領だけでなく世界中がハラハラしている。

世界は危険な話題に満ちている。


2024年2月23日金曜日

断想: 昔のチカン、いまハラスなのか?

今は昔(?)、小生が若手からそろそろ中堅層になりかかっていた時分、《痴漢冤罪》への恐怖が世間に広まりつつあったように記憶している。

少し上の世代であれば、「痴漢経験歴」なる言葉が、男女を混じえた酒席に平気で出てくるようなアラレもない情景を知っているはずだから、その頃のセクハラ意識、モラハラ意識など、あったとしてもタカが知れたものである。そんな通念が支配的であったとき、唐突に「これは犯罪です」と世の論調が変わって来たので、にわかに困惑するような、慌てるような思いがあったのだろう。どこかジャニーズの創業者社長を思い起こさせるところがある。

正に、歳月怱々。桑田変じて滄海となる。世の変遷、驚くべし、である。

いま痴漢冤罪を怖れる心理は昔ほどではないのだと思う。

たとえば100件ある痴漢被害を摘発するとき、冤罪がその内の3、4件を占めるに過ぎない状態であるとする。そんな場合は、痴漢被害を訴える全ての女性を肯定的にとらえ、容疑者とされる男性を逮捕するとしても、ヌレギヌを着せてしまう「第1種の過誤」を犯す確率は5%未満である。反対に、もし厳格な取り締まりをしないならば、実際に行われた痴漢行為を摘発せずに見逃すという「第2種の過誤」となる確率が50%を超えるという可能性も出てくる。その場合、実際に発生する痴漢犯罪の半分以上が「甘い摘発」によって見逃されてしまうわけだ。冤罪を避けるべきは当然であるが、こんな社会状態も無法であろう。

ポイントを整理すると、冤罪の確率が十分に低い識別体制があれば、根絶するべき痴漢を厳しく摘発し検出力を上げることが、より良い社会状態につながる。しかし、粗雑な犯罪認定方法をとることで、仮に示談金を狙った営利目的の痴漢通報が増えて、冤罪が全体の半分以上を占めるという情況に立ち至るようなら、被害通報直後に被害者が指さす男性を逮捕して良いのかどうか、警察当局もおそらく判断に苦しむであろう。こんな議論に理屈としてはなる。

一般に、シロをクロとする冤罪は最も避けるべき行為であるとされる。であれば、犯罪の摘発よりは、冤罪を避けることの方が遥かに重要である、というのは時代を超えた社会的要請であるに違いない。

社会的注目を集める唐突振り、件数の多さに着目すると、昔のチカンが、今は△△ハラスメントであるのかもしれない。

この「△△ハラスメント」も、いつの間にか、多様化の時代にふさわしく、何種類も挙げられるようになった。

例えば、資料をみると、

  1. パワーハラスメント(パワハラ)
  2. セクシュアルハラスメント(セクハラ)
  3. マタニティハラスメント(マタハラ)/パタニティハラスメント(パタハラ)
  4. ケアハラスメント(ケアハラ)
  5. モラルハラスメント(モラハラ)
  6. ジェンダーハラスメント
  7. アルコールハラスメント(アルハラ)
  8. リストラハラスメント(リスハラ)
  9. テクノロジーハラスメント(テクハラ)
ざっと9種類のハラスメントがリストアップされている。

極めて多種類あるハラスメントの中の「パワハラ」については「パワハラ防止法」、正式名称で書くと『労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律』が既に制定済みである。また、セクハラに関しては「男女雇用機会均等法」の中でその防止義務が雇用者側に課されている。

ただ、ずっと以前にも投稿したのだが、ハラスメントとは何か、という根本的定義は(小生の不勉強なのかもしれないが)法的には与えられていないようで、《ハラスメント基本法》はどうしても見つからないのだ、な ― 多分、ないのだと推測している。

基本法がないなら、今後もありとあらゆる△△ハラスメントが世間に登場することだろう。「嫌な思い」をする背景や原因は、文字通り多種多様。おそらく100種に余るハラスメントがあるに違いない。


思い出すのだが、小生が高校生だった時分、毎日学校に登校するのが嫌で仕方がなかった。下校する時にはホッと安堵したものだ。

というのは、ちょうどその頃、父が新規事業の立ち上げに心身を疲弊させ、その挙句に会社に通勤することさえ困難になり、家族でとる夕食の場も大変暗くなっていたのだが、決して「強い子」ではなかった小生は、そんな家庭の変調に影響されたのだろう、小生もそれまでの自信を喪失し、通っていた男子校の荒っぽい付き合い方に適応できなくなったのである。何かといえば、狭い教室の中でクラスメートに揶揄われ、自分の殻の中に閉じこもるようになり、成績も一直線に悪化したのがその頃である。いわば《10代の黒歴史》だ。最も貪欲に興味ある事柄にチャレンジしていくべき17、8歳の頃、文字通り「沈没」状態に陥ったことの損失は、その後の人生全体を通しても、結局、取り返せなかったと思う。

「イジメられている」という自覚はなかったが、いま思い出すと、嫌で仕方がなかったということは、一種の《クラス・ハラスメント》の被害者であったのかもしれない。

だからと言って、今さらながらに「被害者意識」を感じるというわけではない。学校は保護された社会の縮図であり、生徒は学校にいる間に心身を鍛え、社会に出て以降待ち受ける荒波に負けない強さを身につけることが、学校の目的(の一つ)であると。その時代は、此方の方が社会通念であったのだ。この感覚は今でも正しく、適切であると思っている。

学校ごとの校風には違いがあった。違いがある学校すべてを包括して
学校たるもの、組織たるもの、かくあるべし
というモラル上の普遍的規定などはなかったのだ。まして国会で法律を制定するなど議論されてもなかったように思う。

「自分に合わない」と感じれば、よそに移る、というのがその当時の通念であった。


その後、職業生活を始めてから何かというと耳にするようになったのは《意識統一》という言葉である。

組織全体が目指す目標、配属されたセクションの年度計画等々、これらを所属する全員が共有し、自発的に目的に向かって努力しようという意識をまず形成することが、管理者の職務(の一つ)である(とされていた)。

こんな組織文化は確かにあったナア、と。時折、懐かしく思い出すことがある。

いまの世相なら、憲法で規定されている「思想・信条の自由」が持ち出され、その組織ごとの精神的同調圧力は不適切であるとして、否定されるのではないだろうか?

しかし、目的意識が共有された人間集団は、その目的を達成するうえで確かに強みを発揮するのである。もし当時のような「意識統一」が必要ではなく、独立した個人の自由な協力で推進可能なプロジェクトであれば、何も「企業」という組織を設立するまでもない。自由市場を通して独立個人事業者間のスポット契約を結ぶことで毎年度の事業計画を推進すればよい。「組織」を設けること自体、非市場的な人材配置を行い、共有された目的を追求することが含意されているのである。この位の基本は、例えばミルグロム=ロバーツの『組織の経済学』の序盤に書かれている。

なので、企業組織内で下位者が上位者の意向を「忖度」しながら業務を進めるのは、組織であれば理の当然であって、直ちにパワハラ行為になるわけではない。ある意味、当然の社内風景である。


組織には組織ごとの企業文化がある。組織がflatであるか、hierarchicalな構成であるかは、会社ごとに自由に設計すればよい。適材適所、つまり人材の最適配置は、国籍、性別を問わず選任される経営者による合理的経営によって、自動的に達成される理屈だ。企業経営にその時々に流行している雑然とした価値判断を持ち込むことには反対だ。価値は破壊されるところに発展の本質があるものだから。

そもそも資本主義社会では《契約自由》が原則である。この時、経済社会は最も活性化され、長期的には国民生活の水準が最も速く向上する理屈だ。


これに対して、最近年に流行を極めているのが《コンプライアンス》である。

刑法や民法、商法といった基本法ならまだ分かる。しかしながら、組織の中の意識形成プロセスにおいても「コンプラ」は、少なくとも日本国内全域に対して、一律に要請される。ある意味で、小生が見知ってきた《意識統一》のための努力を、個別企業から国内全域に拡大して、全国的な意識統一を目指しているようでもある。そして、コンプライアンスが要請することの根底には特定の価値観が隠れている。

もし民間企業が特定の価値観を基礎に社風を形成しようとすれば、不適切な同調圧力であると批判される可能性がある。複数の理念、信条を容認する多様化の時代ならなおさらのことだ。

個別企業における意識統一が不当な同調圧力である(と見られる)一方で、いったん法として制定されると、なぜ法は正しく、コンプライアンス上の強制力を持てるのか?

組織運営のための意識統一は自由を侵害するが、国が立法して強制するのであればコンプライアンスとなる。何だか韓国で言う「ネロナンブル(=他人がやれば不倫、自分がやれば純愛)」を連想してしまう。国家の意志が優越するのだろうか?

どうもこの辺の理屈がいま一つよく分からない。

そのコンプライアンスで達成しようとする経済社会は、独占的支配力のない自由な参加者が公正に競争する結果としてもたらされる(はずの)最適資源配分を約束されているような社会なのだろうか?

コンプライアンスの根本理念がよく分からない。


そもそもコンプライアンスで言う「法」だが、中央政府の独占的優位性が最初から前提されている。

地方分権の必要性が指摘されている中、コンプライアンスでいう「法」も地方地方で独自に規定するほうが理に適っている。個別企業が自由に企業文化を形成するのが、不適切な同調圧力なら、せめて市町村ごと、都道府県ごとの自由を容認したいものだ。

日本国は、中央政府が国民の考え方まで指導するような「国のかたち」ではなかったはずだ。息苦しいような令和の世相はこの辺に由来している。


一般に、何かの社会的目的を追求する時には、法的強制よりはインセンティブに基づく自発的行動を通じるほうが、国民の厚生に生じる犠牲が少なくなるものだ。

当事者の自由意志よりは、法的規定を尊ぶ現代日本社会の感性は、だから、あまり好きではない。21世紀になって以降の、特に福一原発事故以降の日本の停滞は法による自由の侵食が根本的原因だと観ている。

正に『老子』にあるように
大道廃れて、仁義有り。
慧智出でて、大偽有り。
六親和せずして孝子有り、
国家昏乱して忠臣有り。

自然の筋道が廃れたので仁(思いやり)や義(正義)が大事だという

智に働く人間が現れたから嘘・偽りがはびこる

家族が崩壊したので(子育てや介護に尽くす)優しさをほめる

国が乱れているから(数少ない?)良心ある政治家が目立つ

この伝で言えば、『国、停滞して、法ととのう』ということになるか。



本日は、昔のチカンから、話題がどんどん離れていった。話題が話題、内容が内容だ。「表現の自由」より「社会的妥当性」が優先されている昨今の世相だ、中国のような検閲はないにしても、Googleに本稿の削除要請が寄せられるかもしれない。一応、原稿は別に保存しておくか・・・これも偏屈な小生の僻目ということで。


2024年2月22日木曜日

断想: 「誤りなきように」という助言が金言であるケースは確かにある

東証の日経平均株価がバブル期最高値を超えたという日にはそぐわない、暗めの断想をメモしておきたい。

日本人の国民性の特徴はとにかく慎重であることだと言われる。

慎重と臆病とは表と裏の関係にある。過剰な慎重さが臆病に見えてしまうことは確かに多いだろう。しかし、大胆と軽率も表と裏の関係にある。

足元では、積極果敢な投資戦略が求められていると、自らは企業経営をしない専門家たちが日本国内の企業経営者を煽っている。が、

無思慮な大胆さは、ほぼ確実に軽率な行為へつながる

これもまた真実で、何だか戦前期の帝国陸海軍を批評するようだが、慎重ゆえの失敗がある一方で、大胆がもたらす失敗もある。イイところと悪いところがあるのではなく、長所即ち短所なり。そこが分かっていない人は、案外、多いのじゃあないかと思っている。

成功や発展をもたらす要因は、慎重さでも大胆さでもない。マスコミの話題にされやすい人柄や性格、キャラクターといった要素は、(まったく無関係とは言わないが)実際には事業の成否を分ける大事なカギではないと思っている。

が、本投稿の主旨はこういうことではない。

下の愚息で感心したことが一つある。それは現在の職に就く前の最終面接で抱負をきかれたとき、

誤りのないように心がけたいと思います

と、そう短く答えたそうだ。

人気のあった財界の大物の中には

向こう傷を怖れるな

と、まるで野球の応援団のような檄を飛ばし続けた人物もいたそうだ。

まあ、民間企業の営業現場なら、さもありなん、ということだろう。

しかし、人の人生を左右するような仕事に就く場合は、間違いを何よりも怖れなければならない。

間違った意思決定で人の人生が狂ってしまった場合、その人の人生を後になって取り返してあげることは不可能である。故に、向こう傷を怖れないような大胆かつ軽率な人物は、最も忌避されるべきなのである。

人は、文字通り、適材適所。だから多様な人間集団の方が優位に立てるのだ。

こんな考察もあったので、下の愚息の回答には感心した。

それももう随分昔のことになった。

とはいえ、実は上の話しには個別具体論が続くのだ。それは、どれほど努力をしていても、人は必ず誤るときがあるからだ。

その誤りに直ちに気がつくとすれば、それは単なる<ちょんぼ>や<しくじり>である。謝罪をして反省をすることが出来る。ペナルティは時に厳しくもなるが、それは仕方がない。その後、再起をすればよいわけだから、ロジックは単純明快である。

真の誤りはその時には気がつかないものだ。

自らは正しいと確信しているときに真の誤りを犯すものである。

正しいと信じていた自分の意思決定が、間違っていたと気がつくまでに10年程度の時を要するなら、それは真の誤りである。また、自分の誤りに気がつき、なぜ誤ったかを理解できるまでに、20年ないし30年の時が必要なことがある。客観的な事実が事後的に判明したり、自分自身の心の中で当時の経緯を回顧することによって、その誤りに気がつくのだ。自分自身が成長することで理解できるようにもなる。そして何故誤ったかという理由や背景も自らが理解する。しかし、それほど深刻な誤りに気がつくとき、過ぎ去った時間を取り戻すことはもうできないのである。

真の誤りには謝罪や補償の余地がない。ただ誤りを認めることしかできないものだ。時が過ぎ去ったあとの謝罪は口先の行為でしかない。ただ、自分自身の良心の痛みが人生が終わるまで続く。寝ても、醒めても、一日の休みもなく、間断なく続く。厳しい永遠の痛みであるに違いない。死は良心の痛みからの解放である。

故に、何よりも

意思決定において決して誤りをおかさない

それが何よりも大事な目標になる立場は確かにある。

失敗を恐れるな

という助言は、時と場合によっては、無責任な扇動になる。

助言をする際は、助言者の方も、状況の細部を入念に調べ、眼光紙背に徹する程の考察を行い、誤りのないように言葉を選ばなければならない。

誤りとは、その本来の形においては、被害を被った相手に謝罪のしようがない。ただ、自分が犯した誤りの罪悪感に苦しみ続けることが贖罪になるしかない。

人間が犯しうる最大の罪は《浅慮》から始まる。つまり思慮の足りない浅はかさが最大の罪となる。そう思うのだ、な。そして、浅はかであることと、知識の欠如、つまる《不勉強》や《無知》であることとは、たいていの場合、同時に見られるものだ。



2024年2月20日火曜日

ホンノ一言: ウクライナ復興経済協力にカミさんは釈然としないようで

 TVでも報道されていた ―ワイドショーでやっていた記憶は定かでないが ―以下の話題だ。

政府は19日、ウクライナの復旧・復興に向けた「日ウクライナ経済復興推進会議」を東京都内で初めて開いた。地雷除去などの「緊急復旧」から同国の主要産業である農業の支援、デジタル化を通じた産業の高度化まで、各段階において官民一体で支援する方針を打ち出した。両国は、個別の協力分野を記した計56本の覚書にも署名し、日本の長期的な支援を盛り込んだ共同声明を採択した。

Source:読売新聞オンライン

Date:2024-2-19 

URL:https://www.yomiuri.co.jp/politics/20240219-OYT1T50140/

日本=ウクライナ復興経済協力である。 


カミさんはこれは変だと言っている。

カミさん:能登地震で復旧が大変な時に、ウクライナにお金を割く余裕なんてあるのかなあ?

小生:日本に出来ることは軍事じゃなくて、もっぱら復興するための経済協力だからね。

カミさん:復興しなくちゃいけないのは能登半島もそうでしょ。ウクライナは外国だよ。何かしてもらったことあるの?

小生:情けは人のためならず・・なんだよネ。日本だって、敗戦後に敵国だったアメリカの温情に援けられて復興できたんだよ。何も日本の敵国を助けるわけじゃない。西側が軍事支援している国を日本も仲間として出来ることをしようってことさ。

カミさん:日本でいま困っている人がいるのに・・・賛成できないナア。

小生:大阪万博、どうするのかなあ?

カミさん:そっちは興味ないし・・・

情報番組を視ながらこんな話をした。

実は、こんなことも言おうかと思ったのだが、止めておいたのだ。

雪が降った。だけど、いま腹がシクシクとして痛い、下痢してるから、雪かきしないでおくかなあってサ、そんな日もあるよね。気持ちは分かるし、同情もするけどサ、雪が降ったら雪かきしないわけにはいかないよね。みんなが、いま疲れてるとか、忙しいからとか、しんどいとか、その位の理由でするべき作業をしないことにしたら、どうなる?その界隈は雪に埋もれて、自分達が困るんだよ。公共機関は道路や学校、市立病院前の除雪で手一杯なんだからね。原則、援けちゃくれない。外交も同じだよ。自分がいま実行した方がいい事は、取り込み中でバタバタしていても、出来るだけやった方がいい。努力している所を見せなくちゃ。やらないとゼロだからね。エッやらないの?それでいいの?・・・ってことだわね。


ベストの戦略、たとえ最適の選択であっても、その選択にはメリット、デメリットがある。デメリットを最小化する政策を選びたいところだが、それは《メリット-デメリット》、つまり純利益を最大化する政策ではないかもしれない。

もっぱらメリットを最大化する政策を選ぶのは、いわゆる《オポチュニスト》つまり機会主義者であって、外からみると信用できない。まるで戦前期・日本の帝国陸軍を思い出させる愚行である。

しかし、昔の失敗に懲りて、もっぱらデメリットを最小化する選択を繰り返すのは、政治的には安楽で落選の心配はないが、決めるべき人が決めるべき事をやっていない点は同じである。

メリット-デメリットを冷静に評価して、最適選択を特定し、それが実行できるよう社会的理解を形成しようと努力する本当の政治家は、戦後日本においては極めて少数(あるいは皆無?)であったような気がする。

安倍元首相も生涯の目標であった憲法改正をついに果たせなかったが、余りに多くの寄り道をしたからだと思っている。

2024年2月18日日曜日

断想: 歴史を通して対立してきた二つの社会観

深遠で、その証明は複雑極まる命題であっても、最も基礎となる部分には単純かつ疑いえない公理が真であると前提されている。

自然科学の言葉である数学はそんな構成をとっているが、実は「社会観」や「社会哲学」なども同じではないかと思う。

要するに

  1. 私たちが生きるこの社会の現実は、間違っているから、正しい状態にしなければならない。
  2. 私たちが生きるこの社会の現実は、神の意志を反映しているから、というか「なるべくしてなったもの」であるから、自然に委ねておかなければならない。

結局は、この二つの社会観の対立が、人間社会の成立からずっと続いている。

古代ギリシアで発生した大規模な戦争であった「トロイア戦争」だが、ホメロスの『イリアス』や『オデュッセイア』を読むと、登場する戦士達の生死は、オリンポスの神々の争いや対立を反映したものであるとして、主要人物がたどった劇的な生涯が描かれている。つまり、人間社会の紛争や理不尽な運命は、全て神々の争いによって定まったものである、ということだ。

これに対して、プラトンの『国家』で構想されている国家は、哲学者による理路整然とした共産主義国家と同じである。国家の本質を正しく理解した人間の知性によって、理想的な国家の運営が可能であることが、そこでは述べられている。正に、現代にも生きるコミュニストと同じだ。

中国では、儒教的社会観と老荘的社会観が対立していた。儒学者は、現実社会は間違っており、理想的な古代に戻れと言い続けた。故に、儒教を基礎とする中国社会は極めて保守的であった。中国共産党も実は本質を同じくしている。共産党が言っているのは、現実の社会は間違っており、社会は未来に向かって前進しなければならないと唱えている。過去から継承した価値観は、宗教、哲学を含めて、すべて廃棄するべきであるとする姿勢は、ここから発生する。理想を過去に求めれば儒教的であるし、未来にあると考えれば共産主義となる。どちらにしても、今の社会は変わるべきだと主張する所は共通している。

このような現実否定論に対して、老子、荘子をはじめとする老荘思想は、人間の浅慮を排して、全て自然に委ねよと説く。

経済学も、アダム・スミス以来の『見えざる手』を信頼する市場重視主義が主流である。これに対して、市場の失敗に着目するケインジアンがいる ― マルクス派など異端はおいて置くとして。前者のネオ・クラシックとケインジアンとの対立は、概ね20年ないし30年のサイクルで、交代しているのが経済学史から分かるはずだ。

キリスト教では

カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい

と『新約聖書』の「マタイによる福音書」22章15節~22節に書かれている。現実社会の政治と神の信仰とは別のことだとされている。仏教では前世からの宿業で人間の運命は定まっている。故に、社会もそうなる。宿縁に支配される現実社会において、阿弥陀如来が目指すのは、善悪を超えて、というか寧ろ悲しい宿業を負った悪人の魂をこそ優先的に救済することである。ここには、善を称賛し、悪を懲罰するという思想はない。善悪という概念は、極めて人間的で、俗っぽいのである。

現代日本人は、この辺について、本当はどう思っているのだろう?いま(個人的に)一番知りたいのはここである。

印象としては、社会の上層部、例えばメディアに頻繁に登場する人物達 ― 彼らをエリートとか、上層部と呼んでいいか甚だ疑問であるが ―、あるいは官僚や政治家、学者たちは、今の社会の問題を解決することこそ、自らの仕事であると自認しているようだ。ということは、自分たちで社会をより良い社会に変えることができる。良くできないのは職務怠慢だと、そう自認しているということだ。

しかしながら、たとえ完全な独裁権を把握した為政者が現れたとしても、日本社会をより良い状態に変えることは、小生は不可能だと思っている。その独裁的為政者が有能なら「社会の改善」のために様々な施策を迷うことなく実行するだろう。しかし、そんな社会は御免だ。そこには、もっと大きな新たな問題が発生するだけである。その者が「名君」なら君主を嫌えばよい。革命も起こせる。しかし、民主的に選ばれた為政者なら、純粋な災難だ。そう思うのだ、な。

実は、普通の日本人のどの位の人がそう思うかどうかは分からないが、社会問題を解決できるような政治家や学者など、期待してはいない。国家戦略など、まともなものであるはずがない。むしろ公的権力は何もせず、税も最小限に、あれこれと指図しない。自由に任せてほしい。そうすれば、多くの人は結果に納得するはずである。

Let it be. あるがまま。それが一番だ。

そんな風に思っている人は、極々少数であるとは思えないのだ、な。

極めて老荘的だ。

とはいえ、中国の王朝の中でも最も繁栄した「漢」や「唐」の時代、確かに儒学は発展したが、その当時の政治傾向は「自然に任せる」、「皇帝は介入しない」という側面が強く、老荘思想の影響を強く受けていた。政治が経済に介入し始めたのは、王朝が衰退への道を辿り始めた時期にあたる。ずっと以前、宮崎市定か誰かの本で読んだことを記憶している。

日本の生産力―主に農業生産力だが―が大きく発展したのは、室町幕府の地方グリップが決定的に衰えた16世紀である。それは、地方ゝが中央政府の権威に遠慮することなく、競争優位を目指して積極的に新田開発を進めたからである。人口も増加した。その流れは、幕藩体制が完全に定着した17世紀末まで継続した。

なので、国に期待する発言を聴いていると「また性懲りもなく」と感じてしまうのだ、な。

【加筆修正2024-02-19】投稿の主旨が曖昧になるため、この間を削除。



《科学》は例外である。その時々の支配的な社会観によらず、科学だけは発展を続けるに違いない。結果として、不安を解消できるかどうかは分からないが、《生活水準》だけは上がる可能性が高い。

この位で満足しましょうヨ。

つまり、どちらかと言えば、"Let it be"が小生は好きである。