2022年5月28日土曜日

ホンノ一言: 「最悪の事態を考えて手を打て」…犬も歩けば棒に当たる、ということですか?

 一週間前の投稿ではこんな書き方をした。

暴落率はともかく、低落基調の継続という面では、有名な1929年10月24日の「暗黒の木曜日」を契機とした<世界大恐慌>以来の株価急落をいま演じているというのだから、これはもう穏やかな話しではすまない。

そして、Friedman=Schwartzの"A Monetary History of the United States"が指摘したような

FRBの政策ミスが実は《世界大恐慌》の真因であった

という認識が、経済専門家の間ではほぼ合意されていることを思うと、今またFRBが壮大な政策ミスを演じつつある可能性は決して否定できない、と。こう思われるのだ、な。

昨金曜のNY市場ではやっと下落基調が止まって一安心した雰囲気だ。日経にはこんな風に書かれている:

 【ニューヨーク=斉藤雄太】27日の米株式市場でダウ工業株30種平均は6日続伸し、週間では1951ドル(6%)高と9週ぶりに上昇した。米連邦準備理事会(FRB)が過度な金融引き締めに動くとの懸念がやや後退し、それまでの株安で生じた値ごろ感に着目した買いが優勢になった。米国の景気後退懸念はくすぶり続け、株式相場が底を入れたかは見通せない。

URL: https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN27EGI0X20C22A5000000/?unlock=1

Source:日本経済新聞、2022年5月28日 6:25 (2022年5月28日 6:59更新) 

まだまだアメリカ経済の《景気後退懸念》がくすぶっている。先行き不安はぬぐえないというところだ。


そもそも広汎な価格上昇が「ホームメイド・インフレーション」であるかどうかは、正しく検証しなければならない。何度か投稿しているように「輸入インフレーション」は価格を国内で転嫁させることが策としては賢明だ。具体的には、同じ物価指標でもGDPデフレーターの安定を目標とし、企業間取引の指標である卸売物価指数(WPI)の上昇は受け入れる方針が今は適切だ。それに応じて、必要なマネーはアコモデイト(accomodate)するのが良い政策だ。

この点は、NYTに寄稿しているクルーグマンと(ほぼほぼ)同じ見方だ:

I realize in saying that I risk coming across as the boy who cried “no wolf.” I called inflation wrong last year. Much of current inflation reflects huge price increases in sectors strongly affected either by pandemic distortions or, lately, by Russia’s invasion of Ukraine, but at this point measures that try to exclude these exceptional factors are also running high, suggesting that the U.S. economy as a whole is overheated:

URL: https://www.nytimes.com/2022/05/27/opinion/inflation-prices-stagflation.html

Source:The New York Times, May 27, 2022

アメリカのインフレ抑制は、労働市場が過熱気味で賃金上昇が加速し、それがコストプッシュ型のホームメイド・インフレにつながるかもしれない、その可能性を摘む。これが現時点の目標である。つまり、やって来そうな<真正インフレ>を引き起こさないための金利引き上げである。仮にアメリカ国内の「ホームメイド・インフレ」に火が付けば、FRBとしては金利引き上げを強行し、スタグフレーションという犠牲を払って、物価を沈静化させるしか手段がなくなる・・・正に1970年代にアメリカが経験し、悩み抜いた経済問題になるわけだ。

しかし、今はまだそうはなっていない。クルーグマンは、この点では《楽観論》をとっている。この判断は、例えば英誌TelegraphのコラムニストPritchardも同じ見方をしている。というか、もっとFRBに対して批判的だ。

クルーグマンの判断はこうだ。

…there is no hint in the data that inflation is becoming entrenched. Consumers expect a lot of inflation in the short run, but much less in the medium term … Workers expect to see raises of only about 3 percent over the next year, barely above historical norms

そもそもインフレ心理が形成されていない、というものだ。 


いわゆる「インフレ・タカ派」と称される専門家たちが警戒対象になっている。安全保障分野で<敵基地先制攻撃>を声高に叫んでいる人たちがいるが、経済政策分野でもやはり<早期警戒>を叫びまわり、所かまわず説法をする専門家というのは、人々を集めてしまうものである。


ここは元の記事をそのまま引用させて頂こう:

 Monetary hawks are enraged. A few days ago the billionaire investor Bill Ackman attracted a lot of attention with a tweet declaring that markets are crashing because investors don’t believe the Fed will do its job:

 


While we don’t know for sure whether inflation itself is getting under control or not, Ackman’s claim that “inflation expectations are getting out of control” was clearly false given both market and survey data. But many others are echoing his furious attack on the central bank, as you can see just by searching “Fed behind the curve.”



 『オオカミは来ない』とクルーグマンは言っている。一方で、『オオカミがやって来たあ!』と叫びまわっている人がいる。

おそらく

最悪の事態を考えて手を打つべきだ

と、こう言いたいのだろう。コロナ禍の中では政府にこんな説教をたれる御仁が無数にいたものだ。毎日、テレビ画面に登場したものである。毎朝、そんな説教を耳にした。いま中国で展開されている《ゼロ・コロナ政策》と同じ政策思想である。

これと同じ気持ちになって

今のうちにインフレの芽をつめ!

後手に回ったらスタグフレーションがやってきて10年は苦しむ。

言いたいことはそんなところであるに違いない。

しかし、あんまり用心しすぎると、国の経済が崩壊してしまいますゼ・・・オオカミがそんなに怖いなら、この村を捨てて別の場所に引っ越すしかないんじゃないですかい?あまり神経質になっちゃあ、出来ることも出来なくなるってモンでさあ。

いま叫んでいる<オオカミ少年>を信じるかどうか…それが問題だ。

FRBを(いま一つ)信頼できない・・・という所に、あるとすれば失敗(と今から断言はできないが)の隠れた原因があるに違いない。


話しは付け足しになるが、《最悪の状況を考えて手を打て》ですか・・・そう言えば、ずっと昔になるが、地元の自動車学校の授業でのことである。担当教員から教えられた(?)ことがある:

最も安全、かつ事故を起こさない運転の秘訣はネ、それは「そもそも運転をしない」ということ。これに尽きます。マ、私の立場でそう言うのはおかしいんだけどネ(笑)

小生、授業の進め方をめぐって同僚教員から有益な参考例を得たことはなかった(と思う)が、この自動車学校の先生の話芸には本当に感心したものである。上の例はその一コマである。しかし、今なら付け加えたい:

でもネ、自分が運転をしなくても、やっぱり交通事故に遭っちゃう確率はゼロではないですヨネ。身の安全を守るためには、そもそも自動車が通る道路は歩かない、不要不急のときは外出をしない。これに尽きます。

このセリフを付け加えるべきであったと思う (^ω^)。マ、言うなれば『犬も歩けば棒に当たる』の世界観である。確かに人類のDNAにはこんな警戒本能が埋め込まれているようだ。



2022年5月27日金曜日

断想: 大きな出来事は過去の記憶を切る作用をもつようだ

国会の数ある委員会の中で予算委員会だけはずっとTV中継されている。今日あたりは、外国人観光客訪日を受け入れるというコロナ後新方針をめぐって質疑があったようで、そのやりとりがテレビでも紹介されていた。

マア、確かに

  • 戸外でのマスク装着は(多くの場合)不必要。
  • 外国人観光客にもマスク装着についてルールを守ってもらう。

この二つの方針が、日本国内の同じ観光地にいる日本人・外国人観光客の間で自然に調和するのかどうか、怪しいナア、という疑問はある。日本人の過半数が「水際対策」を緩めないでほしいと願っている、という(小生には意外な)調査結果もある。

であれば、政府の考え方を正面から具体的にグイグイと確認すればよいものを、放送で切り取られる野党と政府のやりとりは非常に幼稚で、これは頂けないと思うばかりだ。これじゃあ最近の高校生の学級会のほうがもっとレベルが高いですゼ、と言いたくなるのが哀しい。

なぜ日本の国会はこれほど低レベルなのであろうか?

TV電波に乗ると、誰もが愚者になってしまうンですよ

と、そんなことを言う人がいる。それはTVの前にいるどんな視聴者、いかなる視聴者であっても、番組内容が理解可能なレベルで出演者が語るよう番組編成側が出演者に要請しているからである、と。マ、もっともらしい説明を前に誰かから聴いたことがある。

・・・そんなところかもしれない。そもそもテレビ経由で<切れる見解>など伝えられるはずはない。真剣な、互いを切るような論争など、TV画面で流すのは、それ自体が<不穏>であるに違いない。だから、テレビ画面に映る議員たちは、巡業先の力士のような応対をしているのだ。そう割り切る見方もあるだろう。

しかし、余りに放送される予算委員会審議が低レベルなので、

これほど国会議員のレベルが低いなら、落選して失業するのが何よりも怖いのは、無理もないことだ。これでは民間にロクな仕事がないだろう。

落選しても生活にはまったく困らない人たちが議員を志すべきだが、そうなっていない点が問題の核心だ。生活がかかっていれば、ただただ次の選挙に落ちないための言動ばかりをする。これでは国益は二の次になる。思考は、こんな風に進んでいくわけだ。

それにしても余りに非現実的な程の低レベルだと思い、<国会 中継>をキーワードにして、ブログ内検索をかけてみた。前にも疑問に感じたことはなかったのか、ということだ。

そうすると、完全に忘れていたが、こんな投稿が出てきた。

来年2月に開催される情報処理学会では人工知能(AI)や機械学習で最近よく名前を目にする人たちが講演するので、これはぜひ行かねばと思ったのだが、ネットから開催案内を読むと「ニコ生」でも中継するとある。

ニコ生? それは当然知っている。しかし全く利用していない。その意義をネグってきた。「そうか、こんなものも中継しているのか」と今更ながら見直して登録した次第。

中継中の生放送をみると本日現在で衆議院・外務委員会や厚生労働委員会、国土交通委員会、あるいは第53回原子力規制委員会などがライブ中継されている。

ここまで社会に浸透しているとはまったく知らなんだ。

時代に遅れていることを自覚しなかったというのは恐いねえ・・・猛省。

4年以上前にも同じような疑問を抱いていたようで、それは単にテレビ・メディアに視野を限定して感じていただけであった。同じ疑問は氷解していたわけである。これを忘れていた。コロナ禍3年の騒動の間に、以前のことを忘れていたんだナア、と。そう感じた次第。

以前のことを忘れるから、新しい時代が始まるような気持ちになる。

パンデミックや戦争は、前の記憶を遠ざけ、記憶を切る作用がある。そうして一つの時代が終わり、新しい時代が始まる。要するに、こういうことかもしれない。 

それでもなお、東アジアで旧・日本軍が75年以上の昔に働いた色々な侵略行為は、いま現在もウクライナでロシアが行っている蛮行や、中国ウイグル自治区で行われている蛮行と、ほぼ同じ新鮮さをもって、今後も非難の対象にされるのだろう。こればかりは、どんな新たな悲惨が重なっても、常に現在性をもって語られるのだろう。

そうしようとする意図がある限り、過去の事柄はずっと現在の事柄であり続ける、ということだ。

今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』はもう800年以上も昔の話しである。それを面白いと感じるのは、現在の人間が現在の目で振り返りながら、語られているからだ。いま人が語っていることは過去がリアルであったときのリアリティそのものではない。

2022年5月25日水曜日

一言メモ: 知床遊覧船事故と検査体制充実に関連して

TVメディアでは、知床遊覧船事故と山口県阿武町の誤送金のことが実況中継よろしく毎日報道・解説されているのだが、冷淡なようではあるが、どちらの「事件」も小生やカミさんが送っている「平均的日常性」にはホボ、ホボ関係なく、いわば無縁の話題である。どちらかといえば、遠い外国の事ではあるが、ロシア=ウクライナ戦争の方が関係がある。

なぜなら、戦争の継続によって、農産物やエネルギー資源の価格動向が影響されるし、これが更に株価の激変やインフレ加速につながってくるとなると、毎月の収入、資金繰りにも影響が及んでくるからである。だから、ウクライナ戦争の進展には無関心でいられるはずはない。こんな実状はほとんど全ての日本人に当てはまっているような気がするが、これも株式投資と同じ理屈であって、かつて経済学者・ケインズが言ったように、投資で成功しようとすれば必ずしも優良な企業の株式を購入するべきではなく、上がるだろうと多くの投資家が予想している銘柄を買うべきなのである。同様に、ニュース情報の客観的有用性に応じてマスコミ各社は報道するべきではなく、視聴者・読者が関心を向けていると予想される事を話題にするべきなのだ。特にニュース報道が企業経営の事業の一つである場合は。

マ、最近はメディア企業の合理的方針によって、そんなニュース状態なのだが、特に遊覧船事故についてブログ内検索をかけると、投稿は1回のみである。

そこでも検査のあり方について書いてはいるのだが、ニュース解説の話しぶりを聴いていると、当初の運航会社の劣悪さを非難する論調から、最近ではそんな劣悪な会社が検査をすり抜けて、あのようなボロボロ(?)の小型船舶がよくもマア使われていたものだ、と。検査は厳格に行われていたのか、と。風向きは次第に変わっているようだ。

そもそも船舶検査に従事する職員数に比較して、日本全国で検査対象になるべき船舶は大小合計して膨大に過ぎるという現実がある。

まさかTV画面で、

検査の現場が人員不足であるのが、問題の核心ですから、やはり無理をしてでも予算を増やして職員数を増やすべきですネ。やはり事故は防ぐべきなンです。そんな努力が求められている。そういうことだと思います。

極々平凡な常識に基づき、そんな「出来もしないベキ論」でお茶を濁すのかと予想して視ていると、流石に報道現場、スタジオ現場でも日本が置かれている現状が分かってきているのか、無理難題を言って終わり、という風ではなくなってきた。

と同時に、詰まるところが

どうしたらいいんでしょうか? 

いい方法はないんでしょうか?

結局、疑問文で締めたいわけですか、と。

常識では良案がない、となると「分からない」になるわけで、結局はこうなる理屈か、と。何だか情けないネエと思うことも増えてきた。

大体、傾向として日本は世界の中で比較的、というより極端と言えるほどに《ミニ政府モデル》を採っている国家である。例えば、(引用元を明示しているので信頼できると思われるが)このデータが参考になる。日本には、国防軍らしい国防軍がない、というのが理由ではない。そもそも中央政府の行政官僚のマンパワーが格段に小さいわけである。アメリカの地方公務員数が中央政府の職員より部厚に配置されているのは、州の権限が強い「連邦制」を採っているためである。

日本は公的部門がミニサイズで、基本的には民間中心で運営されている国家である。確かに社会保障費を含めた国民負担率では高水準になっているとはいえ、社会保障はAさんからBさんへカネが移動する話しであって、もっと基本的に公的企業経営、その他企業への資本参加を通して労働や資本の配分に国が直接関与したり、あるいは経済活動一般に公共の職員が直接参加する度合いは、日本は非常に低いということだ。かつては<行政指導>や<窓口指導>という名目で公務員が口を出せば民間が従い、これが官僚という職業の重要性を担保していたものだが、これも最近では御法度になってしまった。

小生もずっと昔、小役人をやっていた時分だが、たまに自分と同分野の職務を担当する諸外国の相当セクションの職員数を聞くことがあった。そのとき、人数の桁が一つ違うことに驚いた経験は1度や2度に止まらない。船舶の安全検査だけではない。マンパワーの量的制約が日本の公共サービスを全般に制約している事実がメディアに広く注目されることが一体何度これまでにあるだろうか?

ヒトも組織も抑えられている前提で、国防、治安や公衆衛生、安全管理を確保していく方法を決めていく。そんな日本的立て付けを前提として考えることが、知床海難事故(だけではなく、あらゆる分野の施策にも言えると思うのだが)を繰り返さないための方策を議論する際の第一歩となる。そう思われるのだ、な。

とはいえ、公共部門のマンパワーが不足しているなら、というか組織の規模を抑えておきたいなら、そのときはそのときで有効な方法があることはある。

それは民間関係者に「相互評価」、「相互監視」を義務付け、不備があれば公的機関への通報を義務付け、仮に過失によって事故が発生すれば、「連帯責任」を課す、という方法である。

大学ではとっくにこれをやっている。大学で提供する全授業について、学生による授業評価を実施していると同時に、供給側の教員による

自己評価、他教員による授業参観と評価・勧告、外部専門家による外部評価

を毎年実施している ― 外部評価は規模が大きいので何年かの定期実施であるが。そして低評価が続く授業がある場合は、教員個人が対応するのは勿論だが、学科ベース、学部ベースで新科目開設、共同担当への移行などのアクションをとっている(はずだ)。民間船舶運航事業者についても安全性など提供するサービスの質を保証する上では同じロジックが適用できるだろう。

具体的に知床地区にこれを当てはめれば、遊覧船運航事業を行う会社で組合を結成し(既に結成されている)、運航事業について

自社評価、他社による審査・評価を義務化し、過失に因る事故が発生した際には組合員全員の連帯責任とする。

鍵は《連帯責任》にある。

余りに多忙である公務員が厳格であるべき検査で「手を抜く」場合があるとして、それは<多忙>であるから手を抜くという因果関係なのだが、基本的には<結果に対して無責任>であるからこそ多忙のときはザックリと検査する。そういうロジックの方がもっと本質的であろう。つまり、<安全管理>と<過失責任>とは表裏一体でなければならない、ということだ。当事者の能力が不十分なとき、誰がその能力不足を指摘できるかが、検査の本質だろう。仲間内で相互管理する義務を負わせ、一社の過失を全員の連帯責任とするのが《特効薬》となろう。

マ、かなりの劇薬となる。 

* 

《連帯責任》というと、何だか戦前期・日本の「隣組」。もっと遡れば、江戸時代・寛永期に確立された「五人組」を思い起こしてしまう。

が、日本という国は、「お上」という公的権力が直接的に庶民を統制するよりは、現場に従事する庶民自らが共同で相互監視する方式を伝統的に採ってきた、寧ろそんなやり方の方を好んできた所がある。大体が、この3年間弱のコロナ禍。中央の厚生労働省がどんな行政命令を国民に対して発したか?ほぼ何もやっていないと言ってもよいのではないか?実効性ある行動変容は、主として国民自らの相互監視(例えば、マスクをしていない人を疎外する空気を醸し出す)によってもたらされたのではないだろうか。ワクチン、PCR検査の公費負担は概ね世界で共通しているが、肝心の行動変容という面で日本が採った方法は、スウェーデンの自由放任、英仏独、中国の厳格なロックダウンのどちらとも異なる、自発的な相互監視、相互規制が主となる独特なものだった。

この21世紀の現在でも一事が万事。この日本では「そういうものなのだ」という側面が確かにあり、行政システムを決定する時には、こうした日本的伝統(?)を考慮するべきである。小生はそう考えてしまうのだ、な。


マ、島国でずっとやってきたためだと思うが、肝心要の点で日本社会は独特である。その独特である傾向は、データからも歴然と認められる。故に、それを前提として行政の在り方を議論するべきだと思うわけで、海外の事情は参考になるが、アメリカ方式、欧州方式、中国方式と実に多様であって、合わせる方が効率的な箇所は国際的にシステム統一するにしても、大半の部分では、結局、日本は日本のやり方でやっていくしか実効性が上がらないし、またそれが最善だ。そう思われるのだ、な。

2022年5月22日日曜日

ホンノ一言: バイデン政権の評価・・・どちらに転ぶのか?

前回投稿では今の経済状況についてこんな見方を書いている。NY株式市場が演じた暴落の後である:

つまり、事の本質はインフレが心配なのではなく、

一次産品価格を中心とするインフレ高進によって企業利益が圧迫されるというのはその通りだが、売り上げや利益金額が減るかどうかは金融政策次第だ。FRBがインフレ抑制に過剰に重点を置き、そのために企業利益が過剰に減る。政策ミスによる"Overkill"が起きる可能性がある。それが心配だ。

心配の種はこれかもしれない。つまり、アメリカの金融政策当局であるFRBの手腕に全幅の信頼が置かれていない。だから株価が急落した。ひょっとすると、こういうことであろうと(小生は)観ているところだ。 

 今日のWall Street Journalにはこんな記事が載っている:

Stocks, bonds and other assets are getting hammered this year as investors wrestle anew with the possibility that the U.S. is headed toward recession. On Friday, the Dow Jones Industrial Average recorded its eighth straight week of declines, its longest such streak since 1932. The S&P 500 flirted with bear-market territory.

URL: https://www.wsj.com/articles/the-market-is-melting-down-and-people-are-feeling-it-my-stomach-is-churning-all-day-11653105601?mod=hp_lead_pos9

Source:WSJ, May 21, 2022 12:00 am ET, By Justin BaerFollow

暴落率はともかく、低落基調の継続という面では、有名な1929年10月24日の「暗黒の木曜日」を契機とした<世界大恐慌>以来の株価急落をいま演じているというのだから、これはもう穏やかな話しではすまない。

そして、Friedman=Schwartzの"A Monetary History of the United States"が指摘したような

FRBの政策ミスが実は《世界大恐慌》の真因であった

という認識が、経済専門家の間ではほぼ合意されていることを思うと、今またFRBが壮大な政策ミスを演じつつある可能性は決して否定できない、と。こう思われるのだ、な。


ただミスを犯すには、間違うだけの理由、というか「こうするのは間違いではないという大義名分」が要る。それは

インフレを抑止する

という政策目標は、いかなる時も常に正当であるというプリンシプル(=原則?信念?)である。

しかし前稿で書いたように、輸入物価の高騰にどう対応するかという局面で必要なことは、賃金(=労働所得)、利益(=資本所得)が交易条件の悪化に見合う分だけ実質的に低下することを甘受する姿勢であって、企業、勤労者が実質所得を確保しようとして、輸入物価上昇分をそのまま価格転嫁したり、実質所得を維持するために賃金引き上げを要求するというその行動によって、結果としてはホームメイド・インフレが発生し、その後はインフレ・スパイラルに入っていくのである。1970年代の第一次石油危機、第二次石油危機でアメリカは正にこの失敗をした記憶はまだ消えていないはずだ。

The TelegraphのコラムニストAmbrose Evans-Pritchardはこう書いている:

The monetarists were right too just before the global financial crisis, and that episode has resonance today. 

This newspaper published a piece in July 2008 with the headline “Monetarists warn of crunch across Atlantic economies”. It began with the following two paragraphs. I was the author, so I remember it.

“The money supply data from the US, Britain, and now Europe, has begun to flash warning signals of a potential crunch. Monetarists are increasingly worried that the entire economic system of the North Atlantic could tip into debt deflation over the next two years if the authorities misjudge the risk.

“The key measures of US cash, checking accounts, and time deposits have been contracting in real terms for several months. A dramatic slowdown in Britain's broader M4 aggregates is setting off alarm bells here.”

 URL:https://www.telegraph.co.uk/business/2022/05/19/monetarists-right-inflation-now-have-different-warning/

Source:The Telegraph,19 May 2022 • 2:58pm

インフレ抑制は正しい目標であるから金融逼迫はやむを得ない、と。FRB(とECB)はこう考えているようなのだが、アメリカ国内で賃上げや価格転嫁が拡大している現状を見る限り、ホームメイド・インフレには既に火がついている。この火を強引に消火しようと焦れば、21世紀の大恐慌を意図せずして引き起こしてしまう可能性はゼロではないわけだ。

一口で言うと、もう遅い、ということかもしれない。

日経が日本語訳しているFinancial Times記事も(発想は違うが)指摘は同じ主旨。

パウエル氏が正しいとすれば、少なくとも供給制約がこれ以上は悪化することなく、そのマイナスの影響を受けた企業と労働者が実質利益と実質所得の目減りを甘受することが条件となる。だがなぜそんなことを期待できるのか。

ファーマン氏は「消費者物価指数が今年3月までの1年間で8.5%上昇し、名目賃金の上昇率を大幅に上回った結果、この1年の実質賃金は過去40年間で最も急速に低下した」と指摘する。つまり、今や労働者が賃上げを求め、企業はその賃上げコストを吸収すべく価格に転嫁するという悪循環に陥る条件がそろっているということだ。

必要なのは供給制約と労働市場の逼迫を逆転させ、物価を沈静化させることで、インフレで失われる分の所得を取り戻す必要性を排除することだ。

URL:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB181MW0Y2A510C2000000/?unlock=1

Source: 日本経済新聞、2022年5月20日 0:00

Original:2022年5月11日付 英フィナンシャル・タイムズ紙

Author:Martin Wolf


FRBによる金利引き上げはバイデン政権が行っているわけではない。しかし、ガソリン価格が高くなると選挙に不利になるのは確かな事実である。バイデン大統領は『今のインフレをとにかく抑えてほしい』と、公式に発言はせずとも、そう希望しているだろう。FRBが大統領の願いを忖度していることは絶対にないのだろうか?


ロシアのウクライナ侵攻をアメリカは対ウクライナ外交を進める中で意図せずして(悪意に見れば、意図して?)誘発した。そんな批判が今もある。そればかりではなく、起きてしまった軍事侵攻に対応するため、軍事的手段ではなく、経済的手段で制裁するという選択をし、その結果として当然に起きることを抑え込もうとして、今度は意図せずして大恐慌並みの不況を招くとすれば、今のバイデン政権は第二次大戦後において《最も愚かな民主党政権》であった、と。クルーグマンの保守派政権批判と同じようなリベラル派政権批判が台頭してくるのは確実であろう。

1992年の大統領選挙で共和党のブッシュ大統領が民主党のクリントン候補に敗れたのは、選挙当時の経済的苦境が大統領の足を引っ張ったからだが、それは何もブッシュ大統領の責任ではなく、ある意味で世界経済の"Boom and Bust"に巻き込まれた点で運命的な敗北だった。同じように、この秋の中間選挙で民主党が負けるとすれば、それも運命的なものだろう。いま何をしても、やって来るのはインフレ加速か、不況かが変わるだけで、同じことなのである。

同じ結果が待っているなら、国民経済がより痛まない方を選ぶべきだろう。


2022年5月19日木曜日

メモ: インフレによって企業利益が減るのが心配だって!?へええ~~

昨日のNYダウ、前日比▲1164.52ドルという急落を演じた。「インフレによるコスト上昇から利益が圧迫される」という弱気の見通しが強まったというのが理由だ。

これは(完全に間違いではないが)今の経済状況を正しくとらえてはいない。

インフレは一般的な物価上昇だ。だから、利益もまた金額としては増えるし、配当も増える。インフレを懸念して株価が下がるというのは理屈に合わない。

実際、(賃金も含めて)全ての価格が2倍になれば、何が割安、何が割高という相対価格は不変だから、生産現場で資源の再配分、雇用のシフト、調整はまったく必要ない。そしてこの時、確かにコストは2倍に上がるが、売り上げ収入も2倍に増えるので、結果として利益も2倍に増える。消費者も2倍に上がった商品を2倍増えた収入で買うので痛くもなんともない。物価が上がっても相対価格が一定なら実質的には同じだ、というのはいわゆる「ゼロ次同次性」のことで、経済学でも最も固い結論の中の一つだ。この系の中に先日投稿した対ロシア制裁の一環であるSWIFT排除の効果があるわけで、《貨幣ヴェール観》という見方にもなる。

要するに、「インフレだから企業利益が減る」と考えるのは、間違いである。実際、過去においてもインフレが高進すると、株価もあとで上がって来たものだ。

いま起きているのは、インフレというより価格体系の激変であって、農産物、資源価格の急騰に尽きている。この<一次産品の急騰>は1970年代初めにも発生したことで、73年の第一次石油危機は資源価格急騰という売り手市場の中でOPECが行使した価格戦略に端を発したものである。

今は足元で<一次産品の急騰>が進んでいるわけで、これはマネーではなく、リアルな原因があってのことだ。

国内賃金が一定であっても輸入財の価格が急上昇することはある。海外に原因があればそうなる。国内の政策とは関係がない。このとき、同じ数量を輸入して、同じ生産をするとしても、より多くのマネーが国外に流出する。雇用が同じなら利益が減る。故に、労働所得と資本所得の和である名目国民所得は減る。だから名目GDPも減る。実質的な生産水準が同じでも名目は減る。従って、名目GDP÷実質GDPで算出されるGDPデフレーターが低下する。実際には、賃金も切り下げられ、利益も賃金も低下するデフレが輸入国では進行するだろう。

つまり輸入財の価格上昇を受け入れる一方、価格転嫁を一切しない場合、輸入インフレとホームメイド・デフレが進む。これが理屈である。

【後で補足】輸入商品は通関して輸入に計上されたあと、いったん流通在庫品増加(=在庫投資)として同時にカウントされる。もし輸入品の価格が上昇すれば、金額が増えた分、在庫投資も増えるのでこの時点では差引ゼロで、名目GDPは変わらない。そのあと、在庫品は国内の最終需要、もしくは企業による中間消費に向けて出荷される。もし輸入品の価格上昇に見合うだけ販売価格に転嫁されれば、結局のところ、在庫が減る分だけ国内需要が増えて、名目GDPは変わらない。この段階で輸入価格上昇の転嫁がまったくできなければ、上に書いたように国内輸入業者の利益が減るので、国民所得低下、名目GDP低下につながる。つまり、輸入品価格上昇に見合う分だけ、国内販売価格が上がる場合は名目GDPは不変であり、数量一定とすれば実質GDPも変わらない。したがってGDPデフレーターは横ばいとなる。GDPデフレーターが横ばいというのは、国内の名目賃金、名目利益が変わらない状態を指している。しかしながら、GDPデフレーターが横ばいでも、輸入された農産物、資源を中心に卸売物価指数(WPI)は上がる。つまりインフレである。インフレではあるが、これは輸入インフレであって、ホームメイド・インフレにはなっていないわけだ。もし輸入品価格上昇をまったく転嫁できなければ、ホームメイド・デフレになる。これが基本的なロジックである。

ホームメイドデフレは抑止する方がベターだ。そうでなければ、債務金額は不変のためデット・デフレーションが深刻化する。

そうかと言って、輸入インフレによる実質所得低下を埋め合わせようと、賃上げを求めたり、上がる賃金で利益が減るのを埋め合わせるために輸入品価格上昇分を超えて販売価格を引き上げたりすれば、これは<真正インフレ>であって、そのまま<ホームメイド・インフレ>につながる結果になる。

であるから、一次産品価格急騰という輸入インフレに襲われる際には<名目賃金水準一定>、<労働分配率一定>を守ることが目安としてはオーソドックスな政策目標だ。実際に1970年代終盤の第二次石油危機では日本は賃上げ要求を自粛して見事に対応した。第一次石油危機における賃金大幅引上げの失敗に学習したから出来たことだ。

一次産品価格急騰による輸入インフレに対して、価格転嫁と賃上げを進めるという政府の声掛けは、《ホームメイド・インフレの呼びかけ》であり、これはデフレ体質が染みついた日本経済を対象とする特殊なケースにだけ当てはまる特異な経済政策である。

リアルな原因からもたらされる相対価格変動は受け入れるしか選択肢はなく、その影響を金融政策というマネーの調整で全面的に解消することは出来ない。

具体的には、コロナ後のサプライチェーン混乱を別として

  1. ロシア=ウクライナ戦争によって、ウクライナの農産物が(ほぼ)壊滅的な打撃を受けつつある。
  2. 対ロ制裁とロシア、ウクライナ両国の経済戦略によって、石油、ガス供給量に制約が強められつつある。
  3. 中国のゼロコロナ政策死守によってサプライチェーンの停滞が続きつつある。

すべて現在進行形の供給制約が働いている。供給が制約された一部商品がその他商品に対して相対的に割高になるのは当然だ。

割高になった商品が、必需財としての特性を持っていて、価格非弾力的であれば、需要金額は増える。その分、他財を購入できる金額が削減される。購買力が需要国から供給国に移動する。需要国内の購買力が合計として減少する。農産物、資源の輸入国からは所得が流出し、供給国に流入する。そんな調整が今後進むと予想されるわけである。

理屈はこういうことだ。つまり、購買力が資源の産出国から購入国へ還流してこない限り、購入国の景気は必ず悪化する。

購入国の経常収支は悪化するが、産出国に流れたカネを還流させるだけの魅力的な産業、金融市場があれば、打撃を克服することが出来る。

一次産品価格急騰という<資源インフレ>は、同じ先進国(≒資源購入国)を優れた政策実施国と劣った政策実施国に選別して、分離する機能を果たすことが多い。

願わくは、日本が<勝ち組>に残ってほしいものだ。

話しを戻そう・・・

つまり、事の本質はインフレが心配なのではなく、

一次産品価格を中心とするインフレ高進によって企業利益が圧迫されるというのはその通りだが、売り上げや利益金額が減るかどうかは金融政策次第だ。FRBがインフレ抑制に過剰に重点を置き、そのために企業利益が過剰に減る。政策ミスによる"Overkill"が起きる可能性がある。それが心配だ。

心配の種はこれかもしれない。つまり、アメリカの金融政策当局であるFRBの手腕に全幅の信頼が置かれていない。だから株価が急落した。ひょっとすると、こういうことであろうと(小生は)観ているところだ。 

実は、こんな報道もある:

Germany has been forced to pump in extra gas from Norway and the Netherlands after Ukraine shut a key pipeline bringing Russian fuel to Europe for the first time since Vladimir Putin's invasion began.

The closure of the Sokhranivka transit hub in the Luhansk region, near Ukraine’s eastern border, caused onward gas flows into Weidhaus, Bavaria, to drop by a quarter, German authorities said.

Robert Habeck, Germany’s economy minister, insisted that overall supplies remained “stable” on Wednesday, with the country still getting most of its gas directly from Russia via the Nord Stream 1 pipeline.

URL:https://www.telegraph.co.uk/business/2022/05/12/germany-gas-supply-drops-ukraine-shuts-pipes-russia/

Source:The Telegraph、 12 May 2022 • 6:00am

ウクライナ東部を経由してドイツに通じているガス・パイプラインがある。そのチャネルを通るガス供給が既に25パーセントほど削減されている、ということだ。ただ、これはウクライナの政治的意志による措置ではない(だろう)ということも、上の記事では言及されている。

しかし、記事後半では

Ukraine has been urging the EU to stop purchasing Russian gas, even though it earns billions of euros from Gazprom in transit fees.

A long term closure would leave countries reliant on Russian gas with three options - reduce usage, for example by rationing supply to heavy industry and households; attempt the difficult task of shipping in more gas from other parts in the world to a limited number of terminals at a time of high demand; or give Ukraine more military, financial and diplomatic aid in an effort to persuade it to turn the taps back on.

こんな風に述べられており、ウクライナはトランジット料金収入を犠牲にしてでもロシアからガスを購入するのをストップせよとヨーロッパ諸国に要請し続けている。

結局、ヨーロッパは

  • (当面のガス供給を諦めて)ガスの数量割り当て制を導入する。
  • 次の需要期までに他の供給国に切り替える準備をする。
  • ウクライナに対する軍事支援、金融支援、外交支援によってガス供給の保証を得る。

この三択だろうというわけだ。

そこで、EUはエネルギーの脱ロシアを実現するため2027年(5年後)までに28兆円の投資を計画しているとの報道があった。

 欧州連合(EU)は18日、化石燃料の脱ロシア依存を2027年に達成する計画案を発表した。天然ガスの調達先の多様化や、再生可能エネルギーの導入を加速する。官民あわせて2100億ユーロ(約28兆円)の投資を想定する。住宅を含む新築の建物に太陽光パネルの設置を義務づける方針も打ち出した。

Source:朝日新聞デジタル、 ベルリン=青田秀樹 2022年5月19日 6時06分

EUは(長期的には)他にエネルギー源を確保する路線を選んだようだ。 ま、現状を考えれば当然かもしれないが、ノンビリした話ではある。

この投資コストは、(欧州にとっては)従来の経済的厚生を維持するために必要な支払いであり、いわば<災害復旧費>のような支出である。安価なパイプラインから高額なLNG(液化天然ガス)に切り替えることでドイツにとってはエネルギー・コストが上がる。その分、ドイツの所得が流出する。これらもまた、ロシア=ウクライナ戦争によるリアルな損失なのである。

戦争の一時停戦後にウクライナの<復興工事>が進められるだろう。当然、カネが要る。脱ロシアで手一杯なヨーロッパにウクライナ復興に経済支援する余力があるのかどうか全く不明だ。これまた<災害復旧事業>に類似した費用なのである。

つまり、旧・西側諸国は経済的に疲弊する見通しである。それはインフレが原因ではない。コロナ・パンデミック直後に世界を襲ったロシア=ウクライナ戦争と、戦争と対峙するために続けつつある対ロシア制裁。これらのリアルな要因によって発生した経済的コストをいま払いつつあるわけで、それが企業経営の業績に現れてくるのではないかと懸念している。だから株価は下がるのだと考える方が理に適っている。ズバリ言えば、政治的イデオロギーが経済メカニズムを踏みにじりつつある。その危険を懸念して投資家が神経過敏になっている。どうもそう思われるのだ、な。

では、なぜ政治が経済を犠牲にして世は政治家を非難しないのかと言えば、やはりコロナ禍3年間で政府権力が強まってきている、うまくやったという政治指導者の"euphoria"(高揚感)が高まっている、反対にうまく行かなかったという"melancholia"(憂鬱感)があって、挽回の好機を探している、世間もそれを受け入れたり、待望したりしている、そんな世の流れがある。それで、何だか<政治優先>の流れが出てきている。これも、広い意味では、コロナがもたらした社会的後遺症であると小生は思っているのだ、な。困ったものだ・・・。


マ、話を戻すとすると、単にインフレが心配で株価が下がるのであれば、インフレ率がピークアウトすれば、株価は回復・反騰する理屈だ。しかし、そんな因果関係はない。

リアルな事業機会が再び戻ってくるか?経済成長が再稼働するかどうか?人々の暮らしよりイデオロギーが大事だといつまで人々は騙されるのか?要点はこれであって、インフレやFRBが物事を決めているわけではない。






2022年5月15日日曜日

コロナ対策を冷静に振り返れる時期がやってきたのかネエ

かなり以前になるが『ネット・サーフィン』という言葉が世間、というより小生の周りでは盛んに使われていた時代があった。

当時利用されていたブラウザは、まだモザイク(Mozaic)やその後に普及したネットスケープ(Netscape)であった。マイクロソフトのInternet Explorerが普及したのはその後である。

その頃は、一人一人の個人が情報を発信したり収集したりする情報基盤として、インターネットはマスコミ大手企業や出版社を上回って効率的に機能していた、と感じたものだ。最近になると、SNSユーザー自らが、集まる情報を好みに合わせてか、考えてなのかは色々あるだろうが、自分でフィルタリングして、自らの意志で自らを情報弱者へ落とし込んでいる兆候があるのだが、少なくともインターネット黎明期にはマスコミによる情報フィルタリングと同じ意味のフィルタリングはインターネットにはなかったような記憶がある。

さて、そんな

あらゆる情報には誰かによる、何かの立場に立った、目に見えないフィルタリングがかけられている

今はこういう時代であるが、コロナ・ウイルス感染と政府の対策について、こんな記事が出てくるのは、それだけの時間が経過して、客観的な議論が出来るようになった証拠かもしれない。

でも、まあ、ニュースサイトに転載される記事など、一定時間が経てば消えていくのだろうナア・・・とも予想されるわけで、何だか最近のネット情報は《情報バブル》を体現しているような感じもするわけで、だから、さわりの部分を抜粋・引用して覚書きにしておこう:

私は、ウイルス学の知見に基づいて正しい政策決定をしてもらうために、「目玉焼きモデル」というものをつくりました。

今回のウイルスの感染状況を見ていますと、感染しやすい場所で感染し、感染しにくい場所ではあまり感染しないことがわかってきました。感染する行為で感染しますが、感染する行為をしなければ、ほとんど感染は起こっていません。当たり前といえば、当たり前です。感染しやすい場所というのは、ライブハウスやカラオケ、一部の飲食店、職場の休憩室などです。

(中略)

政府が採用したモデルは、実効再生産数を一律に考えるものでした。国全体を平均した実効再生産数が1を大きく超えていたとすると、それが1未満に下がるまでは、国民全員に一律に自粛を求める対策です。

これに対して「目玉焼きモデル」は、実効再生産数を一律に考えないことが最大の特徴です。繁華街など実効再生産数が高い場所、実効再生産数が1くらいまでの場所、巣ごもりなど実効再生産数がゼロに近い場所などに分けて、ターゲットに合った対策をとっていくものです。

(中略)

全国どの地域でも、繁華街などの感染拡大箇所で重点的に対処し、一般の人にはある程度の自粛をお願いすれば、感染を抑えられることが示唆されていました。緊急事態宣言によって、全員一律の強い自粛要請を行なう必要はなかったのです。

感染症モデルによる「人と人の接触機会」の削減は、数字に基づく計算であって、ウイルス学を無視したものでした。「人と人の接触機会」を減らすことは、あらゆる手を尽くした後の最後の最後の手段です。何をやってもうまくいかないから、最終的に「人と人の接触機会」を減らすというのであれば理解できますが、最初から「人と人の接触機会」を減らすのは、間違っています。

(中略)

その姿勢が色濃く出たのが初期の緊急事態宣言だったと思います。感染率はイギリスの26分の1、死亡率はイギリスの131分の1でしたが、イギリスと同じような対策をとろうとしました。イギリスの場合は、ロックダウンをしなければ感染者数は急激に下がらなかったのですが、イギリスでロックダウンをして下がってきたくらいの自然減(自然に感染が収まる)状態であった日本が、緊急事態宣言を出しました。前述したように、日本は、ある程度の自粛を求めるだけで、減少トレンドに入っていましたが、その点は考慮されませんでした。

(中略)

世の中に新しい流れをつくっていくには、欧米の価値観に縛られるよりも、むしろ、欧米人が考えないことを研究したほうがいいと私は思っています。昔のガラパゴス携帯電話のようなものですが、研究というのは、そういうものです。

けれども、学術界においては、「欧米でやっていること以外はダメだ」という風潮が染みついてしまっています。日本の特徴といえるのかもしれませんが、欧米で出ている論文のデータを素直に信じる傾向があります。新型コロナウイルスに関しても、「欧米では、多くの若者が感染して、若者に後遺症が出ている」という情報を持ってきて、日本での若者の感染率や後遺症のデータについてはほとんど考慮しない状態でした。

日本の若者が感染して重症化した例は少なく、結果的に、後遺症になった人の割合も欧米ほど多くありません。それにもかかわらず、「若い人も後遺症が出る。若い人もワクチンを打たなければいけない」と言ってワクチン接種を若者にも促進しました。

URL:https://news.infoseek.co.jp/article/president_57359/?tpgnr=poli-soci

Original:プレジデントオンライン / 2022年5月14日 13時15分

Author: 宮沢 孝幸、京都大学医生物学研究所准教授

小生は公衆衛生は素人であるが、感染たけなわの頃、こんな投稿をしたことがある:

もちろんススキノや歌舞伎町はシンボリックな地名である。本当に「心配な店」もあれば、「心配な客」もいる。「心配な人たち」、「心配なイベント」、「心配な旅行者」、「心配な病院」、「心配な高齢者施設」、「心配な会社」など、いろいろある。衛生管理の不備についての「内部通報」を奨励してもよい。これらはまだ面的に広がっている状況には至らず、点として存在し、かなりの部分は最前線の担当者は気がついている(はずの)ものである。もう点ではなく、一部地域では面であるとする認識もあると思うが、であれば猶更のこと「衛生指導」、「衛生検査」の法制化、組織化は感染抑止に大いに貢献するであろう — お上の権限を強化する一種の「焼け太り」ではあろうが、そうせずして効果的な方策があるなら、そちらを選べばよい。

単なる<常識論>のレベルを超えないものだ(と思う)。 

ただ思うのだが、中央官庁の官僚は、犯罪者の摘発を例外として、政策一般は平等でなければならないと、(多分)この一般原則に固執していたのかもしれない。故に、<危ない店>、<危ない人間集団>を特定して、予防的かつ差別的にアクションをとるなどは、強権的な政策であって、民主主義国・日本では実行不可能である、と。こう考えていたのかもしれない。そして、仮に選挙とは無縁の官僚集団が上のような「適切な?」提案をしても、選挙と支持率を怖れる政治家が、こんな「乱暴な差別的な?」対策を選ぶはずはなかった。そうも思われるのだ、な。

であるとすれば、日本のコロナ感染の歴史をどう観るかは、かなり運命論的というか

こうなるべくして、こうなったンだよね

そんな目線でカミさんとは話をしている。

あくまでも一般論だが

国民が主権者である民主主義国において、民主的に選ばれた政治家が能動的に社会を変えるなど、そもそも不可能だ。変わるものは政治家とは関係なく変わるし、変わらないものは政治家にも変えられないのだ。

結局、こういうことではないかと達観している。

2022年5月11日水曜日

断想: いわゆる「良心的兵役忌避」について

 韓国の尹大統領の就任式があった。早速の政治的課題として、韓国の人気グループ<BTS>に属するメンバー<ジン>を特例として兵役免除するかどうかがクローズアップされるだろう、と。

なぜこんなに悩むかネエと思ったりもするわけで、要するに国民の一人として軍務を果たすなら、例えば(特例として)「チャリティ・コンサート」を何度か開催して、その収入は韓国軍に全額寄付するという方法でも、<社会奉仕活動>とみなすことができ、十分、国家には貢献できる理屈だ。それでも「多額納税者は軍務を免れるのか」と不公平を非難する韓国民はいるだろうが、あまりに硬直的な制度を死守していると、かえって社会的損失を招く一例になっている気がする。

それはさておき・・・

今朝のことだが、韓国の男性に課されている兵役の義務を日本のワイドショーで話題にするかネエ、とこれまた(毎度のことで)大変滑稽に感じたものである。

その中で、某コメンテーターが、隣国の兵役の義務について語る立場ではないがと断りつつ

私個人は兵役の義務、というか徴兵制には反対です。徴兵に応ずるというのは敵を殺せと命令されるわけです。それは良心に反する・・・

とまあ、こんな趣旨のコメントをした。

ずっと昔、ベトナム戦争真っ盛りの頃、その当時まだあったアメリカの徴兵制の下でボクシングのヘビー級チャンピオンであったキャシアス・クレイに召集令状が届いたところ、クレイは「良心に反する」と言って徴兵を拒否したことがある。そのため、クレイは徴兵忌避を理由にボクシング界を追放されることになった。その当時、《良心的兵役忌避》はまだ国民の権利としては容認されてなかったのだ。

なるほど、その《良心的兵役忌避》という奴ですか?

そう思いつつ視ていたわけであるが、この《良心》というのは中々微妙なものである。

先日も、本ブログに『戦争で死ぬのは愚かだと考えるのが合理的なのか?』というタイトルの投稿をしている。だから、今日の標題、小生の関心あるテーマの一つなのだ。


兵役を拒否する理由として、

敵兵を殺害するのは良心に反する

 という理由がよく言われるが、これと多少ニュアンスを異にするが、

戦場で死ぬのは《非合理的》である、というより戦争自体が非合理的である、戦争というそのこと自体に私は反対する、故に私は国家が命じる徴兵には応じない

こんな思考もある。兵役の義務を拒否する理由には色々な理屈があるのだ。

先日の投稿では、森嶋通夫氏の合理的立場に対して、三島由紀夫というより『葉隠』流の反合理主義を引用しておいた。例えば

合理主義とヒューマニズムが何を隠蔽し、何を欺くかということを「葉隠」は一言をもってあばき立て、合理的に考えれば死は損であり、生は得であるから、誰も喜んで死へおもむくものはいない。合理主義的な観念の上に打ち立てられたヒューマニズムは、それが一つの思想の鎧となることによって、あたかも普遍性を獲得したような錯覚におちいり、その内面の主体の弱みと主観の脆弱さを隠してしまう。常朝がたえず非難しているのは、主体と思想との間の乖離である。これは「葉隠」を一貫する考え方で、もし思想が勘定の上に成り立ち、死は損であり、生は得であると勘定することによって、たんなる才知弁舌によって、自分の内心の臆病と欲望を押しかくすなら、それは自分のつくった思想をもって自らを欺き、またみずから欺かれる人間のあさましい姿を露呈することにほかならない。

という合理主義批判は、少なくとも小生にとっては、思わず耳を傾けてしまう説得力を持っている。

国の危機を救うために徴兵に応じる行為と自分の命を守るために自分を襲ってくる悪漢に刃を向ける行為はまったく同じではない。とはいえ、国を救う行為は、結局のところ、自分を守り、家族を守ることと同じであると考えれば、両者は大して違わない。とすれば、徴兵に応じるかどうかは、結局のところ、こういう話になるかもしれない。

隣人が刃物(=武器)を持って家に押し入ってきた。家族に刃を向けようとしている。そんな時、自分も刃物(=武器)を持って戦うべきか?相手が自分や家族を殺害しようと攻撃する場合は、自分も相手を殺害する意志をもって応ずるとしても、やむを得ないか?

勿論こんな修羅場にならないよう普段から隣人とは良い関係を築いておくべきなのだ。しかし、何かの理由で利害が対立して、互いに憎みあう関係になってしまうこともある。凶悪な犯罪の背景には、得てして利害の対立があるものである。

全て命ある生物は「大人しく殺される」ことはしないものである。緊急時にあっては自己自身を防衛しようとする意志をもっているものだ。つまり

《正当防衛》という権利がある。必要な場合はその正当防衛の権利を自ら行使する意志をもつ。

この覚悟がないのであれば、カネを払ってセコム(SECOM)かアルソック(ALSOK)と契約して、自分の代わりに命を守ってもらうという代替措置を講じる必要がある。でなければ、自分や自分の親しい人たちの安全が保障されないわけである。

 

この問題は結構基本的で親鸞の『歎異抄』にも有名な下りがある。現代語訳がネットにあったので引用しておこう:

・・・人間が心にまかせて善でも悪でもできるならば、往生のために千人殺せと私が言ったら、おまえは直ちに千人殺すことができるはずである。しかし、おまえが一人すら殺すことができないのは、おまえの中に、殺すべき因縁が備わっていないからである。自分の心が良くて殺さないのではない。また、殺すまいと思っても、百人も千人も殺すことさえあるであろうとおっしゃいましたのは、われわれの心が、良いのを良いと思い、悪いのを悪いと思って、善悪の判断に捉われて、本願の不思議さにたすけたまわるということを知らないことを仰せられたのであります。

良心に基づき、たとえ正当防衛であっても人の命を奪うのは拒否する、という決断をするのであれば、選択肢としてはガンジー流の《無抵抗主義》、国家としては《無抵抗平和主義》を採るしか道はないのではないかと思う。

つまり、自らの人格を高め、全ての人から尊敬を得れば、他人から命を狙われる危険に陥ることもないわけである。この道しかないのではないか。もしも国家であるなら、そんな<聖人>にも匹敵するような<品格ある国>であらねばならない。こんな話になるのではないか。「貿易立国」だの、「経済大国」だの、そんな金儲けに憂き身をやつすような日本国では、利害対立の渦に巻き込まれこともある、他国から嫉妬やヤッカミ、時には敵意を持たれることもある、攻撃されることもありうる。そんな時、どうするつもりか?話はこんな風に進んでいきそうだ・・・


このように、《良心》が命ずる道は、実のところ、ヒトが想像するより遥かに厳しいのだ。そもそも真に良心を貫くなら、物質的に豊かな生活を送りたいなどと俗な願いをもつべきではないと、小生は思っている。ズバリ言えば、

良心と俗物根性は両立するはずがない。

だから、もし以下のように考えるなら、単に卑怯な臆病者であって、三島由紀夫なら唾棄すべき精神だと非難するはずだ。

私は良心があるので人の命は奪わないが、依頼した警備会社の職員が私の命を守ろうと凶悪犯の命を奪ってくれるなら、それは私の良心に反しない。

国家も人間の集合だから、最後には一人一人の精神に問題は帰着する話だ。

上で言う<私>を<日本人>、<警備会社の職員>を<米軍>、<凶悪犯>を今の<敵兵>と置き換えると、現在の日本の話しになりうるし、韓国での話にするなら「依頼した警備会社の職員」を「他の兵士」に、「凶悪犯」を「敵兵」と読み替えれば、堕落した良心的兵役忌避の一例になる。

《良心》と《卑怯》とが(特定の一時点においては、観察する限りにおいては)識別不能である場合がある、ということだ。


2022年5月10日火曜日

断想:「戦争のロジック」と「感染のロジック」と

今日の投稿は、非常にベーシックな点の確認と、たまたま思いついたことの覚え書き。

ロシア=ウクライナ戦争。既に一種の《交渉ゲーム》の局面に移り、長期化必至の情況になってきている。

まさか『正しい方が勝つ。侵略者は敗北するべき』という意見がどの程度まで世界全体においてまだ優勢であるのか?それは小生には不明だが、ただ交渉モデルからある程度は予想のつくことはある。


例えば1億円を二人で山分けするとき、当事者はどんな分配で妥協するだろうかという問題がある。これは二人の利害が対立しているとともに、決裂すれば分け前がゼロになるという意味で、対立と協調が入り混じった交渉ゲームとなる。

交渉の公理に沿った解は「二分の一ずつ均等に分ける」というものだが、現実には貢献度、交渉力によって異なる解が選ばれるかもしれない。が、先ずは二分の一ずつ均等に、が目安となり、更にこの二分の一ずつ均等にという解は、交渉を非協力ゲームと解釈した時のナッシュ均衡でもある。これが交渉プロセスを理解するための理論的な道標となっている。

「二分の一ずつ均等に」という交渉解はシェリングの「フォーカル・ポイント」とも重なっている。

この考え方に沿ってウクライナの戦争を《ロシア陣営 vs 旧西側陣営》の武力紛争とみるとして、

  1. ウクライナを戦場とする今回の戦争において、いずれかが決定的に勝利するという結果は双方とも求めない。
  2. どの妥協線が<双方とも二分の一>に相当するのかを、暗黙のコミュニケーションを通じて模索していく過程に入っていく。
  3. 故に、旧西側陣営による対ウクライナ軍事支援は、<双方とも二分の一>という妥協線に到達するための持続的かつ限定的な支援を目指す。
  4. ロシアによる核兵器使用については、先日の投稿のとおり、新たな政治的境界線を模索するという難しい問題を提起するので、ロシアはかなり慎重である理屈だ。ただ、使用するとすれば<双方とも二分の一>という公理的交渉解から余りにも逸脱する結果を防止するための使用となるだろう。

まあ、こんな方向で1年ないし2年という時間を経て一先ずは終息するだろうと予想する。このプロセスが進む中で、ロシアが消耗戦に疲弊して、国力を減退させるとすれば(西側もエネルギー、食糧事情等で相当疲弊するはずだが)、次に訪れる<旧西側陣営 vs 中国>という競争ゲームにおいてそれだけ優位に立つはずだ、という見方は日本のTV画面でも既に語られている。マ、その通りだと思う。

先に熊を叩いて、あとで鶏を絞め殺す戦略

中国は今回の武力紛争をこう観ているそうだが(熊だったか、虎だったかは忘れたが)、今後の西側対応はかなり戦略性を明確に出していくのではないかネエ、と思う。但し、旧西側が個別合理性を露骨に出していけば、ウクライナのゼ大統領は(当然)怒るわけであり、アメリカも巧みにやらないと

10年経ったらウクライナは反米急先鋒の国になっていた

こんな結末も可能性の一つとしてはあるだろう ― 実際、アフガニスタン、イラク、イラン、その他中東全域を含め、アメリカが親米政権を育てようとして成功した例は、ほとんど第2次大戦後の日本の例だけに限るのではないかとすら思われるほどだ(日本は明治大正期を通してそもそも親米的であり陸軍のみが日本国内で例外的であった)。

なので、アメリカによる今回の対ウクライナ支援が実を結ぶのか、

先の事は分からない

というのが、いま言えることではないかと考えている。その意味では、今回のウクライナ戦争は「アメリカの陰謀」でも何でもなく、その場の状況に対応してやっている、それだけのことであるという見方には賛成する。

「戦争」については、曲りなりにも「理論」があるが、コロナ禍のような感染対策については基礎理論はないだろうか?

以下は付け足し・・・

「マスク解除」でワイドショーが盛り上がっているのが、大変滑稽だ。そもそも日本ではマスクは「義務」ではない。故に、マスクをしたくなければ、外せばイイ。ただそれだけの事ではないか?

にも拘わらず、

マスクを外せるということを政府が宣言するべきではないか

という話が、大真面目に世間で語られること自体が極めて日本的である(TVでもそう話していた)。

イギリスについては、BBCでは先日以下の報道があった。一部を抜粋すると:

  • 中学校と高校では20日から、教室内でのマスク着用が義務ではなくなる。共用部分で顔を覆うべきというガイダンスも「間もなく」撤廃される
  • 公共の場でのマスク着用義務は27日に終了する。ただし、閉鎖された場所や混雑した場所にいる時、知らない人と会う時にはなお、顔を覆うことが推奨される
  • 27日以降、ナイトクラブや大規模イベントで、国民保健サービス(NHS)が提供するワクチン接種証明書の提示が義務ではなくなる。ただし、主催者はなお、証明書の使用を選ぶことができる。
URL:https://www.bbc.com/japanese/60063782

アメリカでは<政府によるマスク義務化>そのものが違法であるとの判決が出てしまった。
米フロリダ州の連邦地裁は18日、ジョー・バイデン政権による公共交通機関でのマスク着用の義務付けについて、「違法」であり無効とする判断を下した。

URL: https://www.bbc.com/japanese/61145745

日本では、最初からマスクは「義務」ではない。義務ではなかったことを、政府が「義務を解除します」と言えるロジックはない。が、それでも

マスクはもうしないでください

と、まさかネと思うが、やりかねない。もし実際にこうなれば、実に理屈が通っておらず、やはり日本的だと思う。

マスク云々より、最も有難いのは、感染者がまた増加して、自分が発熱した場合にとるべき、行動ルーティンである。近くのクリニックに行って、検査・診察を受けて、もしコロナに感染していれば、自宅療養、投薬等々、医師が話してくれる。そんな状況になれば、感染者が増えても、岸田政権の支持率は低下しないだろう。しかし、

感染センターに電話してもつながらないヨ!保健所からも連絡がないヨ!!

まだこんな体たらくであれば、感染者が急増すれば、内閣支持率は急低下するだろう。夏の参院選も含めて、何ごともコロナ次第になる。


戦争もコロナも、ある程度まで、視るべき目線は決まってきている、と言えそうだ。

2022年5月7日土曜日

一言メモ: 直接関係国より日本の方がウクライナ支援に傾いている?

「 ロシア=ウクライナ戦争」は(多分)長期化するものと大多数の人は考え始めている(ようだ)。

そんな中で、日本国内ではTVを主なメディアとして、数を数えたことはないが、全放送局を合計すれば20本を超える(かもしれない)ニュース解説番組、ワイドショーで、毎日「戦況報告」を流しているという状況だ。そして、その番組内では、「ウクライナ支援姿勢が正しい」という大前提で解説方針が固まっており、正しい方針に異論を提出する意見は自動的に「間違っている」と指摘され、批判の対象になるという雰囲気だ。日本はウクライナに軍事支援、武器供与はせず、歴史的にもロシアとは疎遠、ウクライナとは親密、という外交関係にずっとあったわけでもないので、非常に不思議なのだが、最近の日本はどこか《欧米の意をくんで(=忖度して)》、ここは一番、ロシアを叩いて、ウクライナを助ける、と。そんな心理がいま日本社会を支配しているように見える。何だか、ロシアなら罵詈雑言を浴びせてもイイんだと、そんな集団心理が蔓延しているのかもしれない。

もう熱に浮かされるというか、ある意味「国民病」だネエ・・・

と思ったりもする。

日本経済新聞はFinancial Timesの掲載記事を和訳して載せるようになっている。たとえば、

キューバ危機後、「相互確証破壊」という概念が浸透した(編集注、米ソの間で相手から大規模な核攻撃を受けても、破壊を免れた核戦力で確実に報復することになるため、2国間で核戦争を含む軍事衝突は理論上、発生しえないという考え方)。ただ、これは双方の間で相手の手順や思考を明確に理解するためのパイプを維持していることが前提だった。

しかし、そのために構築された情報共有の手段のほとんどはこの10年で破棄された。プーチン氏は冷戦時代からのプロトコル(手順)を封印し、米国のカウンターパートに会いたがるロシアの核科学者らをスパイだと非難さえする始末だ。このため、世界の核弾頭の約9割を保有する米ロは、70年代や80年代に比べ互いが相手に対して発するサインについてほぼ何もわからなくなってしまっている。この状況はあまりにもまずい。

Source:日本経済新聞、 2022年5月6日 0:00

Original:2022年4月29日付 英フィナンシャル・タイムズ紙

こんな危機意識からか

プーチン氏の核の使用も辞さない構えの発言を巡る議論が一般の人にどう捉えられているかといえば、まさに「事態の意味する本質をよく理解している人は沈黙を貫く一方、よくわかっていない人ほどあれこれ発言している」という現状に集約されるだろう。

まあ、いまの世間の大騒ぎを《空騒ぎ》のようなものだと例えている。

そうかあ・・・イギリスの世間もそんな雰囲気でござんすか?

まあ、イギリス人は、最初に疑ってから人の話を聞く傾向があると言われる。同じ島国でも日本人は人の話を一先ず信じる傾向がある(ところがある)。「もしこの通りなら・・・」と一先ず聞いておくわけだ。イギリスですら「空騒ぎ」なのだから、日本においてヲヤ、だねえと考えないでもない。

危ないナア・・・と思う。

そもそも今回の「戦争」。前にも投稿したことがあるが、本質は

ロシアのプーチンと、アメリカのバイデンの、面子のつぶしあい合戦

こんな風に、小生は割り切っている。 そして、こうも付け加えている。

そうそう・・・ウクライナのゼレンスキー大統領。狂言回しの役回りだ。彼もまたホンネで何を考えているか分からない御仁だ。それと常に見え隠れする《イギリス》という世界歴史の黒子役、今回も仕事をしているナアという印象だ。

日本国内の政治家の胸の内は分からないが、片方のバイデン政権の思惑に全面的に協力している日本のマスコミは視ていてホントに滑稽である。そう思う2022年の3月である。

うちのカミさん、最初からゼレンスキー大統領はどこか決定的に「無責任」で、信用できない男と嫌っていて、最近では顔も見たくない様子なのである。小生も、どこか共感できるところはあるのだ、な。

そして、この一抹の「胡散臭さ」、というか「危ない感覚」は、小生だけに限るわけではないようだ — テレビに出たいために戦争をやっているというロシア側の批判は論外としても。

 上で「信用できない」と書いたが、実は「この男、大丈夫か?」という感覚は、当事者と言ってもいいアメリカのメディアも持っているようで、The New York Timesに定期的に寄稿するコラムニストであるトーマス・フリードマンは、こう述べている:

Have no illusions, President Volodymyr Zelensky of Ukraine has been trying to do the same thing from the start — to make Ukraine an immediate member of NATO or get Washington to forge a bilateral security pact with Kyiv. I am in awe of Zelensky’s heroism and leadership.

Source:NYT,  May 6, 2022

ウクライナのゼ大統領、なるほど<英雄的なリーダ―シップ>には感服もするが、同時に怖さも感じないではない、と。

現状判断はとても楽観視できるようなものではなく、

If you just followed news reports on Ukraine, you might think that the war has settled into a long, grinding and somewhat boring slog. You would be wrong.

Things are actually getting more dangerous by the day.

長期化予測で高みの見物を決め込むどころではなく、日に日に危険になりつつある、と。フリードマンは外交・国際関係に詳しく ピューリッツァー賞の受賞歴もある一流のジャーナリストだ。

But I’m an American citizen, and I want us to be careful. Ukraine was, and still is, a country marbled with corruption. That doesn’t mean we should not be helping it. I am glad we are. I insist we do. But my sense is that the Biden team is walking much more of a tightrope with Zelensky than it would appear to the eye ...

フリードマンが語る

しかし、私はアメリ人だ。願わくば、私たちは注意深くあれ、ということだ。・・・アメリカはゼレンスキーと一緒に表面上そう見えるよりははるかに危険な綱渡りをしている。

ウクライナで暮らす「無辜の非戦闘員」がロシア軍に殺害されている事態は何としても止めるべきである。ウクライナ国民を支援するべきである。しかし、ゼレンスキー大統領の「冒険的方針」にどこまで付き合えばイイのか? ウクライナ支援の急先鋒であるアメリカですら、こんな意見が出てきている。

ごくごく自然な感性(="sense")だ。小生も同感だ。

この「アメリカ人(American citizen)」を「日本人(Japanese citizen)」に代えた言葉が、最近、日本のマスメディアから発信されたことがあるだろうか?アメリカ人が言えることなら、外野(とまでは言えないか)である日本人ならもっと容易に言えるべきであろう。ところが・・・

ロシアとウクライナ、どっちもどっち、です

と、当たり前の現状認識を、ウクライナではなく、この日本で、日本人が発言するだけで、国内の日本語空間の中で(英語空間ならまだ分かるが)批判の対象となり、炎上するという現象が見られた。

これをみて、TVのスタジオも世間に《忖度》をするようになったのだろう。こうして、ますます日本国内の言論は一面的になり、一方に偏る。


<世界政府>は存在しない。もちろん<国際的司法権力>もない。ありのままの世界では武装国家が多数分立している。武力は使うことがあるから持つのであって、決して使わないなら高額のカネを払って武装などする理由がない。武装国家の間で起きた武力衝突に、一国限りの刑事裁判の理屈を当てはめて、<加害国=ロシア、被害国=ウクライナ>と論じてみても、真っ当な結論など出てくるはずはなく、この位の筋道なら中学生でも理解できるだろう。

特定の見方を国民で共有しようとする狙いが最初から伝わってくる報道の、というより日本社会の傾向は、決して美点ではなく、治すべき欠点であると小生は思っているし、にも拘わらず、おかしいとは思わず、何が正解であるかにこだわり、中学生でも理解できるはずのディベートを避けようとするのは、知的退廃、というか知的劣化だと思う。

「ロシアは正しい」と言いくるめられていると言って、ロシアを嗤うことはできない。


2022年5月5日木曜日

断想: 経済の低調は経済政策の混迷に原因があるのか?

マクロの経済成長は、「政府の政策がどうである、こうである」というよりは、基本的にはその国の民間企業が導入する新技術、商品開発、教育投資を通じた人的資源の質の向上によってもたらされるものである、というのがオーソドックスな経済理論の帰結であって、これは(政治家や政治評論家が何と言おうとも)経済学全体の中では最も固い結論の一つであると小生も確信している。

その(広い意味での)技術進歩だが、いわゆる《全要素生産性向上率》で測定されるのだが、経済成長を決めるこの最大のキーポイントがどのように決まって来るかが、実はまだよくわかっていないのだ。これはもう例えばクルーグマンが『経済政策を売り歩く人々』で書いている通りなのだが、ただ日本については

政府が、というより日本社会の姿勢が経済政策を相当強く制限している。だから、海外で実現できることが出来ていない。

そう考えるようになっている。この点は、最近でも何度か投稿済みだ(例えばこれこれ)。もうそろそろ、明治以来の、というより旧式の重商主義的な

経常収支黒字国=貿易強国=経済強国

という思い込みは卒業してはどうか、と。経済政策の戦略的目標を時代に合った新しいものに変えるべき段階に進んできた。ますますそう思っている。

そもそも現時点の日本経済は、というより日本社会、日本人の感性は全体として、国内では消費を我慢して、余裕は海外の顧客に"Made in Japan"を可能な限り輸出して儲ける、外貨を稼ぐ、と。そういう発展段階から一歩先のステージにもう進んでしまっている。<グローバル>とは言えないまでも、<広域経済圏>の中の日本のポジションを決める段階に来ている。この新しい現実を常識にしなければ政府は何も出来ない。いつ気が付くのかネエ・・・そういうわけである。

いや、政府はもう気が付いているはずだ。

で、こんな感想はごく最近になって、とみに強まって来たのかと思い、これまでの投稿を振り返ってみると、決してそうではなかった。結構、昔から同じことは書いてきているのだ。

例えば、シュンペーターの『資本主義・社会主義・民主主義』を再読した時はこんな覚え書きを書いている:

第一に、資本主義社会では、政治に関心のない大多数が、少数者に政治をまかせるようになる。それは「公」に奉仕する社会的階層を市民(=ブルジョワジー)が侵食し、解体するからなのだな。これ即ち民主化プロセスであり、日本で1980年前後まで進んだ「一億総中流化」現象と似通っている一面もある。言い換えると、社会の単一階層化だ。そうした単一化の中で、人々の生き方やモラル、人生の目的は、ますますビジネスに集中し、個人的成功を誰もが求めるようになり、国益に寄与する動機や意識はますます弱まる。これは必然だという目線である。

第二に、専門家は社会を有益な方向には導かない。匿名集団による<世論>が専門家の提案を規定する、というのが理由だ。これと逆の見方であると思うのだが、専門家は、Social Interestの拡大を直接の目的とするわけではなく、専門家である自分にとってのSpecial Interestを求めるものであるという指摘がある点は、先日の投稿でも紹介した。いずれにしても、ケインズ流の「ハーベイロードの前提」、プラトンの「哲人政治」等々、古来より有識者による寡頭制共和主義を支持する向きがインテリには多い。しかし、それはうまく機能しないのだ、という認識である。

三つ目は、民主主義とは<物事の決め方>であって、それ自体が目的であるわけではない。この社会哲学だ。シュンペーターは、第一次世界大戦での敗北後、解体消滅したハプスブルク家オーストリア・ハンガリー帝国を愛していた。「帝国」という政治行政制度が、時代遅れで適切な意思決定を妨げるものであるという心配から、様々の改革案を幾度も帝国政府に上奏したと言われる。単に「人々による統治」というだけでは、民主主義であることを意味しない。ということは、人々による統治は、民主主義の必要条件ではあるが、十分条件ではないと解釈する。

それより更に昔に遡る以下の感想など、まったく同じ線にあるわけだ:

小生の感覚が文字通りに「コペルニクス的転回」をしたのは、ある個性の強い議員が大臣になって、組織全体がその大臣に振り回されてしまったときである。

"Civil Servant"(=公僕)であったはずが、実は"Minister's Servant”(=大臣の使用人)であるに過ぎなかった現実が露呈したわけである。

君たちが実証的分析の結果だと称する結果も、その結果に基づく提案も、国民が認めなければ意味がないのだ。実行など不可能だ。それが民主主義なんだヨ。

このブログで何度か引用している言葉はこの時のことだ。

実に若い時分から、同じ感想をもってウジウジとやって来たわけである。これはもう「業(ゴウ)」というものだネエ。いやあ、これでよく鬱症にならずに済んだネエ、という所だが、小生は悪い意味でへそ曲がりかつ偏屈で、だから寧ろ周囲の「無理解」とか、「孤立」とか、「コミュニケーション・ギャップ」には不安を感じない強い免疫があったということなのだろう。

ただ、小生はよくても、現時点の経済政策の不適切は10年、20年を経てから、愚息が社会の最前線に立つ頃になって、解決し難い《日本病の深刻化》になって問題が拡大するはずである。その時点ではもうソフト・ランディングは困難になっているだろう。それが不憫と言えば不憫である。

ちょうどそれは大正デモクラシーの頃、民主主義導入が本格化する時代に、実は日本の安全保障、国際外交戦略、経済政策で、数々の不適切な手を選んだ結果として、10数年後の昭和初期に政治的な閉塞を迎えてしまった。山縣有朋や伊藤博文は明治を通して長生きできたが、次の世代である原敬は暗殺され、加藤高明も短命であった点も不運だった。山本権兵衛が組閣後にシーメンス事件に巻き込まれ海軍から追放される憂き目にあったのも後々を考えれば実に痛い痛恨の不祥事であった。結局、戦前期の日本は「政党と普通選挙」という政治システムでは問題を解決できず、その最終的結果は日本人全体が「敗戦」という形で引き受けることになったわけだ。

どうもこんな歴史的経緯に目が向いてしまう。

民主主義の日本では、結局、日本人全体が選ぶ政策が、日本人全体にその結果をもたらす。<国民主権>とはそういうものだ。それ以外のロジックはない。民主的な政府に社会は変えられない。 

クルーグマンも、1970年代に入ってアメリカの生産性上昇率がなぜ急に低下したのかといえば、新技術の浸透の遅れ、新しい世代の質の低下といった政府にはどうにもならない運命論的な説明の仕方もあれば、政府が(というより保守派政治家が)採った政策が主因であるという説明も出来ると述べている。 

どちらかと言えば、現在、政府が採るべき政策を採れないでいる原因は、政府の怠慢というよりは、クルーグマンのいう運命論的な理解の仕方に共感をもっている。

結論としては

日本経済の低調の原因は、政府の経済政策の混迷にある、という理解の仕方は浅い。日本の民主主義の下では避けがたい結果である。

これが今日の結論だ — 時間が経てばまた見方が変わるかもしれない。


 



2022年5月2日月曜日

ホンノ一言: 知床遊覧船事故の背景にも同一省内の利益相反がある

標題の遊覧船事故は、TV、新聞などの格好の話題になっていて、事故を招いた多数の原因が指摘されている。

多分、指摘されるどの点も「原因」としては程度の違いこそあれ、事故に関係しているのだと思う。

船舶運航者の知識不足、経験不足、安全意識の劣悪さ、設備面の不足等々、やはり何かのトラブルがあれば品質管理(QC)で強調する《四つのM》、つまりMan(ヒト)、Machine(設備)、Material(資材)、Method(方法)の四つの面から事故原因を洗い出すことが主たる作業になる。

知床は同じ道内で、小生もずっと何年も前になるが、家族一緒にホエール・ウォッチングで遊覧船に乗船したことがある。だから今回の事故も他人ごととは感じられない。というか、小生の田舎は四国・愛媛であるので、大都市と実家とを往復する場合は小型の高速艇、水中翼船、中型のフェリー、でなければ前夜に出る3千トンか2千トンだったか、マアマア大きい関西汽船のどれかを利用しなければならなかった — 「瀬戸大橋」も「しまなみ海道」もまだなかったのだ、な。母が松山市の病院に入院して、小生が大阪にいた頃は、夜船で毎週往復していたものである。だから、荒天時の揺れや飛沫は懐かしいと同時にその頃の船酔い気分も蘇ってくる気分だ。と同時に、闇夜の中の荒れた黒い海に感じる一抹の怖さも思い出されてくる。

さて

今回の事故は海運業一般と言うより《観光事業》において発生した船舶事故である。聞けば事故を起こした会社の社長は、地元では著名な一族の御曹司で、知床地域で手広くホテルやレストラン、遊興施設を経営しているそうだ。この種の下世話な話はこれから多分「週刊誌ネタ」になっていくのだろう。TVはおそらく「忖度」しているのだろうが、この種の背景には一切触れていない。

当該会社は昨年も5月、6月に2度事故を起こしており、さらに軽微な事故が1回あるそうで、通常の安全管理業務であれば、1年に3回も事故を起こせば当然「業務改善命令」が出ているはずだという見方がある(この点はTVでも指摘されている)。そうすれば、会社名も公表され、利用者にもその会社の安全管理状態が伝えられていたはずだという意見がある。

出されるべき命令が出されず、安全管理がいま一つ徹底されなかった背景として、(もしかすると)社長の親族が経営する観光ビジネスへの配慮があったかもしれない。

昨年2021年夏までは、まだ菅内閣であり、コロナ禍で痛手を受けた経済を下支えするため、特に苦境にあった観光業を支援することが政策上の重要目標であった。菅内閣肝入りの《GOTOトラベル》、《県民割(道民割)》はメディアでは評判が悪かったが、経済対策としては極めて有効であり、知床地域も当然ながら北海道内の重点観光拠点であったはずだ。今回事故を起こした会社を含む企業グループは、コロナ禍の中の観光業支援を推進するうえで、支援を受けたいと願う立場にあり、政策実施に協力する立場にもあったはずだ。昨年春から夏にかけて同社が起こした遊覧船事故が寛大に扱われた背景として、コロナ禍の中の観光業支援政策があったのではないかと小生は憶測している。

観光政策を所管するのは国土交通省の観光庁である。一方、船舶運航の安全を所管するのは国土交通省海事局、及び海事警察とも言える海上保安庁である。海上保安庁も国土交通省の外局である。

一方では海の観光を支援、バックアップする政策を推進し、他方では海の安全管理を担当する。

昨年春から今年春にかけて国土交通省はどちらの業務を重視していたのだろうか?

同じ図式は、かつて日本の原発ビジネスにもあった。

東日本大震災で福一原発事故が発生するまで、原発の安全管理を担当するのは経済産業省の原子力安全・保安院であった。その「保安院」は、産業、生活に十分なエネルギーを供給する責任を負っていた経済産業省資源エネルギー庁の一部局であった。

エネ庁としては十分な電力エネルギーを供給する責任を負い、と同時に原発施設の安全を管理する責任も担っていた。どちらの責任がより重要であると経済産業省全体としては認識していたのか?

正に《利益相反》の関係にあったわけで、これと相似た関係が今回は国土交通省内であったと(理屈上は)考えられる。 

不適切な組織編成によって潜在していた行政上の弱点が、昨年のコロナ禍と観光業支援の中で顕在化していて、運航者側で安全意識よりは収益拡大への意識が強まり、年を越した今年の春、偶々の悪天候の下、昨年来の油断が重なって、案の定(?)大規模な海難事故が現実のものになった。

今回の事故については、そう観ているところだ。

2022年5月1日日曜日

ロシアが「戦争宣言」をするとすれば

ロシアによるウクライナ軍事侵攻は、ロシア側の認識によればあくまでも《特別軍事作戦》であったのが、ここに来て遂に、というかヤッパリというか、《対ウクライナ戦争》として正式に宣言される見通しになって来た、と。

Yahoo!Japanニュースが毎日新聞の記事を転載している:

英国のウォレス国防相は4月28日、ウクライナに侵攻するロシアのプーチン大統領が5月9日の「対独戦勝記念日」に、ロシア軍がウクライナと戦争状態にあると位置付け、軍や市民の大量動員を宣言する可能性に言及した。英ラジオ局LBCの番組で語った。

URL:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6425289

Source:Yahoo!Japanニュース、5月1日8時8分配信

ただ、これに関してBBCや英紙Telegraph、Guardianなどにはまだ現在時刻で報道がないようだ。とはいえ、ロシアによる「戦争宣言」が本当なら、新しい局面に移ると予想される。

【加筆】あとで気が付いたが、こういう記事はThe Telegraphにある:

Vladimir Putin is set to declare all-out war on Ukraine as his military chiefs seek “payback” for their invasion failures, according to Russian sources and Western officials.

Frustrated army chiefs are urging the Russian president to drop the term “special operation” used for the invasion and instead declare war, which would enable mass mobilisation of Russians.

Source:The Telegraph,  29 April 2022  9:18pm

配信は一昨日だが、上の毎日記事にある「28日」との前後関係を考えると同じ事柄を指しているのだろう。

ロシアによる軍事侵攻で初めて投稿したのは2月22日である。 2月24日の「開戦時点」では「ウクライナ必敗 三日間戦争」を予想し、投稿していた。2月26日には「お寒い日本の対ロ外交」を書いている。

その後、SWIFT(国際的銀行間決済システム)からロシアを追放するという制裁が発動されロシアの読み違えが表面化する中で「軍事侵攻=ロシア版文禄慶長の役」にたとえている。2月27日だ。行司役を果たせる国はどこかが分からなくなる中、《戦時中立の原則》について投稿しているが、この頃になって自分なりに今回の紛争を観る視点が定まって来たことが分かる。実際、こんなことを書いている:

当事国がどうアナウンスしているかは置いておくとして、現に「戦争状態」になっている以上、無抵抗のウクライナをロシアが軍事力を行使して占領、支配しようとしていると認識するのは一面的である。実際、ウ側は旺盛な戦意を示し、第3国から軍事支援を受け、かつ国際世論への働きかけを行い、第3国との「連帯」を拡大しようとしている。これらの行為はロシアの攻撃に対する反撃であり、(広義のというより正しく)「戦争行為」であると解釈されるのではないか。

これが3月3日。翌3月4日には

中国流の「春秋の筆法」ではないが、ウクライナに多くの犠牲をもたらしている要素は旧・西側諸国による軍事支援と経済面でのロシア制裁である、と観るのがロジカルな現状説明であろう。つまりウクライナが採っている戦略が自らにはね返っている。そう考えるのが正しい。戦争というのは、そもそもそういうものである。

旧・西側諸国は、ロシア側に余りに過大な犠牲を甘受させることを止め、リスク・コントロールに意を払うべきである。軍事支援と経済制裁をこれ以上レベルアップすることはない、無期限かつ無際限に支援を続けることはない、と。こうした《コミットメント》が鍵となる。当事国の一方の勝利を望む支援であっても《限度》を設けることによって、《ペナルティ》としては十分な役割を果たす。無期限・無際限のペナルティを与えようとする行為は実質的には《参戦》にあたると小生は思う。例えば日中戦争当時、英米両国は中国・国民党と共に実質的には参戦していたと日本は認識していただろう。

と記している。

3月上旬はドイツに対する親露姿勢批判が熱を帯びてきた頃だ。 3月8日には

しかし、SWIFT排除措置の中でロシア産天然ガス輸入は(当面)「お目こぼし」してもらいつつ、「エネルギー政策の再構築」を早くやれとプレッシャを受けている肩身の狭いドイツに、今度はロシア産石油も買うな、と。

これではまるで

ロシアと仲良くしたお前たちドイツが悪い!少しは辛い目にあって反省しろ!!

東アジアの外野から観ていると、旧連合軍がこう言っているのと同じなように思えたりする。なにやら英米にドイツがシバカレテイル、こんな感覚がある。

こう書いている。この後、ドイツは反ロ感情を高める東欧+英米の中で、ますます居心地が悪くなり、「針のむしろ」に座ることになる。

本ブログで「核使用」をとりあげたのは3月10日だ。偶々だが、戦前期・日本であれば、この日は帝国陸軍がロシア陸軍を相手にして奉天会戦に勝利した故事を祝う陸軍記念日であった。そこでこんな風に書いている:

…核兵器を使うなら<戦時>に限定する方が自分の身のためではないかと思われる。

つまり

ウクライナとは<戦争>をしている

ロシアもそう認め、戦争を宣言する。ロシア国民にも告げるというステップが必要だと思うのだ、な。(常識的に、理屈としては)それが核使用の前提になるのではないだろうか。

この頃、ロシアはウクライナに対して「宣戦」をしていないにも拘わらず、核兵器使用がありうるとTVワイドショーで盛んに論じていたが、正直、「こりゃ余りに軽薄だネエ」と感じていたのを思い出す。であるので、認識としては

ところで、《戦争》は、絶対王政時代ならいざしらず、近代"Nation State"においては国民全体として引き受ける国家的行動である。故に、戦争遂行には国民の了解と覚悟が不可欠だ。例えば、アメリカが外国に対し<戦争>を宣言する権限は、最終的には議会が有している。これも同様の理屈だろう。

ということは、ウクライナに対する宣戦布告を改めて行わないとしても、ロシア国民に対するプーチン大統領の何らかの戦争宣言ないし議会に対する宣戦要請があり、ロシア側が予備役を召集し<総動員体制>に移るとすれば、その時点からこそ、ロシアは《対ウクライナ戦争》、あるいは(ひょっとしてそれから派生する)別の戦争を国としても覚悟した、と。従って、それ以降はロシア国家の生存のために<核兵器>の使用が十分ありうる。こう考えるのがロジカルだと思う。

ロシアによる核兵器使用を真剣に予想するべき状況としては、ロシアによる「戦争宣言以降」である。こう考えるのが正当な見方になるのではないか。どうも、情勢はそんな情勢になりつつあるようである。 


以上、振り返った道筋と昨日投稿で書いた次の認識

そもそもロシアがウクライナに対して先制的な軍事侵攻を断行した背景として、ウクライナがNATOに加盟し、ウクライナ国内、特にロシア国境沿いにミサイル基地が設けられ、そこにはアメリカ製核兵器が配備される、こうした危険性を除去しようとしたことが、ロシアによる今回の「特別軍事作戦」の目的であるのは明らかなのだから、もしもロシアが(仮に)核兵器を実際に使用するとすれば、

核兵器の役割に関する新たな政治的境界線を見出す

このための交渉を求めているのだ、という理屈になる。

核兵器は決して使用しない、というのでは戦争は管理できない。そこに既に核兵器はあり、戦争で使われた「前例」があるからだ。

この認識は、今回の戦争の具体的事象にはよらず、「核兵器と平和維持」に関して展開できる一般的なロジックから導かれるものであるから、

平和維持のためには、対ウクライナ軍事支援だけに視野を限定せず、核兵器使用に関する政治的境界線に関して必要な交渉を行うことが不可欠である

 今はこういう結論になるのだと思われる。

「英米の国益」は確かに大事かもしれないが、「世界平和」はそれを超える価値であろう。ともかく、戦争において核兵器を使用した経験を有するのは、ただ一国《アメリカ》だけなのである。