2026年2月13日金曜日

断想: トップと部下の「世界共通の規範」というのは?

日本海海戦の作戦立案は先任参謀である秋山真之によるものだったという話しは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を待つまでもなく、松山で生まれた小生は幼少時から何度も聞かされていた。実際、海水浴場のある松山市・梅津寺には秋山兄弟の銅像がある。

とはいえ、

この見事な作戦は〇〇参謀の立案であった

こんな風に立案者が有名になるのは、例外的でなければならず、作戦を採用するのも、実行するのも、トップである司令官の責任であるはずだ。

だから、勝てば作戦を採用した司令官の功績であって、負ければ作戦を採用した司令官の責任である。こう考えるのが組織の論理であるはずだ。

日本海海戦で勝った司令官は東郷平八郎で勝利をもたらした提督として参謀・秋山を遥かに超える評価を得ている。これが本当の姿で、むしろ参謀・秋山の天才ぶりが『坂の上の雲』の中で叙述されていることも、実は参謀としては望ましい姿ではないと思う。参謀とは世間に知られてはならない黒子であるべきで、だからこそ参謀は思い切った立案をすることができる。

参謀やスタッフには結果責任はない

これが小生の理解である。


ところが昭和時代になると、勝てば参謀本部の作戦課長の功績、負ければ現地の司令官の責任という風潮になったようだ。本来は勝っても、負けてもトップの責任だ。参謀以下の部下に対してはトップが感謝の気持ちをもてば十分であって、部下の名前まで歴史に残るのは、おかしな話しだというのが小生の感覚だ。


これから高市政権が進める経済政策、外交政策も、うまく行っても、まずく行っても、その功績や責任は高市総理と担当大臣にある。

有力な参謀であるスタッフやアドバイザー、秘書官や側近官僚を探し出しては「隠れた権力者」などとおだて上げるのは、日本のマスコミの悪い癖である。

「現代の柳沢吉保」、「官邸のラスプーチン」などと持ち上げては叩き落すのがメディアの習慣になれば、失敗したスタッフをスケープゴートにして結果責任から逃げるのもトップの習慣となる。そうして

逃げるトップのために身命をかける部下など一人もいませんよ

こんな状態が論理的な帰結としてもたらされる。愚かだ。これが世界共通の行動規範だと思う。

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