2026年2月7日土曜日

断想:「良妻賢母」が再び語られる・・・「復古調の令和時代」になる?

国政選挙の前は色々な論点が集中的に世間で取り上げられるので、ブログ投稿も自然に増えてしまう。明日で集中投稿週間もひとまず終わりそうだ。

本日は、昨日の続稿ということで。

こんな下りを昨日は書いた:

こうみると、いま世界の民主主義国では極右の女性政治家が急速に支持を集めつつある、というのが潮流であるようで、この根底にはやはり1990年代以降のグローバル化、リベラル思想の支配を否定する保守反動が勢いを増してきた。こう達観するべきなのだろう。

・・・

どちらにしても「LGBT」など少数者への過剰な配慮、「男女性差の過剰な否定」、「選択的夫婦別姓の過剰な主張」、「外国人の一部参政権容認など過剰な人権擁護」等々、リベラル思想を象徴するようなポリティカル・アジェンダは、当分の間は休眠を余儀なくされそうな気配になってきた。

本当に高市自民党が圧勝するのか、いまだに100パーセント信用する気にはならないのだが、これほどまで事前調査の結果がそろっている以上、そうなのだろうと予想してしまう。もし反対の結果が出れば、それこそ『ビックリ仰天、開いた口がふさがらぬ』ということでござんしょう。

まあ、多分、高市自民党は圧勝するのだと、そんな気分に小生もなっている。

となると、日本でも《保守反動》の政治が色濃く出て来るはずで、前稿では代表的な例をあげたわけだ。

実は、もっとディープな方向転換が日本で(突然、まっしぐらに)進み始めるのではないか・・・とも想像(?)しているので覚書きとして書いておきたい。

但し、ひょっとすると、高市自民党は小幅の勝利、というか「辛勝」にとどまるかもしれない。そうなれば、これから書く想像は空振りである。

それは《専業主婦再評価》の議論から始まり、最後には《良妻賢母の勧め》に至る、ある意味で《復古的家庭像》の盛り上がりである。

振り返れば、戦後日本の高度成長を支えた「人口ボーナス」が消え去り、それとは反対の「人口オーナス」が見通される1980年頃から《男女雇用均等化》への歩みは始まっていた。実際、「男女雇用均等法」が施行されたのは1986年4月である。

小生が経済学を勉強していた頃は、女性労働力は「核労働力」ではなく「縁辺労働力」として位置づけられ、従って主たる問題は「男女賃金格差」の分析であった。それが想定を超える少子化の進行で男性労働力の減少が予想されることから、女性労働力への期待が高まってきた。人手不足になれば臨時的に働くのではなく、常時、労働資源として女性には働いてほしい、そんな風に企業経営者の目が向いてきたわけである。

つまり、「男女雇用均等化」への動きは、男性労働力人口の減少に危機感を強めた経済界が、女性の労働市場参入を促した結果だろうと推測している。外国出身の移民に頼らない労働力確保の方策として、家庭にいた日本人女性に財界が着目し、政府も後押しをした。これが現実に進んだ経済プロセスであり、それを駆動したロジックは男性賃金の上昇に歯止めをかけたい企業経営の論理で、決して《男女間の不平等是正》に価値を置くリベラル思想などではなかったと小生は理解している。

ご都合主義はいつでも高邁な理念を装束としてまとわされるものなのである。

ところが専業主婦モデルが崩壊し半分以上の世帯が共稼ぎ世帯になるに伴って、予想以上に少子化が進んだ。経済界も政府も男女合計の労働者数が減少していくことに危機感を覚えた。人手不足の深刻化は、AI、自動化など資本集約度の上昇でコストを管理できるはずだ。しかし、自動化のための投資資金の捻出に苦しむ企業が多い。安価な外国人労働力に目を向けているのは、企業経営の論理に従えば当然である。

共稼ぎ世帯の増加と少子化の急速な進行の間に因果関係があるかどうかは、なかなか検証が難しいが、何の関連もないとは断言できないと小生も思ってはいる。

少子化の解決(?)に向けては、例えば年金支給モデルの改変などで対応できるのではないかと、素朴な方式を投稿したこともあった。が、人手不足と少子化を同時に解決するには道は一つである。

現場は外国人にお願いするので、日本人女性は家庭を守って、子を産み、育てる仕事に従事して下さい・・・

と、

実際、専業主婦モデルの時代には、男性世帯主に家族の皆さんを扶養できるだけの報酬を支払っていました。今は男女協業の中でそれが出来なくなりましたが、元の賃金モデルに戻していくことにします。女性の方は、もう外で働く必要はありません・・・ありがとうございました。家庭にお戻り頂いても結構でございます。本当に有難うございました。日本国として感謝いたします。

と、いずれ政府の中枢で検討される経済社会モデルの中で、上のような「基本方針の大転換」が浮上してくるのではないか?

実に《ご都合主義》である。が、ご都合主義ではなく高邁な理想に基づいて日本国を統治した政府など、これまでの歴史を通してあっただろうか?

何だか、笑い話のようだが、ありえぬ事ではないと想像(というより空想?)している。

ここまでくると、保守反動の時代を超えて、「復古の潮流」と呼ぶべきであろう。ただ外国人の急増が進む中での21世紀型の「復古日本」であるのが違う。


・・・もちろん少子化現象をもたらしている要因は、共稼ぎ世帯の増加に限ったことではない。ひょっとすると、夫婦とも仕事で多忙であるという事と子を育てないという意思決定には何の関連もないかもしれない。少子化は現代の《都市化》と《多消費社会》の下で進んできた。真の要因を求めるとすれば、こちらの方向だろうというのは、これまでの投稿でも書いている。以上、つけたしまで   ―  実証作業は面倒だからもうやらないが。



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