2020年4月29日水曜日

「日本的機会主義」の典型的な例

このブログでも書いた記憶があるが、日本人の特性として「機会主義的」という行動特性がある。

目的を達成するための戦略に沿った準備・実行・定着を長期的・計画的に進めるよりは、好機をとらえて瞬時に反応するのが得意である。

悪く言えば、小生の田舎でいう「キョロマ」、よく言えば利に聡く、俊敏であるということだ。

こう書くと、オリンピックや万国博覧会開催に向けて、長期計画のとおりに整然と準備できるのが日本だと。そんな意見が提出されるのは確実だ。しかし、思うのだが「得意なのはここまでではないのか」と。

戦略があるとは、目的があるということだ。目的を設定するには、意志が明確でなければならない。なぜオリンピックを招致したのだろうか?なぜ万国博覧会を招致したのだろうか?たまたまチャンスであったからではないだろうか?

機会主義的だというのは、日本は国家や国民の意志が薄弱で、故に目的が曖昧なままである、そんな意味合いで使っている。チャンスに乗じることには国民の合意が得られやすい。そんな風に日本は運営されて来たのではないだろうか?なので、日本は本質的に「機会主義的」だと思っている。

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いま、唐突に9月入学論が広まってきている。

で、連想するのが戦前期日本の歴史的大失敗だ。

戦前期日本の最終的崩壊の端緒になったのが「満州事変」であるのは、多数の歴史家が合意している事だと思う。これも(ある意味)唐突だった。

戦術的には見事であり、短期間のうちに少数の兵をもって広大な中国東北部を日本の影響下に置くことができた。それは(企画者の意図は)「対ソ防衛の高度化」を目的としていた。

ところが、中国本土で反日感情が高まり、対応を迫られる。当初の戦略的目的である対ソ防衛を再確認すれば中国とは融和的な外交を進めるのが定石であった。

しかし、ここで『この機会を利用して、中国に一撃を加え、反日的な冒険主義を抑え込もう」という意見が出てくる。中国と敵対する軍事行動を起こすならば、そもそもソ連を刺激する満州事変などは必要なかった理屈である。

この「こんな状況になった以上・・・△△を実行するのが得策である」という提案に日本人は非常に弱いと小生は観ている。

そして発生したのが日中戦争である。以後、日本は泥沼戦に陥り、ソ連、中国、その後はアメリカ、イギリス等々と敵対し、退き時に迷った末に最終的に島国の小国である弱点を克服できず、補給も破綻し、大敗、全面的に崩壊し、国の成り立ちまで一変してしまった。

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すでに一部の人たちが9月入学説には反対している。

小生は「反対」というより、本年9月から新制度に移行するなどは「絶対無理」と確信している。

まず担当の文科省に極めて有能な人材が、次官、局長、課長、課長補佐それぞれのレベルを考えても、最小限で計4名、全国規模の制度移行であるので、手足となる人材を含めて、15名から20名程度はマンパワーがほしいところだ。いや、いや。初等中等教育だけではない。高等教育もそうだ。40名は特別チームにほしいのでは?SNA体系の毎年の推計作業にもその程度は必要だから、全学校の新制度移行となると、もっと必要かもしれない。いるのだろうか、そんな有能な役人が?これでも文科省本省内だけである。官庁だけで原案を作るわけにはいかないはずなので、国公立・私立大学、高校、小中学校を代表する人物も選ばなければならない。

たかが入試センター試験の改正だけであっても、移行直前に問題点が噴出してとん挫した。

たった4か月で9月入学制への移行実現など、出来るはずがない、と。そう思わざるを得ないのだ、な。

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もしやるなら現時点の「PCR検査体制の強化」ではないが、文科省本省内の「体制強化」から準備しなければならない。新コロナ感染拡大への準備すらマトモに出来ず、医療崩壊に加えて、『あれもない、これもない』という情況を解消できずにいるのに、制度変更に向けた精緻な準備など、まったく出来ていないだろう。

本ブログにも何度か投稿しているが、ヨーロッパ、アメリカと比較しても感染者が一桁少ない新型コロナウイルス感染である。それでも、政府の対応はオロオロとしたもので、後手に後手を重ね、有事の備えなどはまったく為されていなかったことが歴然としている。

この程度の感染症にすらマトモな対応ができない現政権と8年間の長期政権下で弛緩してしまった官僚組織である。すぐにスタートするとしても残り4か月で全学校が統一して4月入学から9月入学の新制度に移行する・・・出来るはずがないではないか。混乱と問題がゲリラ的に噴出して制御不能になるのは必至で、その後の展開は想像すら出来ない。

そもそも9月入学への移行は、それ自体としては時代の求める課題なのだから、大きい船が方向を変えるように、既に原案と工程表は文科省内で出来ていなければならず、あとは実行あるのみ。こうなっていなければならない。しかし、昨秋から伝わってきたのは、新センター入試の失敗ばかりであった。

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不用意に戦線を拡大するとしよう。

いま局所的に「医療崩壊」を引き起こしつつある現政府は、医療崩壊の次に学校現場の混乱を招き、「教育崩壊」を引き起こしてしまうことが必至である。

9月入学へとフワッと着手した現政権は、混乱の責任をとり8月には唐突に総辞職するだろう。その頃は学校全体が混乱の極みに陥っている・・・いったい、来年3月に進級できるのかできないのかすらも不分明になっている。そんな可能性すらある。

戦略的覚悟もなく2正面作戦に入り込んだ日本は、春の「医療崩壊」、夏にかけての「教育崩壊」、真夏の「政治崩壊」へ、文字通りの<崩壊3連発>に向かって一直線だ。おそらく、秋までには迷走と無策が引き起こす大不況の中で「経済崩壊」もあるかもしれない。いまは「外交」ではなく「内政」の季節である。現政権の布陣はお寒い限りだ。戦線拡大ではなく、目的を限定して「選択と集中」でいくのが復活への王道だ。

実力をみても出来るはずがない夢を語るのは、デマゴーグや魔女、数字だけが欲しいテレビ局に勝手に語らせておくがよい。

千里の道も一歩から。必要なのは、
99パーセントの汗と1パーセントの着想である。 
口先の言葉には価値がない。

「状況がこうなったのなら、長年のこの問題、一挙に解決するチャンスじゃない?」基本戦略なき日本が敗北するときの象徴的動機である。まさに機会主義者である。

そもそも「こんな状況」になればどうするかは、当初の戦略に含まれていなければならないわけである。

大体、新コロナによる犠牲者数が日本より1桁多いヨーロッパ、アメリカにおいてすら、『このような困難の中、思い切って国の制度を変えてしまおうではないか』などと、一体何を主目的としているか分からないような行動をする(しようとしている)国はない。日本の、というより日本のテレビ業界の報道ぶりは文字通りの『貧すれば鈍す』で、それ故の
蜂の巣をつついたような大騒ぎ
まさにこの形容が当てはまる右往左往である。利を求める典型的な「機会主義」であるわけだ、な。

学校の授業日数の減少は、それ自体として解決可能な問題だ。この位の問題であれば、文科省が現に保有するマンパワーでもいくらでも良い解決案が出てくるはずだ。荷重能力の範囲内であれば信頼してもよいと思う。


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