2026年1月16日金曜日

ホンの一言: いわゆる「7条解散」だが高市解散はさすがに明らかな違憲になるのでは?

国政選挙で選ばれた衆議院議員の身分を奪う「解散」を行うには相当厳しい条件が課せられている。原則は憲法第69条で次の通り定められている:

内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

自治体の首長が議会で不信任された場合と主旨は似ており、要するに不信任案が可決された場合には、議会の解散を以て民意を問うことができるという規定だ。

これが憲法上の趣旨であることは自明であろう。


ところが、第7条には「天皇の国事行為」として

天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

という規定があり、その3項には

衆議院を解散すること。

という一文が含まれている。

国会で内閣不信任案が可決されたわけでもないのに総理大臣が衆議院を解散できているのは、内閣の助言によって天皇が衆議院を解散しているのであって、故に解散の正当性はこの第7条の規定にあるというのが、議論としては通ってきている。

しかし、本当に《7条解散》は合憲なのかというのは、常に問題として議論が続いている。

天皇の解散詔書があれば総理大臣はいつでも自由に解散できるのか?総理大臣には解散権を与えられているのか?

素直に読めば、総理大臣が何の外的条件もなく「解散権」を自らの権限として有しているのではなく、天皇が国事行為として解散を行う、それには内閣の助言がいるのであるから、天皇に「解散権」があることになる。

こういう理屈になるのではないか?本当に天皇に「解散権」があるのだろうか?憲法の条文はこういう主旨なのか?


思うのだが、法学者から憲法上の疑問が提起されるような「際どい政治」をするべきではない、というのが小生の感覚だ。

憲法上の本則ともいえる《69条解散》は、実は戦後政治史において頻繁に起きているわけではない。記憶に残っているのは昭和55年の大平内閣による「ハプニング解散」、それから平成5年の宮沢内閣による「嘘つき解散」の2件である。解散のほとんどは7条解散であるから、もしも7条解散が違憲であると判断されれば、これまでの解散はほとんどが違憲であったという理屈になり、戦後日本の国内政治は違憲の上に成り立っていたという帰結になる。とてもじゃないが、7条解散は違憲であるという結論は、今さら(革命でもない限り)公式には出せるものではない。


それでも小生は

7条解散は憲法違反である

そう思っている。専門外で細かいロジックは書かない。理由はただ一つ

7条解散は、(自民党の)自己都合による天皇の国事行為権の乱用で、従って「天皇の政治利用」に当たる。

普通に考えればこうなるのではないかと思っている。「総理の専権事項」など憲法のどこを探してもそんな規定はない。

天皇の名を借りて衆議院を自己都合で解散している以上、「天皇の政治利用」に該当する。

そう感じますがネエ・・・戦前なら大騒ぎだ。「詔勅を防壁となし」と非難され退陣した桂太郎の前例を挙げる人がいないのは可笑しな話だ。何より民主化された戦後日本で大騒ぎにならないこと自体、小生には七不思議であります。大体、国会の予算審議日程をカン無視するにも程合いってものがある。そう思いませんか?支持・不支持は別として・・・

大体、総理大臣がいつでも好きな時に衆議院を解散できるなら、そもそも第69条の条文を敢えて入れる必要はない。不信任されようがされなかろうが、自由に解散できるのだから。第69条があるのは、この場合には議員の任期に関わりなく衆議院を解散できるという限定的な規定であると解釈しないと理屈が通らない。第7条の主旨は、天皇に解散権があるのではなく、解散詔書を以って衆議院の解散日とするという手続き。そう読むのが中学生でも分かる普通の読み方ですゼ。

それに小生が暮らしている北海道の2月。投票当日が猛吹雪であったらどうする?別に国会が暗礁に乗り上げたわけでもないのに、実に配慮のない政治手法でついて行けるものではない。

今回だけは《中道改革連合》に走るか……フランスの「共和国連合」を連想するナア(今は「国民連合」?)。「連合」というのは、その昔の「連合軍」が潜在意識にあるのでしょうネエ(違うかな?)

もうこれを限りに自民党とは「お見限り」とするか?長かったが縁の切れ目かもしれない。本当は中道右派にシンパシーを感じていて、立民のリベラル左派の思想とは波長が合わないのだが、右翼よりはよい。

【加筆修正:2026−02-04】


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