2015年8月18日火曜日

愚息の夏季休暇

昨日は新潟で勤務している下の愚息が休暇をもらって帰省してきたので白老のウエムラ牧場までステーキを食べに遠出をした。

先日は非正規雇用で市内でのん気に暮らしている上の愚息を誘って同じ白老の「牛の里」にくりだした。あれは美味かったが、ちょっと寄って食べるという感じで、昨日はある程度本式にステーキを食したかったのだ。

道央高速でいくと1時間余りで着くのだが、料金も3000円ほどかかり、走っていて面白くない。それで余市まで広域農道を走り、倶知安、京極と回り、道道86号を下って行った。あいにく羊蹄山は雲に隠れて見えず、京極から白老までの山間部は霧でフォグランプをつけた。霧雨が緑をにじませる中、対向車は1台も来ない。白老霊園にさしかかるころ雨が上がる。

着いてからレストランの方に入り注文する段になって、ステーキ鉄板焼き三種盛りが人気だと知って、カミさんがそれにしようという。確かに写真は極めて美味そうである。三人とも同じものを頼む。確かに極上であったが、やはり当初のプラン通り、愚息は200グラムのサーロインステーキ、小生は150グラムのステーキ、カミさんは三種盛りにして、お互い交換するべきだった、と。安くて済んだことはよかったが後悔が残る。

帰りは苫小牧から支笏湖経由をとる。支笏湖にある鶴雅リゾート「水の謌」のケーキショップによって色々と買って帰る。あの店の味噌プリンは相当のレベルだ。陶器の柄がみな違っていて他に転用できるのもよい。

愚息はこの夏インサイトを新しく買ったとはいえ、運転させてみると割とヒヤヒヤさせるので、千歳からは高速にのって早々に帰宅する。

★ ★ ★

父と息子というのは、当然のこと、世代が違う。生い立ちも価値観も、加えて同時点の年齢、人生経験も違うというフェーズ効果もある。

だから、血族とはいえ互いに理解するのは難しい。どちらかと言えば、親と子が似ているとして、子がいま生きているステージは、かつては親、つまり自分が立っていた地点である。故に、親が子を理解するほうが、一般的には容易なはずである。

しかしながら、『最近の若い人たちは何を考えているのか分からない』と言われることが多いようだ。本当は、若い年齢層が『大人たちがなぜそんなことを言うのか、よく分からない』という方が自然である。

互いに理解しあえない世代固有の心理は、いずれ過去という時間の古層に埋もれていくのである。世代を経るというのは、忘れてもいい部分と忘れてはいけない部分が仕分けられることでもある。

歴史のプロセスで何がどう進むか、数人の人間の努力で変えることなど出来るはずがない。100万人を単位とする世代集団が共有する意識だけが後の世代に伝わるのみ。

父と子というのは、親子であるという関係のみが意味のある事実かもしれず、その現実的なありようは無限に可能と思っておくべきだろう。




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