やっぱりと思われる、今日この頃でござります。
礒崎陽輔首相補佐官は3日の参院平和安全法制特別委員会の参考人質疑で、安全保障関連法案に関する「法的安定性は関係ない」という発言を撤回して陳謝した。政府・与党は幕引きを図ろうとしているが、野党は安倍晋三首相の任命責任を含めて追及の手を緩めない方針で、参院審議の火種となりそうだ。(本日付け、日本経済新聞)
上の補佐官の場合は、話し全体が報道されたのを読んだ(聴いた?)ことがあるが、個人的にはそれほどの違和感を感じず、政治の現場で活動する「政治家」なら、当然のことこんな思いはあるだろうなあ、と。そんな感覚だった。このくらいで辞任させたら政治の堕落だと。
他方、現在炎上中の与党議員のツイート。
安全保障関連法案への反対デモを国会前で続ける学生グループ「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」に対し、自民党の武藤貴也衆院議員、滋賀4区、当選二回=が自身のツイッターで、「彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく」と非難していたことが分かった。(本日付け、東京新聞)
こちらの方は悪質、というか文字通りの妄言に近いかもしれない。
「戦争に行きたくない」のは、当たり前である。もし「国家のためなら出征を名誉と思い喜んで戦場に赴く所存であります」、こんなことを若者が言っていれば、戦争の準備ができているということであり、日本の軍国主義はまだ健在である証拠となる。戦前の日本の誤りは戦争教育を重要視した、つまり正にこの点にあったと。そう初等教育でも教えているはずだがなあ……。もし若者が滅私奉公を口にしていても、政治家たる者は『気持ちは誠にありがたいが、憲法は戦争以外の手段による外交的解決をわれら政治家に求めている』、こういう心構えでなければ、国会議員としては失格であろう。政治家は憲法に尽くすのが職分であることを理解してない。ここが致命的である。
気に入らない憲法なら変えてしまいたくなる気持ちが本音にあるのだろうが、変える・変えないを決めるのは国民の意志による。
まあ件の国会議員はまだ若い。志には「平成維新」を夢見る青春の息吹を感じる。しかし、彼と同タイプの人がよく口にする「明治維新」は、陰謀による宮廷クーデターに過ぎない。模範ではなく、反面教師とするのが適切だと小生は今では思っている。
自らたてた志ではなく、大多数の人―選挙区の支持者のことではない―が願うことを自分の目標にして活動するのが、民主主義国家の政治家の理想であろう。自ままに己が志を追いかけても、独断的で迷惑かつバカバカしい政治になるだけである。
議員もまた人間一人、一人をとればそれだけの価値しかない。謙虚が大切だ。いや、もう遅いかも…、一発レッドカードの結末になってしまうかもしれぬ、成り行きによっては。
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