何度も引用する言葉だが、福沢諭吉は人間に関することで絶対的に善であることは一つもないと『学問のすすめ』の中で書いている。
たとえば銭を好んで飽くことを知らざるを貪吝と言う。されども銭を好むは人の天性なれば、その天性に従いて十分にこれを満足せしめんとするもけっして咎むべきにあらず。ただ理外の銭を得んとしてその場所を誤り、銭を好むの心に限度なくして理の外に出で、銭を求むるの方向に迷うて理に反するときは、これを貪吝の不徳と名づくるのみ。ゆえに銭を好む心の働きを見て、直ちに不徳の名をくだすべからず。その徳と不徳との分界には一片の道理なるものありて、この分界の内にあるものはすなわちこれを節倹と言い、また経済と称して、まさに人間の勉むべき美徳の一ヵ条なり。
右のほか、驕傲と勇敢と、粗野と率直と、固陋と実着と、浮薄と穎敏と相対するがごとく、いずれもみな働きの場所と、強弱の度と、向かうところの方角とによりて、あるいは不徳ともなるべく、あるいは徳ともなるべきのみ。ひとり働きの素質においてまったく不徳の一方に偏し、場所にも方向にもかかわらずして不善の不善なる者は怨望の一ヵ条なり。
怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様によりて我に不平をいだき、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。譬えば他人の幸と我の不幸とを比較して、我に不足するところあれば、わが有様を進めて満足するの法を求めずして、かえって他人を不幸に陥いれ、他人の有様を下して、もって彼我の平均をなさんと欲するがごとし。いわゆるこれを悪んでその死を欲するとはこのことなり。ゆえにこの輩の不平を満足せしむれば、世上一般の幸福をば損ずるのみにて少しも益するところあるべからず。(出所)青空文庫『学問のすすめ』十三編
金儲けに専念する人は強欲であると人は言うが、確かに強欲そのものは不道徳ではあるが、筋道に沿った節約であれば人は褒めるわけである、と。明治維新直後であるにもかかわらず、というか維新直後で価値観が混乱している時であればこそ、偏見や先入観に染まらず当たり前の事実をズバリと言えたのだろう。
その福沢も嫉妬や妬み、やっかみは全く同情の余地がなしと断言している。自分が得をするわけでもなく、何かの価値を創造するわけではなく、ただ他人を自分と同じ水準にそろえようと画策するのが妬みの感情だ。妬みを肯定しては世は進歩しない。だから社会には害があると断言している。
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朝方、目覚める前のボンヤリとした状態で何かを一生懸命考えていた。
自分が100歳になるまで生きるとしたら・・・カミさんと結婚してから過ごしてきたと同じ位の時間をこれから生きなければならない。
とんでもない話しだ。真っ平御免だ。
いま生きている、マアマア幸福な現在という時が、40年も、50年も昔のことに過ぎ去ってしまうなど、耐え難い未来である。
前に引用したことがある。吉田兼好の『徒然草』では次のように平均寿命未満の人生を好ましいとしている。
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。(出所)吉田兼好『徒然草』第七段
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
親が長命している人が羨ましいわけではない。長寿を楽しんでいる人が羨ましいわけではない。
ただ、小生は個人的には、人生八十年がバランスがとれ、やりたいことは概ね全てやり終え、具合もよく、子供も寿命を納得し、自分も過ごした人生を納得できる丁度良い長さの人生である。そう思う。
いや八十年という時間がそもそも長すぎるのだと思う。
ほぼすべての人が八十年、九十年、百年と・・・ますます長い人生を生きることで、それ自体は確かに善いことには違いないが、失われる幸福も増えることを何故人は語らないのだろう、と。そう思う。
人生五十年時代に四十にたらぬ寿命をよしとした兼好の伝でいえば、小生が希望する人生は古希。八十に満たぬ七十歳で、「もう十年生きていれば・・・」と言われつつ、浄土に参るのが最もきれいな人生ではないか、と。そう思ったりしながら、今朝は目覚めたのだ。
いやあ、根暗な夢だ。
結局、我が家は曽祖父も父もそうであったが、長寿社会には順応できない家系かもしれない。
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