たとえば規格化大量販売から「匠の技」への変化がまずあって、それがいままた逆転しつつあるという話だ。
日本の高度成長は昭和30(1955)年から45(1965)年までの15年間を指すというのが「標準的見解」だが、この時代にあった個別企業の立場からみれば、シェア獲得とそれを目的とした拡大投資戦略が正しい戦略だった。当たり前のことである。拡大投資は予想が外れれば財務悪化と倒産のリスクがあるとはいうものの、守りの姿勢をとればシェアを奪われ、コスト優位を失いー時代は規格化・大量生産が花形の時代だったー事業継続が難しい。守りのリスクはあまりにも大きかったのだ。
石油危機を間に挟んで日本は多品種少量販売へと戦略を変更し、その完成形が「匠の技」である。20世紀早々のアメリカでフォードが展開したT型単品販売が新興企業GMの差別化マルチライン戦略を前にして敗れ去ったと同様、高度成長時代の終わりにさしかかって拡大戦略から差別化戦略への転換が日本の「進化」だと思われていたのだ ー 実は、進化ではなく、単なる戦略変更にすぎなかったのだが。
日本企業が陥った硬直化は、危機の時代のGMが陥った硬直化と似ている面がある。もともと多様化戦略にはマネジメントコストがかさむという弱みがあるが、一度その戦略が成功すると確立された組織文化となってしまう。目的を達成するための単なる組織戦略であったものが、組織文化になってしまうと、よほどの英雄的経営者をもってしても、変更が不可となるものだ。そして、失敗する。
最近話題になることが増えてきたブルーオーシャン戦略は、匠の技とは正反対であり、むしろ先手をとって参入し、標準化を経てから拡大を目指す点では、昔の規格化大量販売と実質は同じである。すでに政府もとっくに方向転換していて、『ものづくり白書2012年版』では、過少投資を繰り返す日本企業と大規模投資を怖れない韓国企業が対比されている。
「時代」というのは変わるものである。そしてその潮目の変化は、先日当地を訪れた某企業グループの課長級参加者たちも日常ヒシヒシと感じているように思われた。そしていまはそれが正しい方向だと信じているようでもあった。
文字どおり「今までが間違いであり、これからは正しい方向を目指す」と、そんなメンタリティがビジネス現場で浸透しつつある。この変化は大きい。ちょうど、戦前の昔、第一次大戦後の、というより日露戦争以後の日本が徹底してとってきた大国との「共存共栄・協調戦略」を間違いとして、対立紛争を覚悟してでも国益のため拡大戦略をとる。方向転換するべきだ。そんな意識が中堅層に形成されてきた1920年代に通ずる雰囲気がある。
いま「時代」は一回転しつつあるードイツ人の好きな"Die Welt dreht sich"である。
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数日前にみたTVのワイドショーで辻村深月の『東京会館と私』が紹介されていた。
古建築の保存を第一に考える、街の旧観をとりもどす。そんなメンタリティがいま浸透しつつある。作り変えることが進歩であると考えていた旧世代とは哲学が違うと言ってしまえば簡単だ。
近いうちに江戸の昔を懐かしむ思いが、趣味の域を超えて、江戸の昔が正しいと誰もが考える時代がやってこよう。
そうなれば、明治政府は本当に日本人にとって正しい政治をやってくれたのか。もう一度考える。そんな時代がやってこよう。
一言で言えば、それが「歴史」である。
いま行動している人間たちには、自分たちが歴史の中でどう評価されるか全くわからないものだ。
なぜなら「時代」というのは必ず変わるからである。
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