2017年3月24日金曜日

つけたし: この1か月

依然として「森友騒動」が続いている。これが相当バカバカしいことは、もう本ブログで書き尽くし、あとは「水掛け論」が残るのみ、とりあげるのも時間の無駄である。「水掛け論」ではなく、少しでも内容があるとすれば籠池理事長側の公文書偽造。こちらは近日うちに刑事訴追されるだろうと推測する。さらにいえば、土地売買価格値引きの算定根拠があるくらいか・・・。

それにしても、大阪地方の小学校認可が1か月以上も日本中の電波、並びに国会審議をハイジャックするとは・・・。

このこと自体があまりにも可笑しいし、奇妙である。

ここに来て、駆け引きに疎い小生にもだんだんと分かってきた。これは真っ当な審議を回避したいと願う野党の国会戦術である、と。いや、与党側にとっても、議論を避けたい事柄がある。森友級のゴタゴタで会期を消化することは、国民にとっても言い訳がつくし、関心に応えることにもなる。

共謀罪法案が上程されれば、野党は反対しなければならない。しかし、世論調査によれば共謀罪に賛同する国民は50%を超える。
 時事通信が10~13日に実施した3月の世論調査によると、安倍内閣の支持率は前月比2.1ポイント減の51.3%だった。不支持率は1.8ポイント増の26.0%。学校法人「森友学園」が国有地を格安で取得していた問題が影響したとみられる。

共謀罪「必要性に疑念」=学者ら、法案に反対-東京
 「共謀罪」の構成要件を改め「テロ等準備罪」を創設する組織犯罪処罰法改正案を今国会に提出する政府方針について尋ねたところ、賛成が63.1%で、反対の20.0%を大きく上回った。ただ、同様の質問をした2月の調査と比べると、賛成は3.7ポイント低下した。
(出所)時事ドットコムニュース、2017年3月17日

 野党はここでも戦況不利である。まともに審議に応ずれば、野党の支持率は下がることはあっても、上がることはあるまい。

他方、南スーダンへのPKO派遣と戦闘行為の日報記載、その隠蔽については、国会でまともに審議すれば、こちらが本筋であるべきであるし、与党にはかなり痛いはずだ。稲田防衛相も辞任の可能性が高い。が、そうなればそうなったで、4月に閣僚の一部交代に踏み切るかもしれない。そして、それがそのまま衆議院解散の大義名分を与えることになるかもしれない。今の民進党はこれが怖いだろう。

野党が昭恵夫人に嚙みついて離さないのは、話せば与党ペースで押し切られ、そのまま解散。その場合は、民進党の蓮舫代表の二重国籍問題が再浮上するのは必至であり、そのまま大敗北と、そんな最悪の展開を阻止するための最後の機会であるからであろう。共産党は民進党の支持基盤を侵略したいのだろう。

あまりに長い間、もめ続ける問題でもないので、奇妙だと思い始める今日この頃である。

ま、それにしても仮にも首相夫人が表向きのことで国会証人喚問要求されるなど、戦後初めて、というより明治維新以来初めての珍事ではなかろうか。

2017年3月23日木曜日

感想: 制御不能の「水掛け論」もあるのだねえ・・・

本日は、WBC決勝、大相撲大阪場所、それから降ってわいたような森友騒動にかかわる籠池理事長の国会証人喚問の三つが重なり、どれもTV中継で視聴率が見込めるとあってマスコミ「現場」は「嬉しい悲鳴」をあげているという噂だ。

WBCと大相撲は(職業スポーツではあるが)純粋エンターテインメントに属すると言えるが、籠池理事長の証人喚問はエンターテインメント性とリアルな事件性と、それぞれどの位の割合の混合物であるのだろう。そんな風にも思われる特別番組ではあった。

ただ、密室で二人になった時をねらって渡された100万円の現金と、口外しないようにとの電話があとで夫人からあった、という証言。録音やら手跡やら何も残ってないなら、この話は典型的な「水掛け論」ではあるねえ。
「あなたくれたじゃないですか」、「何を言っているんですか、そんなことなかったでしょ」、「いいや、私は鮮明に記憶している」、「嘘を言わないでくださいヨ」。

さてさて、昭恵夫人まで証人喚問して第二幕を提供してくれるかどうか。やったって、まあ、上のやりとりがそのまま再現されるだけではあろうが。WBCも終わった。大阪場所も終わる。高校野球の春の選抜は今一つ盛り上がらない。TV局はこの話題をできるだけ引っ張りたいところだろう。

それに国会がどの程度まで答えるかだ。

***

小生の上の愚息は熱烈な相撲ファンである。

NHKは証人喚問を終わりまで、Eテレは高校野球、その余波で大相撲が5時からの中継開始になってしまったと、嘆いていた。

国会・予算委員会という劇場で上演されているドタバタ劇よりは、ここ最近の大相撲の方がもっと緊迫感があり、かつ幅広い視聴者から希望されている番組であったのではなかろうか。少なくとも、小生は甚だバカバカしく、とても最後まで観る気にはならない内容であった。

もしも森友事件の登場人物に首相夫人の名前がなければ、大相撲を押しのけて中継されるようなイベントにはならなかったはずだ。

今回の騒動の(ある意味で)主役は「昭恵夫人」であると見る。

***

ずっと以前の投稿から一貫して書いてきたことだが、安倍政権は(どことなく世間離れした印象のある)首相ご本人はともかく、取り巻きたちの偏向した思想・信条、低レベルな失言などが相次ぐことで、首相のイメージが毀損され、最終的な崩壊に(比較的短期間で)立ち至るであろう、と。そもそもの最初からそう予測していた。

それが案に相違して長期政権になっているのだが、ここに来て稲田朋美防衛大臣、それから何とご自身の細君までが、右翼がらみの失態を演じるとは。加えて、小池百合子現都知事もちょっと頭痛の種になっているでありましょう。どうやら首相ご本人は、「女性活躍推進」の旗手をつとめているにもかかわらず、よほど女性が鬼門である御仁のようである。

ま、最近のメディア好みのドタバタ劇が安倍現政権にとってどの程度までリアルな損害になってくるのか。まだ分かりませんが。

***

まあ、これらすべて、トランプ米新政権がいまだ機能不全であるためだ。

何もリアルな衝撃となって、日本に投げかけられるものが出てきていない。

中国は党大会の年であり「内向き姿勢」。韓国もまた政治的に機能不全状態。ヨーロッパもまた選挙の年であり「内向き姿勢」。英国はEU離脱でそれどころではない。

加えて、世界経済は2015年~16年に進んだ石油等の国際商品価格暴落から回復し、明るい見通し。心配される状況ではない。

国際政治経済をみると、日本はいま何をしてもよい、というか宇宙遊泳に似た状態なのである。

このチャンスを生かしてロシア外交を大いに進めればいいのにと思うのだが、所詮、択捉や国後は日本国民の関心外と思われる。ロシアは共同経済活動にロシアの法律を適用すると主張しているが、このことを大きく報道したマスメディアは皆無である。瞬時のうちに話題から消え去った。

北海道で暮らしている人間の目からみると、いま日本は「鬼のいぬ間の 昼寝かな」、というより「嵐こぬ間の 鬼ごっこ」を楽しんでいるように見える、天下泰平の世の中でござります。

まこと目出度きことでござる。「小人閑居して不善を為す」の一例にならなければいいが。


2017年3月20日月曜日

感想: 「制御不能の勢い」というのはあるんだねえ・・・

先週、ちょっとしたヘルニアで腹腔鏡下手術をやって週末に退院して宅に戻った。

現代の医療は本当に素晴らしくなってきている。ずっと昔、父が亡くなった時にもこんな手術や薬剤が利用可能であったなら、と。そう思う。

で、日常が戻る中で、いつものように朝食をとりながら、カミさんが贔屓のTVワイドショーをみる。と、やっぱりやっているのですね。「森友事件」と「百条委員会」。

驚きを通り越して、呆然・慄然・憮然の世界となる。

自衛隊の文官統制は機能しているのか。いわゆるPKOと「駆け付け警護容認」、憲法上の規定は矛盾していないのか。現状のまま、自衛隊の「海外派兵」、いやいや「海外派遣」に予算を認め続けるのか。国会のこんな姿勢こそ、満州事変以降の日本の内閣と議会そのものではなかったのか。なぜそれを議論しないのか。

以前の投稿で「ワイドショーの国会ジャック」が起きているのか、「国会がワイドショーを方向づけているのか」。そんなことを書いたが、いずれにせよTV中継の対象である予算委員会とワイドショーがシンクロしているのである。

他方、TVとはあまり縁のない例えば法務委員会では「共謀罪法案」の扱いが検討されている。厚生労働委員会では「保育所問題」や「育児休業」が審議されている。TV中継される予算委員会以外の委員会では、総じて真剣な審議が行われている。そのことをTVはまったく見ようとしていない。

以前に、日本陸上の特に男子長距離界の弱体化が進んだことと箱根駅伝の視聴率の上昇トレンドとの間には、有意な因果関係を統計的に検出できるのではないかと書いたことがある。

同じように、予算委員会に偏重したTV中継と無責任な毎年度の予算編成との間には統計的に有意な関係が認められるのではないか、と。

そんな憶測をしている。

こう書いてくると、「TV中継」なるものが日本国民に何らかの価値を提供しているとは全く思われない。あえて言えば、TV局の番組編成局に所属する無学・無教養なプロデューサーの「見識」などは排して、多くの常任委員会・特別委員会をローテーション方式で機械的に中継していく方が国民への情報提供としては一層適切であり、国会全体の活動状況を正しく伝えることが可能で、また個人個人の国会への関心を刺激することにもつながるだろうし、そのためのルール作りを国会との間で取り決めるのが優先事項であると思うようになった。

つくづくそう思いながら、情けなきこと、涙こぼるる、と。そんな心持ちなのでござります。

それにしても、この一ヶ月。予算委員会は何をしてきたのだろうねえ・・・、「勢い」というやつか。ちょうど陸上競技のレーンは見えているのだが、勢いがつきすぎて「曲がれない〜〜っ」と。まあ、そんな感じであるのかもなあ・・・。


2017年3月13日月曜日

古い慣習の効用?

ちょっとした手術で入院することになった。それで提出する書類に記入をしたのだが、そこには色々な質問事項が並んでいる。

まずは医療費の負担責任者と保証人。これは(当然だが)小生本人が責任者で、愚息の一人を保証人にした。愚息の名を小生の必要から何かに使ったのは、実は今回が初めてだ。まあ、それだけ歳月がたったわけだ。今後はこういうことが増えることだろう。

「身の回りをする人」。これはカミさんにお願いしよう・・・

「家族構成について」。フムフム。同居する家族。これは今はもうカミさん一人しかいない、と。次に・・・別居する家族。ウン?二人の愚息は既に独立して別居している。「生計」をともにはしていない。つまり愚息といえども「別世帯」である。その場合、二人の愚息は「家族」の範疇に入るのか?ここでいう「家族」の定義とは何なのだ。この書類には「家族」の定義は記されていない・・・。

しばらく考えてから分かった。同じ「戸籍」に属している者は同じ「家族」である、と。『そうか!これは戸籍上の確認を問うておるのじゃな』と悟った次第。それならそうと、きちんと定義を書くべきなのにネエ。となると、福島県に居住する弟一家は小生の家族ではなく、生計は独立して暮らしているがまだ小生の戸籍にいる愚息二人は小生の家族となる。まさに明解で誤判定の余地はない。

ただ、何のために上の質問をしているのかという理由は不明のままであった。というのは、緊急時の連絡先として第1連絡先から第3連絡先まで別に質問しているからだ。

+++

とはいえ、

もし戸籍なる慣行が廃止されれば、独立して暮らしている愚息たちはもはや「家族」とは認識されなくなるー主観的には家族と思うが、「制度」としてどうかということだ。まあ、独立して別居している息子は、独身であっても、もう「家族」からは離れた。むしろこれが今では常識かもしれない。

「家族」とは何のために存在するのか?以前にも投稿したことがあるが、小生の理解はシンプルである。地縁・親族・姻族を柱とする大家族制から核家族制に移った社会においては、「家族」の存在理由は「子の養育」が目的であるとしか考えられない・・・ロジカルに考える時、何がほかに挙げられるだろうか。夫婦の愛を育むことだけが目的であれば、結婚という制度は不必要だ。相続などは遺言をかいておけばよい。

愚息は結婚をして、戸籍を別に作る時点において、小生とは別の「家族」となる。つまり愚息が子の養育を開始する意思決定をして、自らの家族をつくり始める時点が小生の家族から離れる時である。それは「核家族」であり、伝統的な「大家族」ではない。「核家族」という言葉の意味合いを社会学的な観点からつくづくと実感したのは初めてである。

そもそも戸籍は中国において徴税・徴兵など国家の人的資源をミクロ単位で捕捉する必要性から始まった。現在でも相続手続きにおいて権利確定のための固い情報を提供する。が、なければないで、他の行政ツールはある。実際、戸籍制度をまだ残している国は日本、韓国、台湾など極めて少数である。

それでも日本人の人生に大体は当てはまっているライフサイクルと現在の戸籍制度は案外マッチしているようでもある。

もちろん家族、というか親子関係で繋がっている一族の履歴をお上がずっと保管するというのも怖い。そんな感情があってもよい。負の側面もある ー どんな制度も国民すべてに適用するとなるとそうだ。遠距離から戸籍謄本をとるのも面倒だ。とはいえ、貴重なデータであることも確かだ。個人番号カードがあれば証明書をとるのも簡単になる。戸籍制度は面倒なものだと速断して廃止して困ることのほうが多いかもしれない。

2017年3月10日金曜日

大手メディア: 情報ダイジェスト機能を果たせているか

「情報」。

21世紀を特徴付けるキーワードとして何年か前に同僚と議論したことがある。

その時は、(DAIGOの流儀で言えば)"RE"、つまり宗教(Religion)と民族性(Ethnicity)を挙げたことを覚えている。その後、イスラム国(IS)の暴虐ぶりが報道され、やっぱりなと思ってきたが、上の三つに加えて「情報」というものを真剣に考えておかないと、未来がさっぱり見えてこない、と。そう思う今日この頃である。

フェースブックは、(投資先の一つでもあるので)これからも頑張って欲しい。フェークニュース(≒流言飛語)批判にどう対応するかで今は苦労しているようだが、未来の社会インフラを構築したいというZuckerbergの抱負は是非実現してほしい、と。本当にそう思う。

トランプ米大統領が既存大手メディアを(ほぼ毎日)厳しく批判しているが、その批判は100%政治戦略であると受け取るのは現実にそぐわない(ような気がする)。小生がアメリカに在住していたとして、トランプ候補に同調したかと言えばそれは違うような気もするが、確かに今の新聞やテレビ、ちょっと編集ぶりが酷いよね、と。これでは「情報ダイジェスト」にならないよね、と。世間をゆがんだ方向に誘導しているみたいだね、と。そんな感覚を覚えることは実際にままあって、ある意味ではアメリカ国民一般にあると言われる「メディア不信感情」を共有できている(ような気もするのだ)。


小生も、時代の流れには抵抗できず、いつのまにかFBのページ・フィードでフォロー中の報道を毎日何度かチェックし、それと併せてフォロー中のグループの投稿状況、それから知人達の近況をニュースフィードからざっと見る。そんな習慣になった。フォローしている先には、WSJも日経もCGTNもあるし、英紙"The Telegraph"も独紙"FAZ.NET"もある。さらに、世界中の散在している何人かの美術家も趣味として見ている。

FBにGoogle+が加わると、World Economic Forumや日本のNHK、朝日新聞社、The Economist、Zeit Onlineなどが入ってきて、併せて仕事に必要な"R"や"Python"のコミュニティの動向が次々に画面に表示されてくる。

投稿には、詳細な情報が記載されている資料へのURLが含まれていて、そこに入ると、さらに関連情報が表示されてくる・・・。という具合に、FBでなくともいいがSNSを使うと効率良く、バランス良く、情報を整理することができるのだ、な。どんな時事的なテーマについて、でもだ。しかも、付加機能が加速度的に向上しつつあり、5年先にはどんなサービスを提供してくれているのか想像もつかない(想像もつかないという点では、分野は違うがAmazonもそうだ)。未来の社会インフラを目指すというFBの戦略軸は大げさではないと思うのだ。


さて、日本国内のテレビでは(NHKニュースではなく、「ニュースもどき」の方だが)、この時期、東日本大震災に関係した話題が増えている。が、それより優先しているのが、まだ「森友事件」だ。ちなみにFBやGoogle+の投稿を概観すると、「森友事件」関係の情報はゼロではないが、内容相応の比率を占めるのみである。今日のテレビでは韓国の大統領弾劾判決は関心外。北朝鮮のミサイル4連発は何日か前にちょっと触れただけ。昨日登場したキム・ハンソルは今日は消えている。まあねえ・・・、何をどうするかはプロデューサーが決めるのだろう。

なお書きで付け足しておきたいのは、(不思議なことに)テレビで放映される国会・予算委員会の審議内容がテレビのワイドショーとシンクロしているようなのだ。これって、テレビ・ワイドショーの「国会ジャック」というべきか、「国会の堕落」というべきか。言葉を知らない。

それはさておき、

テレビでも何度か紹介されている問題。福島県から避難した児童が避難先でいじめにあっているという状況である。放置している学校側と黙って我慢している児童本人、気がつかなかった両親。たまたま見つけた作文で真相を知る。「いじめ」一般をとりあげる時の共通のフレームワークを今回も使っている。

ただカミさんとも話した。(小生も経験したことがあるが)転校生というのは一般に友人ができにくいものである。特に、方言が残っていて周囲の児童との異質性が目立ち、年齢的にも小学校上級生から中学生にさしかかる時期は、仲間になかなか入れないものである。

避難してきた児童と、その他一般の転入生とを比較して、確かに福島県から避難してきた児童は「いじめ」に遭いやすいという事実がデータから確認できれば、やはり日本の学校に、というか日本人全般の側に問題が隠れている。弱者に同情するのではなく、反対に虐めてしまうような傾向がある、と。そう言えるのだと思うが、ただ「福島県から避難した人で虐められている児童がいる」という事実を感情的に訴えるだけでは説得力に乏しい。そんな話をするとカミさんは憤慨していたが・・・。

上の問題は統計的には有意性とか、「サンプルセレクション」という問題に関連するのだが、この関連で言えば、以前に一度話題にした風評。たとえば『福島県では突然鼻血を出す人が増えている』という『美味しんぼ』がとりあげた「伝説」。あるいは『福島県の児童は確かに甲状腺癌発症率が高まっている』という風評。これらの話題も「非常に重要」といえばそのとおりであり、是非とも定期的に報道番組やその他ワイドショーで近況報告してほしい事柄である。

ところが、不思議なことに森友事件にはこれほど集中するのに、『科学的データでみる福島県の復興』などという特番はこれまで見たことがない。もちろん、医学的見地から直ちに結論が出るというわけでもない(参考資料)。とはいえ、ビッグデータの時代である。いじめ問題にしても、除染問題にしても、鼻血問題・甲状腺癌問題にしても、かなりのことは資金を投入すれば多くのことが分かるはずであるし、そもそも必要な数値データ、文字データ、画像データ、その他非構造化データはデータベース化されていなければならず、また可能な限りオープンデータにしておくべきでもある(小生が寡聞にして知らないだけかもしれないが)。『被災地で知りたいことがほとんどわからない状況になっている』、『これは東電の不作為なのか、政府の不作為なのか?』。これだけでも十分ワイドショーの話題になるはずではないか。多数の関心もあるはずだ。それをしないのは、する意思が既存大手メディアには(ほとんど?)ないことを意味する。


ハッキリとは分かっていないが、日本にとって「重要な話題」に、多くの人が関心をもつ、問題意識を持つように、いま分かっている情報を提供していく。メディアに期待されているとすれば、これも役割の一つ、というか最も重要な役割ではないか。

制作側の戦略的意図は分からないが、このところの"ニュースもどき”、いや厳密に言い換えると「△△ステーション」や「ニュース○○」、その他ワイドショーのように「ニュース+付加価値」で構成される番組がすべて該当するのだが、これらは明らかにフィクションやフェークニュースではない。かといって隠れた事実を取材して紹介するドキュメンタリー番組でもなく、明らかにニュース関連番組なのだが、素材を加工して「楽しませる」、「興味を刺激する」というサービスがついたハイブリッドな編成になっている。批判ではない。ただ、観ているとそう思うのだ、な。こう書くと「それが悪いのですか?」と聞かれそうだが、ザックリといえば「フェーク・ドラマ」になっているような印象を受けてしまうのだ。

確かに近年の視聴者はメディアからリアリティを求める。たとえばスポーツ中継。特に国際試合が高視聴率をとるのはそれが先ずドラマではなく現実であり、その現実をリアルタイムで観ることができる。それが陶酔感をもたらすコアである。スポーツ中継番組は、生のゲーム展開に加えて、解説や関係映像をパッケージングすることで、リアリティにドラマ性を付加している。付加というより強調・拡大し精神興奮作用を高めている。だから一層成功する。このところ(特に民放で)隆盛を極める"ニュースもどき"を支えている番組制作戦略に、スポーツ中継番組の編成技術が活用されていないと誰が断言できるだろう。

(これは誰でも同意すると思うが)スポーツ中継番組は決してスタジアムでみる「生のゲーム」そのものではない。「フェークニュース」とは逆の「フェークドラマ」である。だから(それを求める人にとっては)ゲームそのものよりも面白いのだ。


スポーツは(特にプロスポーツは)元々エンターテインメント産業なのだから、放送側がいいように加工してもよいのだとも言えるが、社会経済のあらゆる事実を素材として切り取って、自由にドラマ性を付加して、ニュースとして放送するビジネスモデルは、小生は(自主?)規制するべきだと思うようになった。

なぜなら、ネット化社会の中で自然に形成される情報の淘汰(=真偽や社会的重要性のスクリーニング)プロセスの中で、エンターテインメント性を帯びたメディア発の「お話し」は無視できないほどの影響力をもった参加者になるからであるし、現にもうなっている。

視聴率上昇には効果的な戦略かもしれないが、「情報」の提供になっているかどうかという点では、正直なところ疑問符をつけたいのだ。週刊誌のように自由市場で自由に営業するなら何の問題もないが、放送法で法的に保護された下では事実と虚構との間の厳格な線引きは曖昧にしてはならないと思う。

2017年3月8日水曜日

豊洲問題: あと2、3ヶ月で流れが変わるかもしれない・・・

この3日ほど風邪気味で寝込んでいたが、その間も世の中は「森友騒動」で国会もテレビのワイドショーも(この二つを横並びに列挙するのが気持ち悪いのだが)、こればかりを論じていたのだろうか。風邪をひいた分、穏やかに過ごせたかもしれない。

それから「石原元都知事百条委員会騒動」。これもどのくらい井戸端会議の話題になっているのだろうか。

どちらも人気はあるが、内実はほとんどないという意味では、突然出てきた某芸能事務所のアイドルとさほど異質性がないような気もする。

パフォーマンスの次元の話といえば、豊洲問題。久しぶりにネットを色々と見てみると、徐々に潮の流れが変わりつつあるようでもある。

詳細を書く元気はまだないが、ざっくりと言えば

  • 社会経済的なことを考え慣れている「いわゆる知識層?」は、小池現都知事のパフォーマンスには当初の期待から辟易に変わりつつある。
  • 井戸端専科というか(失礼を敢えておかせば)ローレベルの「庶民層?」は、以前の指導者をつるし上げることに喝采の声を発している。
  • 豊洲と築地の二つをデータに基づいて客観的に比較したものを示してほしいと言う希望がだんだんと広まりつつある。


どうやらこんなトレンドが生まれつつあるのではないか。第3点の浸透速度が今後の進展を決めるだろう。

ただ一点だけ分かっている。もし現都知事が選挙を目的とし、そのための戦略を実行しているのであれば、人数的に圧倒しているのはローエンドの有権者 ー これこそ「都民?」であるのかもしれない ー であろうから、現時点の行動戦略を変更する動機はない。

しかし、安倍現政権の支持基盤が右翼であり、特に極右勢力が無視し得ない大きさを有していることを思い起こすと、支持基盤の願望が自らの行動を束縛するリスクを考えるべきだろう。

普段の不満(ルサンチマン)を解消させてくれることが支持理由であるような有権者セグメントを吸収することが本当に賢明な戦略であるのか。

というか、そんな政治戦略はありうるのか?もちろんこれは反語的疑問文だが、これだけ書いて、あとはまた書こう。

ただ、こうやって書いて見て気がつくのは、小池現都知事が「都版トランプ」であるという点だ。都知事選は実に「ミニ米大統領選」であった。外観こそ違うが、生まれてきたメカニズムは同じであり、いま世界の政治情勢に作用しつつある共通の社会的因子から派生している。そんな現象の一例であると思われる。

2017年3月6日月曜日

1ポイントメモ: 総理夫人は「私人」か「公人」か?

表題をめぐってバカバカしく無意味な論争がTV画面でまだ続いている。
私人に決まっているでしょ。公人なら辞令を交付されているはずだ。そこには担当職務が明記されている。権限も付随する。 
芸能人も広く世間に知られていて、その意味で「公人」とされています。であれば、首相夫人も公人であるとも言えますね・・・誰かが言っていたが、それを言うなら「有名人」だ。
この間はパネルに書かれていた「遡る(サカノボル)」の漢字を「タドル」と読んだ女子アナがいたが、今度は「有名人」と「公人」の区別もつかないのか・・・既存メディアのレベル低下は予想以上である。

2017年3月5日日曜日

メモ: ポピュリストとメディア・大衆の関係とは?

ドイツ・ナチス政権は大衆の支持により合法的に権力を奪取したことはよく知られているし、政治学・社会学分野においては永遠の研究テーマになっている。同政権がプロパガンダ、つまり「世論操作」を最重要視した。これも周知のことである。

同じ「永遠の研究テーマ」の中に、中国で吹き荒れた文化大革命と毛沢東の親衛隊であった紅衛兵が数えられるだろう。なぜあれほどまでに大衆の支持が毛沢東個人に集中できたのかという疑問は政治学の永遠の難問であるには違いなく、大衆の支持が紅衛兵運動に結実したのか、紅衛兵の活動が大衆の支持に結びついていったのか。小生はまだ10台で、いまも専門外のことは熟知しないが、いまだに不思議である。ただ『毛沢東語録』とその中の「造反有理」、「百家争鳴、百花斉放」が当時の若い世代が愛用したキーワードであったことは鮮明に覚えている。公式メディアまでも敵対勢力の側にある時、一つの小冊子であっても有効な宣伝ツールになりえると洞察できた点は流石である。

よく考えると、現中国政府の恥部である「(第二次)天安門事件」は指導部が共有していた文化大革命への恐怖の記憶から発生したのだろうとほぼ確実に推測できる。

権力を奪取したわけではないが、戦後アメリカのマッカーシズム(1950年代)も当時アメリカで生きていた人間のリアルな思考や感情を追体験するのが難しい、それでいて社会の構造を変えるほどの力を発揮した政治運動であったという点では、これまた大衆の爆発の一例だろう。日本の60年安保闘争はやはり本質的に学生運動でしかなかったと思う。

まだまだありそうだが、これら全てを総括する用語が、今はやりの「ポピュリズム」である。そして、ポピュリズムは大衆(=社会の圧倒的多数者)が共有する「怒り」や「恐怖」に支えられる。これも周知のことだ。

そんな大衆が共有している「怒り」や「恐怖」の本質をつかむことができる人間は、即ち「政治の天才」ということになるだろう。日本の第二次安倍政権は、失敗者にして、かつ必敗の候補者と見なされていた安倍氏が「あとはない」という気構えで自民党総裁選に立候補したことから始まるが、「アベノミクス」にせよ「憲法改正」にせよ、大失敗に終わった民主党政権への「怒り」が追い風になっていたのは確かだろう。ま、比較的分かりやすい例かもしれない。

アメリカでトランプ候補が当選した時、ポピュリズムの不合理性が多くの専門家によって(英国のEU離脱国民投票とともに)指摘されていたが、エマニュエル・トッドはあれもまた「民主主義」の表れであると語っている ― イコールの関係ではなく、民主主義(=デモクラシー)はポピュリズムを包含するという論理関係にあるという趣旨だと解している。つまり、ポピュリズムが支配する社会はすべて民主的であるが、民主主義だからといってポピュリズムであるとは限らない。

いまGoogle+ですすめてきたフルトヴェングラー指揮のブルックナー第7番第2楽章のアダージオを聴いている。1942年のベルリンフィルだ。これがまた実に素晴らしいのだ、な。ベストワンだと思ってきたマタチッチと並ぶか、それを超える。周知のようにフルトヴェングラーはナチス政権が支配したドイツに留まり続け、そのため戦後になって戦争協力者の疑惑をもたれた人である。帰国した友人の証言、戦時の言行をつぶさにみれば非難はあたらないとの判断から音楽活動を続けられたものの、大衆(=周囲の人々のほとんど全て)の攻撃によって自国が変容していく惨状にある種の絶望を感じたことは、同様の経験をまったくしたことのない小生も漠然と想像できるのだ、な。ひょっとすると、昭和初年の恐慌の時代、急速に右傾化し、国粋主義化する日本社会に漠然たる不安を感じた祖父の世代ならより切実に共感できるかもしれない。

こういう「想像」とは、つまるところ「天安門事件」を弾圧した共産党指導部の心理につながるものである、と。そうとも感じる。

最近の「トランプの100日」の下で、同氏の敵は大手マスメディアである。もしも今後、マスメディアがトランプを攻撃し、ほとんど大半のアメリカ国民がメディアに同調しトランプを非難するようになり、その潮流の中で大統領弾劾が発議され、新たな政治家(といっても規定上まずはペンス副大統領になるが)が次期大統領候補として現れるなら、そちらの方が真のポピュリストであることは、言葉の定義からして間違いのないところだろう。

が、既存メディアのメディア性は10年前に比べれば大きく低下している。ツイッター、フエースブックなどのSNSが台頭したためだ。

ミュージカル『ジーザスクライストスーパースター』の中でユダが熱唱する下りを思い出す。
そちらじゃ、みなさんどうですう~~
お釈迦様はお元気でえ~~
マホメットは、山をほんとうに~、動かしましたか、あれは宣伝かあ~~
いまなら世界を動かせえたあ、昔のイスラエルにはテレビもないしさ〜
まあ、確かにトランプ大統領は最新のメディアを愛用する(ゲッベルス宣伝相がラジオを愛用したように)イノバティブなポピュリストなのだろう。大統領から広く大衆にダイレクトにメッセージを届ける。いわば卸売・小売りをスキップして農家からダイレクトに消費者に新鮮な野菜を届ける。これと同じモデルでありいわば「産地直送型政治プロパガンダ」だ。"Facebook Live Trump"と検索すれば、選挙運動中に作成された多数のライブ資源(一例)を見ることができる。こういう場は10年前には存在しなかった。今後の職務遂行上のツールとしてフェースブックが活用されることは確実である(一例)。というか、今後はこちらがメインになるかもしれない。

このまま新しいプロパガンダ・モデルが成功し、拡大し、いつの間にか既存の大手マスメディアが信頼、いやメディア性を失い、いつしか年収1千万円程度の評論家が物言うご談義の場にシュリンクしていく運命にあるのかもしれない(存在感を失うことなくたとえ現状維持を続けてもメディアとしての競争には負ける)。あるいはトランプ大統領が大衆の支持を失い、新たなポピュリストが登場するかもしれない。いずれにせよ、その結果はメディア産業の競争優位性がどこにあるかという一つのエビデンスになると思われる。

2017年3月4日土曜日

豊洲問題: 石原元都知事は無責任なのか?

『群盲、象をなず』という格言がある。

なでるのは巨大な物体である必要はない。非常に長期間にわたるプロジェクトでもよいわけだ。多数の人間が組織的に関係し、どの一人も最初から最後までモニターすることができない。そんな場合も全体を一望した人は誰もいない。

★ ★ ★

昨日、石原元都知事の会見があったが、概して評判はよくない。要するに、築地移転は安全性の観点から緊急性を要する課題であり、豊洲移転は着任時には既定路線であったという。自分は最高責任者として部下を信じ印鑑を押した。要するにそんな骨子である。

この点は今朝の報道でも同じだ。
 「すべて任せていた」――。豊洲市場の移転をめぐる問題で3日に記者会見した元東京都知事、石原慎太郎氏は、重要な政策判断を部下や専門家の判断にほぼ委ねていたと強調した。小池百合子知事は「人の責任というのは簡単」として、石原氏の姿勢を疑問視。土壌汚染のある豊洲になぜ移転を決めたのか、真相解明は都議会百条委員会に持ち越された。
(出所)日本経済新聞、2017年3月4日

話しはまったく変わるが、「天皇機関説事件」というのが戦前期・日本においてあった。昭和10(1935)年のことだ。

日本の統治システムにおける天皇の地位は憲法(大日本帝国憲法)の規定によるものであり、その意味では「天皇」という地位は国家を構成する一つの機関である。俗な言葉で言えば「組織の中のコマの一つである」と、こう見るのが天皇機関説であり、明治から大正までを通して、日本の指導層の中で半ば常識とされていた。ところが、昭和初期、自党の利益を狙う政略から開始された国体明徴運動が世論をひきつけ、その流れの中で天皇陛下を「機関」であると考えるのは「不敬」である、と。天皇は神聖かつ絶対的であるという日本の「国体」と矛盾する。そんな非難の的となり、当時の憲法学の権威である美濃部達吉博士はこれにより社会的地位を失うに至った。これが天皇機関説事件であり、その後の軍国主義への一里塚となった。

時代は変わり、戦後になって天皇機関説が名誉を回復し、現在でも天皇の地位は日本国憲法で規定されているとおりであることはいうまでもない。

国家、中央政府ばかりではなく地方政府においても、トップの権限は法の規定によるというのは一貫した考え方である。

「知事」と言えば都道府県の行政における最高責任者ではあるが、自分自身の意見がそのまま実現できるはずはなく、全ては適法に、手続きに沿って進められなければならない。議会の承認も不可欠である。行政は100%すべて組織的に進められるのである。石原元都知事はつまりはこういう趣旨のことを言ったに過ぎない。

日本の政治体制を前提すれば、この認識はその通りである。「任せていた」という言い方は、それ自体としてはそれほど大きな間違いではなく、現都知事が「人の責任というのは簡単」と、人ごとのように批評するのは論理的でない。そういう問題ではないのだ ー まあ、「すべて任せていた」というのは言い過ぎで、知事に求められる権限・水準において確認するべき点を確認した、と。この点のみがポイントである。

★ ★ ★

結果として豊洲移転の安全性について疑問符がつき(この問題に点火したのは正に現都知事なのであるが)、現在の混迷に至っているのであるが、こうした「失敗」はまず全てがと言ってもよいと思うが、トップの失敗であるより、組織の失敗である。

築地市場移転プロジェクトは非常に長期にわたる懸案であって、関与した担当者はトップから末端まで含めて非常に多人数になる。「基本設計」、「基本方針」ですら、一人の人間の意思決定で決めたものではないに違いない。

これは何も無責任体制の温床ではない。非常に多数の関係者が四方八方から検証することの最終的な結果として、組織的に実行していくのが、行政というか巨大システムを運営管理する最善の方式である。これがビューロクラシー(≒近代官僚主義)のエッセンスであるからだ。故に、たとえそれが「宣戦布告」の意思決定であっても「誰が決定した」という「誰が」というのは常に曖昧であり、わかるのは「その時の決定権者」が誰であったかだけである。その決定権者は組織の長であるのだが、しかし、そのトップが能動的に決定を下したのかときけば、それは必ずしもそうではない、というのがほぼ全てのケースである。

このような組織管理方式は、なにも日本的意思決定に固有の問題ではない。統治システムが複雑に高度化した先進国であれば共通している特徴だ。ベトナム戦争の泥沼にはまった責任者はケネディ大統領であったか、ジョンソン大統領であったか、国防長官あるいは国務長官であったのか、それとも現地前線の総司令官に責任があったのか・・・。もし「責任者」が特定できるのであれば特定されているはずであり、何もハルバースタムが名著"The Best and The Brightest"を著すまでもなかった。2009年にゼネラル・モーターズ(GM)が倒産したが、誰がその「責任」を負うべきか?責任者を指折り数えれば、小生思うに数百人に上るでありましょう。まだある。BPのメキシコ湾原油流出事故(2010年)、VWのディーゼル排ガス不正事件(2015年)、これらは一体誰の責任であったのか、誰かの責任であったのは間違いないが、つまるところ非常に多人数の人間が少しずつ分担して責任を有していた。言えるのはそれだけである。「明確な責任の所在」などというよく聞くフレーズは一般公衆に向けた精神安定剤以上のものではない、というのが現実だろう。

今回の問題の本質は「組織戦略」にある。更に言えば組織は戦略に従う以上、とられていた戦略、さらにそれ以前の「目的」に不適切な点があった。「何をしたかったのか」。トップが影響力を行使できるとすれば、この「目的設定」という段階である。ここを見ないと問題の解は見つからないだろう。いわば学問の本道に沿って考察するしか、この種の「失敗」から有益なメッセージを引き出す方法はないと思っている。

巨大な失敗は、ぶら下がり取材や記者会見、議会の百条委員会等々で的確に把握し、評価できるような甘いテーマではなく、それこそ上下二巻を超えるような著作物になるべきものだ。登場する人物、証言する人物も千人を超えよう。

今後期待されるのは、こうした真摯な情報収集、整理、執筆作業であるのは確かだ。が、これは日常業務に忙殺されている公務員が担当することではなく、またそんな立場にあるわけでもない。それこそ日本のジャーナリストの力量が問われている主題であると思うのだ、な。

★ ★ ★

こう考えると、小池・現都知事のやるべきことは見えてくるではないか。

築地市場と豊洲新市場とどちらが安全であり、どちらが危険であるのか。そして、市場移転問題は明らかに行政上の問題であるから、どんな解決策を示すのか。

この一点である。というか、こういう基本的事項については既存資料があるはずであるし、なければ奇妙である。

『豊洲は危ない』と火をつけたのは現都知事である以上、それが適切な判断であったという証明もまた現都知事の責任の範囲内にあると小生は思うがどうだろうか。

行政プロセスにおいて生じてしまった「巨大な失敗」について分析する仕事は事故調査に似ているともいえ、どう繕おうが所詮は"Post Mortem Examination"である。

そこから得るべき知見を文書化する仕事は、都庁・知事部局から切り離し、外部に調査委員会を設け、複数の第三者的専門家がまとめるべき事柄である。もちろん、公式に編集される(かもしれない)文書のほかに、有能なジャーナリストがより掘り下げた有益な著作物を執筆するかもしれないし、またそうあるべきだ。

現職の職務は課題解決にある。その課題は行政の現実から与えられるものだ。自分自身に有利な流れをつくるために適した問題を課題とするべきではない。いずれにせよ、政治家は自らの意思で立候補したのであり、当選のあと直面する課題はそれが何であっても、自分自身の課題として誠実に取り組むべきだ。これこそ真の「不惜身命」、「任重くして道遠し、仁を以って我が任となす又重からずや、死してのち已む又遠からずや」ではないか。

★ ★ ★

ただ、なんでこうなったんヤ、と。憤懣やることなき有権者もいるのだろう。不正な談合があったのではないか。少数のグループが甘い汁を吸っていたのではないか…、そんな疑惑だ。

それは小生も同感だが、他方、経験から得られる統計的傾向も無視できまい。つまり、誰もが感じる「疑惑」があるときに、その疑惑を調査して、疑惑が事実であったと証明された「疑獄事件」がこれまでいくつあったろうか。ほとんどは空振りであったというのが小生の経験的印象である。

真の疑獄事件は、多数の人たちが感じるような疑惑などは全くない、そんな安全地帯の裏に隠れているものだ、と。これが従来の経験から得られる印象なのだ。

疑惑の証明は、長時間の情報の収集、整理を通した地道な作業から初めて可能であり、それこそハルバースタムの『ベスト・アンド・ブライティスト』を執筆したのと同等(もしくはそれ以上の)のエネルギーを投入しなければならない作業だと思うのだ、な。それに適合した調査(ないし捜査?)組織がある以上、その組織に委ねるべきだ。政治≠捜査、政治家≠捜査主任が原則であるのは当たり前だ。

「ちょっと聴いてみなければいけませんね』くらいの乗りで実行できる事柄は本当は多くはないのである。真の無責任はこんな姿勢の方である。



2017年3月3日金曜日

メモ的予想: 「金正男殺害事件」の今後の展開

標記事件の情報がそろそろ北朝鮮・平壌の市民にも伝わってきたようだ。
【ソウル聯合ニュース】北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男(キム・ジョンナム)氏がマレーシアで殺害された事件が北朝鮮の平壌でうわさになっているようだ。韓国で活動する北朝鮮脱出住民(脱北者)団体「NK知識人連帯」の金興光(キム・フングァン)代表が3日、聯合ニュースの電話取材に「海外駐在員を通じ平壌市内に事件が伝わり、市民が憤っている」と明らかにした。
(出所)朝鮮日報、2017年3月3日

他方、韓国のソウル市内はいま大変な状況になっているという。 大統領弾劾派と支持派がともに示威行動を展開し、決して退かない気構えだという。

 1919年3月1日に起こった日本からの独立運動「三・一運動」98周年を迎えた1日午後2時、ソウル・光化門広場に車両で巨大な「コ」の字型の壁が築かれた。警察はバス610台を動員、ソウルを象徴する光化門広場を取り囲んだ。この車の壁の外側では朴槿恵(パク・クネ)大統領弾劾に反対する団体の「太極旗デモ」が同時多発的に行われた。その一方で、車の壁の内側にある光化門広場では朴大統領弾劾・逮捕を求める「ろうそくデモ」が開催された。 
(中略) 
 この日は「三・一運動」98周年の記念日だったため、双方のデモ参加者たちとも太極旗を持ち、「大韓民国を守ろう」と叫んだが、その内容は正反対だった。手に持っていた太極旗を武器のように振り回して相手に向ける人もいた。社会的確執を解決しなければならない政治家たちも二つに分かれ、それぞれのデモに参加した。金鎮太(キム・ジンテ)議員、ユン・サンヒョン議員ら自由韓国党親朴派議員や金文洙(キム・ムンス)元京畿道知事などが弾劾に反対派デモに参加し、共に民主党の大統領選出場候補者・文在寅(ムン・ジェイン)前代表、李在明(イ・ジェミョン)城南市長、秋美愛(チュ・ミエ)代表らはろうそくデモに参加した。
(後略) 
 双方のデモが行われた午後2時から6時間、世宗路・太平路・鍾路・乙支路など光化門一帯の交通は全面規制された。週末のソウル中心部はこうした大規模デモで事実上、4カ月以上にわたりマヒ状態になっている。
(出所)朝鮮日報、2017年3月2日

バス600台で警備というのは相当なものではないか。隣国の首都の中心部がもう4か月以上もマヒ状態に陥っているというのは、日本人なら知っておいていい情報ではないのか―まあ、週末に限ったことであるそうだが。日本の安保法制成立時を超える規模になっているのは確かだろう。

南北ともに朝鮮半島の情勢は今後一挙に不安定化する可能性が高くなってきた。

***

一つの可能性、というか「流言飛語」:

韓国・憲法裁判所(最高裁)での大統領弾劾審理は終了した。来月上旬に判決が出るとの見通しだ。

その場合、現在の判事の構成をみると、かなり高い確率で弾劾は否決され、朴大統領は即日復職する。その直後、大統領は全土に戒厳令を布き、軍部主導の下で反対派を国家転覆罪容疑で一斉検挙する(のではないかという憶測があるそうな…、なるほど今回の韓国騒動はどこか国外勢力による陰謀めいているし、現在の日米両政権ともにこの選択を容認しそうでもある)。

弾劾派は当然これを予測しているので、そうなる前に大統領の自発的辞任を求めようとする。が、その場合、大半の国民が大統領弾劾、大統領逮捕に賛同することが鍵である。国民の支持が明らかに弾劾派に傾く状況になれば軍部は大統領を見放すだろうか。

そうはなるまいと読む。軍部の動向が事態の進展を左右するが、大統領が弾劾否決まで持ちこたえれば、反対派は「革命」の成功を断念し、国外脱出・亡命を企てるだろう。亡命先は中国以外にはありえず、反対派は中国に亡命後、中国の支持を得て「民主化のための臨時政権」を樹立する。

この事態を北朝鮮が歓迎するか、拒否するか、見当はつかない。が、疑心暗鬼に陥れば金正恩体制と中国の間が緊迫する。北朝鮮で変化が起きるとすればこの段階だ。

中国は、Thaad配置決定への報復から「亡命臨時政権」を支持し、また韓国に対する経済制裁を強化する方向を表明するが、これはアメリカにとっても黙過できない事態となる。が、朝鮮半島全域に安定を戻しうるのは、ただ一つ中国の戦略であることが徐々に明らかになる。

ここに至って、中国、ロシア、米国の了解のもとで朝鮮半島統一政権への道筋が中国主導の下で引かれることになる。中国が臨時政権の承認とThaad配置撤回、「半島非武装化」を条件に韓国への経済制裁を停止するのはもちろんだ。

***

単なる妄想であることを祈る。

TVのワイドショーは「金正男事件」と「森友学園」とを同列に並べて、両方とも同じ大事件であるかのように連日集中放送している。

まったく滑稽である。みそもくそも一緒とはこのことである、な。

議論するべきことを議論すると安倍政権と与党のペースにはまって埋没してしまうので、日本の野党はスキャンダルをとりあげることで国会の審議時間を消費し、与党の消耗を狙う戦術を選択したと言えそうだ。天皇退位問題の処理もあり、現政権は土俵際まで押し込まれているともいえそうだ。

安倍現政権のとりまきの一つに「極右」がある。失敗したはずの戦前期・日本を美化する愚かな人間集団であるという点は同感。しかし、だからといって森友学園事件は右翼の陰謀、右翼政治家が加担しているというのは(やはり)バカバカしいと思う。

確かに「森友事件」は面白い。しかし、半島情勢は「面白い」ことに加えて「重要」である。なぜ半島情勢をもっと掘り下げて話題にしないのだろうか。テレビ局の番組編成部という所は思考回路が違うのだろう……。

そういえば、以下の報道もあった。
 北朝鮮による核兵器の脅威に対応するため、トランプ米政権が武力行使や政権転覆などの選択肢を検討していることが分かった。政権内部の対北朝鮮戦略の見直し作業に詳しい関係者が明らかにした。東アジアの同盟諸国を緊張させかねない動きだ。
(出所)WSJ、2017年3月2日

本当に、このところの日本の民放テレビ局のニュースもどき、ありゃあ一体何なんでござんしょう。NHKは面白くないっていやあ、そりゃ詰まらねえんですけど、あんな風なことはござんせん。