先週、ちょっとしたヘルニアで腹腔鏡下手術をやって週末に退院して宅に戻った。
現代の医療は本当に素晴らしくなってきている。ずっと昔、父が亡くなった時にもこんな手術や薬剤が利用可能であったなら、と。そう思う。
で、日常が戻る中で、いつものように朝食をとりながら、カミさんが贔屓のTVワイドショーをみる。と、やっぱりやっているのですね。「森友事件」と「百条委員会」。
驚きを通り越して、呆然・慄然・憮然の世界となる。
自衛隊の文官統制は機能しているのか。いわゆるPKOと「駆け付け警護容認」、憲法上の規定は矛盾していないのか。現状のまま、自衛隊の「海外派兵」、いやいや「海外派遣」に予算を認め続けるのか。国会のこんな姿勢こそ、満州事変以降の日本の内閣と議会そのものではなかったのか。なぜそれを議論しないのか。
以前の投稿で「ワイドショーの国会ジャック」が起きているのか、「国会がワイドショーを方向づけているのか」。そんなことを書いたが、いずれにせよTV中継の対象である予算委員会とワイドショーがシンクロしているのである。
他方、TVとはあまり縁のない例えば法務委員会では「共謀罪法案」の扱いが検討されている。厚生労働委員会では「保育所問題」や「育児休業」が審議されている。TV中継される予算委員会以外の委員会では、総じて真剣な審議が行われている。そのことをTVはまったく見ようとしていない。
以前に、日本陸上の特に男子長距離界の弱体化が進んだことと箱根駅伝の視聴率の上昇トレンドとの間には、有意な因果関係を統計的に検出できるのではないかと書いたことがある。
同じように、予算委員会に偏重したTV中継と無責任な毎年度の予算編成との間には統計的に有意な関係が認められるのではないか、と。
そんな憶測をしている。
こう書いてくると、「TV中継」なるものが日本国民に何らかの価値を提供しているとは全く思われない。あえて言えば、TV局の番組編成局に所属する無学・無教養なプロデューサーの「見識」などは排して、多くの常任委員会・特別委員会をローテーション方式で機械的に中継していく方が国民への情報提供としては一層適切であり、国会全体の活動状況を正しく伝えることが可能で、また個人個人の国会への関心を刺激することにもつながるだろうし、そのためのルール作りを国会との間で取り決めるのが優先事項であると思うようになった。
つくづくそう思いながら、情けなきこと、涙こぼるる、と。そんな心持ちなのでござります。
それにしても、この一ヶ月。予算委員会は何をしてきたのだろうねえ・・・、「勢い」というやつか。ちょうど陸上競技のレーンは見えているのだが、勢いがつきすぎて「曲がれない〜〜っ」と。まあ、そんな感じであるのかもなあ・・・。
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