2017年7月25日火曜日

新聞: 社会の公器たりえず、元の私企業として存続をはかるのが自然か

極右から右派までをカバーする産経新聞、極左(→赤旗の購読者層だろう)とまでは言えないが左翼の代表的な拠点である朝日新聞と。その中間に読売、毎日、日経と、最近は目立って新聞各社の政治的ポジションが明瞭に表面化するようになっている。

それに伴って、新聞各社と安倍政権との親密度にも違いがハッキリと伝わってくるようになり、その周辺に集合する同志(?)集団がネット上で互いにぶつけあうネガティブ・キャンペーンももはや罵詈雑言としか言えない様相を呈してきた、というのが2017年の日本の政情、社会状況の特徴である。

端的に言えば、敵対的党派感情の高まりと社会的分断の進行。

このように激しい党派的感情は、2009年9月16日に発足した鳩山内閣から2012年12月16日の衆議院選大敗で終焉を迎えた民主党政権の時代においても、見られなかったように記憶している。

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そもそもインターネットの台頭の中で新聞社(及び放送局)の情報独占は崩壊し、新聞社が大衆啓蒙的・中立的情報メディアであろうとするビジネスモデルはもはや持続不可能になっている。この点は十数年も前から多くの人に指摘されているところで、いよいよ日本でもそんなリアルな潮流の変化が目に見えるようになったか、と。そうみるのが自然だろうと思う。それが善いか悪いかという、そんな価値判断の対象ではなく、そうなるのは何故かという分析対象であるということである。

亡くなった父は、朝日新聞の記事を毎朝読んではこきおろすのを趣味としていたが、「もうこれはダメだ」と言って購読を止めることは一度もしなかった。その頃、情報取得で頼りになるのはTVがあるとはいえ何と言っても毎日朝夕の新聞であったし、新聞を読むことが真っ当な社会人であるライフスタイルでもあったのだ。通勤電車の中で日本経済新聞を広げて読んでいる人がいれば、その人は背広にネクタイをしており、その多くは日本橋や銀座、霞が関辺りで降りて行ったものである。

とはいえ、新聞社はもともと私企業である以上は、利益を上げる必要があり、読者は顧客である。である以上、顧客満足度を高めることが求められるが(でなければ、代金を払ってまで買ってもらえない)、情報はインターネットからいくらでも入手できる状況の下では、新聞から得られる顧客満足は単なる情報提供によって形成されるのではなく、顧客の志向に合致した味付けが新聞社の提供できる付加価値となる。その味付けとは一定の観点に基づいた見方なり解釈であり、原理的には野球の解説や天気予報の解説とあまり変わるところはない。新聞社が述べる論調に対して志向を同じくするファンが集い共感し合うのであり、その様子は好きな評論家が語る多事争論をきいて溜飲をさげスッキリした気持ちになるのと本質は同じである。こんな「納得感」こそいま新聞社が読者に提供できる付加価値の中身になっていると思うのだ、な。

新聞の紙面が党派的になるのは時代の流れであり、ニュートラルなジャーナリズムというのは存在できないのが21世紀という時代であると言ってもよいだろう。新聞の個性をわける党派性は、今後ますますハッキリとしてくるであろう。というより、ハッキリさせるほうが読者が喜ぶので、そうせざるを得ない社会状況に新聞社は置かれてしまっている。

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こんな時代の潮流を悪いとか、情けないと評価するのは適切ではない。理解するしかないのだ。そう、理解するしかなく、また分かってくると思うのだが、ただ一つ、新聞はもはや「社会の公器」ではなく、<社会主義者の|リベラル派の|中道左派の|中道右派の|極右集団の>主張。その意味では、「メディア」と呼ぶよりは「パンフレット」と言うべき出版物になってきているのが21世紀の新聞である。元々創立当初から各社は社風として個性をもっていたのだが、こうやって原点の理念に戻り、新聞社は21世紀にも私企業として存続するであろう。批判ではない。予想なのである。

ずっと昔、1934年10月に戦前期の陸軍省は『国防の本義と其の強化の提唱』というパンフレットを発表した。会社も組織もどこも「主張」というものをもっており、俗に「陸パン」と呼ばれるこの印刷物が、その後10年余の軍国主義日本の魁(サキガケ)となったことは忘れるべきではない。パンフレットは、意見の表明であるから、もちろんその自由は保証されなければならない。しかしながら、データや事実の断片を素材に編集された内容全体は、あたかも客観的解説であるかのような外観を呈している。未来への方向を知らせているような文面になっている。この点は、「陸パン」も現代の新聞も同様だろうと。そう思うようになってきた。

とすれば、その点を弁えて読めばよいわけであり、新聞社の購読者獲得競争の消長がそのまま社会全体の世論の在りどころを伝えると言う意味では、普通の雑誌市場に近い競争市場にいよいよなってきた。それはそれで進化していると見ているのだ。これもインターネットの登場と普及と高速化がもたらした社会の変化の一端である。

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進化それ自体は良いに決まっている。心配なのは次の点だ。

公器、というより特定の政治的立場にたった組織として自社の主張を展開し、新聞社が互いに競争をするのは、必ずプラスの価値をもたらすと思う。しかし、競争が過当競争になり情報の品質向上(高コスト・ハイレベル知的側面)より、むしろ面白さ追求(低コスト・エンターテインメント的側面)に力が注がれてしまえば、社会進歩の動力にはなりえない根拠なき敵対的党派感情(負の熱狂=Negative Fanaticism)を日本社会の中にばらまくだけの結果になるやもしれず、その場合のマイナス効果は計り知れない。

さて、こうなってくるとダ・・・・・こんな時代状況においては、新聞の販売システムもいずれ再構築せざるを得なくなるだろう。1社の新聞のみをずっと購読しようとする強固な顧客は数が限られてくると思うからだ ー 実際、日本社会で最多数であるのは「無党派」集団であるし、無党派集団に対して党派的記事を掲載するのはマズイ戦略であろう。かといって、無党派集団を販売ターゲットにしようとすれば、政治色は脱色して身の回り中心の小新聞にリニューアルしなければなるまい。これはこれで、競争の激しい市場である。小生宅も仕事から引退して日経記事を教材に使うことがなくなれば、そろそろいいかな、と思っている。また、新聞社の収益源も改革を余儀なくされるだろう。党派性とCM媒体としての適性は両立し難いからだ。どうやら今後2、30年のうちにはどの新聞社も大規模な経営改革を迫られると思われるのだが、このテーマはまた別の機会にとっておきたい。


2017年7月22日土曜日

上西議員的間違いの本質は?

上西小百合・衆議院議員がツイッターで炎上している件は、騒がしい今年の世間にまた一つ話題を提供した形になっているのだが、中でも(大げさに言えば)哲学的関心をも集めているのが、熱狂的サッカーファンにあてた次のメッセージだ。

サッカーの応援しているだけのくせに、なんかやった気になってるのムカつく。他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ。

このツイートに対してサッカー選手の立場から次のコメントがつけられたのは、上の言葉が予想以上のインパクトをもったからだろう。

J1・FC東京の石川直宏選手も自身のTwitterで、「自分の想いだけでなく、人生乗っけてくれる皆の想いを胸にピッチで戦える事がこの上なく幸せだと感じる選手がいる」と、サポーターや選手の心情に対する理解を求めた。その上で、「そんな雰囲気も是非味スタで感じて欲しいな」と実際の試合を観戦に来るよう願った。

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少し話は変わるが、昨晩、同僚のT准教授と寿司を食べ、その後近くにあるおでん屋にいって、4時間ほどを過ごして帰った。

話は、村上春樹から葉室麟が道新に連載している新作『影ぞ恋しき』へ進み、そして雨宮蔵人シリーズの第1作『いのちなりけり』の話となり、そうなると舞台は肥前佐賀藩になる以上、当然のことながら山本常朝の『葉隠』になったのは自然な流れである。

その『葉隠』は小生の非常な愛読書で、好きになったきっかけは(これも月並みだが)三島由紀夫の『葉隠入門』をずっと昔に読んだことだった。

記憶している下りは幾つかあるのだが、上西議員の考え方が根本的に「おかしい」、というか「非日本的」だと感じたのは、次の一節も手伝っているのかもしれない。ちょっと引用しておこう。
エロース(愛)とアガペー(神の愛)を峻別しないところの恋愛観念は、幕末には「恋闕(レンケツ)の情」という名で呼ばれて、天皇崇拝の感情的基盤をなした。いまや、戦前的天皇制は崩壊したが、日本人の精神構造の中にある恋愛観念は、かならずしも崩壊しているとはいえない。それは、もっとも官能的な誠実さから発したものが、自分の命を捨ててもつくすべき理想に一直線につながるという確信である。(出所:新潮文庫『葉隠入門』、37頁)
サッカーと天皇制を横並びで比べるのは無茶ともいえるが、極端なこの二つのケースにも共通項が存在していることには、多くの人が賛同するのではないかと思うのだ、な。その共通している要素は歌舞伎『勧進帳』における九郎義経と武蔵坊弁慶の主従からも伝わってくるわけで、これは男女の愛ともどこか違っているかもしれず、女性には理解しがたい心情なのかもしれない。

要するに、好きな人、好きなチーム、好きな会社にとことん捧げるという非合理な心理であり、これを三島由紀夫は「恋愛感情」と言っているのだが、現代日本語で使われる「恋愛」とは実質的意味が違うかもしれない。つまり、外観としては『好きなチームをただ応援している』ように見えるのだろうが、つまりは好きで、好きで仕方がない。そこを実感として理解できないと、日本人というのが理解できんのじゃあないか。そう思うのだ、な。

葉隠はまた『人間一生誠にわずかの事なり。好いた事をして暮らすべきなり』と語り、また『一生忍んで思い死にする事こそ恋の本意なれ』と言っている。 忠義やら「信なくば立たず」とか、理屈っぽいことは書いていない。

上西議員の言うことは、個々人は主体的に最も意義(=私益でも公益でも文化的価値でもよい)のある生き方を計画し、それを実行するべきであるという個人主義的最適行動原理の観点から発したものかもしれず、もしそうならそれはそれでこの30年間非常に増えてきた考え方でもあるのだが、結局、非常に深いところにある日本人的心理に共感できてはいない。理解できていない。女性だからなのか、若いからなのか、分からない人だからなのか、それは分からない。が、少なくとも日本社会で政治家という仕事をやっていくには大事なことが欠けている。これだけは言えると感じた次第。

× × ×

実は、『葉隠入門』で太く赤線を引いている箇所がもう一つある。これも覚え書きとして引用しておこう。

「我人、生くる方が好きなり。多分すきな方に理が付くべし」、生きている人間にいつも理屈がつくのである。そして生きている人間は、自分が生きているということのために、何らかの理論を発明しなければならないのである。(95頁)

要するに、死ぬか生きるかになれば、ほとんどの人は生きたいと願う以上、生き延びる方策のほうが正しく、死に急ぐほうは間違いだということになる。だから生き延びたほうが正しかったという理論がつくられ、事後的に死んだ方は間違っていたということになってしまうのだ。それは仕方がないことだが、真の意味でいずれが正しいかということは別にある。

反・学問的言説としてこれ以上に鋭い哲学はない。また、ストレートにズシンとくる思想もない。

注:
小一時間ほどして読み返すと本稿には公人とはいえ「個人名」が登場している、それに「女性は何トカ」の表現も混じっているネエ・・・変えようもないが。何年か前に通知なく投稿を削除されたことがあった。本稿のドラフトは別に保存しておこう。いざという時に無くさずにすむ。






2017年7月20日木曜日

一言メモ: 議院内閣制の下の国会議員と官僚(=部下?)

またまた稲田防衛大臣の失態がメディアを賑わせている。「戦闘」という二文字が記載された日報を隠蔽するという決定を大臣が了承していたか、了承はしていなかったか、という点でまたまた報道と否定の水掛け論になっている。

ホント、今年はこういう「水かけ論」があまりにも多い。

「水掛け論」にならざるを得ない段階で一般読者・視聴者に報道してしまうメディア各社にも大いに責任があると思われるのだが、これは別として、いまは以下の一言メモ。

本ブログで最近まで立ってきた観点とは別の方向からみたときの「見え方」である。これまた「水掛け論」になるかも。

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行政府を構成する中央官庁のトップの多くは国会議員である。特に、その人事を司る総理大臣は国会が指名する。つまり、日本の統治形態は議院内閣制であるわけで、これは小学校から勉強する基本である。

立法府が行政府をしきるという議院内閣制で国会議員が行政府に入ってくるのは、当然の人的配置であるわけだが、議員はあくまでも国民が選出し立法府に雇用された公務員である。他方、行政府に雇用され、実働部隊となっているのは官僚であるー自衛官も定義上は官僚である。官僚とは行政府を構成する人的資源である。

戦前期には行政府が立法府、司法府に優越し(だからこそ軍部が独走できた)、戦後は立法府が「国権の最高機関」となっているが、戦前も戦後も原理としては三権分立制をとってきた。

つまり行政府に雇用されている人材は、立法府に雇用されている議員(及び職員等)の部下ではない。民間企業にはオーナーがいるが、国会議員も官僚もオーナーではない。どちらも国の使用人である。

官僚は試験に合格し、議員は選挙で当選して採用される。選抜方式が違うが、この違いは主として必要とされる能力や職務への適性の違いを反映するものだ。上級官僚を選挙で選んでも良いし、一部の国会議員を試験や推薦で選んでも良い。実際、戦前期には勅選議員がいた。採用区分の違いは選抜コスト最小化・公益最大化の論理によるもので、それぞれの方式自体に尊重するべき価値はない − ある日の選挙でより多くの票を獲得するということと、ある日の筆記試験でより多くの得点を獲得することと、どちらがより多くの努力を必要とし、どちらがより尊重されるべきかという問題に正解はおそらくないだろうと思うのだ、な。

事務次官以下の官僚集団が閣僚の部下である形になっているのは、(主に)国会議員が中央官庁に「出向して」上司の椅子に座るからである。民間出身者が同じ椅子に座るのと本質は変わるところはない。

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仮にだが、大臣に「政治家としての傷」をつけないために、事務当局のトップが責任をとって辞めるという形がとられるとすれば、議院内閣制、というか維新以来の三権分立の原則に反するだろう。

国民の多数派を代表する国会が内閣を構成し、内閣が行政府を指導するのが原理ではあるが、「非合理な行為」(≒国民に説明できない理由による行為)によって議員が行政府の資源を毀損するとすれば、憲法が国会に与えている権利を超えていると言うべきだ。

問題は、行政府を指導するべき「内閣の失敗」をどの機関がいかにして認定するかだ。社会システムの失敗には、「市場の失敗」、「官僚の失敗(=行政府の失敗)」、「国会の失敗(=選出制度の失敗?)」などが挙げられ、それぞれ日本は経験済みであり、曲がりにも失敗の可能性が認知され、対応策がとられてきた。しかし「内閣の失敗」はまだ議論されたことがないのではないか。

専門分野ではないが、このような問題については法学者の議論の積み重ねが既にあるのだろう。あとで勉強することにして、いまはここにメモを書いておく次第。

2017年7月16日日曜日

断想: 変わらない要素が歴史の一貫性をつくる

どうやら北朝鮮を相手に軍事行動を展開するのは危険すぎて不可能であるようだ・・・、当たり前のこの事実をアメリカ・トランプ政権も理解して来たようである。だから「戦略的忍耐」があったのにネエと、今更気がついても遅いワイ! と言っても仕方がないか。

中国がつないでいた北朝鮮という名前の狂犬が、トランプと名乗るならず者と仲良くし始めた主人に疑いをもって、暴れまわったあげくに綱を噛みちぎり、みんなが困り果てていたところ、ロシアの狩人プーチンが力づくで犬を抑え付けて、ロシアの番犬にした。
 ま、こんなところではないかと。

思うのだが、一人の人間であっても若い頃の夢はなんども思い出すものだ。そういえば『初恋はまひるの月のようなものだ、見えなくてもそこにはあって、暗くなるとまた姿を現す』、何かこんな文句を聞いたことがある。夢も初恋も似ているところがあるのだろう。

一人の人間でもそうだから、民族や国となれば、一度もった夢は100年も、200年も見続けるだろう。

アメリカの夢は周知のように20世紀初頭以来、中国という巨大マーケットでビジネスを展開して大儲けすることだ。日本はその前に障壁を築こうとしたのでアメリカの敵になった。いまは、当の中国政府から自由思想が警戒され、いまだ見果てぬ夢のままである。

ロシアの夢は満州と朝鮮の獲得である。日露戦争は、それを心配する日本が早手回しに行った予防戦争であった。ロシアは日露戦争で夢が一度は途絶え、その後のロシア革命によりロマノフ王朝は倒れ、ソ連が引き継いだが、そのソ連もすでに消え去った。が、ロシアとして同じ夢をまだ持っていてもおかしくはないし、夢は夢であってこそ夢であるというなら、同じ夢を確実にいまももっているだろう。

第2次世界大戦で、国際情勢はまったく様相を変えたようにみえるが、結局同じところに戻りつつあるのかもしれない。

中国が分裂するとすれば、南と北に別れると思っていたが、まずは満州(=東北3省)とモンゴルを包む辺りで不穏な空気が醸成されてくる。こんな進展もあるかもしれないと思い始めた。

GDPなどという数字は余り使える指標ではないのだな、こういう場合は。核兵器を持っていても機能しないだろう、こういう場合は。

東北部が中国であるのは清王朝の遺産で、その清王朝がなくなったいま、元々中国であったことはないのが満州という土地だ。

歴史は繰り返すと言われるが、そのままの形で繰り返されることはない。人間は歴史に学ぶことができるので、予想できる結果を避けようとするからだ。しかし、ずっと同じ夢をもち、同じ動機を持ち続けるのも人間の常だ。同じような出来事がなんども反復されるのはそのためだ。そして、最後に決定的(=final, absorptive)な結果がもたらされて、歴史は大きな曲がり角を迎える。そう思っている。

2017年7月14日金曜日

消費税率10%引き上げのリスクは?

内閣府の景気動向指数研究会が最近の景気変動状況について審議結果を公表している。
議論いただいた結果、2014 年の状況は景気の山を設定する要件を満たさず、研究会 としては、第 15 循環の景気の谷以降、景気の山はつかなかったとの結論について全委員の意見が一致した。これを踏まえて、経済社会総合研究所長が、第 15 循環の景気の谷以降、景気の山は設定されない旨、発言した。 また、研究会の意見を踏まえ、内閣府として、景気動向指数の採用指標についても、 一致指数の採用指標の拡充等、引き続き検討していくこととした。

小生は、以前にも投稿した通り世界景気は、2014年後半以降2015年にかけて景気後退局面に入り、2016年第一四半期に底入れしたと見ている。これは2007年末にピークをつけ2008年にはリーマン危機を招いた大きな景気の山から7年を経た後の設備投資循環のピークだったと認識していることでもある。世界景気としては、だ。日本は世界景気と100パーセント共時的にシンクロして変動しているわけではない。が、それでも日本の景気は世界経済の動向に敏感に感応しやすい特性を持っているので、世界経済とは関係なくずっと長期的に景気拡大局面が続いているという判断は非現実的だと思う。


さて、安倍首相が消費税率10%引き上げ再延期を表明したのは2016年6月1日のことだ。そもそも消費税率は、まず2014年4月に5%から8%へ、2015年10月に8%から10%へ引き上げると『社会保障と税一体改革』(2012年2月17日閣議決定)の中で決められていた。2014年4月の引き上げは実施したが、2015年10年の第2段階引き上げ実施を延期していたわけである。予定では、2017年4月つまり本年4月から消費税率は8%から10%に引き上げられることになっていた。それを2019年10月まで引き上げ時期を再び2年半延期したのだった。

しかし、内閣府の景気判断は先月の景気動向指数研究会でも議論があったように、日本経済は延期を表明した2016年6月には景気拡大局面にあった。そう認識していたはずだ。にもかかわらず、必要な財政需要を措置するための税源を放棄する決定をしたのはロジックが通らない。

なるほど、昨年6月時点の日本経済は、景気判断が微妙だったとは思う。しかしながら、昨年の5月14日という時点で予測計算を投稿しているように、その時点に入手できる簡単な景気動向指数系列を用いるだけで、間もなく景気は底入れするという可能性が明瞭に見通せていたはずだ。 既に、2016年初から原油をのぞいた国際商品市況は回復への動きを示していたことも考慮すれば、2016年6月という時点で景気の先行きを心配して、2017年4月に予定されていた税率引き上げを延期するという結論を下すのはロジックが通らない。

昨年5月頃に景気分析をしていたはずの内閣府はどこをどう見ていたのか?よくわからないのだ、な。

確かに熊本地震の発生という天災要因はあったが、これはこれで対応可能であり、復興需要もまたあったわけだ。

もし本年4月に消費税率を8%から10%に引き上げていれば、引き上げ延期で実施が見送られた年金機能強化、子育て支援、介護支援も実施できたはずであり、先日の都議選でも大いにアピールできたはずだ。

もちろん、2パーセントの税率引き上げでも3月中の駆け込み需要、4月以降の反動減があったとは思う。

このトラウマが自民党にはあったのだろうが、1997年4月に実施された3%から5%への消費税率引き上げは、同年夏の「アジア危機」と重なってしまった不運があった。というより、1996年が相当の蓋然性をもって景気の山であったにもかかわらず、97年4月から税率引き上げを強行した経済財政当局に判断の無理があった。

今回の引き上げと97年の引き上げを同一に見るべきではない。

また2014年4月の5%から8%への引き上げは、景気がピークアウトする直前で実施されている(この点、政府の公式の景気判断とは違う)。1997年4月ほどではないが、時期の選択が完全に正解というわけではなかった ー というより、消費税率引き上げという戦略的な構造改革を景気循環という足元の状況に関連づけて議論するのは政治の堕落ではないかと小生は思っている。どうしても契約最終年にあたる今シーズンに優勝したくてエースに連投を強いたり猫の目打線で奇道をとる監督の場当たり戦術と相通じている。ま、とにかくも

羹に懲りて膾を吹く

消費税率引き上げにまつわるトラウマが自民党にはあるのだろう。


さて、消費税率10%引き上げだが、このまま行くと、2019年10月だそうである。しかし、小生は予測しているのだが、2014年第2四半期あたりに直近の景気の山があったとすると、次の中期循環の山は2021年前後にやってくることになる。

小生は東京五輪まで景気が続いてくれることを期待しているが、五輪後の景気崩壊をもひそかに恐れている。五輪がある2020年までは株価の変動に一喜一憂せずにもっておこうと思うのだが、2019年の後半にはそろそろ売っておいたほうがいいか。早手回しにそう思ったりもしている。株式市場は実体経済よりも先に変動するものだ。

なので、2019年10月から消費税率を引き上げたとして、引き上げ後それほどの時間がたたない内に株価が急落し、その後実体経済も落ちて行く。そんな経過をたどる可能性はかなりあるのではないか、と。それこそ1997年4月の引き上げ劇の再現になるのではないかと予想したりしている。

次の設備投資循環の後退局面は、中国経済も成熟化を深めているので、これは厳しいですぜ。深い谷になりますぜ。日本で経済政策を失敗したりすると、またまた政権交代があるかも。そんな風に考えたりもする。

ま、昨年6月の時点では「中国景気はいまだ着実とは言えないので、アジア危機再来の可能性を考えれば、消費税率引き上げ延期もやむをえない」と、そんなことを書いてはいたのだが。

長期計画は着実に実行しておくべきだった。安倍首相自らが約束したことでもなく、理にかなった戦略でもあったのだから、引き上げ後に多少の経済的波乱があっても直接の責任にはならなかった(はずだ)。今後、こんな風な後悔の念が高まるとすれば、ちょうど太平洋戦争開戦直前を思い起こすのと似て、再び『あの時、こうしていれば』の歴史的好例になるかもしれない。

2017年7月10日月曜日

メモ: 憲法改正まで何歩進んでいるのか?

以前の投稿ではこんなことを書いている。安保関連法案が成立した直後の頃だ。

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どちらにしても、戦後体制は大きな曲がり角をユックリと曲がろうとしている所だ。これからの進展についていま予測していることをリストアップしておく。

  1. 反対デモが報道されたが、通常、デモは反対のためにするもので、賛成デモはあまりしないものだ。放映された反対デモの背後には、相当数の賛成派、というより「理解」派、「同感」派、「いいんじゃない」派等々の国民が多数いると推察される。大体、全国の主要大学のどこで学生集会が開かれ、どこの大学で「安保法案反対全学スト」が議決されたのか。小生の大学では、立て看板はおろか、ビラもポスターも全く、一枚も目にしない。食堂で学生達が安保関係の話しで議論している様子もない。マスメディアもまたコア層がどこにあるかに気がつき、報道の姿勢を変えていくだろう。それも「急速に」である。
  2. 政権批判は来春あたりまで続くと思うが、それと同時に戦後の憲法学界の潮流について様々な企画がなされ、憲法学界だけではなく各分野から色々な意見・指摘が掲載される。そんな中で、誰か、いずれかの憲法学者が自己批判的な文章を発表するのではないかと思われる。それをきっかけにして、憲法学界の中の旧世代と新世代の間で論争が始まる。そして新世代の中から台頭する「新立憲主義」が世間の喝采をあびる。概ね4、5年位の間には新しい潮の流れが目に見えてくる。
  3. そんな新しい立憲主義の展開、浸透から第9条だけではなく、複数の条文を対象に憲法改正案が(名誉回復、というかリベンジの意味からも)学界から提案され、次に与野党が合意する臨時憲法調査会が設置され、その答申を元にして改憲が発議される。今から8年ないし10年くらいはかかるのではないか。残念ながら安倍現総理が憲法改正にまで至るのは無理だろう。無理をすれば必ず制度的欠陥が混じる。
  4. この改憲発議までの8年乃至10年の間には、必ず今回の安保法制について違憲訴訟があり、最高裁はいずれかの時点で違憲判決を出す。それによる混乱と新立憲主義の浸透から憲法改正への動きが多くの国民から支持される。

大体、こんな風な予測をたてているところだ。

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2015年9月19日投稿だから、投稿時点から2年程が経過したことになる。

昨日、近くの書店に寄ったので、このところ評価の高い篠田英朗『集団的自衛権の思想史−憲法九条と日米安保』を購入しようとしたところ、やはり地元の町の書店ではダメだ。売れる見込みがないのだろうか、置いてないのだな。今年度の吉野作造賞を受賞しているはずなのだが。

仕方がないので、上の本を大衆向けにしたと言われる『ほんとうの憲法:戦後日本憲法学批判』を買った。ちくま新書だから、すぐ読める。

上の投稿で書いた2年前の予想図では、現時点はどの段階に相当するのだろう。

日本の閉鎖的な(=ガラパゴス化した)憲法学界に対して学問的見地から適切な批判がされ始めたことはそうなのだろうというか、そうあるべきだと思うが、ただ憲法学界内部から溢れ出て来た自己批判というわけではない。ではあるが、思うに上の段階2の前半部分までは来たということなのか。

前の投稿では改憲発議まで8年乃至10年かかるだろうと予想している。2015年から数えているので、2023年乃至2025年になる。国民投票、(賛成多数の場合に)公布、施行までを考えれば遅くて2027年までに施行というところか。発議までを早めて5年程度に出来ないだろうか、と。そんなことも前稿では書いている。となると発議が2020年。施行が2022年頃。どうしても施行は東京五輪の後になる。そんな改憲予想図を描いていたわけである。

安倍現政権が願望しているのは(確か)2020年新憲法施行であるそうだ。

今はやっとせいぜいが段階2の前半の最初である。まだまだ前途遼遠だ。ほとんど不可能だろうと予想する。

おそらく北朝鮮問題が深刻化でもしない限り、発議まで8年乃至10年はかかるという最初の予想通りだと思う。そもそも発議にすら至らないかもしれない(それもまた客観情勢を考えれば非現実的だとは思っているが)。

2017年7月5日水曜日

自民惨敗が今後に投げかける本当の意味合いとは

ワイドショーなど町の噂では、都議選の自民惨敗によって安倍政権の終わりが始まるとか、政界再編成が進むとか、誰が都民ファーストの会に合流するかとか、色々な話になっている。これはこれで面白いのは事実だが、一つ大事な着眼点があるとすれば2012年12月から始まった第2次安倍内閣のレガシーは何であったか、いや「現状から推測するに何がレガシーになりそうか」という問いかけの方だろう。


とにかくこの20年以上、何かと言えば「改革」という単語が口にされており、「改革」を目指さない政党は政党にあらず、あるのは「リベラルな改革」と「保守改革」、この二つのみである情けない状況が続いている。

が、真の意味で国の形を変える改革をこの20年間に求めるとすれば、元首相・橋本龍太郎が基礎付けた行革のみである(と小生は思っている)。いわゆる「小泉改革」は、橋本行革で実現した中央省庁再編成と内閣主導の体制が可能にしたもので、いうなれば「橋本行革の残り香」のようなものである(と小生は思っている)― 安倍官邸の力はその残り香を更に煎じ詰めて、人事で苦くしたようなものじゃなかろうか。

いま小泉改革は「橋本行革の残り香」であるとたとえたが、それでも郵政改革は元首相・小泉純一郎が真に有していた問題意識を解決しようとしたものであった(のだろう)し、前代から引き継いだ課題であるにせよ「司法改革」もそうである。また、経財相・竹中平蔵が主導したものであったにせよ1990年代から引きずってきた「不良債権問題」を根本的に解消したことも政治的成果として今後ますます評価されると思う(と小生は思っている)。

本当の意味で「改革」を目指した内閣であれば政治的遺産が残るものなのだ。


先日の都議選における自民党惨敗をきっかけにして、今後始まるであろうことは第2次安倍政権のレガシーは何であるだろうか。この問いかけであろう。つまり、「安倍政権はなにを成し遂げた政権であったのか?」という総括を多くの専門家や素人が話すようになる。そして常識化する。通念が形成される。

そうなると、候補としては三つの成果があげられることは確実である。

  1. 特定秘密の保護に関する法律(2014年12月10日施行)
  2. 集団的自衛権容認の閣議決定と平和安全法制整備法等の安保関連法(2016年3月29日施行)
  3. テロ等準備罪の新設(2017年6月成立)

主たる成果はこの位ではないか。そして、この三つとも安倍政権が本来目指していた志であるようにみえ、確かに極右を基盤とする政権の個性がよく表れていると言える。

一方、経済政策のほうは、規制緩和や自由化が強調されているが、実は具体的な成果はほとんどないのが現実だ。電力自由化などはあるけれど・・・、医療や雇用、教育でのコア領域では目玉になるような、「これが自由化だ、創造的破壊だ」と言えるほどの成果はまだない(はずだ)。日銀が担当する金融政策は黒田総裁が就任直後からそれまでの白川前総裁の路線とは正反対の方向がとられ、いわゆる「アベノミクス」がスタートしたが、その後具体的に緩和・撤廃された規制は細々としたものであったのが現実ではないかと見ている。掛け声の大きさほどには、日本経済に新たなイノベーションは進んではおらず、むしろ日本の美点や匠の技を自画自賛するような風潮が高まっている(と小生は感じている)。つまり保守化している。

確かに、マクロ経済的にみて日本の雇用状況は劇的に改善され、株価も上昇したが、2012年12月以降の株価上昇は世界で進行した国際マクロ的な現象であり、現在の人手不足も多分に団塊の世代の退職、若年者人口の減少からもたらされている部分が大きい。この数年を振り返る時、改めて気がつくのはかつて続々と登場した「楽天」や「ソフトバンク」、「アスクル」、「ライブドア」等々といった荒々しくともエネルギーにみちた日本新興企業群の後続がさっぱりとだえている現状のほうだ。

あえて言えば、米国でヒラリー・クリントンが当選し、TPPが発効していれば大きなレガシーになっていただろうし、この点はアンラッキーというしかない。欧州(そして英国)と現在交渉中のEPAも最終合意に至れば(まだ未確定ながら)高く評価できる。更にまた、消費税率引き上げの三党合意(2012年6月)を覆して、約束を破ったことをどう評価するかがある。が、この点はなお微妙なところだろう。

要約すると、アベノミクスの旗印の下で既存の枠組みと対決しようとして、現実には決定的対立を避けて来た面が(今までのところ)目立つ。「岩盤規制」とはいうが、実は「規制は岩盤のようなのです」という言い訳として(これまでは)使ってきた。どうもそんな現実がそろそろわかってきた。そういう段階に来ている。もともとアベノミクスは三本目の矢が欠けていると言われて来たが、考えていたのはTPPの一本槍だったのか。「外圧」の他にはヤル気がなかったのではないか。そんな疑いが生じて来たのがいまの段階だ(と小生は思う)。

つまり、安全保障・軍事・治安領域においては過激なほどの政策方針変更を断行しているのに対して、経済・国民生活領域においては変更することに甚だしく臆病で冒険を避けている。それが現政権4年半の特徴だと言える ー その典型が理論的には必要で、確実に望ましいといえる消費税率10%引き上げ、世界的には微小とさえ言えるたった2パーセントの引き上げ(軽減税率対象の拡大も含め、それでもなお)の延期であった。

もちろん、これら全てが政治戦略であり、最も実現したかったことを先ず実現したと言えばそのとおりなのだろう。確かに安全保障は経済と暮らしより前に担保されるべきものではある。が、とはいえ、とってきた選択が本当に必要で、真に国民が望んでいたものと一致していたのかどうか、まだ理解は不十分だというのが(小生の)印象だ。


誰もが支持するような、国民のニーズに合致するような政策が現に展開されているのであれば、少々の不祥事は乗り越えられるものである。

要するに、大学における授業評価に似たような政権評価が、安倍政権に対して、これから多くの専門家によって語られるようになるだろう。あるべき状況に戻る、ということか。

その意味で、安倍政権というより「安倍一強」は確実に終わる。これから増えてくるこうした評価の眼差しに耐えるほどの政治的遺産を現政権は残しつつあるのだろうか?

恐いとすれば、この問いかけが一番恐いかもしれない。

政権の本当の敵がいるとすれば、前川前次官でもないし、都民ファーストの会でもない。まして消滅寸前の民進党ではない。本当に恐いのはこのような総括的な評価の視線だろう。



2017年7月4日火曜日

この先1年間は政治のノイズが拡大しそうだ

予想通り都議選では自民党が惨敗、公明党、共産党は良好、民進党は(予想を超えたとはいえ)消滅寸前という結果になった。

安倍首相の総裁選三選にも黄信号が灯る、かと思うと北朝鮮はまたミサイルを発射する。この先、来年にかけては政治的変動の季節になりそうである。

これは自然現象だが、北海道と熊本では地震があった。

ま、実に面白くなってきそうである。経済的には、ランダムな凹凸はあるにせよ上り基調でそれほど心配ではない。キーポイントは2019年10月まで延期された消費税率の10%引き上げだが、その前に総裁選がやってくる。今後1年間程度は純粋な意味での政治の季節になりそうである ー もちろん中国の不動産バブルの制御に当局が失敗するなどの異変がなければだが。

決定的なファクターは、「都民ファーストの会」が登場した点で、これによって何も極右勢力を基盤とする安倍内閣でなくとも、保守層は自分の意識にあった政権を選べるようになってきた、そんな変化がまだ兆しの段階ではあるが、民主党政権の崩壊以来初めて出てきたことだろう。

(参考)

長期的にはよい方向に向かっている気がするが、それにしても騒がしい。経済的には、緩慢上昇が通常のパターンである上昇局面が2016年前半から続いていて、その認識に変わりはない中(注:小生としては。公式の景気判断とは別)、政治的には想定外のノイズが次々に発生して、もう<ノイズ慣れ>してきたくらいだ。あまり使わない言葉だが<政治的ボラティリティ>を考えたいところだ。

何を予想するにせよ、ノイズは予想形成に織り込んではならない。政治の将来は、政治的なファンダメンタルズで決まる。つまりマスコミや失言ではなく、国民のニーズや政策で最終的には決まってくる。

しばらくは騒々しい政治鳥の鳴き声に平穏を破られそうな酉年である。

2017年7月2日日曜日

いざというとき、念のための覚え書き

ストレスの多い仕事はどこにでもある。やり切れないが、やり切れなければやりきれないほど、社会には必要とされていて、誰かがしなくてはならない。そんな仕事も結構ある。まして自分が志願してやり始めたからには、音を上げることもできない。逃げることができない。悪循環だ。

将来必要があれば、下の愚息に言ってあげたい言葉がある。メモしておけるうちにメモしておこう。

にっちもさっちも行かなくなったら、三つのことからやれ。
まず自分の手をみろ。見続けろ。それから目をつぶって拳を胸にあてて自分の鼓動に耳をすませろ。そして目をあけて鏡か窓か水があれば自分の顔をじっと見ろ。これが三つだ。何をやればいいか分かるさ。分かるまでは三つのことだけをやればいいよ。
正直、こんなことしか言ってあげられない自分を再発見するような日は来てほしくない。念のための覚え書きである。

そういえば、亡くなった父は『雲を見ろ』と言っていた。最初に聞いたのは何歳の時だったかもう忘れた。いずれにせよ幼年の頃だ。これもいい。確かに役立った。好きな雲が出来たのはそのお蔭だ。