アメリカ=イスラエル枢軸とイランとの戦争は、イスラエルが戦争継続を希望しているにも関わらず、どうやら内部で決着がつき、ひとまず停戦ということになったそうだ。
これが一時代前の時代劇なら「祝着、祝着」と多くの人が喜ぶ場面だろう。
ただ、アメリカが和平を希望しても、戦争を願望するイスラエルが米軍の偽装をしてイラン兵を殺害する。もしくはイラン軍の偽装をして味方の米兵を殺害する。その位のことをイスラエルはやりかねないンじゃないか、と。そんな心配をする人もいるそうな。
ユダヤ民族に対するイメージは、この10年程の間に大きく変わってしまった。
イスラム教のモスクですら自宅の近くにできるのを嫌がる人がいる。イスラム教の印象は(日本では)非常に悪いが、これには、殺戮の続く中東やアルカイダというテロ組織、パリで起きた自爆テロ事件の凄惨さが記憶に残っているからだ(と思われる)。
ユダヤ人は苦しみに満ちた亡国の歴史をたどってきた。特に第二次大戦後はそう思われてきた。が、この数年間でイメージは大きく変わってしまった、ネガティブな方向へだ。
ユダヤ教の礼拝所であるシナゴーグの建設計画に猛反対する日本人はこれから増えるであろう。イスラム対ユダヤの民族的抗争、というか宗教対立をこの日本に持って来られるなど真っ平である、と。そんな警戒感が、本来はユダヤ教の普遍化バージョンであるキリスト教に対してすら感じてしまう日本人が増えるかもしれない。
日本人は無宗教だとよく言われるが、初詣や初宮参り、七五三などを観ても、実はそんなことはない。一つ言えるのは、日本人の感性は多神教的であり、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教など一神教の宗教心理とは大きく違っているという点だ。
思うに、多神教と一神教の精神的文化には本質的違いがある。感性には乗り越えがたい溝がある。ロジカルに考えれば、多神教の国では「神の言葉」は唯一ではないので、それ程の重みは持たない。むしろ神々の言葉は矛盾に満ちているのが当たり前と考えられる。「神の意志」は唯一ではないのだ。
《神の示した真理》という観念は、ここ日本においては存在しない。故に《啓示》なるものもない 。但し「ある事柄に対して真理は一つ」。これは同じだ。しかし、その永遠の真理を唯一の神が人類に伝えるという理屈にはならない、多神教の国にあっては当然そうなる ― 庶民的な「神のお告げ」がローカルな地域であったり、観音菩薩の救いやお地蔵さんの助けが民話になったりすることはあるが。
仏教が伝来してから日本土着の神道と抗争する時代もあったが、その後は《神仏習合》という考え方で共存が可能になった。日本の神は仏が仮の姿をとって日本に現れるのだと解するわけだ。東京・芝にある浄土宗大本山・増上寺の横には東照宮がある。以前は増上寺の寺域の中にあった。徳川家康の神号である「東照大権現」は仏が神の姿となってこの世に現れたものと解するわけだ。
忘れられる神もいれば、急に人気の高まる神もいる。極めて人間的である。多神教・仏教では、神も不死ではなく六道輪廻の中で何度も生まれ変わっては死にかえる。人に比べると遥かに長い寿命をもっているが、いわゆる《天人五衰》の兆候とともに今生を終え次生に再生するとされている。神の世界は多神教と一神教ではまったく違うのである。
八百万の神々が共存する日本文化とイスラムやユダヤのような一神教の哲学とは水と油の違いがある。
ユダヤとアラブとの抗争の根本的理由の一つは信仰にあるのだが、この点を実感として理解できる日本人は少ないに違いない。
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