最近のビッグ・イシューということなら
- 先ごろワシントンで行われたトランプ・高市会談
- WBC準々決勝における対ベネズエラ戦敗退
かたやトランプ大統領から『アメリカ=イスラエル陣営(=米以枢軸軍)に味方せよ』と強引に押し切られ、危ないと承知しながらも自衛隊(≒国防軍)をペルシア湾に遠征させるか?そのための特別措置法案を提出するのか?正に国運がかかってくるわけであります。かたや(たかが?)プロ野球の(さして巨額の賞金がかかっているわけでもない?)国際戦である。どちらが日本国民の命運を左右するかといえば言わずとも明白。それでも日本人の関心を広く集めたのは、ひょっとするとトランプ・高市会談の行方ではなく、日本が一時ベネズエラを逆転した試合の結果のほうであったかもしれない。
国際政治もプロ野球の国際戦もどちらも普通の日本人にとって思い通りになる対象ではない。どちらも手の届かない空中戦だ。とはいうものの、仮に高市首相がトランプ大統領の機嫌を損ね、以前のゼレンスキー・ウクライナ大統領のように見送りもされず足蹴にされるがごとくにホワイトハウスを後にするという、そんな哀れな情景がもしも放送されれば、さすがに日本人の大多数はそれをみて激怒したのではないだろうか?その度合いは、ベネズエラ戦で伊藤大海投手が逆転3ランホームランを打たれたことに対する罵詈雑言とは質の違うものではあったに違いない。
普通の日本人大衆にとっては、首相と米大統領との会談もプロ野球のWBCもサッカーのW杯も、はたまた毎年秋に公表されるノーベル賞受賞者発表も、映画のアカデミー賞受賞者発表も、すべては《同じ》なのじゃあないか、と。そうも感じているのだ、な。 詰まるところ、シェークスピアが『お気に召すまま』の登場人物に語らせているように
All the world's a stage一人一人の日本人にとっては世間も浮世も自分が生きている一場の芝居のようなものである。とすれば、トランプも高市も、大谷も山本も、皆々すべて同じ舞台の上で、ほんの短い時間を自分と共に過ごす役者仲間のような存在ではないか。
全てこの世は舞台
物質的身体が機能を停止した後、身体を動かしていた精神的本体がどこに往くのか、それは誰もしらない。輪廻によってこの世に帰ってきているのかもしれないが、別の身体に生まれた後は前世のことは全て忘れると見える。だとすれば、余計にいま共にこの世で同じ空気を吸っている衆生一切に自分との縁を感じるのだ・・・そんなことかもしれない。
その意味では政治も暮らしも娯楽も、病気も子育ても、何もかもが同じ意識の中で平等に意識されるのだ・・・まあ、そんな風に思っています。
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