昨日、こんな記事をSmartNewsで目にした:
毎日新聞は28、29の両日、全国世論調査を実施した。高市早苗首相が、米国のイラン攻撃についての国際法上の評価を避けていることについて「支持する」が33%、「支持しない」が36%と意見が分かれた。「わからない」も29%あり、有権者に迷いも感じられる。
Source: SmartNews
Original: 毎日新聞
Date: 2026年3月30日
確かに高市首相は《アメリカ・イスラエル枢軸 vs イラン》戦争に関して、
首相は国会で「詳細な事実関係を十分把握する立場にないことから、確定的な法的評価は行っていない」と答弁した。
こんな報道がされている。
要するに、アメリカ=イスラエル枢軸のイランに対する先制攻撃が国際法に違反しているか、更に戦争犯罪に該当するかは、(事実関係がよく分からないので?)「分かりません」と答えている。
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これをみて、(今となってはずいぶん昔の)《ロッキード事件》を思い出した。国会でこの問題が集中審議されたとき、証人喚問された日航、丸紅など関係企業経営陣は核心に迫る質問に対して全て
記憶にございません
と、鸚鵡のごとく繰り返していたものだ。この『記憶にございません』というセリフは、進退窮まった時に大変便利であるせいか、その後に色々な事件の重要参考人の常用する言葉にもなったわけで、こう考えると「ロッキード事件」というのは田中角栄という稀代の民衆政治家による《総理の犯罪》が追求されたにとどまらない、いわば日本社会全体のモラル感覚にも大きな傷跡を残した事件でもあったと思う。
まして、この事件の一連の展開そのものが、中国傾斜、アラブ傾斜を強める田中政権に鉄槌を下すことを目的に、アメリカ政府が計画した陰謀(?)であったと今もなお囁かれているのだから、ロッキード事件の発生と解決の仕方は戦後日本体制の不健康さを象徴する事件でもあったと、小生は勝手に思っている。
「戦後日本社会」は根本的タブーの上に成立している。それを露骨に言ってはならない。裏が腐っていても表は綺麗にしておけ、と。率直には生きられない。建て前をマナーの名のもとに強要される。守らなければマスメディアからバッシングされる。とはいえ、そんな生活感覚が時に疼くことがある。
戦後日本の特徴はこの辺にあると思っている。
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「記憶にございません」と「私には分かりません」という対応は何と似ていることだろう。
それはいま聞かないで!
言葉で伝えようとしている主旨はそのまま重複していると感じるのは小生だけだろうか?
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今朝、カミさんとこんな会話をした
小生: それにしてもアメリカって国は、太平洋戦争が終わってから、いったい何回戦争しているだろうね?朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン・・・他にも米軍が動いた紛争は無数にあるなあ・・・こんな好戦的な国は世界でアメリカだけだね。
カミさん: 平和な国じゃないのは確かだね。
小生: 昔あったソ連もソ連軍を使って力で抑えたことは多かったけど、のべつまくなし常に戦争をしているのはアメリカだけだよ。
カミさん: 超大国ってどこもそうなるのかなあ・・・?
小生: 19世紀の帝国主義の時代には大砲と軍艦で外交をやったのが西洋だからサ、そんなDNAがあるんだろ。反対に、中国は平和志向だ。歴史的にも中国の歴代王朝は対外侵略するより異民族から侵略される頻度のほうが多かった。とにかく国として物騒ではないな。これはアメリカと中国の行動履歴を比べてみれば誰でも分かる。日本では不思議なほど対中警戒心が強いけど、中国の方から軍を動かした紛争は、ほとんどない。どれもが「国境紛争」で、ある意味、典型的な武力衝突なんだけど、やるかやられるかという「戦争」じゃあない。大体、孫子の兵法でも上策は「戦わずして勝つ」で、「兵を動かして戦う」というのは下策とされている、そんなお国柄だからね。
カミさん: そうなの?あんまりイイ印象はないけど。
小生: 日本は竹中半兵衛のような「策をめぐらす」というのが苦手だから、中国には苦手意識が強いんじゃないかネエ?国のサイズも違うし、謀略戦、情報戦の持久戦になると、どうしたって大国の方が小国より有利だよ。それと日本では右翼の宣伝がきいてる。ほんと、国内向けに宣伝するより相手の調査・諜報にもっとエネルギーを割くべきだと僕は思うんだけど、ネ。一部の過激派の宣伝は眉唾だと思って、いまはChatGPTとかGeminiとか、AIを誰でも使えるんだからサ、調べてもらえばいいのさ。そうすりゃ、とんでもなく間違うってことはなくなるよ。それにしても、何で日本人はAIに警戒心をもっているのかねえ。これまた七不思議だ。
カミさん: 得たいが知れないしサア、AIの指示通りに動いていたら、いつの間にか悪くなったり、戦争になったりするんじゃない?
小生: 逆だと思う。AIで戦争が起きるってことは先ずないな。いま世界で最も危険な国はアメリカさ。アメリカに睨まれたら危険極まりない。総理大臣がいつ殺害されるかわからん。天皇陛下がいつ拉致されるかも分からん。西部劇の保安官みたいなもンだ。正義の味方だと思ってるから始末が悪い。AIはモンスターじゃないよ。人間が造るものだからね。怒りや感情とは無縁だ。理性そのものだよ。それに思考には制約を課すことも出来る。怖いのはバカとハサミの方さ。
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The New York Timesの最後のコラム記事でPaul Krugmanはこう書いていた。
We may never recover the kind of faith in our leaders — belief that people in power generally tell the truth and know what they’re doing — that we used to have. Nor should we. But if we stand up to the kakistocracy — rule by the worst — that’s emerging as we speak, we may eventually find our way back to a better world.
かつて私たちがもっていた『権力にある人は、嘘でなく真実を語るはずで、何を自分がしようとしているか分かっているはずだ』という、「指導者がもつべき信頼感」というものを、再び感じることは、もう決してないかもしれない。指導者を信じられる時代は終わったのだ。何故なら最悪の人物による統治がこれから始まるからだ。
この下りは以前の投稿でも引用したことがある。
有権者が選んだ人物を公の新聞紙上で《最悪》と表現できるところがアメリカ社会の良さと言えば「良さ」である。杓子定規な日本ならとてもこうは言えない(はずだ)。
最悪な人物を選挙で選ぶこともある。民主主義の失敗の一例として記憶されるのが、足元の「いま」という時代である。
ただ、最悪の人物を偶々選んでしまったのだというシンプルな理解を超える大きな危険性が、アメリカ合衆国という国には潜在している。これもまた真理であるかもしれない。
民主主義に本質的に潜んでいる危険性かもしれない。そうでないかもしれない。
古代ローマ帝国の盛期である《五賢帝時代》は、名君マルクス=アウレリウス帝の後を暗愚な息子コモドゥス帝が世襲したときに終わった。コモドゥス帝の(暴君とは必ずしもいえない)暗君ぶりと悲惨な最期は歴史が示す通り。そのあと、ローマ帝国は不安定な軍人皇帝時代に入り、ディオクレティアヌス帝が再び安定を取り戻すまでに100年を要したのである。そして、安定を取り戻したあとのローマ帝国は皇帝専制の度を強め、以前の輝きまでが戻ることはなかったのである。
世襲による君主制は選挙がないので暗君が出現すれば腐敗する。しかし、暗君、暴君による災害は、庶民までには害が及ばないこともあり、君主の贅沢は庶民には有難いことも多い。もしも君主の暴虐に多数の臣下が「耐えられない」と感じれば、「殿、ご乱心」と押し込め参らせ、嫡男に相続させることで案外早期に片付けられると、小生は勝手に評価している。これに反して、民主主義の失敗は君主制の失敗よりは低頻度であるが、いざそれが失敗すると修正しようがなく、その災害規模は未曽有の規模になりうる。
こんな風に漠然と思ったりしているのだが、どんなものでござんしょう。
高校野球は監督で決まる。企業はトップで決まる。国の盛衰は指導者で決まる。トルストイの歴史観とは違うが、一人の指導者の優劣で社会全体が決まる側面も、確かに人間社会にはある。
下手な指揮者が指揮するオーケストラを連想すればイイ。下手な指揮者は勝手に棒を振らせておき、無視を決め込んで、自主演奏する方が好い演奏になるものだ。
民主主義のロバストネスが現れるとすれば、こんな時だろう。
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