Brad DeLong先生、Krugman先生と同じでトランプ現政権批判の急先鋒であるが、最近はこんな事を書いている。日本の大衆民主主義批判にも通じる話なので、抜粋を引用しておきたい:
Drezner explains why his harshest criticism of the Trump administration targets the “normie” Republicans—of whom he was once one—rather than the obvious buffoons: the people who know better and enable Trump anyway are more contemptible than those who never had principles to betray. In his view, contempt should be allotted in proportion to culpability, not incompetence. The intelligent enablers who understand exactly what they’re empowering — and choose it for power and status — deserve more scorn than manifestly unqualified and honorless clowns from whom nothing could ever have been expected.
ドレズナーは、トランプ政権に対する自身の最も厳しい批判の矛先が、誰の目にも明らかな「道化」たちではなく、かつては自分もその一人であった「ごく普通の(ノーミー)」共和党員に向けられる理由を説明しています。つまり、事の是非を理解していながらトランプを容認・支援する人々は、そもそも裏切るべき信念など持ち合わせていなかった連中よりも、はるかに軽蔑に値するということです。彼の考えでは、軽蔑の念は無能さに対してではなく、責任の重さに応じて向けられるべきものなのです。自らが力を与えている対象の正体を正確に理解し、権力や地位のためにあえてそれを選び取った「知的な協力者」たちこそ、最初から何ら期待などされていなかった、明らかに資質を欠き名誉心もない道化連中よりも、強い侮蔑を受けるべき存在なのです。
Source: substack.com
Author: Brad DeLong
Date: 2026-08-28
URL: https://braddelong.substack.com/p/crosspost-dan-drezner-categories
上でいう「道化」とは、本ブログでいう「大衆」に対応する。大衆は、無責任だが、知性も知識もなく、そもそも期待されていることもないのだ。
一方
自らが力を与えている対象の正体を正確に理解し、(自分の?)権力や地位のためにあえてそれを選び取った「知的な協力者」たち
と書いている中で、真に「軽蔑」に値する「知的な協力者」たちとは、誰の事を指しているのだろう?
クルーグマン先生が日ごろ展開している非難の標的から推測するに、(多分当たっているだろう)《軽蔑に値する知的な協力者》とは、ト政権の閣僚の面々に加えて、まずはTeslaのマスク、Amazonのベゾス、Metaのザッカーバーグを代表とするIT業界の大立者たち、つまり超富裕層である。次に、彼らがカネの力で支配しているメディア大手企業が垂れ流す報道に協力しているジャーナリスト(?)たち。経済的動機からト政権に《シッポを振ってすり寄る専門家》たちも同類である。マア、大略、こんなことを言いたいようである。
無知な大衆は、そもそも何も期待などされていないのであるし、自分が何をしているかも理解できていない。十分な理解力もないのである。故に、トランプ政権をいかに支持しようが、だからと言って無責任だと非難する理由はないし、軽蔑すべき存在でもない、と。
思うのだが、ここには西洋の社会哲学、政治哲学の底流に流れている根本認識がある。
知性ある者にこそ、責任がある。責任ある者にこそ、ふさわしい仕事が与えられる。知性あり、知識ある者は、与えられた職務を全うし期待に応えるべきである。
西洋流の民主主義の根本が窺いとれるではないか?本来の民主主義とはこういうものだと小生は思う。しかるに、アメリカの超富裕層は期待には応えず、自己利益を求めるだけである。
大乗仏教では《自利と利他》の双方を目的としているが、この「利他」が欠け、「自利」だけのために自らの知的能力を使っている。故に、軽蔑に値する、と。
民主主義は大衆によって支えられるものではない。所詮、大衆は世間の風になびくだけだ。問題は、民主主義を支えるべき階層がその責任を放棄していることだ、というわけだ。
翻って、東洋文明圏のメインランドである中国の(北京政府の)立場は、産経新聞が報じた以下の記事からも推察できる:
混乱を生んだ米軍のアフガニスタン撤収に触れて「米国式の民主主義を他国に無理に押し付けても全く通用しないことをはっきりと表した」と主張。米国の民主主義は「他国に干渉するための『大量破壊兵器』になっている」と非難した。
Date:2021/12/11 20:46
URL:https://www.sankei.com/article/20211211-Z5TKHHYYFFOUBOUPMAPUUHLEUQ/
北京政府は現在の共産党主導体制は民主主義の一つの形と認識しているので上のような言い方になるのだろう ― それより中国に普通選挙による民主主義を導入するのは、歴史に則しても、無理だろうと観ている。中国の大衆は政治的選択には関与しないので、トランプ的政権が選挙から生まれてしまう可能性はない。但し、知性ある指導層が大衆の期待に応えられるか、応えようとしているかという問題は、中国にも存在する。中国においてもデロング的問題が全くないわけではない。
*
大衆も結果に対して責任は負うべきだ。なぜなら、知的エリートがいかに正論を主張しても、数に勝る大衆が正論に聞く耳を持たなければ、社会は必然的に間違うからである。政治家は正論ではなく票を求めるものだ。大衆にも、だから、結果責任はある。
しかし、社会を誤らせたことから事後的に生起してくる全ての惨憺たる結果を、大衆は自らが引き受けるのである。愚かだが、フェアであり、軽蔑には値しない。
他方、トランプ政権がどんな政権になるか事前に(かなり明確に)予測されていたにもかかわらず、ビジネスに有利だからと言って、職業的に成功するチャンスが訪れたからと言って、
間違っていると理解しつつ、政権に協力してきた人たち
こんな人間集団は、自分の代わりに無知な大衆を賭け金にして自己利益を追求するという点で正に《軽蔑》に値する。人道に対する罪を犯していると言っても、これは確かに正論だ。
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日本に目を向けよう。日本にはデロング先生のいう「知的エリート」はいるのだろうか?
高市現内閣の現状を日本の「大衆」が熱狂的に支持したのは、本年初めの時点で明らかな事実であった。高市内閣がどんな政治をするかも、かなり明確に予測できていた。
では、高市政権に反対するべき知性ある人たちが、大衆を賭け金がわりに使って、自らの利益のために「政権の犬」になっている・・・そんな状況が日本にあるのか………?
しいて言うなら、
維新の会の面々
なのですかネエ??…ちょっと違うような気もするが。
それより、高市現首相と自民党総裁を争ったライバルたちはどうか?
今の政治は正しいと考えているのか?支えるべきだと心から考えているのか?
分からぬ。知り合いでもないので、小生には分かるはずもないが
やはり、極右の高市ではなく、
岸田・石破寄りであった従来与党の穏健派がデロング的な意味で失望をかっている情けない人々
デロング的認識を模倣するなら、こんな理解の仕方になってくるかもしれない。
トランプ政権の政策に対して、アメリカ国内の批判派急先鋒は声を(現に)あげている。日本にも同様の声はある(はずだ)。ところが、日本では
十分な知性をもっており、現在の誤りを理解できる理解力もある。しかし、声を上げるべき人が、自らの保身(≒自己利益)のために声を上げていない。結果として、現状を追認している。
デロング的な意味での《軽蔑》に値する人は、いわゆる《大衆》とは別にいる。真に軽蔑するべき人物集団は、大衆ではなく、そんな知性ある人たちである。
ふ~~む、
確かに、あってもよい見方だ。
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