2026年7月30日木曜日

ホンの一言: 電車の釣り広告からニュースポータルへ移り変わった30年?

大地震で発生したイオン熊本の大規模ガス爆発。

YahooJapan!ニュースなどに掲載されている報道では

(ガスタンクの自動供給停止機能、建物の構造等を考慮すると?)これほど大規模なガス爆発は起こり得ない!

専門家は、爆発するはずがない、と。

そうなの?

不審に思う人は多かろう。

詳細はオリジナルの記事を(有料で)読んでほしいというわけだが、それにしてもエゲツナイ宣伝である。

起こり得ないと言っても現実には爆発している、ということは「専門家にも分からない」って事だネエ⋯⋯

そう解釈せざるを得ない。

たった一つの可能性は科学的因果関係の外側、つまりヒューマン・エラーか、故意による犯罪で起きた。理屈はこうなるが、だとすれば別の宣伝文句にするべきだろう。

Yahoo等のニュースポータルは、以前の自由な情報提供の場から、数多のマスコミ企業のプロモーションの場にかわり果てた。CM挿入の技術進歩ばかりが目立つ。情報価値の自壊は覆いようがない。AIの普及でその自壊ぶりは、より明瞭なものになろう。


才能ある人たちの活動はYoutubeに移ってしまった  ―   もちろん色々な評価はある。が、世論形成の自然な場はこんなものではないかとも感じる。Gender-Freeが好みならIdeology-Freeにもこだわってほしいものである。組織、企業は、一人の人間に宿る自然の動機ではなく、集団的に特定の目的を達成するために最適な言論を張るのである。人間には煩悩があるが、企業や組織はそれをシステマティックに行使する。そこが濁りにも、汚れにも映るのだ、な。

日本の世論が形成される場もアメリカ企業が運営するプラットフォームへと流出したようだ。

中国が自国産のネットに執着するのも理解できる気がする。

「お上」が管理するニュースサイトが清潔で見やすいとしても、内容を信用してもイイかどうか迷うかもしれない。ただ内容への疑念は、商業主義、利益追求に毒される日本のネット状況下でも、同じようにある。どうせ疑わしいなら、最初から分かっているだけ、清潔で見やすい中国的ネット状況の方がマシと感じる人は意外に多いかもしれない  ―   但し、中国国内のネット画面を中国人の立場に立ってリアルに経験したことはないので以上は想像に過ぎない。




2026年7月27日月曜日

覚書き: 豊臣家のイメージ?「トランプ政権、〇〇秋の陣」とでも呼ばれるだろうか?

アメリカ=イスラエル枢軸軍による奇襲的なイラン空爆とその後の戦況は、「戦局必ずしも好転せず、世界の大勢また我に利あらず」と言ったところで・・・今や世界的にも共通の認識になってきた模様。

これについて日本のネットでも

戦後、アメリカは多くの戦争を戦ってきた。大きな戦争としては、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争がある。だが、しかし、これらの戦争はいずれもアメリカが当初掲げた政治目標を十分には達成できなかった。敗北の理由は様々考えられるが、共通しているのは「傲慢さ」である。現在のイラン戦争も、トランプ大統領の「arrogance」ゆえに、歴史と状況に対する正確な分析に欠け、戦争の明確な戦略を立てることに失敗している。アメリカがイランに軍事的に敗北することはないにせよ、勝利を収めることも難しいだろう。

Source:Yahoo!JAPANニュース

Author:中岡望

Date:2026-07-27

こんな書き込みがあったりする。

これを読んで、ちょっと笑ってしまいました。だってト大統領が「傲慢」で「自意識過剰」のお人柄であることは周知の事実と言ってもよい程、明々白々のことであります。問題は、そういう人を大統領に選出した、そういう人が選挙で勝利したという事実にあります。もし大統領になればこんな大統領になるという予想は事前にあったわけでもあります。

その中でも急先鋒のクルーグマン博士。相変わらずsubstack.comの場で論陣を張っているが、デロング先生とはまた趣を異にしているのが面白い。デロング先生はcoolかつscinicalな雰囲気があるが、クルーグマン先生はずっとpassionateかつpessimisticである。最近はこんな投稿をしているので、(和訳したうえで)全文に近い引用をさせていただこう:

しかし、ここで本当に恐ろしいのは、トランプ氏が勝利に見えるものを勝ち取ろうとする試みを諦めたように見えることだ。ほんの数日前までを振り返ると、トランプ氏は事実上撤退し、プロジェクトを放棄し、海峡が事実上開いたことで原油価格が下落するのを利用して、これは真のアメリカの勝利であり、経済は好調で、株式市場を見れば分かるように、という話をでっち上げようとしているように見えた。

そして、まあ、それはちょっとどころかかなり愚かで、破滅的な試みだった。同時に、ある意味驚くべきことでもあった。なぜなら、真剣に紛争を終結させようとするなら、現実と向き合い、「よし、この戦争はうまくいかなかったが、アメリカは依然として偉大だ。申し訳ない」と言う必要があったからだ。

しかし、トランプ氏は感情的にそれをどうしても受け入れられなかったようだ。彼はこの事業が失敗したことを決して認めようとしない。彼は何事も失敗を認めようとしないのだ。彼の任期中、私たちはリフレクティング・プールの破壊工作犯を探し続けることになるだろう。

これは不吉な戦略転換だ。中間選挙に向けてトランプは何を考えているのだろうか?おそらく、十分な経済的成功を収め、人々の記憶力も短いので、ホルムズ海峡開通の功績はトランプに帰せられるだろうが、いずれにせよガソリン価格高騰や戦争をめぐる混乱は過去のものとなり、トランプとその仲間たちが主張し続ける黄金時代が到来したことを認める準備が整うだろう、というのが彼らの狙いだったのだろう。

今はもう全て白紙です。今はただイランを爆撃するだけです。明確な戦略はありませんが、事態が順調であるふりをするつもりもありません。イランを封鎖するつもりです。これは実際には少し影響力がありますが、中間選挙で共和党の勝算を高めるような形で何かが解決される兆候は全くありません。では、一体何が起こるのでしょうか?

トランプ氏が事実上諦めたのとほぼ同時期に、つまり戦争を放棄したという意味ではなく、たとえ肯定的な結果と解釈できるようなことでも達成しようとするのを諦めたのと同時期に、今週木曜日にゴールデンタイムの演説を行うという発表があったのは、偶然ではないと思う。報道によると、その演説は2020年の選挙不正に関するものになるという。また、ジョージア州選出の民主党上院議員2人を何らかの形で不当だと宣言しようとする可能性を示唆する報道もある。

まあ、それは実際にはうまくいかないだろう。彼が2020年の選挙で実際に勝利したという主張に納得する人はいないだろう。しかし、実際には彼は今年11月の投票に大規模な干渉を行うための口実、つまり土台を築いているのだ。つまり、公正な選挙を阻止しようとする、あるいは選挙そのものを阻止しようとする試みの舞台が整えられているのを、我々は目の当たりにしているのだ。

この先どうなるかは分かりません。しかし、トランプ氏とその側近たちが選挙に勝つことを諦めたのは明らかです。彼らは代わりに、プロパガンダ、誤報、偽情報、そしておそらくは大規模な違法行為を組み合わせることで前進しようと決めたのでしょう。

そして、「彼らはそんなことはしないだろう」などと言わないでください。それはこれまで、あらゆる場面で必ず裏目に出てきました。トランプ氏とその仲間でさえもやらないことがある、などという考えは、トランプ政権のあらゆる行動において、あらゆる点で間違っていることを示す最良の方法だったのです。

だから、ある意味では、トランプ大統領がイランへの爆撃を再開したという事実は、爆弾そのもののせいではなく、本当に悪いニュースなのです。もちろん、それは恐ろしいことですが、アメリカが外国勢力によって危険にさらされるという本当の恐怖があるからではなく、私たちの大統領、私たちの政府自身から、私たちにとって非常に大きな危険が迫っていることを示していると思うからです。

URL:  https://paulkrugman.substack.com/p/the-forever-war-gets-scary 


イランと戦争をして軍事的勝利を収めるのは諦めた、ということは中間選挙を普通に迎えれば勝てないことも分かってきた、ということはどうすればいい?

民主党が勝った選挙区では(日本流にいえば)「公職選挙法違反」があった疑いで片っ端から摘発する。強引に立件する。当選資格をはく奪する。負けた方を当選させる。この線は(多分?)有効だろう・・・と。

中国による選挙干渉に言及するなど、ヤル気満々のようだ。将棋でいえば、玉をとりたいから、いきなり玉筋に王手をかけるようなものだネエ・・・と思ったりする。相手の防御が自陣の王に対する王手になるなどとは予想しない。「しもた~ッ!」って奴です。この辺りが傲慢と言えば傲慢にあたるのだろうが・・・

仮に上下両院とも民主党が勝利すれば、必ず大統領弾劾裁判が始まる。職権乱用で有罪になる。閣僚の何人かは逮捕され、懲役50年から75年程度の刑を科される事態は十分ありうる。生きるか死ぬかである・・・


ト大統領の頭の中をシミュレーションして絶望感に苛まれるクルーグマン先生の姿が眼前に髣髴としてくるではないか。

2026年7月25日土曜日

ホンの一言: 生煮えの「ハラスメント」概念は研究段階の試作品とソックリの出来では?

かなり以前になるが高橋昌一郎『20世紀論争史~現代思想の源泉~』(光文社新書)が面白くて複数回読み返した記憶がある。

昨日、パラパラとページをめくって、以前に傍線を引いた個所を読み直していたのだが、読んだ当時はそれほどでもなかったが、昨日読み返すと中々に意味深な個所があったので引用しておきたい。論理実証主義のウィトゲンシュタインと科学哲学者ポッパー(というより数理哲学者ラッセル?)が口論する場面が秀逸である。が、以下に引用するのは論理実証主義に関するところ:

(ウィトゲンシュタインの)『論理哲学論考』が導くのは、「語りうることは明らかに語りうるのであって、語りえないことについては沈黙しなければならない」という有名な結論だ。

この世界で「明らかに語りうる」ことは、真か偽かを「論理的に」決定できること、あるいは事実か否かを「実証的に」確認できる言語に限られるという論理実証主義の理念は、そこから誕生したわけだ。

この下りを読んで思ったのは、

現代日本の「弁護士」という輩に読ませてあげたいネエ・・・〇〇ハラがあるかと思えば、ハラ・ハラもある。そんなハラスメントという犯罪概念(?)に対して論理実証主義者はどんな批判を浴びせるだろうネエ・・・

というものだった。 


「論理的に真偽を明らかにする」には、自明の大前提から矛盾や見落としを犯さず、唯一の結論に至るロジックを明らかにしなければならない。「明らかな事実」とは、日が昇ったり、そこに海があるとか、誰にとっても明らかで疑いようのない真実という意味である。「こうも考えられる、ああも考えられる」のは真偽不明を意味する、当たり前ですが⋯⋯

「法学」という学問分野が、学問体系全体の中でどのように位置づけられるべきか、小生には論じる資格はない。

しかし、「法」というものは最低限の要請として論理的でなければならず、事実の立証に基礎を置くからには、論理実証主義の哲学とは最も相性がよい学問ではないかと思う。自然科学とは違って、そこに「仮説性」が混じるのは、非常にまずいと思うのだ、ナ。

ハラスメントという犯罪、というか疑似犯罪概念、あり得ますよネ?

もしもこんな生煮えの学問談義から大した進展がないなら、研究段階の扱いにとどめるべきで、実社会に適用するべきではあるまい。特に《コンプライアンス原理主義者》が横行する現代日本社会では、《お気持ち倫理学》がはびこりがちでもあり、なおのこと慎重であるべきだ。

ひょっとすると、法律運用の現場では学問も論理も何もなく、ひたすらに「取り締まる」、「処罰する」、そのための理屈をつくるための道具が法律である、と。そんな即物主義的で虚無的な精神が共有されているのかもしれない。

ま、それならそれでつつがなくやられたらよろしゅうございましょう。



何事も学問的研究が生煮えの成果は実用を控えるほうが社会は安全である。

例えば、核融合エネルギーが実用化されれば、地球の危機はかなり解決されるだろうが、現在の段階では無理である。自動車の完全自動運転もそうである。望ましいことでも、未完成のうちは焦って実用化してはならない。

但し、技術的には完成間近で社会実験が必要になっているときに、敢えて一切禁止の選択をするという姿勢は、進取の精神に欠けているだけの事である。これは念のため。

この辺り、小学生でも理解できる簡単な道理であろう。

【加筆修正:2026-07-27】




2026年7月22日水曜日

断想: AI(=人工知能)が乗りこえるべき高い壁?

先日の投稿では、「総括」というか、こんな感想を述べている:

囲碁の名人がDeepMindのAlphaGoに負けてからAIの優越性が可視化されてきたのだが、歴史的背景と今の政策との関連をどう理解するかという点でも、世論よりはAIの方が(まだ細部で誤りが混じって満点ではないが)実力が上回るようになってきた。少なくとも世論の方がAIよりなお優れているとはもう言えない・・・こんな感想を持たざるを得ない。

人類の知的活動の少なからざる部分は、今後将来にかけて生身の人間からAIに置き換わっていくだろうというのは、ほゞほゞ確定していると言わざるを得ない。淋しいが・・・

それが善なのか、正義に適うのかという論点は、もう陳腐かもしれない。

道理とは何かを考える時にも、世論よりはAIの方がはるかに冷静で優れた考察をすることが出来る、個々の事案についてすら出来る、そんな時代がもうすぐそこまで来ていると、使えば使うほどそう実感するのだ。 

ただ、AIの利用、影響力が全世界的に急速に拡大していくかと問われれば、越えがたい技術的な壁があると思う。

以下のデータはChatGPTに調べてもらったのだが、一見したところ、予想に近い回答であったので使うことにした。

まず地球上の知的構成物としては見事としか言いようのない「人類」であるが、人体を構成する元素比は

質量比(成人の平均的な値)

元素質量比
酸素 (O)約65%
炭素 (C)約18.5%
水素 (H)約9.5%
窒素 (N)約3.2%
カルシウム (Ca)約1.5%
リン (P)約1.0%
カリウム (K)約0.4%
硫黄 (S)約0.3%
ナトリウム (Na)約0.2%
塩素 (Cl)約0.2%
マグネシウム (Mg)約0.1%
その他(鉄、亜鉛、銅、ヨウ素など)約0.1%

このように、酸素・炭素・水素・窒素の4元素だけで人体重量の約96%を占めます。

豊富に存在する元素を多く、稀少なものは少なくという経済的な構成になっているのが人体である。安い原材料だけを使って高度の知的生命体を自然は生み出したというわけだ。

これに対して、こんな質問をした:

データセンターの基盤になるサーバーの必須のパーツは半導体チップだと思われますが、半導体を構成する元素の比率はわかりますか?

するとこんな回答が得られた:

はい、ただし「半導体チップ全体」と「半導体そのもの(トランジスタ部分)」では大きく異なります。

CPUやGPU、AIアクセラレータなどの半導体チップは、シリコンだけでできているわけではありません。概ね次のような構成です。

主な元素用途質量比の目安
ケイ素 (Si)半導体基板・トランジスタ約40~60%
銅 (Cu)配線約20~40%
酸素 (O)二酸化ケイ素(絶縁膜)約10~20%
炭素 (C)低誘電率絶縁膜など数%
タングステン (W)配線・ビア数%
コバルト (Co)、タンタル (Ta)、チタン (Ti)、ニッケル (Ni)バリア膜・電極1%未満~数%
ホウ素 (B)、リン (P)、ヒ素 (As)ドーパント(不純物)0.01%未満

 

特に重要なのはシリコン。シリコン(=ケイ素)はトランジスタを形成する母材であり、半導体チップの中核となる元素です。 

人体とは大きく異なっている。ケイ素は地殻内では酸素に次いで豊富に存在している元素だから問題はないが、問題は《銅》である。銅は地殻の中では極めて稀少にしか存在しない物質である。

更に、データセンター全体でみると

半導体チップよりも

    • アルミニウム(筐体・ヒートシンク)
    • 銅(電源ケーブル・配線)
    • 鉄(ラック・構造材)
    • ニッケル(電池・合金)

などの金属の使用量の方がはるかに多くなります。

したがって、「AIを支える元素は何か」という観点では、シリコンだけでなく、銅・アルミニウム・鉄・ニッケルなどの供給も極めて重要になります。半導体そのものは高度な技術の結晶ですが、データセンター全体として見ると、実は大量の一般的な金属資源にも支えられているのです。 

そこで、地球に存在する元素賦存比率とデータセンターに必要な元素比率とを対比すると、以下のようになる:

結論から言うと、地球全体の元素組成とデータセンターの元素組成を比べた場合、最も大きく偏っているのは「銅」「シリコン」「希少金属(タンタル・コバルト・ガリウムなど)」です。

一方で、地球に非常に多い鉄・酸素・マグネシウムなどは、データセンターでは相対的に少なくなります。

おおまかに比較すると、

元素地球(質量比)データセンター偏り
鉄 (Fe)約32%(地球全体)数~10数%大幅に少ない
酸素 (O)約30%数%少ない
ケイ素 (Si)約15%10~30%やや多い
マグネシウム (Mg)約14%ほとんど使わない極端に少ない
銅 (Cu)約0.006%数十%にもなる数千倍以上多い
タンタル (Ta)数ppmコンデンサに使用数万~数百万倍濃縮
ガリウム (Ga)十数ppm高周波半導体非常に濃縮
金 (Au)数ppbコネクタ等数百万倍濃縮

 

特に「銅」が際立っています。地球全体では銅はごくわずかしか存在しません。

しかしデータセンターでは、

    • 電源ケーブル
    • 基板配線
    • 半導体内部配線
    • トランス
    • モーター

などに大量に使われます。

重量ベースでは数十%近くが銅になる設備も珍しくありません。

もっと極端なのは金・タンタル・ガリウム。これらは地球中では極めて希少ですが、
    • 金:腐食しない接点
    • タンタル:高性能コンデンサ
    • ガリウム:高周波・光通信用半導体

として不可欠です。

例えば金は地球全体では数十億分の1程度しかありませんが、CPUやサーバー基板には必ず微量ながら含まれています。

足元のテクノロジー文明を支えるのは、豊富に存在する酸素、窒素、炭素、水素ではない、数種類の希少金属であると言っても言い過ぎではない。

これはAI(=人工知能)と言っても、極めて非合理的な技術であろう。

こうして概観すると、知的活動体としての《人》は、小型にして経済合理的。自然による見事な作品であることが改めて確認できる。これに対して、AIは《人工知能》であるせいか、自然の摂理に反していて、非経済的かつ非合理的である。

古来、非・経済合理的な技術文明が長期間に渡って持続したためしはない。

地球上を面的にマネージするうえで《AI》の利活用は欠かせないと思うが、使われる材料が現在の元素比のままでは、近い将来に資源上の制約に縛られてしまうのは確実である。

更に、人体の優れている点は、小型の構造であるにも関わらず、内部にエネルギー生成機能を有していることだ。確かにエネルギー源は外部から摂取する必要がある。つまり食料である。が、それら食料は水、炭水化物、タンパク質を主として、あとは少量の脂質、ビタミン、ミネラルを必要とするだけである。大体は、炭素、酸素、水素を毎日摂取できれば人体と諸器官を動作させるには十分だ。驚異的な知性がここに反映されている。

上で示したデータセンターは内部でエネルギーを生成できはしない。電気エネルギーは外部から供給しなければならない。土地節約的な原子力発電にはウランが必要だ。そうでなければ、どこからか電気を供給しなければAIは動かない。

ついでに太陽光発電施設も含めて、特徴的な元素の比較をしておこう:

システム
特徴的な元素
人体
    H・O・C・N(地球上に豊富)
データセンター    Cu・Si・Ta・Co・Ga(高純度・希少)
太陽光発電所
Fe・Al・Si・O(比較的豊富)

 ChatGPTはこう締めくくっている:

この比較を見ると、太陽光発電はデータセンターよりも、人体に近い「豊富な元素を大量に使う技術」と言えます。もちろん人体とは構成が異なりますが、「地球上に比較的ありふれた元素を主体にしている」という点では共通しています。

実際、エネルギー工学では「技術が大規模に普及するためには、希少元素への依存を減らすことが重要」という考え方があります。太陽光発電では銀の削減、AIハードウェアでは銅や希少金属の節約が研究されているのも、その考え方に沿った動きです。

こうして眺めると、「どの元素をどれだけ必要とする技術なのか」という視点は、将来その技術がどこまで普及できるかを考える上で、一つの重要な指標になると言えるでしょう。

本日投稿は、AIに色々と教えてもらいながら、普段から疑問に感じていた事を整理してみた。この間、わずかに小一時間である。

まったく別の付けたし。

小生は、民放TVのドラマでも近い将来《生の俳優・女優抜きの100%完全な人工ドラマ》が制作されるものと確信している。人は《フェーク・ドラマ》と呼ぶかもしれないが、"Artificial Drama"あるいは"Artificial Film"という方が同時代的だろう。その兆しは既にもう出てきているから、空想の世界ではない。

AIが創造した人工俳優や人工女優なら、まず人間関係をマネージする雑用から解放される。最近発生したような「ハラスメント問題」に悩まされることもない。そもそも「ロケ弁不要」であるし、飲み会も必要ない。技術的知識を本質的実体としながらヴァーチャルな影像として可視化されるものである「人工俳優」は、仕事を経験すればするほど経験知が上がり続け、豊かな表現力を持つようになる。かつ人間とは違って、齢をとらず、永遠に若く、高齢俳優であっても何十年も活動できる。 

世界のどこかで研究は既に進められていると思うが、日本はまだ問題意識すらないかもしれないネエ・・・と。

近年の日本社会は、伝統と言われるのを嫌いながら歴史には誇りをもち、新しいものを願いながらも新しいものが古いものに置き換わるのは拒否するという、そんな傾向が目立ちますから・・・

2026年7月19日日曜日

断想: 最近の日本は昭和十年代に似ていると言うけれど⋯⋯

近年の日本の世相が過去のいつの時代に似ているかという話題は結構人気があるようだ。特に戦前日本は頻繁に口にされる。

中でも、ここ最近と昭和10年代が似ているというのは聞くことが多い。第2次安倍政権で安全保障が重視されたり、軍事費拡大へ向かう自民党政治をみてのことだろう。

個人的にはちょっと違っていると思う。


ここ20年から30年ほどを《近年の世相》と拡大解釈したうえで過去の似ている時代を探すとすれば、それは《大正デモクラシー》の頃ではないかと思っている。


大正時代はまず最初に「大正政変」から始まったのだが、その大正政変は元老や大政治家の意思決定を《民意》がつぶした初めての事例として記憶されるべき大事件である。

明治が元老と官僚専制の時代と言うなら、大正時代は《明治的なすべての慣行への反発》が駆動した時代である(と勝手に理解している)。その明治への反発は、文学、文化、世相など全てに表れていた(はずだ)。そもそも大正天皇その人が志す世の中は明治天皇が是とした国家とはまったく異なるものであったと聞く。

政治的には、国の統治に民意が反映される仕掛けである《普通選挙運動》が時代のテーマとなり、最終的には大正が終わる大正14年に「普通選挙法」となって実を結んだわけだ。Wikipediaには、

普通選挙法に基づく選挙は1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙から1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)まで計6回行われた。

こう説明されている。つまり、この14年間は普通選挙という形で(女性参政権はなかったにせよ)民意が政治を動かしていたことになる。


何度も投稿したように、戦前日本の普通選挙の歴史は、あい続くスキャンダル合戦の果てに明治以来の政党政治が自己崩壊した歴史でもあった。

不安定化する国際環境の中で、普選の達成と高揚は政党不信、議会不信へと変質し、半ば必然的に軍部と官僚組織へと権力の再集中が進んだ。これが戦前日本が歩んだ道の大雑把な要約である。

大正デモクラシー全盛の頃、天皇は生身の人間と言うより、国家運営の必要から置かれる一つの機能、つまり「国家機関」と理解されていた。いわゆる「天皇機関説」である。その天皇機関説を理論化した憲法学者・美濃部達吉が攻撃のターゲットになり貴族院議員を辞職したのは昭和10年(1935年)である。日本の国の姿を再確認するべきだとする一種の文化運動であった側面もあった(かもしれないが)「国体明徴運動」がその背景になった。

国体明徴運動は、普通選挙法公布の概ね10年後、普通選挙法下の初めての国政選挙である「第16回衆議院議員総選挙」の7年後になる。この7年間の間に、当時の日本人は普通選挙を通した民意の実現というものに、すっかり幻滅してしまっていたのである。

昭和10年から強まったのは、大正デモクラシー以来の民意重視の潮流を逆転させる姿勢で、《保守革命》の言葉を使ってもよい。軍部、特に当時の陸軍が成熟した外交センスをもっておらず、日本の国際的孤立化をまねいてしまったのは、「不運」という結果論が当てはまるかもしれない。


・・・ということなので、最近の日本社会に似ているのは、選挙を通した政権交代への失望が広がった昭和1桁の10年間、もっと遡ると関東大震災で古き良き明治が完全に消滅した大正12年(1923年)以降の12年間であろう(と勝手に思っている)。そして、これから未来にかけて似てくる(かもしれない)のが、保守革命が世を覆い始めた昭和10年代である  ―   低知能の保守反動ではありましたが。そう思われます。

戦前は動きが急であったが、これは第一次大戦後の「戦間期」という時代、国際環境が非常に不安定であったことによる。長寿社会では世間もユックリと変わるのかもしれない。


そんな風に予想しているところです。



2026年7月17日金曜日

ホンの一言: 暮らしより皇位継承が大事ですかネエ⋯⋯

TV放送の七不思議。

今朝も旧宮家の養子の話をしている。

皇室典範改正だ。

悠仁親王の即位までは確定しているのだから、悠仁親王に皇子が誕生すればそれでよし。娘しか生まれず、養子に息子が生まれた時に、また騒動が起きる(かもしれない)話しである。が、今から分かるはずもなし、20年か30年ほど後にでも議論すればイイのではないか?とりあえず「世襲親王家」の血筋が《曲がりなりにも》復活する目処がついたのだから。

そう思いますがネエ・・・


例えは悪いが、年金を持続可能にするために「マクロ経済スライド」を導入し、天皇制を持続可能にするため、600年の間ずっと皇統の傍系として存続して来た「伏見宮系の血筋」にふたたび頼ることにした。今回の措置の主旨はこれに尽きる(と勝手に思っている)。そもそも占領期のGHQの政策がなければ、いまの皇位継承の危機はなかった理屈である。

必要に応じて、これから将来、どんどん養子相続は増えるだろう。角界の年寄名跡ではないが、空席の由緒ある宮家が復活することも、いずれあるだろう。少なくとも皇后が皇子を産むことを迫られる圧力は(たぶん増えるだろう傍系が伴走するだろうから)減るには違いない。

価値云々ではない。主義の問題でもない。要するに、安定化したいのだろう。

但し、《安定化》の手法に岩盤保守的な前例主義が採られた。旧い。それで反発が起こっている。これが現状なのだろう、と。

正に現実としていま社会的対立が生まれていること自体が、戦後天皇制の設計ミスである(としか思えない)が、課題は《天皇制》をどうするかである。そりゃあ保守派の意見がどうしたって通るでしょう、と。そう思います。その時の価値観や権力の所在などなど、天皇制はそうしたファクターに抵抗しながら存続してきたという側面をこそ見るべきだと思う。だから、今回の決定はもう仕方がないと小生は思って観ている。

小泉内閣時の女系天皇容認の機運、その後に続いた秋篠宮妃ご懐妊と親王ご誕生、平成天皇の生前譲位、実質「皇太弟」である秋篠宮殿下の立皇嗣。「世襲親王家」の復活とも解釈される今回の措置。この時系列的な流れに思いを致すべきだと思っている。

日本史の中では時に保守革命が成功することが複数回ある  ―   具体例は細かに述べない。これらの保守革命には例外なく天皇(と朝廷、公家集団)が関係している。更に、日本の対外戦争は天皇が復権している時代において起こった、と。これも小生の歴史観なのである。「だから何?」、というわけではないが⋯⋯


いずれにせよ、今回の措置は日本人の暮らしとは何のつながりもない、どうでもいい話しではあるのだ。

そう思いますがネエ・・・


⋯⋯、何故、食料品の消費税率を話さないのだろう?「食料品には消費税率ゼロ」とするには財源の問題がなるほどある。しかし、イギリスは同じ政策をもう半世紀近くも平気でやっている。他の欧州諸国も食料品の軽減税率は思い切ってバンとやっている。

食料品以外の税率が高いのはその代償である。とはいえ、日本でできないはずはないのだ。しかも望む国民は多い。望んでいる国民の家計に目を向けるのも政治だろう。

経済の話をして消費税率引き下げに向けて世論を形成するのに消極的な理由は、メディア企業自体が消費税率引き下げは筋悪だと考えているからであろう。2年限定なら余計に筋悪だということだろう。かと言って、引き下げに消極的だとTV画面で声高に話すのは世間の反発を受けそうで怖い。

だから、暮らしとは何の関係もない皇室典範の話しをしておく。

どうです?ズバリではない?


話してもほとんど意味のないことを話題にして熱を上げるのもよいが、こんな事なかれ主義のような番組編集には必ず代償がある。

そう思いますがネエ⋯⋯

【加筆修正:2026-07-19】

2026年7月16日木曜日

ホンの一言: Chaos-Monkeyぶりを発揮しているトランプ大統領?

Brad DeLong博士はトランプ大統領を「猿」と呼ぶことを止めない。昨日もまた、ホルムズ海峡の再封鎖に伴い、substack.comに以下の投稿をしている:

Isn't this piracy? What could make it not piracy, other than a congressional declaration of a war to conquer & annex the Strait of Hormuz to the USA? 

これは海賊行為ではないのか?米国議会がホルムズ海峡を征服・併合するための戦争を宣言する以外に、これが海賊行為に当たらないと言える根拠などあるのだろうか?

URL:   https://braddelong.substack.com/p/can-we-call-this-anything-but-piracy 

ただ当のト大統領、一律20%の「海峡通行料」は撤回したらしい。

投稿のタイトルは

Can We Call This Anything But Piracy?: TUESDAY CHAOS-MONKEY TRUMPISM

正に海賊行為じゃないのか? 「ワヤクチャの猿」そのもの火曜日のトランプ主義

かなり意訳だ。それに"Chaos-Monkey"の語句だが、検索すると

カオスモンキー(Chaos Monkey)とは、米Netflix社が開発した、システムに意図的に障害を起こすためのテストツール(オープンソースソフトウェア)です。

つまり、意図的に障害を引き起こす高度なソフトウェアの名前だというわけで、何も自国の大統領を猿だと決めつけているわけではない・・・安全弁としては実に巧みな呼び方ではないか。

日本では、これに匹敵する知的な批判はまだ登場していない。両国の行政トップはかなり近いタイプだと思うのだが。両国民の国民性の違いのせいかもしれない。


2026年7月13日月曜日

ホンの一言: 酷暑に苦しむ人々が増えていますが・・・

九州地方では40度近い酷暑が既に始まっている。その熱波が段々と北上するのだろうと、近畿圏、首都圏にいる人たちは心配しているのだろう。小生が暮らす北海道も近年は30度どころか35度を超える酷暑、というか極暑日が散見されるようになった。熱波の縁は北海道にも到達することだろう。

エアコンを設置するかで悩んでいるが、設置したところで稼働は高々2~3週間だ。7月下旬から盆明けまではエアコンが有難いが、使いすぎると逆に疲労感がたまるというものだろう。窓を開ければ、夜、寝苦しいということは一日もない。それに積雪期に雪の積もるベランダに室外機を置いて大丈夫なのか、少々不安である。稼働が少なければ故障も多かろう。

それでも小生が暮らすマンションでもエアコンを設置している住戸がもう2割くらいにはなった。

どうするかナア・・・と迷っている。

エアコンが あればと願う 夏なれど

     豪雪ふらば 邪魔になるべし

先ずはポータブル・エアコンで効き目があるかどうか置いてみるか・・・

内地の大都市圏ではエアコンをオンにしているにもかかわらず、熱中症で亡くなる高齢者が目立つとのこと。

どうやら冬の設定のまま暖房にしていたとか、メンテナンスを怠り埃が中に溜まり風が出なかったとか、色々な不注意が原因だそうである。無情である・・・

ただ、思うのだが、

これもまた、人生の終わり方の一つなのかなあ、と

(政府・マスコミ公認の?)科学主義・唯物主義が共有されている現代世界では

死ぬのはダメ、生きて!

死ぬより生きるほうが善いに決まっている。

こんな風に、命を超える価値などはないという思想が正論中の正論になっているのだが、へそ曲がりの小生は

ただ生きているのは空しいだけである

そう考える、というか感じるのだから仕方がない。


エアコンの設定を失念して、熱中症で意識をなくし、そのまま浄土へ往生するのも、その人の業と縁である。業縁を人為的に止めようとするのが、その人にとって善い事なのかどうか、善い結果につながるのかどうか、確かなことは言えない。

成功と失敗、善と悪、正と邪、全て相対的であって、本質的には《空》であると考える立場に今は立っている。

2026年7月12日日曜日

覚書き: 《AI = 物知りの友人》、得意・不得意もあれば、思い込みもある。が、それでも・・・

高市内閣の政策で対皇室観だけは共感できるというのは以前にも書いたことがあるが、この国会で可決する見通しになった皇室典範には中々に反発が大きいようだ。

特に「旧宮家から養子案」については、実際はどうか分からないが、反対の声が多く上がっている。入ってくるのはメディア経由かネット経由の声が大多数で、それが日本人全体のサンプルになっているのか、今の世相では分からないが、反対が多いという事実はあるのだろう。

先日の投稿でこんな事を書いていた:

最初の光仁天皇だが、天武天皇以来の女系の男子皇族が何人もいたにもかかわらず、男系男子が途絶えたことを理由に、100年間にわたって傍系であった天智天皇系の白壁王が光仁天皇として即位したのである。光仁天皇。平安京に遷都した桓武天皇の父である。この事は、8世紀末という時点で、男系による皇位継承を続けようとする意識を皇室が有していた証明になるのではないかと思うが違うのだろうか?少なくとも、男系継承は明治政府による勝手な押しつけであるという批判は誤りであろう。

これは確かにその通りだと思うが、確か白壁王の正室は天武系の皇女ではなかったか、その正室との間に息子がいたはずだが、という記憶もあったのでChatGPTに聞いたところ、

他戸皇子は、


天武天皇

舎人親王

大炊王

他戸親王


という系譜で、天武天皇の男系曾孫に当たります。

これは《とんでもない間違い》であると直ぐに分かった。どうやら日本史に関する情報収集力は数学的処理の卓越さに比べると見る影もないほど貧弱であることが分かったので、今度はGoogleのGeminiに聞いてみた。回答の一部を下に引用しておこう:

まとめ
  • 天武系の男系が枯渇していたというのは正しい認識です。
  • ただし、光仁天皇の即位は「天武系との決別」ではなく、「天武・聖武の血(女系)を引く他戸親王へ繋ぐためのワンポイントリリーフ」でした
  • その後の藤原氏の政変(呪詛事件)によって他戸親王が廃されたことで、結果的に完全な天智系(桓武天皇の系統)へと変わっていきました。

壬申の乱の後、100年続いた天武天皇の皇統を排して天智天皇系を選んだというよりは、聖武天皇の女系の孫・他戸皇子が成長するまでのつなぎとして天智系の白壁王は即位した、と。天武系の男子が(政変や粛清によって)ほゞほゞ途絶えていたという認識は概ね間違ってはいないが、「敢えて血筋は遠くとも男系の白壁王を選んだ」という意識ではなかったのではないか、と。言い換えると、皇位は女系継承でも可だと、当時の人たちはそう意識していたのではないか⋯⋯、と。Geminiはそう理解している。

あくまでも仮説である。当時の関係者の真の目的、究極的な狙いを聞くことができない以上、事後の経過を重視する正反対の仮説もまた可能なのである。


それにしても、ふ~~む、往年の『時の娘』を書いたジョセフィン・ティや『成吉思汗の秘密』を書いた高木彬光ではないが、これは歴史ミステリーそのものではないか・・・


これ以上に立ち入るのは専門外の小生には時間も基礎知識もない。少なくとも言えることは

複数のAIに質問して、答えが一致するかどうか、確認するべきである。

いくら物知りの友人でも、得意・不得意はある。特定の友人を丸ごと信じるのが失敗の元であるのと同じように、AIの答えをそのまま信じるのはダメだということだ。

ちなみに「旧宮家から養子」という案だが、ChatGPTに以下の質問をした:

最近、第二次大戦後に皇籍離脱した伏見宮系の旧宮家が話題になりますが、男系を遡ると祖先の天皇までは何世代も数えるそうです。一方で、皇族であっても一定世代が経過すれば臣籍降下するのが慣行であったはずです。伏見宮系の皇族は何故これほど長い間皇族であり続けたのでしょう?

すると、以下のように応答してきた:

非常に重要な点です。実は、伏見宮系が長く皇族として存続した理由は、「皇位継承の予備系統」として制度的に維持されたからです。

まず、平安時代まではおっしゃるように、皇子・皇孫は数世代経つと臣籍降下するのが一般的でした。例えば、以前お話しした良岑安世のように、天皇の子孫でも皇族を離れて臣籍に下る例は数多くあります。

ところが、鎌倉時代になると事情が変わります。

伏見宮家の成立

伏見宮家は、伏見天皇の皇子である栄仁親王が14世紀初めに創設しました。

当時は、いわゆる持明院統と大覚寺統の対立があり、皇位継承が非常に不安定でした。そのため、本流以外にも男系皇族を維持しておく必要がありました。

「世襲親王家」という特別な家

室町時代以降、伏見宮家とそこから分かれた宮家は世襲親王家と呼ばれました。

これは通常の宮家とは異なり、

  • 皇位継承者を確保すること
  • 皇統が断絶しそうな場合に備えること

を目的として、代々親王・王の身分を保持することが認められた特別な宮家でした。

江戸時代には

  • 伏見宮家
  • 桂宮家
  • 有栖川宮家
  • 閑院宮家

の四家が代表的な世襲親王家でした。

明治以降

明治時代になると、伏見宮家からさらに

  • 久邇宮
  • 朝香宮
  • 東久邇宮
  • 竹田宮
  • 北白川宮
  • 賀陽宮
  • 東伏見宮
  • 梨本宮

などの宮家が創設されました。これらはいずれも伏見宮系の男系子孫です。

つまり、現在話題になる「旧宮家」とは、もともと皇位継承の予備として制度的に存続していた家々なのです。

1947年の皇籍離脱

戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策の一環として、皇室の規模を縮小するため、これら11宮家51名が皇籍を離脱しました。

したがって、現在議論される「旧宮家の皇族復帰」は、「何百年も前に臣籍降下した一般人を皇族に戻す」という話ではありません。

むしろ、戦後までは現に皇族であり、皇位継承の予備系統として制度上維持されていた家系をどう考えるかという問題なのです。

この点が、平安時代などの臣籍降下とは大きく異なるところです。歴史的には、伏見宮系は一般の皇族とは異なり、「皇統維持のために特別に皇族の身分を世襲することが認められた家系」であったため、何百年にもわたって皇族であり続けたのです。 

伏見宮栄仁親王の父である天皇の名(正しくは崇光天皇)や伏見宮創設時期(正しくは15世紀初め)が間違っている  ―   親王の名は正しい(ようだ)から可笑しいが。やはりChatGPTは歴史は苦手のようである。とはいえ、この問題はGeminiに質問しても、「世襲親王家」という着眼点については同じ趣旨の答えが返ってくる。

つまり、

現在議論される「旧宮家の皇族復帰」は、「何百年も前に臣籍降下した一般人を皇族に戻す」という話ではありません。

むしろ、戦後までは現に皇族であり、皇位継承の予備系統として制度上維持されていた家系をどう考えるかという問題なのです。

この問題意識は両方のAIで一致している。とるべきアプローチは、「ほとんど赤の他人」とも言える民間人を皇族にしてもいいかという問題提起とは別である、ということだ。

この見方は、いま世間で話されている内容とは違うし、小生の感覚では

世論よりはAIの方が冷静で、かつ客観的な問題理解だと思われる。

こういう事であります。


いずれにせよ、天皇というものについて議論を始めれば、基礎になるべき教養、知識は、高々100年にも足らない戦後日本の民主主義を遥かに超える厚みと深みを伴うものとなる。当たり前である。現代民主主義を大前提にしながら皇位継承を議論する時、何だか納まりがつかないモヤモヤ感があるのは、神社で柏手を打つ時に感じる小っ恥ずかしい感覚に通じているのである。モヤモヤ感は致し方がありません。戦後憲法は占領期にアメリカが書いた原稿が土台になっているのですから。

日本国憲法を大前提にしながら、国民統合の象徴を決めるなら、日本を共和制にして大統領を選挙で選ぶ方が余っ程ロジカルなのである。最近、上野千鶴子氏がこの見解をハッキリと述べているが、他の点はともかく知的誠実さには感服を禁じ得ないのだ、ナ。

何党か分からないが立候補して選挙運動をしたあと私たち有権者が投票をして選ばれる大統領と天皇陛下と日本人はどちらに日本の象徴性を感じるのか?それはまた自ずから別の事柄であろう  ⋯⋯   国歌「君が代」も廃止しないとネ、大統領制にするならば。国旗「日の丸」は江戸・幕末にアメリカに渡航した咸臨丸も掲げていたから残るでしょうが。

本当はこの選択を日本人はして、それに整合するように憲法を書き直す(=改正する)のが望ましいと思うが、これはまた別問題。


囲碁の名人がDeepMindのAlphaGoに負けてからAIの優越性が可視化されてきたのだが、歴史的背景と今の政策との関連をどう理解するかという点でも、世論よりはAIの方が(まだ細部で誤りが混じって満点ではないが)実力が上回るようになってきた。少なくとも世論の方がAIよりなお優れているとはもう言えない・・・こんな感想を持たざるを得ない。

囲碁や将棋などではとっくにそうなっているが、数学分野でもAIは大学院入試問題を軽々と解ける。人間に思いつかない証明方法を提案したりもできるようになってきた。所与の歴史的背景から今の問題の本質を探るときにも、正確な問題理解を示せるようになったとしても、それはAI進化の自然な帰結である。

民主主義の利点は《集合知》にあるというが、そんな世界の民主主義も知的な意味でそろそろ限界に近付いている気がする。

世界の大半の問題は、《世論》ではなく《AI》に質問する方が適切な回答が得られる時代がすぐそこまで迫ってきている。

正義や善が理性に基づく価値で、価値には合理性が求められるのであれば、社会的正義や社会的善の実現すらも世論よりはAIが担った方が、誤りを防げるだろう。人間には常に感情があり、怒りや嫉妬、妬み、怖れ、不安など色々な煩悩が混じる。国と国との関係もまたそうだから。

【加筆修正:2026-07-14】

 




 


2026年7月9日木曜日

覚え書: ハラスメント。野球もサッカーも誤審対策で慌ただしいのと同じか。

最近になって俳優の佐藤某と女優の橋本某がフジTVのドラマ撮影中に、なんだかハラスメント問題を起こしていたというので、芸能界隈では相当の騒動になっているよし。

きっかけは「文春砲」。週刊文春はハラスメントされた側の言い分を記事にしたところ、ハラスメントした側が「偏向している」と強硬に反論し、こんどは週刊新潮がこっちの側にインタビューした記事を出している(ようだ)。

正に共食いでありますが、これで販売部数が増えればカネを払うのは一般読者だから、業界全体としては見事な協調戦略であるわけだ  ―   これが意図的であるなら悪どいが。


それにしても、最初は「言葉の問題」であった(そうである)。小生の修行時代なら

きついこと、言われちゃったよ⋯⋯

友人にこぼして、慰められて、それまで。後で考えれば、きつい言葉の意味に気がついて、どうすればイイかを理解することもあった。

ハラスメント加害者を処罰し、ハラスメント被害を抑止するのは「善い社会」を築くための当然の努力であると思うが、ハラスメント認定を正確にしないと、今度はコミュニケーション障害を招き、こちらの損失が上回るかもしれない。

実質のない暴言は純粋のハラスメントだが、道理もロジックもある厳しい言葉を受けとれないのは聞いた側の理解力の問題で、言った側の問題であるとは言い難い⋯⋯と思う価値観に小生は立つ。この辺、言った側の意図、聞いた側の感情、両方の間に線を引いて判定するのは難しい。


とはいえ、そもそも

どんな犠牲を払ってでも守るべき価値などこの世には存在しない。たとえば、人類の生存を上回る価値がありますか?ないでしょう。しかし、これすらも地球を破壊してでも守る必要はない。

こう思っている。なので(という接続詞でいいかどうか分からないが)、この世界では《真実》こそ最も尊重されるべきだと思っている、甚だ抽象的ですが。真実を「誠意」、あるいは「自己を飾る嘘のない真心」と解してもよいかもしれない。

少なくとも口から出て、耳に入り、聴覚を刺激する空気の振動そのものに一喜一憂し、音波に罪の存在を求める態度は愚かである。というより(またまた)ドミノ的喜劇の発端になるだけである。本質は言葉ではなく、話者の意識であって、判定基準は動機と目的であろう(と勝手に考えている)。現代日本社会はまっとうな理性を働かしてほしいものだ。


野球でもサッカーでも、審判の判定能力が試合を円滑にもし、壊しもする。

ハラスメントの認定は日本では法律専門家の弁護士が担当することが多いようだが、弁護士もピンキリである。それに弁護士はクライアントの利益を代理するもので裁判官ではない。審判ではないのである。その審判もストライク・ボールの判定を間違えてばかりいる三流がいる。弁護士にも三流がいる。ハラスメント認定の現実は「お寒いものだ」と思って見ている。

ハラスメントを基本的に考察して、最適な法制度にするには、どんな基本法があればよいのか?基本が定まっていないから、安定しないのだ。そう思いますがネエ。この辺、以前にも投稿した。


2026年7月8日水曜日

ホンの一言: リニアの大阪延伸? 名古屋で十分なはずでは?

ずっと止まっていたリニア新幹線・静岡工区にも着工の目途がついて、いよいよ10年程先には東京‐名古屋間が40分程で結ばれる見通しになった(そうだ)。

ずっと昔、取手市に住まいしていた頃、霞が関の職場に行くのに片道1時間40分を要していた。リニアなら東京・名古屋を往復できる時間である。

月並みな言い方なら《今昔の感》ということになるのか。


ただ、今朝のワイドショーを視ていると、

仕事で行くのは大阪ですし、名古屋で乗り換えることはしないと思います。

そんな感じで、リニアの大阪延伸が今から早くて30年位ではないかという予想に、出演者の人たち、笑っておりました。

思うのだが、

大阪の拠点機能をソックリ名古屋に移せばイイのでは?

実に簡単な解決策でありましょう。

この発想、誰も口にしないのは不思議で仕方がない。


そもそも中京経済圏は現時点では近畿経済圏の半分ほどのスケールであるが、モノづくり産業の拠点であり、サービス経済化はこれからである。背後の信州までを含めると、人口、土地に広々とした余裕がある。信州は既に精密産業の一大拠点でもある。津波被害にもロバスト(=頑健)である。インフラ基盤は十分に厚い。成長ポテンシャルは中部経済圏の方が遥かに上であると観ている。

今になって《大阪副首都》などに振り回されるのは理に反する。

というより、経済的ロジックに沿って物事は自然に推移していくはずである。自然に進む都市形成をサポートする発想で資金を投入していけばよい。

関西経済圏は、地勢上、一定の繁栄は約束されている。しかし、名古屋の地理的利点を引き出さない法はない。生煮えの理屈で人為的なプランに執着するのは愚の骨頂である。

2026年7月5日日曜日

覚書き: 天皇の「男系男子継承」は明治政府が始めた非合理な方式なのだろうか?

カミさんに付き合って今朝の「サンデー・モーニング」を視たが、そこでも高市内閣の《男系男子による皇位継承》に疑念が呈されていた。民意ではないというのだ、ナ。

男系にこだわらないなら女系継承も認めることになる。天皇の娘の息子/娘が天皇になれば女系継承になるわけだ。この可能性に保守派が反対している、と。保守派は大半の国民の声に耳を傾けない。怪しからん、と。「男系男子による継承」は明治維新後に政府が押し付けた乱暴な方式にすぎないというのだ、ナ。男女平等をうたった日本国憲法の精神にも反するというわけだ。

「乱暴な方式」というと、鎌倉時代に幕府が朝廷に押しつけた「両統迭立」を思い出したりするのだが、明治以降の「万世一系・男系男子」も政府が強制した非合理な方式であるのだろうか?


マア、正直なところ、天皇や皇位継承など生活にはほとんど何の関係もない。誰が天皇になろうとかまわないのではないか?そう思いもするのだが、どうやら番組制作側は視聴者に受けると思っているらしい。本当にそうなのか、実に疑わしいのであるが、今日もそんな話がテレビ画面で語られているのだから仕方がない。


ただ、出演者の話しを聴いていて疑問に思った点が一つある。

日本は天照大神という女神から始まった国で元々は女帝なのですから・・・

と語る御仁がいたのだが、21世紀の日本の問題を論じるのに、よくまあ神話にまで遡りましたな、と。そう思って面白うございました。

それに天照大神は日本の始まりではなく、その前にイザナギとイザナミの夫婦神がいる。この二神が日本を創ったと『古事記』には書いている。天照大神はこの二神の娘である。神話に遡るなら『古事記』でござんしょう。

とはいえ、三種の神器を授けられて天孫降臨したニニギノミコトは天照大神の孫であるから、皇室の元祖は(神話のとおりなら)そもそも女系である。

つまり、日本人は本質的に女系継承を拒絶しているわけではない  ―   あくまで神話であるが。

それはさておき、《男系継承》を支持する側にも相応の根拠はあると小生は思う。

というのは、(小生は日本史の専門家ではないので雑駁な知識しかないのだが)、史料で確認できる歴史のほぼゝ全体を通して、天皇は男系の直系男子、理想型としては(息子がいれば)父から息子の形で継承されてきた。これは否定できないはずである。女性天皇が複数人いることは事実だが、それは男系皇子がまだ幼いなどの理由で一時的な「つなぎ役」として践祚したとも言える  ―   とはいえ、つなぎ役のはずの持統天皇が強いカリスマ性を発揮したのも事実であったはずだ。この辺り、先日投稿したとおり。

要するに、男系を選ぶ皇位継承は何も明治政府が始めたわけではない。(そうする理由や目的はともかくとして)男系による皇位継承は事実として続けられてきた。こう言っても間違いではない(はずだ)。


次に、直系が絶えたときの皇位継承をどうしたかである。小生は浅学のため、二例しか思いつかない。一つは(先日の投稿でも触れたが)壬申の乱後に100年ほど続いた天武系による継承から天智系に皇統が移った光仁天皇。それに江戸時代後期になるが光格天皇である。


最初の光仁天皇だが、天武天皇以来の女系の男子皇族が何人もいたにもかかわらず、男系男子が途絶えたことを理由に、100年間にわたって傍系であった天智天皇系の白壁王が光仁天皇として即位したのである。光仁天皇。平安京に遷都した桓武天皇の父である。この事は、8世紀末という時点で、男系による皇位継承を続けようとする意識を皇室が有していた証明になるのではないかと思うが違うのだろうか?少なくとも、男系継承は明治政府による勝手な押しつけであるという批判は誤りであろう。

次の光格天皇だが、1780年から1817年まで(あの時代にしては)長期にわたって在位したことから(前後の天皇に比べて)強い発言力を有して幕府を悩ませた天皇である。この光格天皇以後、今上陛下までは直系である。しかし、光格天皇はご先祖の東山天皇が亡くなってから60年程がたった傍系の皇子であり、親王にはなれず、皇族である「師仁王」として処遇されていた人物であった。ところが、直系の男系男子が途絶えたことから、閑院宮の息子である師仁王に白羽の矢が立った。これも男系による継承が選ばれた一例になると思う。

詳しいことは日本史の専門家が研究し尽くしているはずである。

いずれにしても、直系が絶えたとき、血筋の近い女系男子/娘ではなく、敢えて血筋は遠くとも男系男子を選ぶという意識は、(少し?)歴史を遡れば確かに皇室内部にあったと確認できる。なぜ男系を選ぶのか理由や目的は小生の知るところではないが、事実を解釈しようとすれば、そう思わざるを得ない。


少なくとも、男系男子による皇位継承は、明治政府が独断で定めた非合理な方式であり、それは日本の伝統でも何でもないという指摘は、正しくないと思う。むしろ、それがよいという積極的意識で、皇室(及び宮中貴族層も含めて?)が選んできた方法であった⋯⋯

小生の目にはそう見えますがネエ。

2026年7月4日土曜日

覚書き: 「コンプライアンス」がもたらす社会の「自己疎外」について

小生は経済学部からビジネススクールへ横方向へ移籍した口である。移籍当初は経済学の感性と経営学の感性と、学問分野の違いばかりではなく、授業を教えている教員たちの感性までもが何故これほど違うのか、と。しばらくの間は、まるで文化大革命の渦中に投げ込まれたような違和感に満ちた毎日を過ごしたものである。

しかし、今になって振り返ってみると、ビジネススクールで仕事をしたおかげで、データ解析を担当した小生の問題意識も大いに啓発され、新しい方向へ研究を始めることが出来たのだから、結果的には良かったと思っている。

21世紀に入って何年か経った頃だったろうか、外部評価で評価委員が来学したことがあった。その最後に指摘された課題として

カリキュラムに「企業倫理」に関連した科目が含まれていない

そんな助言、というか要請があったことをまだ覚えているのだ、ナ。

経済学から入った小生にとって、企業は法人であり、倫理意識など持てようはずはないわけであったので

何をチバケタことを・・・

と呆れる思いがしたことをまだ覚えている  ―   「チバケタ」と書いたのは、その時の感想をそのままに書いているもので、岡山県に勤務したことがあった名残である。

つまり、「企業倫理」などと言う概念が存在する余地はなく、あるとすれば「経営者倫理」だけである。そんな理屈であった。

その後、長い時間が経ってみると「企業倫理」なり「ビジネス倫理」という言葉は、日本社会でも何だかそれなりに定着した感じで、要するに

儲かるなら何をしてもイイわけではない。

これを言いたいのであろうと、大体は察しがつくようになった。何をしてもいいわけではない、つまりそこには「規制」がある。法的な規制があるし、法的には合法でも倫理上の規制があるはずだ。いわゆる《コンプライアンス》という言葉がここから派生してきた。

自由契約の精神はコンプライアンスという新たな外来語で羽交い締めされる社会状況になって来た。

最近なにかというと「葵のご紋」のように振りかざす人が増えた「コンプライアンス」、最初は企業倫理の方面から、だんだんと拡大、流布していったということか?

こんな「事ども」を思い出すことがあったので、試しにChatGPTの見解を聴いてみることにしたので下に引用して覚書としたい。

質問したのは先ず以下の質問だ。

コンプライアンスという言葉は20年程以前には使われていなかった記憶があるのですが、最近のように強調されるようになった具体的な契機や発端があったのでしょうか?

 回答は思った通りだった:

「コンプライアンス(compliance)」という言葉自体は以前から英語にはありましたが、日本で現在のように「企業経営の最重要課題」の一つとして盛んに使われるようになったのは、1990年代後半から2000年代初頭です。その背景には、いくつかの大きな出来事が重なっています。

1. バブル崩壊後の企業不祥事の続発

2. アメリカ企業統治の影響

3. 日本版SOX法(=サーベンス・オクスリー法)の制定 

4. 「法令遵守」から「企業倫理」へ

 「サーベンス・オクスリー法」の登場で、企業の内部統制と法令遵守を厳しく求める世の流れが確定した。

その法令遵守が次第に拡大解釈され、「適法か違法か?」という法律論から、いまは「適切か不適切か?」というグレーゾーンにまでコンプライアンスという言葉が使われるようになった。大雑把に整理するとそういうことのようだ。

そして今では

  • コンプライアンス委員会
  • コンプライアンス室
  • コンプライアンス研修

ちょっとした企業なら上のようなセクションなりコースが開設されているはずだ。

何かのトラブルがあれば、何かの原因がある、というより「あらねばならない」。その原因は、仮に法律違反でなくとも、(何らかの意味で)不適切である。どんな意味で不適切なのか?それは法律なり、法律がなければガイドラインなり、内規なり、探せば必ず見つかる(はずだ)。なければ新たに文章化して不適切にすればよい。つまり現実にトラブルが発生しているなら、関係者の言動に何かノン・コンプライアントな要素があったからである。そういう事にしよう。

トラブル ⇔ ノン・コンプライアンス

これが現代経営を支配する黄金律なのだろうと観ている。

まるで仏教である。仏教では全ての事象は過去の業が因となり何かの縁で触発されることで生起する。いわゆる「縁起」なのであるが、典型的な因果論にあたる。実際、仏道では「四苦」を「生・病・老・死」としているが、死の苦しみの原因は、即ち生まれたことそのものである。人生とは苦である。ここから全ての議論が出発する。(宗教としては)間違っている議論ではない。しかし、宇宙観を実務のマネジメント方針にするのは間違いだ。

問題解決には因果分析がなるほど必要だ。悪因悪果、善因善果。不適切な原因を排除すれば望ましい結果が得られる。とはいえ、これで安心するなら、まるで因果応報論の焼き直しである。

この極めてシンプルな論理に自らが苦しめられているのが当の我々ではないかナアと感じているのは小生だけだろうか?

生産現場、活動現場は因果律では動いていないのだ。人間は因果論ではなく、目的論に立って観察されるべき存在である。

〇〇したからこうなった。ではなく、〇〇したいから、こうする。

人間社会は目的合理性に沿って出来ている。活動には目的がある。これを理解できない人はいないはずだ。トラブルは排除するべき不適切では決してない。目的を追求する中では、何らかのトラブルはほぼ必然的に発生するものである。トラブルの根本的原因は、過去の時点にあるのではなく、目的を定めたこと自体にある。もし目的が絶対のものであるなら、付随するトラブルは半ば必然的。解決するべき問題として認識されるのである。

トラブルは改善への一里塚

それが人間行動である。こんな言動をしたことが重要なのではなく、何をしようとしてその言動をしたのか?意図と動機が人間行動の本質である。

外観だけに着目して、一挙手一投足一語句に是非の判定を下したがるのは、人間社会を《ゲーム》と錯覚している御仁の通弊である。この種の人物の増加と横行を止められない所が、現代民主主義社会に蔓延する文明病の主たる症状だと観ているところだ。


モノづくりを経験知として知っていた世代なら、不適切な原因がありトラブルが発生したという順とは反対方向からも考えられるはずだ。そもそも何が不適切かという判定は目的設定に依存して変わるものである。

モノ作りではなくて、サービス、つまりは「おもてなし」をコアとする現代日本の活動現場では、トラブル自体が単なる不祥事になってしまったようだ。

「改善への一里塚」から「単なる不祥事」へ

「失敗は成功の母」であるのに何という転落ぶりだろうか?しかし、アスリートでもない、クリエーターでもない、アーティストでもサイエンティストでも何でもない、いわゆるスキルとは無縁の人たちが活動する現場においては、トラブルは未熟からの成長の一過程とは認識されず、単なる無能としか観られない。成長するべき何物もない以上、トラブルは取り除くべき不適切な因子の存在を示唆するのである。

マルクスは「労働力の商品化」をもって「人間の自己疎外」と理解したが、「コンプライアンス」という言葉に支配される現代日本社会の「働く場所」に蔓延しているのは、文字通りの

働く人たちの自己疎外

である。浸食されているのは、被雇用者だけではなく、自らが造った言葉と観念に逆に支配されている経営者も同じである。

コンプライアンスとは元来は「法の尊重」を指す言葉だった。それが「不適切の排除」という意味に拡大してきたのが、この10年程の間の現代世間史と言えるだろう。この辺にも言及しているから、ChatGPTの回答は平均以上の出来栄えを示している。

興味深いのは、コンプライアンスの意味が変化していることです。

もともとは

法律を守ること(法令遵守)

という意味でした。

しかし現在では、それだけでは不十分と考えられ、

  • 社内規程を守る
  • 倫理規範を守る
  • 利益相反を避ける
  • ハラスメントを防止する
  • ESGや人権に配慮する

といった広い意味で使われています。

《トラブル、即ち不適切》という思い込みは、創造とモノづくりの現場を忘れた現代日本の精神的退廃であろう。正に、自らが造った言葉が自らを苦しめる自己疎外の典型的なケースであるというのが、小生の現代世相観である。

次いで、以下の質問をした。

個人的には、潜在的エネルギーが社会的な活力になるように法制度は柔軟に修正していくものだと考えています。現時点の法制度を所与として、法を順守する点を重視しすぎると、むしろ閉塞的な社会状況になると思いますが、あなたはどう思いますか?

あまり良い質問の仕方ではない。これでは答えを誘導している。

案の定

例えば歴史を振り返ると、

  1. 明治維新では封建的な身分制度や営業規制が大きく改められ、経済活動の自由が広がりました。
  2. 戦後の農地改革や独占禁止政策も、既存制度を大胆に変更することで社会の活力を引き出そうとした例です。
  3. 近年でも、デジタル技術やAIに対応するため、新しい事業を可能にする「サンドボックス制度」のように、既存規制を一時的に緩和して実証実験を認める仕組みが導入されています。

つまり、法制度は固定的なものではなく、社会の変化に応じて改正されるべきものだという考え方は、法学や経済学でも広く認められています。

小生が欲しいと思う回答が返ってきた。この回答自体に誤りはなく、正にその通りなのであるが、

社会進歩のためには、苦しむ人は犠牲になるべきだと考えるのですか?

必ずこんな反問に答えなければならない。注射は、同じ人が痛い思いをして、同時に治療効果の受け手になる。利得と損失の差し引き計算は可能だ。他方、社会が進歩するときには、ある人が大きな利益を得て、別の人がそれより小さい損失を蒙る。そんな時、損失を蒙る人は社会の為に犠牲になれというのですか?これでは、神風特攻隊を送り出した軍国日本の日本人と同じ精神ではないか?

この問題意識こそが議論の核心なのである。

次のように回答から逃げているのはAIなるものの賢いところだと思っている。

私が興味深いと感じるのは、ご指摘が**「コンプライアンス文化」への批判**にもつながっている点です。

近年のコンプライアンスは、単なる法令遵守を超えて「少しでも社会的批判を受けそうなことは避ける」というリスク回避の文化にまで広がることがあります。その結果、

  • 新規事業への挑戦をためらう
  • 前例主義が強まる
  • 失敗を極端に恐れる
  • 形式的なチェックや書類作成が増える

といった副作用が指摘されています。これは本来の「法令遵守」とは少し異なる現象で、むしろ過剰なリスク回避の問題と言えるでしょう。

コンプライアンス重視が、改革の痛みからの逃避になれば、その企業、その国は衰退するしかない理屈である。

要するに、コンプライアンスを「臭いものに蓋をする経営姿勢」の言い訳にしてはダメだということだ。が、現状は

コンプライアンス重視 = ことなかれ主義

コンプライアンス重視 = 護送船団方式

に堕している。1990年代のバブル崩壊の修羅場の経験を通して、これではダメだと日本人が学習した教訓を、そろそろ忘れ始めているのだろう。

日本社会は、一度は否定できた旧習を新しい言葉で飾りつけ又もや同じ事なかれ主義に戻りつつあるように観える。

とはいえ、こういう事こそ小生が最初から言いたい事であった。言いたい事を先に書いてくれるのは有り難いが、求めていたのはこれをロジックとして整理することであった。

数学の入試問題すら解けるAIだが、社会を肉切り包丁のように解体して、社会問題のロジックを自由自在に再構成してくれるという所までは行かない様だ。