2026年6月2日火曜日

断想: 「皇位は世襲」のはずが、思わぬ対立、混乱が起きているのは何故だろう?

 TVは(まだ?)意図的に控えているのだろうか、今国会に上程される予定(と思われる)の皇室典範改正案をめぐって、ネット界ではもう「女性天皇・女系天皇」支持論であふれている。あふれているのは、現実政治においては力学的に劣勢であると感じているからだろう。極々たまに「旧宮家養子容認、男系天皇」支持論を見かけるが数的には劣勢である。

小生は、前にも投稿したが、皇位継承をめぐって世間で議論が喧しいという正にこの状況は、《世襲》を原則とする《天皇制》と矛盾している、と。そう思う立場にいる。

例えば「天皇 非民主的」でブログ内検索をすれば、結構、多数の投稿がかかってくる。それを見ると、皇位継承も戦後日本の民主主義と男女平等という現代的文明観に沿って行われるべきである、とは全く思っていない自分が改めて可視化される感覚がする。


ただ、ずいぶん前に「家門の継承」というテーマでこんな投稿もしている:

五代将軍徳川綱吉は子に恵まれなかったので、紀州藩に嫁がせた娘・鶴姫の夫である徳川綱教を次期将軍にしようとした。子ではない娘婿である。その時、綱吉には若くして世を去った実兄・綱重の遺子である甲府宰相綱豊がいたにもかかわらずである。これには流石に水戸藩のご隠居である徳川光圀が反対したという。それはそうだろう。血のつながりの濃さによって継承していくのが<世襲>というシステムの本質なのだから。しかし、もしこれが、娘・鶴姫の子であったら水戸黄門も反対しきれなかったのではないか。これが<女系将軍>というものだ。結果としては、肝心の紀州藩主綱教が死んでしまい、兄の子である甥が六代将軍家宣になるのだが、こうしてみると幕府内に<女系将軍>が後を継ぐという事態にそれほどの拒絶感はなかったのではないか。そう思わせる逸話であろう。

「家門の継承」、「血筋の継承」という話には、現代日本人も意外に強い関心を持っているようなのは、いまでもネットをみていると、「関ケ原合戦の直前に悲劇の死をとげた細川ガラシャの子孫はいるのか?」とか、 「室町時代の足利将軍家の末裔はいまでもいるのか?」とか、この種の話題にはかなり多数の人が関心を寄せているのがよく伝わってくることからも言えるのではないか。

女性天皇は歴史に実例がある。母方で血がつながっている女系でも尊貴な血筋にはわけもなく尊敬(?)の念を感じてしまう日本人の癖は、それが天皇ともなれば、歌舞伎俳優の襲名や芸能界の二世たちとは全然レベルが違う話になってくるのは明らかに思われる。

冷静に考えれば、男系、女系、男性、女性を問わず、天皇家の血筋を継承していってほしいというのが、最大多数の日本人の共通の感覚なのだろうと推測する。

皇室が断絶すれば多くの日本人は日本文化の伝統まで失われたという喪失感覚を覚えるかもしれない。移民政策の失敗とシンクロすれば日本社会全体が予期しない方向へ不安定化するかもしれない。もちろん、その時には直系が絶えたということで、傍流からどうにでも継がせることは可能だが、それはそれで今をはるかに上回る大騒動になるに違いない。

ただ政府は「男系継承」を続けたいと考えているようだから、これはもう仕方がないと思うのだ、ナ。

反政府の立場から「女系容認」の世論をぶつければ、正に皇位継承をめぐって「政治的対立」が生まれるわけで、そうなれば次の天皇に政治的な色合いが最初からついて回ることになるのが理屈だ。

現時点の継承順に沿って秋篠宮家に皇統が移れば秋篠系の天皇は「親・自民党の天皇」、皇位に就けなかった今上天皇の内親王は「親・リベラル勢力が支持した悲劇の(?)内親王」として自動的に認知されてしまうのではないか?そして「皇位を奪われた内親王の子女たち」は、自動的に(政治的には?)リベラル色の強い皇族として見られることになってしまう・・・ずっと昔、宮中の派閥はこうして生まれるものであった。宮中ならマシだが、今は民主主義だ。社会を舞台に皇位をめぐって派閥が形成される。

・・・この種の政治的対立は、「日本国民統合の象徴」としての天皇そのものを決定的に毀損する結果になる  ―   これもまた非常に日本史的な展開ではあるが。

何度も投稿したが、民主主義と天皇制は水と油の関係にある。そもそも天皇の権威を尊重するのは非・民主的であり、民主主義を徹底すれば天皇制を廃止して、大統領制にするべき筋合いなのだと、そう書いたのもつい最近の事である。

皇位は《世襲》によると憲法で定めているのは、皇位は血筋によって決まるのであり、民意によって決まるのではないという意味だと小生は(勝手に)理解している。

世襲とは、つまり、次期天皇をめぐって国民の対立を生まないことを期待しての制度である。

これが日本の天皇制の最も重要な点であろう。

まあ、個人的には

  • 新しい元号くらいは官房長官ではなく新たに即位した天皇が発表するべき筋合いではないか?
  • 新たな天皇が即位するとき位は、憲法改正の論点整理をして条文を見直しても天皇と政治の独立に反するとは言えないのではないか?

そんな気持ちではあるが、その前に「皇位継承」そのもので意見が対立するなどは、昔風にいえば《世の乱れ》の典型的原因になりうるのである  ―   もう十分に乱れていると言う御仁もいるかもしれないが。

日本国憲法の第2条には、確かに『皇位は世襲のものであり』と記述されているが、その後に『国会の議決した皇室典範の定めるところにより継承される』と明記されている。

あたかも「世襲」のあり方には「国会の議決」、つまり「民意」が介入する余地を認めている。

いま「あたかも」と書いたが、現在の混乱はここから生起していると思っている。憲法制定時、更には皇室典範が戦前の「皇族家法」から国会が議決する法律になった時には、まったく予想していなかった混乱だろう。

もともと穴が開いていた船底から浸水し始めた状況と似ている感じがする。これを《千慮の一失》という人はおそらく保守派であろう。