2026年8月8日土曜日

断想:日本史には二度の《大崩壊》があった?

高市内閣による皇室典範改正でにわかに「皇統」とか、「古代」とか、日本の神話時代に遡る発想が今は面白いというので、最近よく目にするのは継体天皇の名前である。

応神天皇や仁徳天皇より後の人だから神話の中のヒトではないが、何しろ遠い昔のことで『古事記』で知る時代、文字通り「遠つ神代」に生きた人である。

大体、日本人は「そもそも⋯」が好きである。日本語で「そもそも」と言いたい時、英語ではどう言うか、正直、適切なことばが浮かんで来ない。To bigin with、違う。Originally、ちょっと違う。Fundamentally speaking,...、ウ~~ン、いきなりクソ真面目な顔をして言ったら、笑われるンじゃないかナア。

これも古代から中世へと年表の古い順に日本史の授業をやっている副作用かもしれない。歴史に学びたいなら、先ずは一つ前の時代を振り返る考え方で、言うならば中国流で勉強するのが実際的な歴史だと思う、というのは前にも投稿したことがある。「温故知新」とは、千年前の事を知れば今の社会がよく分かる、という主旨ではない。そうではなく、今の社会を知るためには、その前の時代を振り返って経緯と沿革、そして必然性(?)を確かめる、そんな風に糸を手繰るように因果関係を遡及しながら、現在の状況を理解するという実証的方法論である。誰でも日頃やっていることであって、当たり前の正攻法が、正しい理解への早道である、ということだ。だから「歴史」と言っても難しく身がまえることはないのである、本来は。それを1500年位の昔かどうかハッキリしないが、継体天皇がこうだから今はどうこう⋯などと真面目に議論する風景は、滑稽としか感じられない。


それはともかく、これも前に投稿したことがあるが、

日本は応仁の乱の前後でまったく別の国になった

つまり、応仁の乱によって古代以来の社会構造は完全な崩壊へと向かい、織田・豊臣以降の社会はまったく新しい骨格をもった社会になったと言うのだが、小生も日本史が専門ではないが「それはそうかもなあ」という位で共感できることなのだ。応仁の乱の真っ最中から伝わった東山文化の侘び寂びは現代日本人にも感覚的にピンと来るが、鎌倉武士の日常や平安貴族の常識とか意識は本質的に共感の域を超えているはずだ。ましてその時代の庶民の暮らしぶりなど知識があるまい。

もう一つの大変動は、言うまでもなく昭和20年の「無条件降伏」である。占領軍が原稿を書いた戦後憲法は、織豊以降の近世・近代の日本社会を完全に覆した  ―   戦時の国家総動員体制で古い日本は半ば瓦解していたと見る人もいるかもしれないが。少なくとも、明治維新は《大崩壊》ではなく、権力層の交替であって、社会構造は(基本的に)保存された(と思っている)。

太平洋戦争は確かに日本にとっては《千年に一度》級の大変動をもたらした。というより、今ももたらしつつある。そう観るべきかもしれない。

小生は、戦前期・日本で中年までを生きた祖父母の感覚を知っているが、それでも敗戦より前、芝の増上寺には徳川家の霊廟群が江戸そのままの姿で厳かに建ち並び、霞が関には海軍省、三宅坂には陸軍省と参謀本部があった戦前日本のリアルな空気までは分かる由もない。同じ文化遺産を継承していながらも、戦前に生きていた日本人は現代とはまるで違う歴史観をもち、違う考え方をしており、服装や髪型、毎日の食事、あるいはしゃべり方すらも異なっていた(はずである)  ―   共通しているのは同じ数学的問題に同じ解答をするという論理においてくらいだろう。これが一つ前の時代で、「戦後日本」という現代は「降伏」という衝撃後に、そこから出てきた一つの結果である。


思うのだが、継体天皇云々は現代日本とは何の関係性もない歴史ロマンである。歴史的に今という時代を考えるなら、織豊政権から江戸時代、明治維新と王政復古、軍国主義までを大きく一括りにした「過ぎた時代」のあり様と歩みを振り返る方が先だと思っている。

【加筆修正:2026-08-09】



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