2026年7月25日土曜日

ホンの一言: 生煮えの「ハラスメント」概念は研究段階の製品とソックリでは?

かなり以前になるが高橋昌一郎『20世紀論争史~現代思想の源泉~』(光文社新書)が面白くて複数回読み返した記憶がある。

昨日、パラパラとページをめくって、以前に傍線を引いた個所を読み直していたのだが、読んだ当時はそれほどでもなかったが、昨日読み返すと中々に意味深な個所があったので引用しておきたい。論理実証主義のウィトゲンシュタインと科学哲学者ポッパー(というより数理哲学者ラッセル?)が口論する場面が秀逸である。が、以下に引用するのは論理実証主義に関するところ:

(ウィトゲンシュタインの)『論理哲学論考』が導くのは、「語りうることは明らかに語りうるのであって、語りえないことについては沈黙しなければならない」という有名な結論だ。

この世界で「明らかに語りうる」ことは、真か偽かを「論理的に」決定できること、あるいは事実か否かを「実証的に」確認できる言語に限られるという論理実証主義の理念は、そこから誕生したわけだ。

この下りを読んで思ったのは、

現代日本の「弁護士」という輩に読ませてあげたいネエ・・・〇〇ハラがあるかと思えば、ハラ・ハラもある。そんなハラスメントという犯罪概念(?)に対して論理実証主義者はどんな批判を浴びせるだろうネエ・・・

というものだった。 

「法学」という学問分野が、学問体系全体の中でどのように位置づけられるべきか、小生には論じる資格はない。

しかし、「法」というものは最低限の要請として論理的でなければならず、事実の立証に基礎を置くからには、論理実証主義の哲学とは最も相性がよい学問ではないかと思う。自然科学とは違って、そこに「仮説性」が混じるのは、非常にまずいと思うのだ、ナ。

ハラスメントという犯罪、というか疑似犯罪概念、あり得ますよネ?

もしもこんな生煮えの学問談義から大した進展がないなら、研究段階の扱いにとどめるべきで、実社会に適用するべきではあるまい。特に《コンプライアンス原理主義者》が横行する現代日本社会では、《お気持ち倫理学》がはびこりがちでもあり、なおのこと慎重であるべきだ。

ひょっとすると、法律運用の現場では学問も論理も何もなく、ひたすらに「取り締まる」、「処罰する」、そのための理屈をつくるための道具が法律である、と。そんな即物主義的で虚無的な精神が共有されているのかもしれない。

ま、それならそれでつつがなくやられたらよろしゅうございましょう。


何事も学問的研究が生煮えの成果は実用を控えるほうが社会は安全である。




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