2026年8月19日水曜日

断想: 「民主主義の文化的DNA」があるのか?

 ニュースポータル"SmartNews"にこんな下りがあった:

日本にとって中国は最大の貿易相手国となっているが、世界のリーダーとなった中国とどう付き合うべきなのか国民的合意は得られていない。著者は中国研究の第一人者であり、バイアスのかからない情報発信を長年、続けてきたことで知られる。日本の将来を考えるなら、絶対に読んでおくべき一冊だ。

評論家・加谷珪一氏が寄稿した『『おそるべき「中国一強」時代』(富坂 聰)への書評の中の1節である。

違和感を感じました。

中国とどう付き合うべきなのか国民的合意は得られていない・・・

《国民的合意 》が、日本と中国との交流に必要なのでしょうか?

中国から日本に文字が伝わり、仏教が導入されたのは、《国民的合意》があったからか?

国民的合意とは、これいかに?国会の議決のことか?世論調査のことか?

こんな疑問もあったりする。


中国と経済取引を拡大する方向は理に適っている。これは中国ビジネスを展開してきた(している、を含む)ビジネスマンなら肌感覚で了解する真理であろう。

高市・現内閣が採っている反中路線は、地政学的、安全保障戦略上の色々な理屈はあるのだろうが、せんじ詰めれば《非合理》だと思う立場に小生は立っている。

その背景として、日本の大衆心理に何となくのレベルで潜在している、対中恐怖心に迎合しようという政略があるのだと勘ぐっている。

民意を重視する政治体制ならば、これは仕方がないが、仮に明治前半期のような文字通りの専制君主制であれば、民意とは関係なく国益上合理的な外交戦略をとれていたに違いない。


先日、終戦時の海軍大臣であった米内光政のことを調べることがあってWikipediaを読んだのだが、こんな下りがあった:

武見太郎(後の日本医師会会長)が「開戦前、海軍上層部の見通しはどうだったんですか。まさか勝てると思ってたわけじゃないんでしょう」と聞くと、「軍人というものは、一旦命令が下れば戦うのです」と答え、「陸軍の支配下に伸びて行った日本の、偏狭な国粋主義思想は、世界に通用するものではなかったけれども、日本には古来から、日本独自の伝統思想風習がある。その上に、アメリカ流の民主主義を無理に乗っけようとすると、結局反動が来るのではないか。それを心配している。民族のものの考え方は、戦争に負けたからといって、そう一朝一夕に代わるものではない」と、GHQによる占領政策を、批判する発言をしたという。それに対し「科学技術を振興して行けば、日本は立ち直って新しい国に生まれ変わることが、出来ると思いますがね」と武見が反論すると、「国民思想は科学技術より大事だよ」と大声をだしたという。米内の予想では「日本が本当に復興するまで、二百年かかる」と述べたという。

 非常な洞察力だと感じた。この中の

日本には古来から、日本独自の伝統思想風習がある。その上に、アメリカ流の民主主義を無理に乗っけようとすると、結局反動が来るのではないか。

この部分は今後ますます明瞭に可視化されてくると予想している。


日本は、確かに中国や朝鮮のような皇帝専制国家ではなかった。山岳地が多い日本の国土は、地域ごとに分立した分権統治、封建体制に自然に向かうようにできていた、と勝手に考えている。

とはいえ、中国文化圏の中にあった日本もまた民主主義や共和制とは縁遠く、世襲を重んじる国であった。これに反し、西洋の古代ギリシア、ローマには、民会を軸にした共和制の伝統があった。というか、そもそもインド=ヨーロッパ語族の源流である古代アーリア民族自体が、民会の議決を尊重する共和制に近い統治をしていた。例えば、Geminiにきいてみると、こんな回答が得られる:

ゲルマン民族、ギリシア人、ローマ人、そしてインドへ向かったアーリア人は、すべて言語・文化的な起源を同じくする「インド・ヨーロッパ語族(印欧語族)」に属しています。彼らの原初の社会構造には、確かに「王権の制限」と「戦士(自由民)集会による合議」という、共和政や民主政の土台となる共通の文化的DNA(親和性)が存在していました。

ただし、歴史の進展とともにその親和性が崩れ、専制君主制へと移行した地域も多い。インドに侵入したアーリア系の国家では王権が強く、アーリア系であるペルシアもオリエント社会特有の専制君主制に移行した。インドもペルシアも大規模な社会インフラ整備が不可欠で、ギリシアのような小規模・都市国家が分立する社会構造では課題を解決できなかったのである。

この辺り、挑戦と応戦を繰り返す中で変容・発展する文明社会の生きざまが現れており、トインビー的歴史が鮮やかに伝わってくる一面にもなっている。


振り返ると、日本国では民意に基づいて国を統治した経験は歴史の中で一度もなく、唯一の経験である(かもしれない)戦前期の普通選挙体制(昭和初年以降)では、民主主義的な「政党政治」の運営に見事に失敗し、スキャンダルと派閥抗争の果てに主導権は軍部に渡った。そして、戦後日本が(アメリカが起草した)戦後憲法の下で歩んできたわけだが、少なくともイザナギ景気が終わる1971年(昭和46年)までは、官僚による行政指導と日銀の窓口規制が国民生活を律した官僚主導体制にあったし、その体制があってこそ二度の石油危機をも巧みに乗り越えた(と事後的には言える)。

思うに、日本で《民意》というものが社会の在り方を実質的に決めるようになったのは、つまり日本が文字通りの民主主義社会になってきたのは、2001年から5年間続いた小泉純一郎内閣から後の事ではないかと、小生は勝手に思っている。25年程の歴史である。

つまり

日本で(民意が官僚に優越する真正の)民主主義が実質的に機能し始めたのは21世紀になってからのことである。

こんな社会観をもっているのだ、な。

そして、

あれから25年

路線対立とスキャンダル合戦で議論するべき政策課題はないがしろにされ続けている。

何がないがしろにされているって?

多すぎてもう一つ一つ挙げられません。

他方で、国民生活には(ほとんど)何の関係もない《皇位継承》に執着して、皇室典範の再改正をいまなお声高に主張する政治家があまりにも多い。これもポピュリズムといえば「ポピュリズム」、政治には本当は真面目な関心をもっていない大衆からの支持を増やしたい大衆迎合政治といえば「大衆迎合」と言うべきだろう。

これらは全て日本が再び民主主義運営に失敗しつつあることを示唆する。

ありていに言えば、

日本社会は民主主義の文化的DNAを有していない。

ここまで言えるのではないかとすら思い始めている。


米内光政は、日本の復興には200年かかると予想したが、となると日本社会が次のステージに収束して安定するのは、2145年頃になる。2026年の現在から数えればあと119年。世代でいえば5世代という所であろう。今年生まれた新生児が、まだ何人かは生き残っているかもしれないが、現在時点の「世論」などは100%消え失せている遠い未来だ。しかし、遠いとはいえ徳川家康が征夷大将軍になってから徳川吉宗が家康との血縁の近さを評価され将軍に就くまでの時間だと思えば、それほど遥か先の未来でもない。

どちらにしても、最初の大崩壊である「応仁の乱」では、乱の前にあった荘園制社会から乱の後に出来上がってきた大名領国制へと、本質的に全く違った「ガラガラポンの国造り」が進んだのと同じ理屈で、約100年後の未来の日本になるまで、降伏後に輸入した民主主義と近世・近代の日本人に受け継がれてきた様々な感じ方や考え方とが、衝突したり融合したりを繰り返すサイクルが何度も発生するに違いない。どんな社会構造になって安定するのか分かりません。多分、今とは一変するに違いない。その意味では、ガラガラポンだと思う。

おそらく未来の日本人が、夏目漱石や太宰治、三島由紀夫を読んでも、今の日本人が近松や井原西鶴を読んでもどこが面白いか分からないのと同じく、漱石も太宰も三島もどこが面白いかさっぱり分からない、生活感覚的にピンと来ない、そう感じるほどに、未来の日本人は今の日本人とまったく別の考え方、感じ方、しゃべり方をする人間になっているであろう。

この国は「降伏と占領」から始まった千年に一度の大変動期にあり、安定収束までまだ長い時間がかかる。これが最近もつようになった歴史観であります。


いずれにしても、《経済大国・日本》も《GDP第4位の経済強国》も、目に見える経済の回復であって、日本の復興というものではないのだろう。そして、実はこの理屈は現代中国をどう観るかにも通じている話だと思う。

何が実現すれば、日本の復興という名に値するのか?それは未来の日本人が次第に理解してくる(はずの)ことである。少なくとも「戦後日本」は、いま世界においてそれほど「名誉ある地位」を占めているとは、言えないという感覚がある。この感覚もまた戦前と戦後と同じ日本人でどこか違っている所ではないかと思ったりする。

こんな風に想像している今日この頃であります。



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