2014年6月26日木曜日

憲法解釈変更が確実にたどっていく道筋は?

本日の道新に集団的自衛権に関するコラム記事が掲載されている。執筆者は首都大学東京の木村草太准教授である。

自公両党の検討が報道で伝えられる中「なぜこの点を誰もとりあげないのかねえ…」と不思議に思ってきた点を指摘していたので大変スッキリした次第。小生も完全に同感だ。最後の所だけだが引用しておきたい。
違憲が強く疑われる状態で政府が集団的自衛権に基づいて自衛隊を派遣した場合、政府は訴訟を起こされるリスクを抱えることにもなる。例えば、派遣命令を拒否した自衛隊員が懲戒処分を受けた場合に、派遣命令は違憲だとして処分取り消しを求められることや、派遣先で死傷した隊員側から損害賠償を請求されることが想定される。 
政府の 憲法解釈が正しいかどうかを判断する権限は、最終的には裁判所にある。大半の憲法学者が行使容認を違憲とする状況で、裁判所は安倍政権の新たな憲法解釈を採用しない可能性が高いのではないか。派遣が違憲とされれば、命令を出した自衛隊幹部が責任を追及されることさえある。このように法的基盤が不安定な中で、命を懸けた任務に隊員をつかせるのは無責任だ。
そもそも憲法には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と文言で規定している。そもそも自衛隊の存在すら違憲であるという訴訟を何度もくぐり抜けてきているのだ。改憲をしない限り、現行憲法の文言の拘束力はこれまで通りである。とすれば、内閣が解釈を変更しても、裁判所が同時に同じように解釈を変更しなければ、法的論理は従来と変わらない理屈だ。

小生は、現行憲法の解釈をしてきたのは内閣もそうであるから、その解釈を変更する権限は内閣にもあると思っている。が、しかし従来は「行使しない」と言い続けてきた集団的自衛権を「行使する」と言い出して、それを踏まえた改正自衛隊法案を国会が通したとしても、最高裁が違憲判決を出す可能性は大いにあると見ている。法的安定性が「あまりに」毀損されると、その時の最高裁判事の多数が考えるなら躊躇うことなく「違憲」と言うだろう。

そのリスクを内閣は防ぐことができないし、影響を与えることすら不可能であろう。 実際に法案が通って、違憲訴訟が最高裁に上がるまでには、現時点から3年乃至4年がかかるかもしれない。しかし、最終的には最高裁判断をまつという見通しだけは確実である。だから、憲法改正を経ずして憲法解釈で新しい国の在り方を実現しようという路線は、極めてリスクが高く、政権はリスキーな瀬戸際戦術を採っている。そう批判されるのは当然だ。

このような政治戦術に対しては、保守的支持層の評価も分かれつつあるようで、今のところ安倍総理の支持率は目立って落ち込んではいないものの、歩いている道は益々細く険しくなりつつある。採りうる選択肢を採ったといえばその通りだが、無理を通さざるを得ない、そんな意味では進む道を間違えた可能性がある。憲法改正という初志を万難を排して貫徹するべきであった。そう考える支持者は多かったと思われる。

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