2014年6月8日日曜日

身の回り主義: ビーダーマイヤー・大正・戦後日本

川本三郎の『大正幻影』を読むと、日本の大正期をオーストリア・ドイツのビーダーマイヤー時代に比しているのが面白いと思う。

明治が偉大な時代であるのに対して、大正を生きた人は身の回りの家族や家具、そして家に偏愛の気持ちをもった。現実を処理するのではなく、実現しようもない夢を大事にしたというのだ。夢を大事にするということは、必然的に自分個人を大事にするということでもある。世界を相手に大博打をうった昭和戦前のご先祖に比べれば、たかが集団的自衛権をやっぱり使うかという位で大騒ぎをしている戦後の私たち世代は、どうみても大正的である。ささやかで平和な平穏を限りなく愛するのであるな。実際、古い映画をみると、本当に私の曾祖父や祖父の世代は中国、米英に「戦争」を仕掛けたのだなあと、その無謀さに非現実感をいまでも感じるのだな。


Waldmüller, F. G.,、At The Ruins(廃墟にて)、 1847
Source: The Athenaeum

夢想を偏愛する性向は、過ぎ去った過去を懐かしむ趣味へつながり、更には廃墟を愛する傾向を生むものだ。19世紀の欧州においてギリシア趣味、古代趣味が高まり、文化の潮流がロマン主義へと転じていった現象は社会の発展を映し出す鏡であったのだろう。ウィーンでビーダーマイヤーの芸風が流行するのと重なって、もしくは少し先立って、英国ではバイロンが作品を発表しギリシア独立戦争に馳せ参じた。フランスでは古典主義の感性が時代遅れになり、ドラクロワやコロー、ミレーらバルビゾン派のロマンチックな画風が人気を集めた。

日本の文物が流入しジャポニスムが生まれるのは少し後だ。もちろん、欧州のジャポニズムはもっと広汎な異国趣味の中の一つであって、中国趣味、トルコ趣味、エジプト趣味、北アフリカ趣味、ポリネシア趣味等々、多くの中の一つであったことを思い出すべきである。チャイコフスキーのバレー組曲『くるみ割り人形』にアラビアの踊りや中国の踊りがあるのは、当時のヨーロッパ全域に浸透していた感性に沿うものである。プッチーニ『蝶々夫人』の日本趣味、ベルディ『アイーダ』のエジプト趣味もそうだ。

19世紀・第一次グローバル化の波が、まだ帝国主義的な領土獲得競争へ転化する前の、資本主義経済がそれほど破壊的ではなかった時代がビーダーマイヤー時代である。だとすれば、日本のビーダーマイヤー時代はやっぱり大正期になるか。確かにそうかもしれない。

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