2015年6月23日火曜日

集団的自衛権が先か、憲法が先か

A国、B国、C国が集団的自衛権の下で同盟関係を結ぶとすれば、それ以降、A国が軍事的に攻撃されればB国、C国は自国が攻撃されたと見なし、共同で反撃する。また、この関係は相互に対称的な関係でもあり、B国が攻撃されればA国とC国が、C国が攻撃されればA国とB国が被攻撃国となり、共同して国を守る。

よく批判されるように『集団的自衛とは他国防衛』が目的ではない。そもそも他国を守るために自国の住民が命をかけるような愚かな国があるはずもない。そんな行動をするのも、引いては自国を守ることにつながる(と考える)からに決まっている。


自由貿易圏を形成して経済的に一体化するとのと類似した意味合いで、安全保障的・軍事的な意味合いで一体的に行動するのが集団的自衛行動である。そして、現代の国際社会において全ての主権国家は集団的自衛行動をとっても是とされている…というのがオーソドックスな国連憲章の読み方だという。

即ち、憲章第51条では安全保障理事会が所要の措置をとるまでの間、加盟国は集団的・個別的自衛権を行使できることになっている。


しかし、日本が国連に加盟した時点よりも先に日本国憲法は公布施行されていた。

国連憲章が憲法と矛盾していれば国連加盟の際に大騒動になっていたはずだ。が、そんなことは聞いていない。しかし、国連憲章が認めている集団的自衛権を自国の憲法が制約しても、それは権利を行使しないという宣言であるから国連憲章を否定するわけではない。もっている権利を行使しないというのは日本の主権によるものだ。

故に、国連憲章の規定を根拠に集団的自衛権の行使は合憲であるという議論は、どこか奇妙なロジックである。

こんな程度では、学界の大半が違憲と考える潮流を変えることはできまい。ということは、国会で可決されて一度法律になったとしても、2、3年後には最高裁で違憲判決が出る。こんな展開も大いにありうる。そうなれば、日本の安保法制は死に体になるだろう。

非常に大きなリスクがある。


断り書きまでに記しておくと、自国がどの程度の自衛権をもっているかは、概念論だけから考えると、当然に自衛権をもっている。小生自身はこう思うし、既に投稿した。

とはいえ、現法案には不安もある。

なぜなら大日本帝国が英米と戦争を決意した時も「自存自衛」が目的だった。その時も石油を禁輸されて存立が危うくなったから開戦したのである。

政府が語っているように、単に「我が国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守る」だけでは、戦前期・軍国主義と大した違いはない。

そもそも「交戦権」を真っ向から100%、憲法で否定しておきながら、集団的自衛行動をとるということを日本以外の他の同盟国はどのくらい理解できるのだろうか。

集団的自衛権は日本が最初から持っていると個人的には思うが、その概念定義はまだ生煮え状態で、使用に耐えない。そう思うのだな。


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