2015年6月3日水曜日

雑感―失敗することを怖れるべき理由

こんな記事が目に入ってきた。引用元を付しておき、記事の前後は割愛した。
 ただラブロフ外相の「日本は第二次大戦の結果に疑問を付ける唯一の国」発言は、北方領土問題に限定すれば的外れなものの、「先の大戦の結果に納得していない敗戦国」と拡大解釈される言動が要人からあれば、思わぬ正当性を与えかねない毒針でもあります。条項が撤廃されてもUnited Nations原加盟国の旧敵国であったのは揺るぎない事実で、そのUnited Nationsに入った以上、多少面白くない解釈、例えば「お前は永久に国連では(条項がなくなっても)旧敵国だ」と扱われても甘受しなければならない部分があります。
(出所)Yahoo!ニュース、The Page、2015年6月3日

『第二次世界大戦の戦勝国の行為は神聖でゆるぎないものである』とラブロフ露外相が語ったそうで、それに関連して述べられたのが上の記事である。

ま、その通りである。間違いではない、と悔しいがそう認めるべきである、な。この悔しさは、多分、幕末において(別に騙されたというわけではないにしても)締結された不平等条約をみる明治の日本人と相通じるものであるに違いない。どうしようもないことだ。雪辱の機会もないのだから。

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よく言われる。『失敗を恐れるな』、『何もしないのが一番危険なのだ』、『失敗は成功の母』、etc.、確かにイケイケどんどんの方が格好がいいには違いない。

しかし、失敗のツケは永遠に負担せざるを得ず、成功の果実は時間の経過とともに風化するものである。こちらのほうが小生はピンとくる。誰の言葉だったかなあ・・・。

まして国家の未来を決めるような政治家は失敗をしてはいけない。失敗の被害は余りにも大きなものになるからだ。

採用時に抱負をきかれた愚息は『はい、間違いのないように心がけていきたいと思います』と答えたそうだ。「う~ん、月並みだなあ…、時には人間、清水の舞台から飛び降りることも大事だぜ」と、その時は照れ隠しのように茶化したが、胸の内では愚息とは言え、感心したのである。

やれやれ、小生だけは親馬鹿にはならないと自惚れていたが・・・、ヤキが回ったらしい。

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関連する話題だが、このところ想定外の火山が噴火する事態が続いている。夜のニュースワイドをみていると、少し以前までは多くの火山の活動を研究者が常時観察してデータを集めていたのだが、文科省の「選択と集中」方針から常時観察するべき重点火山を大幅に絞り込んだ。九州の新燃岳が噴火したのは重点火山指定からはずれた直後、御岳山が噴火したのも重点火山から外れた2年後(だったかな)、とそんな話しだった。これらは国立大学法人化に伴う効率性優先がもたらした副作用だと解説されていたのだ。

ちょっとこの説明は違うだろう、と。「効率化」とは同じ結果をより低いコストで実現する努力をさす。国立大学法人化に伴う火山研究はそうではない。コスト節減とパフォーマンスの低下が同時に生じている。だから「効率化」にはあたらず、単なる「弱体化」である。

ま、文科省はそうは言わないとは思うが……。

いずれにせよ、これまた「まずやってみようか」ではなく「失敗を怖れる」姿勢が優先されるべき分野であろう。余りにも失敗のツケが大きいからだ。





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