2015年11月30日月曜日

Isil - 出口戦略を今から語るとはやはりアングロサクソンだ

テロ集団「イスラム国」の脅威に対抗するために西側世界とロシアが協調しようとしていた矢先にトルコによるロ空軍爆撃機撃墜事件が発生した。

その背景やら動機は、また別に分析しなければならないが、まずはいかにして形成されかかった協調体制を維持するか、そのための戦略はなにか、そんな話題がいま満ちあふれている。
…… Their principal concern is not whether Isil is an evil organisation that poses a threat to our security, but over the end game: what happens if and when the Islamists are beaten and their embryonic caliphate dismantled? What takes its place and, in particular, what role will Bashar al-Assad play? Too often in this region, intervention has unleashed forces that have been hard to control because of a lack of planning for the aftermath. Mr Cameron may win his vote; but he and other powers lining up to take on Isil need to be clearer about what its defeat would entail.
Source: The Telegraph, 2015-11-30

英紙テレグラフは「イスラム国」を打倒するには、というか崩壊させるにはどうすればよいかを、もはや論じてはいない。崩壊へ導くこと事自体は、本腰をいれれば、確実に実現できるからだ。というより、放置すれば化学・生物兵器を使ったテロ、核を使ったテロへと先鋭化するのは必至であるから、いま組織を消滅させておかなければならないわけである。

故に、本当の問題はイスラム国を消滅させたあとに何が起こるかを予測しておくことである。

「イスラム国」を軍事的手段によって消滅させた後に発生するだろう事態をコントロールできるのか?


こんな風に議論している新聞は日本にはない。論理的な議論をしようとすれば、微妙な問題を(ある意味)あからさまに、露骨に、包み隠さない言語表現で語らないといけなくなる。

露骨な表現は日本人にとって苦手である。それは尊敬語や謙譲語が発達していて、フラットな語り口が日本語では不自由だからだろう。特に会議では率直な議論が難しい。だから水面下で個別的にやる。そうなると、一貫した議論にはならず、論理が通らない所がでてくる。個別を超越する一般的な論理に対して、日本人はしばしば鈍感である。

論理に鈍感であるのは、八方まるくおさめようと努力しているためだ。和の文化とロジックとは中々とけあわないものである。


戦略とは目的を明確にすることである。明確にされた目的に戦略は従う。そして戦略を実行する組織が決まる。

しがらみのある政府より、本来、ジャーナリズムのほうが自由な議論ができるはずなのだ。が、日本では何にこだわっているのか、多くの場合、マスメディアが自由な議論を避けているような印象がある。だから、論調がどことなく似通って来るのだろう。

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