2017年11月16日木曜日

裁量的な行政 vs 恣意的な反対

この春から紛糾してきた加計学園獣医学部の新設が大学設置審で認可され来春には開校の運びとなった。

これで事態は収束に向かって間もなく一件落着かと思われたが、ドッコイドッコイと言いたいのか、野党はまだなお徹底追及する構えを見せている。土俵際で倒れながらも、背中に砂が付くまでは「まだ負けてない」と、そんなスタイルであるな。

野党の頑張り自体は尊敬に値するものだ。野党が無気力になれば、民主主義そのものが腐敗してしまう。とはいえ(公平な第三者で構成されると想定するべき)審議会の結論自体を認めない、その結論に沿った行政府の事務執行にまで国会が異論を挟むようになると、行政が停滞する。さらには立法府が行政府の事務にそこまで介入できる権限があるのかという問題も出てくるだろう。

行政権は行政府にある。明確に法律に反している、あるいは立法趣旨に反している時は、立法府は行政府の行為を変更するべきだ ー 行政組織、行政法分野には、小生、素人だが、多分、間違っていない。違法の場合は国会が取り上げる以前に即刻判断がつくはずだが、関連法制の趣旨に照らして不適切であるならば、不適切であると判断するプロセスが国会の場で必要だ。多分、そのプロセスも多数派である与党に影響されるだろう。それが選挙というものではないか。委員会の質問の場で政府の不適切を指摘することも当然ながら可だ。しかし、不適切の有無は法に沿って指摘するべきであり、「なんとなく感じが悪い」などという修辞や誇張は野党の信頼性を落とすだけだろう。

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どうやら野党は獣医学部新設に関わる石破4条件に反していると。この線から攻勢をかけてくるという報道だ。

そもそも石破4条件というのは、2015年当時に地方創生担当相であった石破茂議員がまとめ平成27年6月30日に閣議決定された「日本再興戦略改訂2015」(本文第2部・第3部)の121ページに記載されている、以下の一文であるらしい。

現在の提案主体による既存の獣医師養成でない構想が具体化 し、ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになり、かつ、既存の大学・学部 では対応が困難な場合には、近年の獣医師の需要の動向も考慮 しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う。

上の文中の『本年度内に検討を行う』というのは、平成27(2015)年度中という意味である。「かくかくしかじかを考慮しつつ、本年度内に検討を行う」という文言は「来年度以降には一切の検討を行わない」ということを意味しない。もし「未来永劫」ずっと行政府の判断を縛るものにするなら閣議決定ではなく立法化しておくのが適切であった。そうすれば立法府が行政府を縛ることができる。

実際、当時の責任者であった石破氏は次のように語っている。

 「学部の新設条件は大変苦慮しましたが、練りに練って、誰がどのような形でも現実的には参入は困難という文言にしました…」。平成27年9月9日。地方創生担当相の石破茂は衆院議員会館の自室で静かにこう語った。


当面は獣医学部に参入できないようにしておこうという「行政判断」として上のような文章表現にしたということは明らかである。これ即ち「既得権益の保護」であり、現政権だけではなく、経済理論にも、近年の世界の経済政策の潮流にも反している ー この1,2年の保護主義には合致しているが。

集団的自衛権ですら閣議決定を変更して、それまでの「非」を「是」とした。いわんや一大学の一学部においてをや、だ。こんな些末な事柄など閣議決定をいつでも変更できるだろう。

というか、石破4条件なるものは元の文書を素直に読む限り「当面の方針」である。

「石破4条件」を盾にして正面から論争するとしても野党に勝ち目はないのではないだろうか。

確かに安倍政権は裁量的に色々な事を変更している。それが是か非かという問題はある。しかし、論理は曲がりなりにも構築している。野党の反対にはそれがない。このままでは恣意的な反対だと言わざるを得ない。そうなるのではないか。

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 まあ、小生もこの件については専門的にあらゆる記録を調べてはいない。ひょっとすると、▲▲が●●でこんな発言をしている、こんな資料が隠れてました等々、というような動かぬ証拠があるのかもしれない。

だが、しかし、政治とか経済のプロセスはその因果関係が多面的で複雑だから分かりにくいが、紙一枚で大きな政治的決定が為されることはない。紙一枚はリアルな諸事情の結果である。紙一枚がその後の進展を決めるわけではなく、その紙一枚を書かせた諸事情が決定していくのである。紙一枚の一言一句に執着して是非を議論しても重箱の隅をつつくだけの神学論争になるだけである。

『よお〜く調べてみたら、こんなことがわかりました』、『いやあよく分かったねえ』と。研究では確かにこんな局面もある。連想するのだが、ビッグデータの世界では、1千万件のレコードを分析して初めて分かってきたことがある。そんなニュースが時々ある。それほど重要な傾向があるなら、なぜ今まで気がつかなかったんですか。重要な傾向なら誰でも経験で気が付いているのではないですか、と。そう聞きたくなるではないか。

ビッグデータ分析にも創造性のある分析とつまらない分析がある。ビッグデータなら良いとは限らない。問題追及にも、真に社会を進歩させる追求と重箱の隅をつつくだけの追及がある。問題がある(ありそうだ)から追及する、それだけではダメなのだ。

細かな細部をつついて初めて分かることが、実は決定的に重要な主因であったなどということは経済分析、経営分析、あるいは政治分析においてほとんどない。基本的なことは粗々のモデルで大体分かるものだーもちろん一定の視点/パラダイムは大前提としてある。たった一つの細かな証拠が結論を左右するほどに決定的であったりする刑事事件とはここが違う。社会現象の分析と刑事捜査とは本質的に異なるものである。国会議員は、政治・経済・社会の理解者としての役割が主であって、刑事事件捜査の担当者としての感覚を持つ必要はない。

だから余り細かな事ごとを調べて、加計学園問題を理解しようなどという気にはなれないのだ。


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