2017年11月10日金曜日

大国になれば「大国の論理」が出てくるのは自然である

訪中しているトランプ大統領に対して中国は「太平洋二分論」を繰り返しているとの報道だ。やはりそうか、という人も多かろう。

1930年代から40年代にかけて、大日本帝国の基本戦略は「大東亜共栄圏」というものだった。その狙いは、広域アジア圏からイギリス、フランス、オランダ、それからアメリカなど欧米の勢力を「排除」(=植民地を解放)し、独立したアジア世界を構築しようと。立派に言えばこのような戦略を実行していた。中国が「大国の論理」を振りかざしているなら、戦前期・日本も同じようなホラを吹いていたわけだ。

近年、中国が特にアメリカを相手にするときに主張する「二大国」、「太平洋二分論」は、かつて大日本帝国が主唱していた戦略とさほど違いはない。アジアのことにアメリカは口を出すな、と言っているわけだから。

なので、中国が主唱している「太平洋二分論」は、急成長を遂げつつある国なら必ず口にする発想に過ぎず、そういうものだと見るのが自然だ。が、その国が「大国」を目指している。この点は、やはり見逃せない事実であり、既存勢力との対立から地域を不安定化させる要因たりうる。古代ギリシアのペロポネソス戦争以来、覇権の交代が進む時代には、安定ではなく不安定が支配する(ツキディデスの罠)。

本当に現代の中国はペロポネソス戦争を見る目で見なければならないような存在なのだろうか?

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旧勢力の側にたって整理してみよう。

客観的にいうと、急成長する国家が危険な存在になるのは、以下の場合であろうと思う。

  1. 生産力が急速に発展し、債務国から債権国に移行し、発言力が高まった。
  2. その裏面で、マーケット、というより顧客や影響力を奪われた既存勢力があり、対立的な状況が生まれている。
  3. 新興国は、まだ文化的優越性を持たず、ヒトの流入、カネの流入が安定的に期待できない。
  4. 新興国がマクロ経済的な問題(=需要不足、失業増加等の混迷)に直面し、経済取引や経済政策以外の手段(政治外交的圧力、軍事など)で問題を解決したいと願う誘因をもっている。

アジア圏における戦前期・日本のポジションを上の1から4までの観点からみてみる。大日本帝国については上の1は事実だった。3も当てはまっていた。4も第一次世界大戦後の1920年代から30年代を通して確かにそう言えた。2はどうだったろうか。日本の国際的競争力はそれほどのレベルではなかったはずだが、第一次世界大戦の勃発から日本が欧米企業の顧客を奪取した状況が先にあった。大戦中に日本国内では設備投資ブームが発生した  ー  それが終戦後は過剰設備となったのだが。4の苦境は、大戦終了後の反動であった。やはり2も該当していた。大日本帝国については1から4までが全て当てはまっていた。

現在の中国だが対外純資産はすでに巨額に上っているので1は該当する。2も当てはまるだろう。日本は中国に、というより電気製品で韓国にという方が適切な部分があるが、その韓国が中国に顧客を奪われているとすれば、やはり2は当てはまると言ってもよいかもしれない。しかし、日本が生産拠点を中国に移している面もあるので単純に当てはまるとも言えない。3については、ヒトは集まっていない。が、カネは集まっている。実際、上海市場は好調、中国には大富豪がどんどん誕生している。しかし、中国の生活(Chinese Way of Life)、中国の文化(Chinese Culture)が世界に魅力を感じさせている状況ではない。ヒトは中国に憧れはしないだろう。3は半分程度は当てはまるというところか。4は微妙である、というより当てはまっていない。中国経済はバブルと言われるようになって久しいが、バブルは5年も10年も続きはしない。バブルというよりは高度成長時代というべきだった。が、成長率は必ずキンクする。中成長路線へのスムーズな移行ができるかどうかが今の問題である。成長している限り、国営企業の不良部門は必ず整理できる。

中国は対外純資産はプラスに転じたとはいえ、所得収支はまだマイナスであり、外国に支払う利子や配当の方が大きい。対外直接投資残高をみると、世界で10位前後であり、他を引き離すアメリカに次ぐ2位から9位までの諸国と同程度の横並びである。上の項目の2も該当するかどうか分からない。しかし、対立に至りそうな勢い、というか芽はある。この位は言っても可かもしれない(言えると考える人が、中国脅威論を述べているのだろう)。

中国に確実に当てはまるのは上の1。1だけである。他は全て微妙、もしくはハッキリと当てはまっていない。

こうみると、中国の「大国志向」は自国の問題解決のために採用される「拡大戦略」というよりも、経済成長がもたらす自然な結果であるとも言え、「志向する」というより「事実としてそうなる」、どちらかと言えば19世紀のアメリカ合衆国の成長とあい通じるものがあると思われる。

第一次世界大戦中のアメリカと北朝鮮危機の下での中国と、両国はいかに似たポジションをアジアにおいて占めていることだろうか。北朝鮮という厄介物がなければ、旧勢力(日本)の側が新勢力(中国)に対してもつ嫉妬がアジアにおける決定的な不安定要因になっていたかもしれない。「北朝鮮のおかげ」という一部政治家の発言は、案外、的を射ているかもしれないのだ ー そんな深い意味はないと思うが。

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ペロポネソス戦争のように旧勢力(コリント、スパルタなど)の側から新勢力(アテネなど)に戦争をしかけるということがなければ、新勢力である中国の側から軍事的抗争をしかけるという事態は予想しづらいものがある。ツキディデスの『戦史』に叙述されているように、ペロポネソス戦争を引き起こした根因として、旧来の商業国家コリントが新興の海軍国アテネに対して感じる嫉妬があったことは現代にも通じる歴史である。軍事強国スパルタはアテネと戦う積極的理由はそれほどなかったにも関わらず、軽武装国家コリントがアテネと対抗するために利用され、戦争に巻き込まれたと見るのがやはり正しいのだろう。

要するに、成長する中国自体が危険な存在であるとは小生には思われない。なぜなら、世界GDPが増加することは経済状況としてプラスに決まっており、まして世界の経済的不平等を解消するのに寄与するのであれば、倫理的にも善いことだ。これが道理だろう。というのが、現在の状況ではないだろうか。

そう。確かに古代ギリシアにおいて、ペロポネソス戦争勃発時においてアテネは未だ新興勢力であった。ギリシア世界の文化的中心ではなかった。ギリシア悲劇が花を咲かせるのはペリクレス時代というより、ペリクレス没後の戦時、敗戦直前までの暗い時代であった。プラトンがアカデメイアを開学したのは敗戦後の混乱しつつあるアテネである。政治的勢力としてアテネは没落途上にあった。政治的に没落したアテネにあって、文化的には花が開いた。後世に残る文化とはそんなものであろう。

まあ現状をみると、現代中国という地に非常に魅力的な文化が花開き、世界中の人を魅了するのは、まだしばらく遠い将来のことである。そうとも言えるようである。むしろ中国がそのような場になるように他国が対応していくことが、世界規模の幸福の増進になるだろう。これだけは言えそうである。

最終的に世界中の人たちが従うのは、優れた文化にであって、戦争の勝者にではない。アメリカの台頭によって欧州は地盤沈下したが、それが世界にとって不幸であったと論じる人はどこにもいないだろう。それと同じである。

覇権闘争にカネをつぎ込むことの損は日本も十分にわきまえておくのが賢明である。日本国が提供できる魅力を毀損するだけである。

『北朝鮮のおかげで政権のやりたいことができる』などという政治哲学では、文字通り「お先真っ暗」、成るようにしかならない。「一寸先は闇」という政治しか期待できない。これまた今の時点で言えそうなことである。

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