報道陣から代表辞任の思いを問われ、「日本と、そして東京が良くなることなら、なーんでもしたい」と意気軒昂だったがこの人の心変わりは速い。知事の任期を全うするかどうかも分からない。
(出所)産経ニュース、2017年11月18日配信
言うまでもなく小池百合子都知事の近況である。
政治が現実そのものであるという実感を喪失して、どこかで上演されているドラマに近いような感覚で聞くようになると、必要なのはワクワクさせるようなストーリーと、ストーリーの中で演技をする俳優と女優である。
前に投稿したように、元キャスターである小池百合子はマスコミがうんだ最上級の政治女優であった。 しかし、同女史はプロデューサーであるマスコミが期待する言動から外れて、勝手なことを発言し始めたので、役を降ろされた。あとは失墜の行く末が待つだけである。転落した大女優もまたマスコミ好みの主題なのである。
小泉進次郎も政治俳優の道を歩むつもりなら転落が近いだろう。
安倍総理はマスコミの脚本を演じるつもりはハナからないようだ。今の日本社会ではそれが正解だ。
予想だが、小池百合子女史は近い将来に「平成無責任女」と呼ばれるようになるのではないだろうか。マスコミがそう名付けるのではないか。かつてマスコミは植木等を「昭和の無責任男」と呼んで、一大ヒットを飛ばしたものである。平成無責任女・小池百合子を完成させるのは都知事辞任(→海外の大学客員教授就任?)劇をおいて他にない。
政治ドラマを考えているマスコミはその方向でいまシナリオを検討中だろう。いま、小生、そんな想像をしている。もしそうならば、先ごろから本ブログでも何度か投稿している「小池女史=嘘つき魔女」よりももっとタチが悪い悪ふざけであると思ったりする。
なぜそんな悪ふざけをするのか? 視聴率が上がるからである。販売部数が増えるからである。儲かるからである。ただそれだけだと小生は思ってみている。
実に、<国民の国民による国民のための政治>が<少数の私企業>の損得計算に利活用され、影響され、時に支配されている。憲法で保障された表現の自由には当てはまらない問題のはずである。表現の自由とは思想や信条、信教に関する個人の権利のはずである。私企業の利益とは関係のない、もっと基本的な概念のはずだ。しかし、誰も何も言い出せない。
情けない状況になってきた。
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