下の愚息が赴任地の新潟市から夏季休暇で帰省してきた。この晩春にも向こうで会っているので、それほど久しぶりでもない。
とはいうものの、片足はもうリタイアしている小生自身の昔の姿を改めて振り返ると、息子が毎年の夏に帰省してくる、その帰省先に自分がもうなってしまったのかという気持ちになる。時間のたつのは早いものだ。また、どこでどんな暮らしをしていてもよいから親にはいつまでも元気でいてもらい、と。ずっと昔にそう考えていた自分と、いまそう思っているのかもしれないなあと推測される愚息を同時に意識させられて、どこか複雑な心持ちだ。
その愚息にあまり話としては伝えることもなくなってきた。だから一緒に飲むだけのことである。この夏は、ワインセラーの超小型版(6本サイズ)を買ったのでアルザスを入れておいたのと、3月頃に買ったDarkest Bowmore(15年)を開けた。
とはいえ、まだまだ青臭さが残っている愚息には、まだいくらか話しておいたほうがいいことがある。そんな風に以下のことをメモしておいた。
- なんでも仕事になると面白くはなく、つまらないものだ。
- 自分の長所、すなわち短所である。
ところがどうも詰まらないので、例によって小生の祖父や父が喫した大敗北の話をして、それがケーススタディだとすると結論部分をどう書くかを質問してみたのだ。
以前の
投稿にも父のことはメモっている。
小生: 俺の父親、つまりお前の祖父のことはどれだけ知ってる?何度も話したことはあるような気はするが・・・
愚息: あまり知らないよ。
小生: そうか。じゃあザッと話すとな・・・東レって会社はいまでは炭素繊維で有名だが、戦後からずっと三井物産から独立した新興の合成繊維メーカーとして有名だったんだ。ナイロンとか、テトロンとか、いまでも使われてる素材だが、その製造技術をアメリカから導入して大きくなったんだ。お前の祖父は京大で工業化学を勉強して恩師の小田先生だったかな、大学に残らないかと勧められたらしいが、長男だったしな、弟もまだ学校に行ってたし、それでお前の曽祖父だ、銀行マンだったことは話したことがあるよな・・・
愚息: うん、伊予銀行にいたときに大きなトラブルにあった人だよね。
小生: そうだね。その曽祖父に言われて東レに入ることになったんだ。この東レって会社を選んだことは、昭和20年代早々という時点を考えると、すごい鋭い着眼だと思うよ。ただ東レって会社の本流は主力工場が滋賀工場だったから、松山(松前)工場に入ったオヤジは傍流からスタートしたことは間違いない。そこで10年勤務したろうかな。まあ、田舎で安気な生産管理をしていれば、興奮はない代わりに安穏な一生が送れたはずなんだが、ちょうどその頃はナイロンとか、合成繊維事業で競争が激しくなって、東レとしては新規事業を開発する必要があった。それはプラスチックだろうと、な。中でもアクリルが有望だと。いまでもアクリル樹脂はいろいろな所で使われている。これで行こう。そんな戦略的な方針を会社として採って、それで松山工場で上司部下の関係にあった先輩がオヤジを抜擢したわけさ。こういうプロジェクトを起こすからアメリカやヨーロッパを見て回ってこい。プロジェクトの基本技術を確かめてこい。そうなったわけだ。それで、まずはその先輩がいる静岡・三島工場に来いということになってな。それでうちは四国から出て、引っ越していった。俺が小学校4年、9歳の時、昭和37年の夏のことだ。どうだ、ビッグチャンスだと思うだろ?
愚息: ワクワクしただろうね。
小生: 何度行ったかなあ・・・あの時代は海外旅行が制限されていたし、外貨を持って出るなんてことも楽じゃあなかった。その時代に、俺よりも色々なところに行って、その合間にローマや、アルプスや、ベルサイユや、ナイヤガラ、大陸横断バスとか、全部経験しているわけだから、トップをきって疾走している感覚だったんじゃないかなあ。家もすごく楽しくて、休みになると旅行したり、一番楽しかった時代だな。日本経済全体は昭和40年不況がこれまでにない構造不況で、ボーナスが減ったとか、そんな話をおふくろが話していた記憶もあるが、まあエネルギーに満ちていたかな。
それで、いよいよ調査研究から試験的生産という段階になって、オヤジは本社直属になって、うちも東京に引っ越したんだ。で、ジョイント先としては藤倉化成っていう化学分野では経験がある、まあまあ名門の中堅企業を選んだ。オーソドックスな選択だと思うよ、俺がいまみるとしても。
ところが、新規事業ですぐに利益が出ることはない。大体、アクリルに進出するなんてことは、化学分野の世界の潮流でもあったから、こちらが考えていることはライバル企業も考えるさ。価格は上がらない、数量が伸びないから原材料の仕入れ価格も高めになってしまう。で、利益が出ない。作れば作るほど損が出る。そんな泥沼になってしまったんだ。
そうなると、職場の士気は下がる。下がるから人心が荒廃する。未来が見えない。そもそもオヤジは自分の会社でやってるわけじゃあなかった。他人の家に派遣されたプロジェクトマネージャーだ。他人を巻き込んでやっている。それがうまくいかない。工場では他人の親父がいうことを聞かなくなる、労働組合との紛争が激化する、共産党系列の分子が入ってきて大企業による支配への反対活動を展開する、工場が閉鎖される、オヤジに出来ることがなくなってくる、そんな展開になってきた。
それで親父は、東レの副社長をつとめていた先輩に撤退を進言するんだな。俺が高校1年、昭和44年頃じゃなかったかなあ・・・お前はこれをどう思う?
愚息: う~ん、八方ふさがりで利益が出ないなら、無理はしないで、撤退を考えるのはわかる。
小生: ところが東レの副社長は、撤退はできないという(小生がその場にいたわけではないが)。で、親父は苦悩するんだ。どうしたらいいかって毎日考えているうちに、まず神経性胃炎が治らなくなる。そのうち心身症になる。で、お前の曽祖父、オヤジの父親がまだ四国・松山で健在だったから相談したんだが、田舎には帰るな、大体事業が成功するか失敗するか、撤退するか撤退しないかという判断はお前の(=俺のオヤジ)責任じゃないだろう。悩んだりするな。そう語ったらしい。それで、おれのオヤジは「無責任だ」と自分の父親を批判してたなあ。まあ、お袋から間接的に聞いたんだがな・・・
で、いまでいう鬱病が悪化して、会社にも行けなくなって1年以上は部屋に閉じこもって、布団の中から出てこれなくなってしまったんだ。もともと心臓に毛が生えているのかって言われる人柄で、コストカットの名人、その割に工場の現場では人望抜群と言われていた人なんだけどね。
担当から外れて、そのプロジェクトも結局は頓挫して、親父は別の先輩が呼んでくれた名古屋工場に移ってまた仕事につくようになったんだけど、以前の人柄とは別人のようになってしまっていてね。窓際族と自称する数年を名古屋で過ごした後、胃癌になったというわけさ。
さてと、これをだね、お前の祖父が経験した人生をケーススタディだとして、この敗北からくみとるべき教訓、どこに間違いの原因があったか。結論をお前ならどうまとめる?
× × ×
愚息: (しばらく考える様子を示した後) 撤退を進言したんだよね。そこが分かれ目だったんじゃないかと思う。この判断の誤りがその後の進展の発端だった・・・
小生: 目の付け所はまあいい。が、それでは成績としては<不可>だ。なぜなら、そもそも撤退を進言するという状態になったこと自体、何かの判断ミスの現れであり、問題はそうなってしまった原因は何か、これに回答しなくてはならないんだ。なぜ撤退を進言するような事態になったんだと思う。
愚息: 利益が出なかったからだよね。
小生: そうだ。それは確かだ。
愚息: ・・・利益が出なかったとしても、それは新規事業だから仕方がないというか、
小生: いい線をいってるぞ。ヒントをいうとな、現在では東レもアクリル事業、というかプラスチック事業を大きく発展させて成功しているし、藤倉化成もアクリル事業は主力分野になってるんだ。お前の祖父が取り組んだ事業は、戦略的には正しかった。これは事実なんだよ。しかし、その時は失敗し、敗北をした。どこに敗因があったか?
愚息: 今は損失が出るけど、長期的には必ず利益が出るという展望を示して、それを共有化することが必要だったよね。
小生: そうだ。そこまでいうと92点、まあギリギリ<秀>になるな。じゃあ、結論部分の第1行は何と書く?
愚息: 新規事業の見通しについて数字を示し、事業に取り組む関係者の意識を統一する作業が最も重要であったが、この段階における努力が不十分であったため、導入段階の不調が生産現場の士気低下を招き、事業の継続を困難ならしめた……、こんな感じかなあ
小生: そうだね。ビジネススクールでは新規事業のスタートアップ失敗は典型的な素材なんだな。大体、新規事業で最初に何年か損失を出すというのは日常茶飯事だ。『10年たったら結果は出せると思いますが、最初は損ばかりですよ、それでもやりますか?』、オヤジとしてはそういうべきだったし、そういわずにまず利益が出ないことを解決するべき問題にしたのは―それ自体としては間違いじゃあないんだが―目的の置き方が間違っていた。
おれならそういうだろうね。
お前の祖父は利益確保を目的にした。しかし、10年かかるなら10年実行できる基盤をまず最初につくるべきだった。二社の相互信頼の形成をまず第一の目標にするべきだった。
何年か損失が出ようと、それならば中でも行けそうな具体的な製品は何にしぼるか?そんな改善システム(=採算化への仕組み)を目的にするべきだった。進むべき方向を選んで、必ず成功させる、協力体制から抜けることはないという信頼を形成する。これを目的にして、現場の士気低下を極力さける。実際に利益を出して、採算のとれる事業にする、その役回りは後任にゆずってもよかったくらいだ。正しい目的を設定して、それに徹していたなら、オヤジは困難な新規事業立ち上げの功労者になって、その先将来も東レという会社の柱として活躍できていたはずさ。おれならこれを結論に書くだろうかなあ。
どちらにしても、失敗はそれをつらい経験、忘れたい経験、それだけを意識するなら単なるマイナスの資産にしかならない。しかし、大敗北も、それを経験した人にとってはプラスの財産だ。失敗からしかわからないことがあるからね。もし同じパターンの失敗をするなら、お前、これ以上の不孝はないよ。
× × ×
目的設定の誤りは、現場を疲弊させ、リーダーその人の失敗だけじゃあなく、参加したすべての人の人生、家族の人生をも辛いものにしてしまう。
戦略上の劣勢を戦術で補うことはできず、戦術上の劣勢を(個々人の)戦闘で補うことはできない。
まあ、亀のような愚息ではあるが、方向性は大分あってきたかなと感じさせる。飛行高度を上げながら順調に上昇しているようである。