2026年1月19日月曜日

断想: 大正と令和、明治と昭和。反発と憧憬が同居する関係性か?

カミさんと愚息の話になってこんな会話をした:

小生: それにしても最近の若い世代って、繊細であるのと同時に鈍感、傷つきやすいのに人を傷つけていることには鈍感。何だか分かりにくいところがあるよナ。うちの〇〇もそんなところが濃厚にあるだろ?

カミさん: △△さんとこの娘さん夫婦もそんな風みたいだよ。大人になっていないのかなあ・・・

小生: 幼稚だって世間では言うけどネ。若い人たち、よく「昭和」は古いってボロカスに言うじゃない。だけど同時に「昭和レトロ」なんて、昭和時代の当たり前の日常に結構魅かれるらしいんだよね。ずっと前にさ、ゼミ生の◆◆君がいたろ?彼なんて、将来は自分の窯で陶芸をやりたいなんて言うんだ。作務衣を来てね。マ、なんとなく形から入るところがあったけど、そんなに古い和風がいいと思うのかねと不思議に思ったよ。

カミさん: 惹きつけられながら、ご本人にあうと反発するって、若い人は昔からそうだったよ。

小生: 平成もそんなところがあったけど、昭和への反発は令和になってから高まるばかりだなあ。昭和に反発するなら昭和文化も排斥するのが道理なんだが・・・そういえば、大正時代の風潮は『明治はもういい』というもンだったんだ。明治の家父長的な家庭を否定して、食事の食べ方まで変わっていったのが大正時代なんだよね。「大正デモクラシー」って偉大な明治への反発から始まったものだって俺は思っているよ。だからだね、大正の民主主義はヒ弱くて、昭和の保守化が来ると呆気なく消えてしまったのは、偉大な明治への反発心が支えていただけってところがある。

カミさん: 食べ方まで変わったの?

小生: お祖父さんから聞いたんだけど、明治の世帯主、戸主って呼んだはずだけど、食事は時代劇に出て来る「箱膳」でさ、それも一家の家長が奥さんから給仕されながらまず先に食べるのが普通だったそうだよ。

カミさん: 私が小さかった頃はもう丸形のお膳だったけどね。

小生: だんだんそれが広まったのが大正時代から昭和。一家団欒なんて言葉は明治にはなかったのさ。家族がそろって食べるときも黙々と箸を動かしていたそうだ。別々の膳を前においてね。

カミさん: 昭和時代の暮らしなんて今の若い人は想像できないかもね。

小生: 俺が小さい頃はサ、結構「停電」があってネ。おふくろが「今日は夕方まで停電なのよ」って言ってたものサ。だけど、ちっとも焦ってなかったよ。その頃は、冷蔵庫は氷式。暖房は木炭の火鉢。風呂を沸かすのは薪。料理は都市ガスじゃなくてプロパンガスを使うことが多かったけど、焼き魚は七輪でこれまた木炭。電気は夜の照明だけさ。テレビ、ラジオは電気だったけどね。別に必須ってわけじゃない。今は、何もかも、自動車まで「電気を使おう」だからネエ。社会が脆くなるはずよ。

カミさん:北海道のブラックアウトには吃驚したものネ。 

小生: 一事が万事さ。便利さの裏には潜在的な不便が隠れているンだな。江戸時代の暮らしが時代劇で分かっているなら、昭和時代だって頭では分かるさ。だけど、生々しい感覚としては全然分からんだろうね。ま、一口に言うと

親、子を知らず

子、親を知らず

って、ドラマの「琅琊榜(ろうやぼう)」にあったよね。育ってきた生活のスタイルが違うんだから、感覚もまったく別、感じ方も別、親と子であっても、分かりあえる部分は何パーセントしかないと思うよ。言葉ではコミュニケーションできてるけどね。


何だか淋しい話をしたものだ。

しかし、いま会話を思い出しても、令和の優しさはいずれ難題を乗り越える国家主義の時代がやってくると「ひ弱な令和」と揶揄されて、否定されてしまうのではないかと心配になる。ちょうど明治への反発から生まれた大正文化の理想が《あだ花》であったように。


そうそう、では「平成」という時代は?

平成は昭和が最後に残したバブルのつけを苦闘の末に解決した時代だ。苦闘の30年の間に、すっかり背が丸まって下を向く癖がついてしまった。その意味で、平成は文字の定義通りの《ポスト昭和時代》であったと勝手に総括している。

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