2026年1月1日木曜日

元日一想:人間の身体は化学的にはありふれた素材で………

人間の身体の60%程は水分、つまり$\text{H}_2\text{O}$だから元素ベースでは酸素と水素に還元される。更にいうと、人体の95%超はいわゆる"CHONS"、即ち炭素(C)、水素(H)、酸素(O)、窒素(N)、硫黄(S)から構成され、残りの4%余はカルシウム、マグネシウム、リン、鉄などのミネラルであるから、人体は地上に豊富にある、とてもありふれた元素から出来ている。もう少しマクロ化して化合物ベースで議論をすれば、人体にとって重要な部分はタンパク質でできており、そのタンパク質はベンゼン環を中心としたアミノ酸から構成される。「亀の甲」と呼ばれるベンゼン環は炭素原子に水素が結合した極めて単純な化合物である。その組み合わせで各種のアミノ酸に分かれる。必要なアミノ酸の生成と結合に必要な設計図が遺伝情報であり、DNAという形で保存されている。専門が違うので記憶が大分うすくなったが、こうした概要は、今では高校でも教えられている生物学の常識になっている。

※ あとで確認したが、ベンゼン環を含まないアミノ酸の方がずっと多かった。忘れたことに気づかなんだ。が、構成する元素は上に書いたとおりだ。

ずっと昔、最初にこのことを授業で聴いたときは「へぇ~~~っ」と感じたことだけ覚えている。もしその時、

先生、質問ですが、要するに炭素と水素が中心になって、それに酸素とか、窒素、硫黄が特別なパターンで結合すると、人体が出来上がって、その物質が言葉をしゃべったり、考えたり、数学や物理を勉強したりするようになる。そういうことなんですね?

小生は昔から極めて偏屈で、人を困らせる人間であったから、

答えに詰まる質問をするんじゃない!
こう一喝されたと想像する。と同時に
ただな、生物学の大前提にあるのは生物は生物からのみ生まれる。無生物から生物が自然発生することはない。このことは念頭に置いた方がいいな。
このくらいの示唆は語ってくれたのじゃあないかとも思う。まったく学校というのは、受け身ではなく、何でも質問する方が良いのだと、つくづくと後悔する次第だ。

科学的な説明というのは、どうしても物質的現象を因果関係という観点から説明するので、唯物論になってしまう。小生がそんな唯物論から転向したことは何度も投稿してきた。高分子化合物である人間の大脳は、人類に与えられた《考える器官》である。動いたり、動かしたりする器官である手足と同様、大脳を使うにも上手下手の個人差がある。生まれつき器用な人がいるように、生まれつき頭の回転が速い人もいる。しかし、元素が組み合わせのしようによっては物質がおのれの欲するように意志をもったり、行きたいところに自由に動いたり、はたまた理想を語ったりすると考えるのは、あまりにも荒唐無稽で、神話と同程度に信じがたい物語である。

単に刺激と反応の因果関係を検証するだけなら化学反応プロセスを追求すればすむはずだ。しかし、自由意志や理想に導かれる目的合理性は、刺激と反応に似た化学モデルにはおさまるまい。この点は既に何度も触れたことだ。

大脳は思考のために欠かせない器官だ。しかし、考えるための器官である大脳を活用している主体が実在するはずだ。それが人間を考える生物たらしめている本質である。人はそれを(漢語に限っても)「精神」とか「心」、「魂」、「霊魂」、「識」などと呼んできた。

というより、今では《生命と非生命》、《物質と非物質》を超えてしまって、すべては《エネルギー》であると認識するのが、現代物理学がイメージしている宇宙の風景であるようだ。だからこれまでの投稿のように、物と精神、物質と非物質という語り方はもう古いのだ。では、「エネルギー」とは、結局のところ、何なのか?・・・そりゃ分かりっこない。ただ《働いている》のだと思う。エネルギーが実空間において実在する在り方を問うのが、これからの物理学の問題なのだろうと勝手に想像しているところだ。

話はまったく変わる。

元日に上のようなことについて考えるなど、どこか滑稽味があると自覚しているのだが、日中関係の悪化もどこか滑稽味があって、当事者が真面目になれば真面目になるほど、可笑しみが醸し出されてくる。

本質的に歴史劇というより、コメディである。

しっかり自分の地を守ったと思ったら、どこもかしこも断点だらけでサア、一瞬の見落としをつかれて、あとはアタリ、アタリの連発。地はボロボロ。ひどい目にあったヨ・・・

と。どこかの碁会所で普通に耳にするおしゃべりを連想してしまうのだ、な。

ザル碁の典型だネエ・・・日本の(中国も?)外交と同じか・・・

こんなところかもしれません。中国に言わせれば 

クドクドとまだ台湾に口を出すか。そっちがその気なら、こちらも琉球までさかのぼって、沖縄の領有権に口を出してやろうじゃないか。

こんなところかもしれません。台湾が中国の領土でないと言うなら、沖縄だって怪しいもンだ、というわけだ。

ま、いい加減に手を打ったらと思う人が多いはずなのだが、祭りと同じで声の大きいグループに乗せられてしまうのが、人間集団の常だ。大多数の日本人は、一部の声の大きな人たちの巻き添えになる定め(?)なのである。

では声の大きな人たちは、声の大きさ以外に何かの才能をもっているのか?

古代ギリシアと異なり現代の民主主義では、(原則、未成年を除く)全ての人が参政権をもっており、そこには何の参加規制もなく、能力審査もない。

民主主義社会を支えているのは、実は無責任な凡人集団であることを思い出すと、とても怖い気がするのは小生だけだろうか?

【加筆修正:2026-01-02】

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