2026年7月19日日曜日

断想: 最近の日本は昭和十年代に似ていると言うけれど⋯⋯

近年の日本の世相が過去のいつの時代に似ているかという話題は結構人気があるようだ。特に戦前日本は頻繁に口にされる。

中でも、ここ最近と昭和10年代が似ているというのは聞くことが多い。第2次安倍政権で安全保障が重視されたり、軍事費拡大へ向かう自民党政治をみてのことだろう。

個人的にはちょっと違っていると思う。


ここ20年から30年ほどを《近年の世相》と拡大解釈したうえで過去の似ている時代を探すとすれば、それは《大正デモクラシー》の頃ではないかと思っている。


大正時代はまず最初に「大正政変」から始まったのだが、その大正政変は元老や大政治家の意思決定を《民意》がつぶした初めての事例として記憶されるべき大事件だ。

明治が元老と官僚専制の時代と言うなら、大正時代は《明治的なすべての慣行への反発》が駆動した時代である(と勝手に理解している)。その明治への反発は、文学、文化、世相など全てに表れていた(はずだ)。そもそも大正天皇その人が志す世の中は明治天皇が是とした国家とはまったく異なるものであったと聞く。

政治的には、国の統治に民意が反映される仕掛けである《普通選挙運動》が時代のテーマとなり、最終的には大正が終わる大正14年に「普通選挙法」となって実を結んだわけだ。Wikipediaには、

普通選挙法に基づく選挙は1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙から1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)まで計6回行われた。

こう説明されている。つまり、この14年間は普通選挙という形で(女性参政権はなかったにせよ)民意が政治を動かしていたことになる。


何度も投稿したように、戦前日本の普通選挙の歴史は、あい続くスキャンダル合戦の果てに明治以来の政党政治が自己崩壊した歴史でもあった。

不安定化する国際環境の中で、普選の達成と高揚は政党不信、議会不信へと変質し、半ば必然的に軍部と官僚組織へと権力の再集中が進んだ。これが戦前日本が歩んだ道の大雑把な要約である。

大正デモクラシー全盛の頃、天皇は生身の人間と言うより、国家運営の必要から置かれる一つの機能、つまり「国家機関」と理解されていた。いわゆる「天皇機関説」である。その天皇機関説を理論化した憲法学者・美濃部達吉が攻撃のターゲットになり貴族院議員を辞職したのは昭和10年(1935年)である。日本の国の姿を再確認するべきだとする一種の文化運動であった側面もあった(かもしれないが)「国体明徴運動」がその背景になった。

国体明徴運動は、普通選挙法公布の概ね10年後、普通選挙法下の初めての国政選挙である「第16回衆議院議員総選挙」の7年後になる。この7年間の間に、当時の日本人は普通選挙を通した民意の実現というものに、すっかり幻滅してしまっていたのである。

昭和10年から強まったのは、大正デモクラシー以来の民意重視の潮流を逆転させる姿勢で、《保守革命》の言葉を使ってもよい。軍部、特に当時の陸軍が成熟した外交センスをもっておらず、日本の国際的孤立化をまねいてしまったのは、「不運」という結果論が当てはまるかもしれない。


・・・ということなので、最近の日本社会に似ているのは、選挙を通した政権交代への失望が広がった昭和1桁の10年間、もっと遡ると関東大震災で古き良き明治が完全に消滅した大正12年(1923年)以降の12年間であろう(と勝手に思っている)。そして、これから未来にかけて似てくる(かもしれない)のが、保守革命が世を覆い始めた昭和10年代である  ―   低知能の保守反動ではありましたが。そう思われます。

戦前は動きが急であったが、これは第一次大戦後の「戦間期」という時代、国際環境が非常に不安定であったことによる。長寿社会では世間もユックリと変わるのかもしれない。


そんな風に予想しているところです。



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