最近になって俳優の佐藤某と女優の橋本某がフジTVのドラマ撮影中に、なんだかハラスメント問題を起こしていたというので、芸能界隈では相当の騒動になっているよし。
きっかけは「文春砲」。週刊文春はハラスメントされた側の言い分を記事にしたところ、ハラスメントした側が「偏向している」と強硬に反論し、こんどは週刊新潮がこっちの側にインタビューした記事を出している(ようだ)。
正に共食いでありますが、これで販売部数が増えればカネを払うのは一般読者だから、業界全体としては見事な協調戦略であるわけだ ― これが意図的であるなら悪どいが。
それにしても、最初は「言葉の問題」であった(そうである)。小生の修行時代なら
きついこと、言われちゃったよ⋯⋯
友人にこぼして、慰められて、それまで。後で考えれば、きつい言葉の意味に気がついて、どうすればイイかを理解することもあった。
ハラスメント加害者を処罰し、ハラスメント被害を抑止するのは「善い社会」を築くための当然の努力であると思うが、ハラスメント認定を正確にしないと、今度はコミュニケーション障害を招き、こちらの損失が上回るかもしれない。
実質のない暴言は純粋のハラスメントだが、道理もロジックもある厳しい言葉を受けとれないのは聞いた側の理解力の問題で、言った側の問題であるとは言い難い⋯⋯と思う価値観に小生は立つ。この辺、言った側の意図、聞いた側の感情、両方の間に線を引いて判定するのは難しい。
とはいえ、そもそも
どんな犠牲を払ってでも守るべき価値などこの世には存在しない。たとえば、人類の生存を上回る価値がありますか?ないでしょう。しかし、これすらも地球を破壊してでも守る必要はない。
こう思っている。なので(という接続詞でいいかどうか分からないが)、この世界では《真実》こそ最も尊重されるべきだと思っている、甚だ抽象的ですが。真実を「誠意」、あるいは「自己を飾る嘘のない真心」と解してもよいかもしれない。
野球でもサッカーでも、審判の判定能力が試合を円滑にもし、壊しもする。
ハラスメントの認定は日本では法律専門家の弁護士が担当することが多いようだが、弁護士もピンキリである。それに弁護士はクライアントの利益を代理するもので裁判官ではない。審判ではないのである。その審判もストライク・ボールの判定を間違えてばかりいる三流がいる。弁護士にも三流がいる。ハラスメント認定の現実は「お寒いものだ」と思って見ている。
ハラスメントを基本的に考察して、最適な法制度にするには、どんな基本法があればよいのか?基本が定まっていないから、安定しないのだ。そう思いますがネエ。この辺、以前にも投稿した。
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