2026年9月7日月曜日

断想: これまでは孝行息子と思いしが………

大手メディア企業の報道よりネット(≒SNS)上のやりとりの方が世論に与える影響力が強まりつつある、と。少し前まではこんな指摘がよく耳に入っていたものだ。例えば、兵庫県の斎藤知事当選の際には、メディアの限界がよく議論されていた。

あれからまだ2年も経っていないのか・・・と改めて思う。


最新時点において様相はまた一歩進んだように感じる。


Yahoo! JAPANニュース、Googleニュース、SmartNews等々、いわゆる《ニュース・ポータル》になっていたサイトは数多くあるが、そのどれも目に入る記事は大手メディア企業のヘッドラインである。本文を読もうとすると、まず例外なく広告が再生、ないし表示され、元の画面に戻ると有料版への案内が画面に出る。ネットは大手メディア企業のビジネスの主戦場になった。

いわゆる「メディア」は、スポンサー企業の広告を最終ユーザーに到達させるための有料のメディア(=媒体)なのだから、紙面やTV画面よりネットの方が期待値が高いと判断すれば、ネットがメディア企業の活動現場として選ばれるのは当然のロジックである。

そして情報は、貨幣と同じく『悪貨は良貨を駆逐する』。良貨は秘蔵され、世には出ず、悪貨ばかりが目に入る結果になる。情報の確度ではなく世間の関心に応えることを優先するメディア企業がネットに入ってくれば、それまで良質の意見を提供していた個人の活動は、もっと目立たない別の場所へと移動するというわけだ。


小生は、SNSはFBが主で、X、というよりTwitterはアカウントだけを10年以上も前に持ったことがあるだけだ。が、FBもスポンサーの広告が増えて、もはや広告なのか、自分が求めている情報なのか、一目では分からない。

メディア報道も、最近では臆面もなく「ネットでは〇〇」とか、「SNSでは〇〇という批判が大盛り上がり!」などと、

結局のところ、あなたの仕事とは何ですか?

と、アシモフの『黒後家蜘蛛の会』よろしく、質問したくなる。(匿名ではない)具体的な個人はともかく、報道ビジネスに従事する企業に勤務して、色々な記事を流している記者(?)たちのアイデンティティ(Identity)というか、価値と言うか、存在意義というか、レゾンデートル(Raison d'être)というか、・・・何をもって自己の活動を正当化しているつもりなのかを、問いたくなるのだ。

それはともかく、今朝はカミさんとこんな話をした:

小生: 20代の女性で包丁を所有していない人の割合が9割を切ったってねえ・・・

カミさん: へえ~~、そうなの?

小生: うん。何で「20代の女性で」に限定しているのか分からんけど、マア、男なら包丁を持ってなくとも当たり前だと言いたいのだろうな。でね、その理由としては「カット野菜をスーパーで買えばいいし」「調理済みの商品を買えばいいし」、「何も手間をかけるだけが愛情ではない」とか、いろいろ挙げられているらしいネ。

カミさん: うちがさあ、子供たちが大きくなって、カット野菜でいいよねって言い始めたのが、何歳くらいだったかなあ?いまの若い人たちは、それを最初からやろう、と。そういうこと?

小生: まあ、そういうことだ。・・・子供ってお母さんがつくってくれたご飯をいつまでも覚えているものなンだけどね・・・多分、共稼ぎでお母さんも忙しいってことだろうけど。

カミさん: 最近の若い人たちはそんな考え方だよ。

小生: でも、結局それは子供たちと一緒にいる時間より、働いてもらえる金を優先して意思決定したって事じゃないかネエ。

カミさん: 毎日一緒にいるより、お金をためて遊びに行ったり、旅行をしたりして、楽しい思い出を作るのもイイと思うけどなあ。

小生: 確かに俺が幼いころはサ、農家ではお母さんも忙しくてね、学校から帰っても大人はみんな働いてて忙しいのが当たり前だったからね。俺のオヤジは、親戚のうちまでリヤカーで荷物を運んで行けって言われて、市内から〇〇まで何キロ(Km)あるのかなあ、何時間もリヤカーを引いて歩いて行ったっていうから、今の家庭と少し昔の家庭とは、まったくライフ・スタイルが違うよ。

カミさん: あたしはあんまりお手伝いしなかったナア・・・

小生: それは俺も同じだけどネ。今となっては、手伝いもせず、心配ばかりかけていたから、不肖の愚息であったのが現実だったかもね。

カミさん: 勉強は出来たんでしょ?

小生: ああ、親を喜ばせるのが親孝行なら「いい息子」だとずっと思っていた時期があったよ。だけど、テストでいい点数とるのが孝行なわけないわね。

人はいつでも何か行動をするときには、迷いながらするか、確信をもってするかのどちらかだ。

そして、迷いは必ず行動を挫折させる。

とはいえ、確信をもってする行動も、それが正しいか、間違っているかといえば、何も証明はされていないのである。

自分は正しい

そう思う気持ちは、現実には自己への執着であって、人が誤るのは第一には「知識の不十分さ」、でなければ「自己への拘り」。このどちらか(あるいは両方)が原因である。

小生はずっと孝行息子である、というよりあったと、思ってきたが

これまでは 孝行息子と 思いしが

     ただの愚息と いまぞ知るなり

《真理》を知らないことこそ、つかの間の幸福感をもたらしてくれるものだ。

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