2016年4月30日土曜日

漁船拿捕: まさか、そこまで姑息ではないだろう

日本からみれば小さな事件なので大した扱いにはなっていないが、台湾政府は猛烈に抗議しているようだ。
 【台北=田中靖人】台湾の林永楽外交部長(外相に相当)は29日、対台湾窓口機関、交流協会台北事務所の沼田幹男代表(駐台大使)を外交部に呼び、日本が沖ノ鳥島沖で台湾漁船を拿捕(だほ)した問題で抗議した。馬英九政権は漁船保護を名目に、沖ノ鳥島沖に巡視船など2隻を派遣することを決めるなど、強硬姿勢を強めている。
 林氏は、沖ノ鳥島は「岩」であり、排他的経済水域(EEZ)は「主張できない」と改めて強調。「日本は国連海洋法条約に違反している」として今後、台湾漁船を拿捕しないことを確約するよう求めた。沼田氏は、台湾側の主張は「決して受け入れられない」と抗議し、「冷静な対応」を求めた。
 (出所)産経ニュース、2016年4月29日

これって・・・、反日ではないが、明らかに親中であった馬政権への嫌がらせか?

台湾総統は、5月20日から馬英九氏から蔡英文氏に交代する。蔡氏のほうは、親日と決まったわけではないそうだが、明らかに反中であるとみられている。

蔡政権が発足した最初の仕事が上の紛争の解決となるタイミングではないか。偶然か?これって、新政権へのプレゼントか?



まさかネ。だとすると、あまりにも見え透いた演技だ。姑息な作為であって、いかにもオポチュニストの政権がやりそうだ。(そんなことはないと思われるが、万が一)こんな行動パターンを選択しているとすれば、近い将来、日本が「要警戒の国家群」の仲間に復帰するのは確実だ。

・・・上のように思われてしまうのは大きな損失だから、実際にはワザとではないのは確実だ。では、なぜ今のタイミングで拿捕したのだろう。なぜもっと早いタイミングで拿捕しなかったのだろう。台湾漁船の「領海侵犯」は今度が初めてではないはずだ。

何か水面下の情報があったから「実力行使」をしたのだろうか。

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今晩はワルプルギスの夜(Walpurgisnacht)。魔女達がブロッケン山に集まって大いに盛り上がる夜である。

北海道ではようやく桜が咲き始めた。春もこれからである。

2016年4月29日金曜日

「池に落ちた犬を打つ」のは見苦しいものだ

先日、一寸としたチョンボで熊本地震・現地対策本部長を更迭された松本・内閣府副大臣が今度は政治資金不正経理の疑いありというので「打たれ」ている。
 熊本地震の政府現地対策本部長だった松本文明内閣府副大臣(67)=比例東京=が代表を務める政党支部が約10年間にわたり、東京都内のマンション一室に置く事務所の家賃として、この部屋を所有する松本氏の妻に計約2千万円を支出していたことが28日、産経新聞の取材で分かった。税金が原資の政党交付金を含む政治資金が松本氏の親族に還流していた形で、識者は「政治資金でマンションの購入費用を賄ったといわれても仕方がない」と指摘している。
(出所)Yahoo!ニュース
(元記事)産経新聞、4月29日(金)7時55分配信

正に『池に落ちた犬は打て』が当てはまる絵図である。

ゲスだねえ・・・と。小生、メンタル面で弱いところがあるので、そんな風に感じてしまう。

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それにしても、事務所経費など政治資金の不正経理があまりにも頻発するのはおかしくはないか。政治家がそれほど汚れているからだと解釈すれば、それで話はすむのだが、本当にそうなのか。

そもそも事業に関連するカネの経理が適正になされているかどうかは、税務申告とも直結することであり、厳格な監査が求められている。前に投稿したように、政治資金については「政治資金監査人」の監査が義務付けられている。

もし経理ミスがあれば、すなわち監査ミスがあったことでもある。東芝事件でもそうであったが、不正があれば不正を行った当事者も悪いが、それに気がつかなった監査法人も悪い。それが社会のルールではないか。

政治資金の不正経理が頻発するのは、それほど汚れた政治家、無能な政治秘書が多いのだと考えても異存はないが、それより政治資金監査システムに欠陥があるのではないかと、なぜマスメディアは騒がないのだろうか?それは触れないでくれとでもプレッシャを受けているのだろうか。

どうも勘ぐりたくなります。

そもそも政治資金とは「政治サービスの原価」を構成するコストのことであろう。政治家=国会議員と見るのであれば、公式の報酬である議員歳費以外の収入を政治資金と見るべきではない。閣僚になったり副大臣、政務官になったりすれば「役料」が付加されるだけである。こうすれば、政治資金は明確に限定できるわけで、それ以外の所得はすべて政治資金ではなくなる。政治とも無関係になる。いいか悪いかは別として。

が、そうなってはおりませぬ。

そもそも、「政治資金」とは、「政治サービス」とは何でござんしょう。私たち日本人はどこまでを、どう許すと考えているのでござんしょう。

畑違いではあるが、政治学関係の学界ではすでに「政治倫理」やら、「政治家のための管理会計」などといった研究テーマがあるのでござろうか?

2016年4月27日水曜日

「安全」とは条件付き確率でしか示せないものだ

川内原発の運転停止を求める声が高まりつつある。熊本地震が進行中であるにもかかわらず運転停止を求めないのは、原子力規制委員会の誤審であり、それを黙視している政府、さらには安部内閣にも責任があるという指摘は、特に「左翼系」のメディアでは目立っている。

「左翼系」だからといって、議論している内容は全てイデオロギーのせいで偏っており、信頼性に欠けると即断するのも適切ではない。

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確かに原子力規制委員会が安全性を認めた川内原発だが、その判断は「過酷事故」として想定された範囲での「安全性」であるに過ぎないー実際、東日本大震災においても、福島第一原発は十分な「耐震性」を示したことを忘れてはならない。事故の原因は想定を超えた巨大津波(と緊急電源車のプラグがマッチしなかったという会社側のチョンボ?)である。であるので、「想定外」の天災が発生すれば、どんなことが起こるかは依然として不確定である。こう言われてしまうと委員会としても答えようがない、というのが率直なロジックである。

一部のマスメディアが主張するように、「想定外」のことは考えないのか、と。この指摘は、正しいことは正しいのだ、な。

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しかし、想定外の可能性がゼロではないことを指摘して、いまやっていることは間違っていると言うとしても、「こうして生きていること自体が危険なのです」という韓流ドラマさながら、それはネクスト・アクションを決めるための指針としては役に立たない。

何か行動するときは、何らかの前提は置いているものであるし、何を行うにしても「想定外」の事態は可能性として常に残るからである。

いずれにしても、我々は生きていこうと決めているのであるし、食っていく必要もあり、できれば豊かな、そして贅沢もできる生活を送りたいと願っている。これが現実だ。上にいったネクスト・アクションは、科学的認識の正否がキーポイントになる世界ではなく、危険を小さくしたいという願いと暮らしを楽にしたいという願望のバランスをとらなければならない現実の世界で答えを出す、そういう行動プランのことである。

そもそも無条件に安全が確保される、リスクが全くない世界を地球上で想定することは不可能である。以前に投稿したように、最大の津波を想定するという科学的作業そのものが意味を失うのが、何の前提もおかずに将来を考えるという問題である。

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少年の頃は、お父さんがいれば大丈夫と思っていたものだ。
しかし、お父さんにもお母さんにも、どうしようもないことはある。だから、先人は神に祈った。

何が起こるにしても、それは神の意志であるとしか言えない場合を、人間は想像することだけはできる。しかし、そんな想像は何か具体的な行動計画を求めているわけではないのだ。

天が落ちてくると心配する杞憂は、バカバカしい心配を指すのだが、100パーセントバカバカしい心配はやはりないのである。だからと言って、杞憂を解消する行動計画は立てようがないというのも事実である。

2016年4月26日火曜日

予想: 災い転じて福と(なそうと)する政略を現政権はとる

年明け後の株価急落、景気後退色を強める実態経済、甘利経財相の失脚、TPPの国会審議停滞、与党議員の数度にわたる失言・放言・妄言と、現・安倍政権には俄かな逆風が吹きつけている。

札幌5区の衆院補欠選挙では与党候補が僅差でやっと勝利した。表現は穏当ではないが、かたや与党の大物議員の娘婿が後を引き継ぐ弔い合戦。かたやずっと苦労して生きてきた社会福祉畑の女性候補。これは勝負にならんというのが、従来の予想のパターンであった。それが大接戦となった。なぜ?・・・となる。

× × ×

この夏に衆参同時選挙に打って出て、一挙に逆境を挽回するという選択もあった。

しかし、熊本大地震という要因が突発的に発生してしまった。

災害に対しては、懸命に間違いなく取り組むのが当たり前であり、問題なくやって当たり前、しくじれば決定的なマイナスとなる。災害対応は、完璧を求められるというプレッシャがあるので、現・政権にとっては大きなリスクである。

この群発地震がいつ収束するか不確定である。震源地が移動する可能性もあるし、阿蘇山が噴火する可能性もある。原発停止要望、再稼働への判断など難しい問題もある。

それらの被災地救済が円滑に進むかどうかが、現政権の評価に非常に影響するわけだ。

× × ×

その災害対応では現地対策本部長が(早速に)更迭(交代?)されるなど、はた目からみると、決して順調に行っていない。

避難者が10万人を超え、車中泊を続ける人も多い。商店街なども被災しており、今後の経済活動がいつ回復軌道に戻るのか、予想が難しい。

窃盗などの犯罪も多発しているようだ。

たしかに東日本大震災と同じ「震災」ではあるが、細かい側面ではかなり異なる所がある。

某社のアンケート結果によれば、熊本地震に対する政府の対応は不十分であると感じる人の割合が60%を超えている。

まさかとは思うが、現地で暴動、そこまで行かずとも避難者側と救済側の間で何かの紛争が発生したり、国と自治体の間で何らかのミス・コミュニケーションが起これば、1件ごとに内閣支持率は3~4%のペースで下がるだろう。

× × ×


たとえ野党が政権の座にあっても、もっとマシな対応をしていたかと言えば、とてもではないがそうは予想できない。とはいうものの、現政権の対応は評価されてはいない。

今夏の参院選を予想するうえで、突然にわかに<作戦正面>となったのが<熊本地震対策>である。つまり、ここでしくじると、政権の屋台骨が揺らぐ。すでに同じ被災地であるはずの大分県には不安や懸念が生まれているようだ。

しばらくは地雷原の中を前進するようなものだろう。

ということは、逆に言えば、今回の災害対策で何らかのプラスのサプライズをつくることに成功すれば、それもまた今回の政治闘争に勝利をもたらす要因たりうる。そしてサプライズを与えうるのは、実際に政権にある側だ。

× × ×

熊本地震の発生は、戦略的・政治的状況を混沌とさせているようにも見えたが、実は自然の力によって<作戦正面>が強制的にこの地に定められ、状況は寧ろ単純化されたと見るべきだろう。

逆風に見舞われていた現・安倍政権から観れば、起死回生の一手(?)、イヤサ反撃の機会が向こうから訪れたことでもある ― もちろん、ここで失敗して政権の終幕となるリスクもある。

5月中下旬にかけて、世間の想像を上回る被災地総合対策を打ち出し、十分な人的・物的資源を投入すれば、夏の初めの参院選で全国の有権者が野党に-たとえ統一されていても-投票するはずがない。

いま政権側が思案しているのは、その辺りだろう。
そうでないとすれば……、うまくやって当然、失敗すれば致命傷。期待値としてはマイナスである。それに気がつかないとすれば、慢心があるか、油断があるか、ま、どこかが足りないのだろう。

2016年4月24日日曜日

熊本地震: これは東日本大震災との違いなのか

後で調べるための覚書きとして書いておきたい。

熊本地震と東日本大震災が発生した後の現象的な違いである。

一つは、被災地で発生した窃盗・空き巣である。東日本大震災時にもある程度は発生したと記憶している。そもそも東日本大震災の被災地には巨大津波が来襲し、家屋はほぼ壊滅していて、空き巣に入るにも狙うものがなかった。そんな事情もあったかもしれない。これに対して、熊本ではやや違いがあるようだ。

熊本地震の発生後、住民の避難により「空白地帯」となった被災地で、窃盗事件が相次いでいることが21日、熊本県警などへの取材で分かった。県内では被災直後から他県警の応援も受け、被害が激しかった地域を中心に24時間態勢のパトロールを開始。被害の未然防止や摘発の強化に乗り出している。

(出所)産経ニュース、2016年4月21日

もう一つ、アマゾン「ほしい物リスト」の活用状況。

被災地で必要なものをネット上にアップし、それを見た支援者が代金を払うと商品が届く−−。ネット通販大手「アマゾンジャパン」のサービス「ほしい物リスト」が、熊本地震でほとんど利用されていない。2011年の東日本大震災では活躍したが、認知度不足などから活用されていないようだ。・・・  
ほしい物リストは、たとえば避難所の運営者が欲しい商品とその数をネット上に掲載し、支援者がその商品をアマゾンを通じて購入すると、避難所に商品が届く仕組み。必要な物資を必要な量だけ調達できる利点があり、東日本大震災では、仙台市などが活用し、7000カ所以上の避難所や個人宅などに10万個以上の物資が届けられた。伝言欄もあり、避難所と支援者のコミュニケーション作りに役立った。南海トラフ巨大地震の被害が予想される徳島県が運用に向けた訓練を重ねるなど、活用の動きが広がる。 
 だが、熊本地震での利用は低調でリストは数件にとどまる。

(出所)毎日新聞、2016年4月23日

 アマゾンのほしい物リストのほうは津波とは関係ない。さらに、周知の度合いは2011年の東日本大震災の時より、今年のほうがずっと上がっていると思われる。にもかかわず、これほどの「違い」があるというのは、偶然ではないと思われ、人口・被災状況・都市化の度合いなど環境要因を考慮しても統計的に有意な違いであると思われる。

そうかと思うと、SNSとデジタル地図情報をドッキングさせたサービスが熊本では提供されている。
 「情報があふれていて何を見ればよいか混乱していた。分かりやすい地図情報を見ることができてうれしかった」
 被災者から早速、こんな感想が届いているのは、フェイスブックの公開グループ「Youth action for Kumamoto」の取り組みだ。「給水所」「スーパーマーケットの営業状態」「炊き出しや支援物資集積地点」などの情報をグーグルの地図サービスに示している。
(出所)日本経済新聞、2016年4月21日

東日本大震災時には、SNSは浸透していて大いに活用されたが、スマートフォンはiPhoneが4から4sへと進む段階に来ていた一方、アンドロイドのほうはGoogle Nexusが登場して認知され始めた時期である。フェースブックも「アラブの春」を支援する影の立役者であったというので、やっと日本でも注意されてきた頃だ。東日本大震災と熊本地震とでは、SNS利用技術もその進化の度合いにおいては、確かに大きな違いがある。

確認される違いは、いろいろな説明が可能である。が、事実に最も当てはまる説明の仕方、つまり最有力な仮説は常に一つしかない。

技術的な違いもあれば、人間的要因に基づく違いもあるはずだ。

統計的な違いに着目することは、あらゆる品質管理の第一歩であるばかりではなく、PDCAサイクルにおける問題解決への近道だ。

災害は場所や時点が違うだけではなく、外観や現象面で多くの違いを示しているはずだ。違いに応じて、対応も一様であってはならないはずだ。

反面、災害救助においては必須の共通事項もあるだろう。

その災害固有の対応と、一様に対応するためのシステム標準化とを、どう整理して仕分けるかという点も課題としては面白い。

2016年4月22日金曜日

メモ: 震災で見えてくるモラルが将来を決めうるか

簡単にメモを書いておきたい:

熊本地震に対応する政府現地対策本部の本部長を務めていた松本内閣府副大臣が、政府とのテレビ会議で『食べるものがない』と言って、周りの国会議員に差し入れするよう伝えてくれと。嘘か本当か知らないが、大臣は『まっちゃん、まかせてくれ』と応答したそうだ。

食べるものに困るどころか、家族を失った人もいる。自宅崩壊が怖くて車中泊を続ける中、エコノミー症候群を心配する多数の人もいる。多くの被災者をしり目に、まずは自分の胃袋の心配をするとは何事か、と。それで更迭(交代?)とあいなったよし。

まあ、確かに腹が空いては戦はできぬ。日本人は元々十分な補給を確保するという考え方に対して、同情の念が薄いというか、腹がすくくらいがなんだという、理不尽なところもある。しかし、救助に当たっている自衛隊員が食事に事欠いているとは聞いていない。現地に派遣された国会議員だって、関係機関が動いて十分な食事を提供する必要はあるというものだ。それがいい仕事に結びつけば安いものではないか、と。そんな風にも思われる。

ともかくも、格好のよいやりとりではなかった。

そうかと思うと、現地では小学生たちが自衛官たちに感謝の手紙を出しているという。


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政治家が何を言うか、何をするか、目先の目的としては次の選挙に勝つ要素をつくれるかを考える。つまり、政治家は政治的利益を求めて、行動するものだ。互いに競争しているのだ・・・。

身分や学閥、職業規制などで閉鎖的な領域が形成されるのではなく、誰でも政治の世界に入っていって、競争できる。有権者の投票を獲得するための闘争が許されてさえいるならば、結果として、その社会には<民主主義>の過程が作用する。・・・であるので、民主主義が出す政治的決定は、常に国民にとって良い結果であるとは限らない。このように観たのはシュンペーターである。『資本主義・社会主義・民主主義』の第4部は全体が民主主義の理論である。シュンペーターが上のように考えたのは、いわゆる「古典的民主主義」は、巨大化した現代社会においては、机上の空論となっているからだ。

政治家はそもそも利益を求めるものである。そんな外観を呈するのは、十分、想定内なのだ。それはわかっている。

しかしながら、震災現場で救助に当たっている個々の自衛官たちは、もちろん、自らの利益を求めてそうしているわけではない。自衛官たちは、利益ではなく、義務を全うしているにすぎない。

大体、公務員の職務はすべてそうだが、仕事をすればするほど儲かるというものではない。企業のように成長することもなければ、商品がヒットして賞与が増えることもない。職務だからやっている。それだけである。

それが、外観としては、見返りを求めることなく救助に尽力している。そう見える。

もちろん組織としての陸上自衛隊からみれば、救助で職務を全うする姿を国民に視てもらうことが、組織の利益にはかなっている。しかし、こんな斜にかまえた指摘をしてみても、大勢に影響はあるまい。

図式としては、常に自分の利益を考えている政治家と、自分の利益ではなく義務によって活動している自衛官。

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どぢらが道徳的に優位をしめるだろうか?モラルにかなっているだろうか?

どちらが(子供たちの目に)「立派な人間」に見えるだろうか?

誰が自民党本部に感謝の手紙を書こうと思うだろうか?

このような状況を10年ないし15年間見続けたあとの社会心理は、現時点のそれとは様変わりになっているだろう。

人々の考え方が変わるにともなって、世の中は変化し、法律が改正され、制度が変更されていくものだ。

戦前期の軍国主義日本が誕生するまでには、長期間の政党政治と派閥抗争が国民の前で繰り広げられていた。

政治的資産を食いつぶす民主主義社会の議員には厳しい姿勢で臨むほうがよいのかもしれない。

民間社会は市場によって規律づけられている。官僚は公僕の自覚をもつことが結果的に官僚の権威を高めるだろう。政治家は何によって規律づけられるだろう。規律なき集団が崩壊するのはいわば<定理>のようなものだろう。

2016年4月19日火曜日

エンゲル係数の上昇をなんとみる

やや旧聞に属するが、読売新聞に以下のような記事が掲載されていた。最近の日本のエンゲル係数(総消費に対する食費の割合)が上昇しているという点だ。

家計の消費支出に占める食費の割合「エンゲル係数」が上昇している。経済成長、生活水準の向上で数値は小さくなるとされ、戦後低下してきたはずだ。何が起きているのか調べてみた。 
日本のエンゲル係数は、1960年代前半は40%近かったが低下が続き、95年頃からはおおむね23%台で推移していた。ただ、2005年頃から上昇基調に転じ、14年に24%を超え、15年には25%を突破し、25・01%となった。
東京都内の40代の公務員夫婦は先月、家計を見直す中、エンゲル係数を計算して驚いた。28・8%。平均以上だ。小学生の子が2人いる。仕事で帰宅が遅くなると街の総菜店で買ったり宅配の冷凍食品を使ったりする。「割高だが、調理に時間がかからない。家族で食事を楽しむ時間を持ちたい」と妻。休日はほとんど外食という。
(出所)読売新聞(ヨミウリオンライン)、2016年4月12日

これに対して専門家の見方は以下のようなものだ。
エンゲル係数の上昇は、経済的に苦しいこととされていた。しかし共働き世帯や食を楽しむ人の増加など一概にそうとも言えない。豊かさを知る指標としては今も機能しているのか。 
小方さんは「生活が多様化し、日本全体の指標とするのは疑問。しかし、低所得層は依然として係数は高く、対象を見極めれば有効だろう。家庭で時々計算し、家計を見直すきっかけにしてもいいのでは」と話す。
(出所)同上

エンゲル係数上昇の背景として高齢化があげられることは当然である。
高齢者世帯の増加も一因とみられる。おしゃれや趣味への支出が減る一方、食事は欠かせないからだ。弁当や総菜の利用も増える。都内で独り暮らしの女性(98)は「1人分の食事を作るのは気が乗らない」と話す。朝はパンとスーパーで購入したサラダ、昼はデイサービスの施設で食事、夕食は宅配の給食。
高齢者向けの総菜などに力を入れるセブン―イレブンの担当者は「食の外部化はさらに進む」と言い切る。
(出所)同上

食にどれほどカネを使うかは(基本的には)その世帯の趣味・感性による、とは確かに言える。しかし、エンゲル係数の高さを決める最重要な要因としては、実質所得水準-総消費をほぼ決める-と世帯人員が挙げられることは、概ね合意が形成されている。高齢化によって料理を省き、外食やコンビニの弁当を利用する頻度が高くなるのは、そもそもコンビニなる業態がなかった昔から、ある程度わかっていたことである。

齢をとったから食費がかさんでくるのは昔からそうだったの。だからと言ってお年寄りは暮らしの水準が落ちていたとはいえないでしょ。そうしたほうが楽だからお弁当を買っていたのよ。貧しいからじゃないの。最近のエンゲル係数はお年寄りが増えていることが背景にあるんでしょ。だからといって暮らしの豊かさが落ちているということにはならないのよ。

これが上に示した専門家の見解にかなり近い。

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確かに、ミシュランの星三つで食事をしても「食費」、節約をして家でご飯をたいても同じ「食費」である。この二つともが<必需財>であり、そうである以上、生活水準に向上に伴って比率は下がるはずである、と。そうは一概に言えないだろう。

カネにゆとりがあれば、誰でも高級フレンチには行ってみたい。マル鍋やテッチリをたまにはつついてみたいものだ。これらは<贅沢財>ではないか。

共働きは、専業主婦に対する別の選択肢であって、一つのライフスタイルである。より高い所得を求めて、共働きをするなら、外食や宅配・弁当はどうしても増えるでしょうと。これもライフスタイルの選択である。

だから、エンゲル係数が高い・低いという現象も多分にライフスタイルの選択なのではないですか?

問題だと騒ぐ必要はありません。世の中うまく行っています。

なるほど一つの見方である。

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統計データは平均的なトレンドを示している数字である。

食が贅沢財になっている家庭と、食は必需財であると感じている家庭と、どちらの家庭の状況が統計データに反映されているか。その解釈が大事である。

小生のカミさんの友人たちは、時にレストランで家族そろって食事を楽しむ人もいるが、そんな人ほど普段の食費は実に節約しているときいている。一円でも安く豆腐を買うべく、買い物ツアーをするバーゲンハンターであると聞いている。

それでもエンゲル係数があがれば、それは「上がってもよい」ではなく、「上がってしまった」とみるべきではないのか。

そもそも食費がかかれば、他に欲しいものは買いづらくなるのが理屈だ。他に欲しいものがないから、食にカネを回しているのか。

そうではないと思うのだがなあ・・・

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エンゲル係数が上がるのも、新しいカルチャーが生まれつつあることの兆しではないか・・・。なるほど、ポジティブ・シンキングとしてはよく出来ているが、ここまで楽天的になると、「ノー天気」と批判されても仕方がないのではないだろうか。そんな心配もされてくるのだ、な。

ま、何にせよエンゲル係数を下げる特効薬。それは自由貿易。TPPをスタートさせた後、エンゲル係数がアメリカ並みに下がるのか、ドイツ程度にまで下がるのか、シミュレーションはできるはずである。