聞いた(読んだ?)ことがあるのだが、現代韓国において「あと10年は長生きしてほしかった」という人は18世紀後半の国王・正祖(イ・サン)であるそうだ。その父親である英祖と一緒にして、二人の在位時代75年間(1724年~1800年)を朝鮮史では「英正の治」と呼んでいるそうである。方向としては開明的で、経済的進歩を目指した政治が行われた時代であったようだ。
日本史でいえば、実証主義的な8代・吉宗将軍から直系三代である家重、家治までの時代がそれに該当するかもしれない。徳川吉宗による享保の改革を受け、家重から家治の時代にかけて革新的な経済政策を展開した老中が田沼意次であることは誰でも知っている。意次は、最終的には蝦夷地開発のあと、鎖国停止とロシア貿易再開までを展望していたという見方もあるから、その気宇は極めて壮大なものがある。もし開明的な幕府政治が松平定信の保守反動的・反改革に妨害されず、1787年以降も継続されていれば、天保の改革のドタバタも必要なく、ペリーの黒船が来航する以前に洋式軍事改革の必要性も幕府の認識するところとなっていた可能性がある。
歴史に<れば・たら・IF>はタブーだが、11代家斉将軍以降、名門譜代・門閥層が再び幕府の政治を主導することによって、旧幕体制は最終的には暴力的な力による瓦解に向かわざるを得なかった。こう要約することもできるのではあるまいか。まったく福沢諭吉が回顧するように名門・門閥層が国の発展を阻害すること想像にあまりあるのだ、な。
韓国史においても、比較的優秀だったと記されている純祖が成長するまで、あと10年、正祖が長生きをしていれば、正祖の急逝後、皇太后の依拠する保守的・名門両班層が革新官僚を追放し、すべてを旧に戻してしまうこともなかったろう。成長後の純祖の周囲にかつて父王をささえた開明的人材は残っていなかったそうだが、子が成長するまで父が健在であれば、人材は維持され、政治を継承することもできていただろう。王といえども一人では何もできないものだ。その間の事情は戦前期・陸軍が日本の政治を牛耳った頃と同じである。
近世における改革を進めながら名門門閥層の反改革に直面してトップダウンの改革に挫折したことは日韓双方で共通している。ところが、日本では黒船来航を契機にして政権が短期のうちに瓦解し、それで明治維新を行い、他方韓国では自己改革勢力が革命政府を樹立できずに終わっている。
その理由は、日本では大名という名門貴族層が経済的に破綻し、何の行動も起こせなかったこと、また地方の雄藩という潜在的敵対勢力が幕末に至って経済的富を蓄積していたことにある。日本の政治体制は封建体制であり、韓国のような唯一の王をいただく君主国家ではなかった。ここに違いを分けた主因がある。
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政治体制は上部構造であり、その違いが経済発展を左右することはないというのがマルクス的見方であるが、政治体制が国の歴史を大きく決めてしまう。この点もほぼ自明だろうと思う。
国際社会がおかれている諸条件の下で、同じ社会的変化を遂げるにしても、ある政治体制をとっている国は、少ない犠牲で速やかに豊かになる。別の国は、内部の紛争によって多くの犠牲をかけ、収束点に到るまで多大の時間を費やする。
いずれにしても、上のような違いがあるにせよ、日本は戊辰戦争、西南戦争の内乱、打ち続く対外戦争を経たあと、太平洋戦争で全てが転覆して国の独立を失った。その間、数多の犠牲者が出た。朝鮮王朝は大韓帝国となったものの日韓併合によって国の独立を失い、大戦後は朝鮮戦争が発生し国は分裂した。犠牲者は巨大である。
日韓の違いの話しをしたのだが、明治維新から軍国主義政権の崩壊までの78年を日本の近代化の全体とみれば、社会的進歩の背後で夥しい犠牲者を出してしまったのだから、やはり日本もまた極めて下手くそ、拙劣に近代化をやった。今後、そんな評価になっていくのだろう ― そんなことを言えば、フランスが、ドイツが、近代市民社会の定着までにどれほどの犠牲者を出したか、これまた数えきれないし、アメリカの南北戦争もまた19世紀アメリカにあった要因が引き起こした戦禍であるには違いなく、近代化の模範例などはないかもしれないが。
観ようによっては、17世紀イギリスの国内革命を発端にして、人類社会は近代化のための長い戦争を続けてきているのかもしれない。と考えれば、石原莞爾流の「世界最終戦論」に近くなってしまうか……。やはり、おかしいかネエ。が、しかし、ポストモダンいまだ遙かなり、の感はある。
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まあ、超保守層は不満だろうが、日本の現在が出来上がるまでに戦後体制の貢献が大であったことを否定するのは無理だ。「日本国憲法なかりせば」と夢想するのは、やはり意味のない<保守反動的レバ・タラ論議>としか言い様がない。
もちろん、そうだからと言って、『日本国憲法の一字一句、変えてはならぬ』と言うのは、頑迷な名門・門閥と同種であり、国の発展を阻害する原因になりうる。変わる時代の中で、憲法の条文を常に見直し、真剣に現実を分析し、憲法の理念に実効性を与えるよう努力することが必要であるのは当然だ。
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