高市総理の経済政策や外交政策にはとうてい賛同できないが、対皇室姿勢だけは共感できるという点は、最近何度か投稿してきた。
巷では
「愛子天皇」を「世論」が望んでいるにもかかわらず、男系男子を皇位継承者として優先する姿勢は、高市首相は本当に保守派なのか?愛国者なのか?
こんな批判が結構出てきている。
マア、人は色々だから・・・とは思います。
ずいぶん以前から投稿してきたが(たとえばこれ)
そもそも天皇制と民主主義とは両立するはずがない。
このロジックを否定できる論理は、屁理屈はともかくとして、ないと思う。
戦後日本においては、全ての日本人は平等にして、自由かつ基本的人権を有している。その中で、皇族は極めて例外的な位置を占めている。これこそ先ずは矛盾というものだろう。
皇位は《世襲》によって継承される。《世論》によって次期天皇が決まるわけではないし、もし世論によって次期天皇を決めるのが適切なら、皇族を対象とする《人気投票》を実施すればよいという理屈になる。
天皇は《国家元首》とは規定されていないが、国際的には日本国の元首として受け止められている(ようだ)。マア、戦後日本では「象徴」とされているが、やはり実質的には「元首」なのであろう。
世論によって元首を決めたいという立場に立つなら、対象を皇族に限定せず、最初から《大統領制》を主張するほうが、よほど民主的であり、論理的にもスッキリする。そうすれば、当の皇族の方々も肩の荷をおろして、安堵されるであろう。日本第一の「名門」として、自由に家系をつないで行かれるのがよいと思うし、そもそも「皇室典範」なる法律は作るべきではなく「皇族会議」で私的に決めればよいはずのことであった。
もし日本国でいずれ将来「大統領選挙」が行われるとして、そこで「男がイイ」とか、「女にするべきだ」とか、政治家としての能力をそっちのけにして、性別ばかりを語る人物がいれば、多分、知的水準(痴的水準?)を問われるに違いない。
大体、「皇族」とは「皇統」という概念をベースに定義される「例外的な人物集団」を指す。平等を原理とする民主主義社会には、最初から馴染まない要素であるとしか言いようがない。明治維新以前の日本においては、中国を模範とした「律令」の規定とは別に日本独特の「令外官」が置かれており、関白などのポストもいわば「例外的な官職」であった。結果としてうまく行ったので置いた。いわば功利主義的な措置であって法理からは外れているわけだ。その意味では、戦後日本における天皇は理念とは相いれない「令外の地位」である。
戦後日本の民主主義において、憲法に天皇を定めるのは、最初から無理な相談であったと小生は理解している。
大体、「象徴」とは何ですか?国家元首とするわけにはいかなかったのか?
そういう事であります。
戦後日本体制の中の非民主主義的な要素として、《総家元》というか、日本の伝統文化として受け入れるしか天皇制を維持する根拠はないのではないか?
日本国において天皇家は古代から続き神道、神社ともつながり極めて宗教的な性格も併せ持っている。近代西洋の民主主義の観点から合理化しようとしても土台無理な話しである。
成文憲法の存在しないイギリスを手本とするのが理想だが、例外規定を認め憲法を骨抜きにするか、そうでなければスウェーデン王室のように一切の「国事行為」を行わず、純粋に儀礼的な存在として規定しなおし、その代わりに一定の私的自由を保証し、伝統のままに家系を維持するのが戦後日本がとりうる唯一の道だろう。
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