しかしセザンヌの人生は、半ば隠者のようであり、半ば敗者のようでもある。印象派第一世代でありながら、位置づけとしては後期印象派の一人として数えられている。実は、数えること自体が不適切であって、セザンヌは印象派ではないと小生は感じるがままに解釈している。セザンヌが美術史上において確定した位置を占めるようになったのは、彼の没後に開催された回顧展が契機である。その頃にはもう既にマティスやピカソといった若い世代から偉大な先達として尊敬を集め始めていた。セザンヌは、同世代と同じ感覚を共有して、仲間と一緒に大きな道を切り開いたというよりも、仲間が歩かない道を独りで歩き続け、自分が良しと思う美意識を貫いて行ったら、彼が到達した地点こそが20世紀美術を展望する三角点であった。そんな人生である。
人の行く 裏に道あり はなの山
そんな偉大な隠者には、小生、性格上とても魅かれるのだ、な。今日は、そのセザンヌの「アルルカン」と、ピカソの「腕を組んで座るサルタンバンク」をここに展示したかった。アルルカンはイタリア風仮面喜劇に登場する道化師をさし、サルタンバンクはスペインでよく見かける旅芸人、というよりサーカス一家のことである。ところがインターネットを探し回っても、自由に使える画像が公開されていない。実は、どちらも日本の美術館に収蔵されているのだ。まさに奇跡じゃな。アルルカンはポーラ美術館、サルタンバンクはブリジストン美術館にいけば観ることができる。その美術館の解説ページをコピーしてトリミングしてここに張り付けるのは、あからさまな著作権侵害であろう。なのでリンクボタンのみを上に入れておいた。
ところでブリジストン美術館にはピカソの風景画も常設展示されている。
Picasso, 生木と枯れ木のある風景(Landscape with Dead Tree), 1919
ピカソはその生涯を通じて、信じられぬほどの激しい振幅で画風を一新し、別人のような美意識から新しい創造を続けた怪物であるが、第一次大戦後に始まる所謂ピカソの<新古典主義時代>の作品は、「サルタンバンク」もそうだが、確固とした存在感と、造形、色彩が、それまで現れたことのない感覚で組み合わされている。ビジネスでいう<イノベーション>を絵画の世界でやってしまっている。
実際、上のような作品はかき上げてしまってからは、当たり前の描き方になるが、それ以前の誰の作品をも超えている。上の作品は素朴派のアンリ・ルソーを連想させるところもあるが、感覚は全く違う。率直に言って、ピカソの作る美は洗練されていて上品でありアクがない。文字通りの天才であるが、やはりセザンヌの筆法を見ることによって、それがヒントになったのだと言われれば、「そうなのだろうなあ」という繋がりを感じ取れる。
セザンヌの風景画はとても多く、かつまた以前の投稿でも書いたように十代の頃は全く理解できなかったが、今は透明感と寂寥感と満足感をミックスしたような小品「レスタックの海」を好んでいる。
セザンヌ、L'Estaque.、1885
出所: Olga's Gallery
近代合理主義哲学の創始者であるフランス人・デカルトは、道に迷い、方向が全く分からなくなったときは、ある方向に向かって真っ直ぐに歩き続ける、それしかないと言っている。田舎者セザンヌには、こういう生き方がむしろ自分の性格にもマッチしていたのかもしれない。いやいや、同郷のエミール・ゾラは世間慣れした、機を見るに敏な人柄であったようだから、やはり個性なのだろう。
分からないなら、真っ直ぐに歩き続ける。キャッチアップではなく、トップランナーになったのなら、この覚悟と決意は大変意味のある言葉ではないだろうか。日本経済のことですよ。小生の田舎でいう”キョロマ”では駄目、頭がいいと思っている”チエ誇り”は利口バカという所以じゃな。
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