2012年7月15日日曜日

日曜日の話し(7/15)

先週は、勤務先が展開しているリクルート活動(=企業訪問)でナシオまで行ったり、札幌でヒアリングを行ったりで、結構時間をとられた。住んでいる所が海に近い港町だから、一回の外回りで半日以上はとられる。金額評価すれば2万円位を投入しているか。明日は海の記念日で授業がない。もしあれば大変だった。もし営業に時間をとられて授業の品質低下を招けば、外回りの営業コストは3万円に達するかもしれない。それに対して、志願者一人を発掘できたとして、一人につき授業料収入は在学期間合計で100万円である。その志願者一人が見つかる確率だが、営業50回に1回あればいいほうだ。とすれば、期待値は2万円。どうやら3万円を投入して2万円の収入を得る。そんな営業活動をやっているような気もする。

とはいっても関係者でなければ「そんなことはどこでも当たり前だ。贅沢言うんじゃない、愚痴をいうな」と、まあ、そんなところであろう。これまた組織重視=人間軽視という基本定理が当てはまる事例であろう。基本定理の系を書いておこう。人間重視=道理重視と言える。だから組織重視=道理軽視となる。道理軽視=理解軽視でもあるので、組織重視=理解軽視となる。これは、組織重視=命令重視という公理とも矛盾しない。

要は何が大事だと考えているかである。

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前の投稿でとりあげたクリムトもシーレも、第一次世界大戦前後、帝国末期のウィーン文化を象徴するような作品を残した。しかし、あれだな、同じ時代にフランスで生まれた絵画作品をみると、やはりオーストリアという国で育まれた文化そのものが、どこか閉塞状態にあったというか、一口に言えば「これを爛熟と言うのかなあ」と、そんな感懐を覚えるのだ。

同時代のフランス絵画を代表する人としてアンリ・マティスを挙げるのに反対する人はいないはずだ。マティスは1910年には既に有名な”ダンス”を制作している。


Matisse, Dance II, 1910

使っている色彩の数が極端に少ないことに驚くが、それぞれの色がピタリと決まり、これ以上に何を付け加える必要もないという点に更に吃驚する。クリムトの作品とは正反対であるが、20世紀芸術の新たな創造を可能にしたのは、(結果として)上の作品を作りえた感覚のほうである。ここの見方については、まず異論は出てこないと思うのだ、な。ある意味で、第一次世界大戦までのウィーン芸術は、ハプスブルグ王朝という基盤の上に形成された美的感覚が生んだものであり、であるが故に帝国の崩壊とともに芸術文化までもが更なる発展をやめてしまった。そんな風な所があると思うわけ。

オーストリアという敗戦国は、戦後混迷を続けたすえ1938年には独墺合邦(Anschluß)してしまうのであって、1918年には既に残骸国家になっていたわけだ。思うのだが、未来への成長を続けている国家は、たとえ軍事的に敗北しようとも、占領されようとも、必ずまた元に戻り、再び成長・発展を始める。もしそうならないとすれば、敗北する前から既にその国は死んでいたのだ、と。そう思ったりもするのだ、な。

フランスもオーストリアも新興プロシアと戦争をして敗れた点は共通しているが、仏・墺この二国、その後の歩みが全く異なってしまった。負けたことをきっかけにして、フランスでは無数の新しい芽が生まれ出た。新しいタイプの創造活動が、文字通りの巨大な津波となって押し寄せて、そのエネルギーがそのまま現代のフランス文化を作り出していった。そこじゃないかと思う、見ないといけないのは。

太平洋戦争に敗北して、日本はGHQ製の輸入憲法を受け入れ、戦前とはずいぶん国の形が違ってしまったが、それがこれだけの期間、国民の間に定着し平和裏に続いているということ自体、上のロジックからいえば、戦前期・明治体制は根無し草のような国家、というかどこかで既に枯れていた、まあ権力だけが素のままに動いていた骸骨国家であったのだろう、と。そうも言える気がする。夏目漱石は、作品『三四郎』の中で『(日本は)滅びるね』と、暗闇の牛たる先生に言わせている。さすがに漱石の社会眼は大変鋭かった、よくぞ言い切りました。そうも思うわけだ。

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マティスは元々はフォービズム(野獣派)の一人として活動を始めた。


Matisse, Portrait of Andre Derian, 1905
Source: Same as above

この人物はマティスの盟友であるアンドレ・ドラン( ANDRE DERAIN)のことか?ミスプリか?それとも別にDerian氏がいるのかな?ちょっと確認しないといけない。

シーレが第一次大戦中に前の投稿でとりあげた"Vier Bäume"を描いていた丁度その頃、マティスは下の作品を描いていた。


Matisse, Bathers on the River, 1917
Source: Same as above

芸術活動は美を追求するものだが、その美は自分とは関係のない<規範>としてあるのではなく、自分の心の中にある。自分の感情の中にある、その心の動きを他人の目に見える作品として表現するとき、その作品の中に他人は人の感情を感じ、思想を感じ、美を感じる。上の作品はそんな時代の理念をストレートに表現しているではないか。シーレとは別の意味で。

第一次世界大戦の犠牲者は、戦死者だけで1000万人、戦傷者が2000万人。行方不明者が800万人。人類にとっては文字通り<巨大>な災禍だった。上のマティスの作品は、そういう時代から今と言う時代に伝えられたメッセージである、というかあり続けている。帝国末期のウィーン芸術が作った美にそうしたメッセージはあるだろうか、むしろ最後に開いた花であった。これまた一つの見方かもしれない。大輪の花であった点は、ハイエクもシュンペーターもポランニーもそうだったわけだ。

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