2012年7月18日水曜日

官製「スケールメリットのおすすめ」をどう思う?

少し古いが本年6月20日の日経に『VWとアップルが変えた「経産省白書」』というコラム記事がある。政府が公表した「2012年版ものづくり白書」をそこでとりあげている。

ポイントは、日本の製造業の底力、<匠の技>、日本の技術力に自信を持ち続けてきた従来スタイルから、独フォルクスワーゲンと米アップルの経営スタイルを高く評価するという変化。日経はそこが面白いとしている。
製品の企画と開発に特化するアップルの経営モデルはもう有名なので省くが、VWと共通しているのは、設計の段階から車なら世界で数百万台規模、デジタル家電なら数億台規模で生産することを念頭に置く経営だ。世界経済をけん引する新興国ビジネスの要諦はとにかく「速く、安く」である。それを実現するにはつくり方を標準化しつつ、たくさん生産してコストを下げるに尽きる。(出所:2012年6月20日、日本経済新聞「ニュースこう読む」、中山淳史) 
この30年間、日本企業は顧客多様化に対応して、以前の標準規格・大量生産方式から多品種・少量生産方式へと生産管理スタイルを変えてきた。最近では顧客ごとのオーダーメイド製造方式を自社の強みと称するようなメーカーも現れているほどだ。

経済産業省も「それではいかん」と。「時代に合わん」と。そう言うようになった。

ただ官がいくら旗を振っても、この30年間進めてきた方向は間違っておった、逆方向へもう一遍戻れ、そう言われてもねえ、そんなところではないか。

それに<一点突破・全面展開>はリスクが高い。高度成長時代に大量生産方式で勝てたのは、日本がキャッチアップ途上にあったからだ。つまり現在の中国の立場と同じ立場で戦っていた。手本があった。だから一点集中でよかった。しかし今は違う。経営資源の集中投入が成功するには、チャンスを洞察して、天・人・時を手繰り寄せる経営トップの眼力が、最大のキーポイントとなる。<匠の技>ではない。<トップの天才>だ、勝利に不可欠なのは。人間の徳はともかく、才能に着目すれば、日本にも人材はいる。決して枯渇してはいないと見ている。しかし、それには会長、社長というか、欧米流にCEOと呼ぶ方が雰囲気が出るが、全責任を引き受けるだけの高い報酬と決定権限を日本企業、日本社会が容認しないと、人は出てこないだろう。高々1億円位の年棒で「私にやらせてください。責任はすべて引きうけます」、忠君愛国時代ならいざしらず、そんな人が湧くように続々と現れてくる理屈はない。変わり者しかいない、今の仕組みなら。リスクと責任に応じて、もっと所得分配に傾斜をつける。ズバリ<不平等>にする必要がある。でなければ、日本企業のイノベーションは生ぬるいペースでしか進まない。これだけは確実だ、な。 "The Winner Gets All"、この位の心意気でいかないと、大半の秀才取締役はリスクを回避しつつ、成功の分け前をのみ期待するフリーライダーになるだけである。

新井白石が自伝「折たく柴の記」の中で将軍家宣の述懐を記している。『才ある者は徳が薄く、徳ある者は才が薄い。まことに人を得るのは難しいものである』、天才的な勘定奉行である荻原重秀を弾劾する白石に対して徳川家宣はこんな風なことを言ったという。和を重視する日本的組織原理を維持する限り、似た者同士、相談をしながら合意を形成し、確実なところから攻める。それには顧客密着、シェア確保。働く分だけ職階アップ。いくら官が檄を飛ばしても、この行動パターンに本質的な変化はないと断言しておく。


社のあり方はトップが決める。そういう決め方にしようと決められるか。それを言わずして、ただVWやアップルを羨んでみてもねえ。そんな風に感じるのだ、な。大体、みんなで相談して「この分野は切り捨てて、この分野に全面集中しよう」と。そんな合意ができるはずはない。小生はそう思うのだが、どうだろう?

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