2014年9月20日土曜日

覚え書 – スコットランド独立騒動

スコットランドが連合王国(UK)から離脱する危機(?)は回避された。あとはキャメロン首相が公言した「自治権拡大」が羊頭狗肉の空手形にならないかどうかだけが鍵になった。

それにしても世界市場における経済の相互依存関係の深まりで「国境」なるものの意味が無きに等しい存在になりつつあるいま、なぜ「独立」なのか?こんな根源的疑問を感じてきた小生であります。

独立しようとすれば、イヤ、するとしても、やっぱり英ポンドは通貨として使いたい、ということは金融政策はある程度(?)まで英蘭銀行に委任して、ただスコットランドの利益をより重要視してほしい、それがビルトインされるような政策委員会でも要請する気か…、これは全く「いいとこ取り」であるなあと。北海油田にこだわっているが、そもそも開発時にスコットランド資金が全体の何パーセントを占めていたのか。メンテナンスをする気はあるのか。こんな風に、小生としては、覚めた目で見ていたわけである。

「いいとこ取り」の姿勢は説得力をもたないものである。とはいうものの、マクロ的な利益が地域社会にどのように配分されるのか。この問題がますます強く意識されるようになってきている。これは事実だ。生産は地方でやりながら、地方で生産された製品を売って儲けた利益は大都市圏の本社が受け取る。これっておかしかござんせんか?こんな疑問は根源的である。本社を地方に移転しないと、高率の事業税をかけるぞ、と。これを言い出せば、当然、東京の日本政府が介入するわけである。じゃあ、独立だと。どの国にも、こんな風に物事が進展する可能性は潜在している時代だ。

やはり今ある「国家」は、19世紀帝国主義の遺産である部分が残っていて、その当時の技術水準、社会システムが前提になっている。ズバリ、中途半端に広いのである。中途半端だから、今の時代、狭いのだ。もっと広い視野で「国家」なり「国家連合」を構想しなければならない情況になった。そういうことだと思う。最も広い視野で統治を行う「世界連邦」がありうるとすれば、行政単位になる「国家」はたとえばスコットランドなり、カタロニアなり、北海道なり、沖縄でよいわけだ…と、思うのだな。

ただ、この世界連邦なるものがありうるとして、それは君主をいだく帝国になるのか、世界民主主義によって統治されうるものなのか。こうなるとユートピアに近くなり、想像もつかない。

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