今日の道新のコラム記事「卓上四季」は司馬流リアリズムと三菱自動車の品質管理を組み合わせた文章でよくまとまっている。
司馬作品は大体は読んだのだが、確かにリアリズム(現実主義)のもたらす果実と理想・信念・主義がもたらす害悪とが一貫して対比されていて、おそらくそれは同氏の戦争体験に基づく感覚的なもので、疑いの余地のない真実だったのだろう。
正直、やや偏っている気もするのだが、理想や信念が(時にはリーダーシップを裏付ける要因にはなるのだろうが)不毛で非生産的であるという指摘は小生も大賛成なのである。
いま流の言葉でいえば、リーダーシップを発揮するにしても"Data Oriented Management"に該当するものでなくてはならず、実証精神がそこに発露していないとトンデモ・リーダーシップに堕する。これは大多数の人が賛成するし、また日常でも現に経験していることだろうと思う。
その司馬流のリアリズムである。
リアリズムを貫くには、上にも"Data Oriented Management"と書いたが、現実を直視する人は、すでに最善と思われる戦略を採用しているとしても、それに執着せず現実に儲からなければいつでも方針転換する。そんな行動特性をもっているはずだ。
一方、信念や主義を重んずる人は、現実に出ている数字よりも「何が正しいか」に基づいて行動を決める傾向があると思うのだ、な。
どちらの人物を日本人は好むであろうか?
今日の卓上四季にも書いているように『現場や現実と向き合えず、不祥事に至る姿が浮かび上がる』のは、三菱自動車の悲劇であったのかもしれないが、艱難辛苦を乗り越えて部下を叱咤激励することこそトップの果たすべき役割と心得ている古典的指導者論が正しいという立場から見れば、今回のことは悲劇というより喜劇になるような気もする。
人生劇場にも、たしかに悲劇と喜劇の両方がある。
日本の組織が精神主義に堕して、帝国陸海軍のような退廃的組織になり下がる可能性は、潜在的には常にあると思っている。
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