2016年5月8日日曜日

利他的な高齢者による「シルバー民主主義」では高齢者が浮かばれまい

シルバー世代と若年層世代の経済的不平等が問題視され始めてから久しい。

確かに日本の年金政策の不手際、というか先行き見通しの愚昧さも手伝って、このままでいけば子供たちの世代は親の世代が使ったカネのつけ回しで大変苦しい生活を余儀なくされるだろう。

そうなることが分かっているにもかかわらず年金給付水準見直しや、社会保障政策全体のリバランス(→年寄りから若者への資源シフト)が実行されないのは、高齢者の反発を恐れる与党政治家の無責任によると。そんな説明が大体の合意を得ているのではないだろうか。


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まあ、この説明、分からないわけではないが、ちょっと待って・・・と。

自分があと10年程度は贅沢をしたいために、息子が孫を育てるのに苦労しているのに、見て見ないふりをする。孫がきても、まずは自分たちの生活が最優先で孫に買ってあげるおもちゃは安物にする。小生の交際範囲が狭すぎるのかもしれないが、マンションの中、カミさんの友人、いろいろ観察してもそんな老人はまずいないのだ、な ー もちろん、中にはそんな老人もいる。が、大事なのは「傾向」なのだ。

小生の周りにいる高齢者は、孫のために貯金をしている人、孫の世話で息子宅に通っている人、娘夫婦と一緒に外食をすれば料理代は全額もってあげている人・・と、タイプはいろいろだが、自分が楽をしたいために、若い世代の苦境は自分とは無関係だと、そんな風に語るお爺さんやお婆さんはいない。

年金給付削減にシルバー世代が反発するのは、家族の総収入が減るからだと思われる。良くも悪くも、高齢者には家族・親族が大事であるのは確かだ。

利己的なシルバー世代が、若年層の経済的機会を奪っているという見方は本当に真相を説明している見方だろうか?

高齢者の一人一人は利己的ではないかもしれないが、世代全体としてマクロ的に解釈すれば、そうなのだという考え方は不真面目である。最近、(自分も歳をとってきたこともあるのだが)おかしいと思うようになったのだ、な。


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高齢者が使わない資金が高齢者の手元に眠っているのは、全て要るからではない。

贈与をすれば、<非課税対象でない限りは>贈与税がかかるからである。若者世代に移転して、若者世代と助け合いを進めようにも、そうすると国にとられるからである。故に、高齢者世帯は自分が死ぬまで資産残高を維持して、若者世代には自分の死後に遺贈しようとする。

その頃、息子、娘、さらに甥や姪たちは50歳も過ぎて、あらかた子育ても卒業している。

非常に不合理である。

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高齢者が「ライフサイクル仮説」が予想するほどにはカネを使わず資産を退蔵し、需要が低迷し、民間企業が海外で稼ぎ、国内投資は控えて配当にも回さず内部留保を増やしているのが現在の状況だ。

民間企業は「利己的動機」から貯蓄しているのだろうが、高齢者が真に「利己的動機」から資産管理をしているのかどうか、甚だ疑問である。「あとで使う」にも残り時間はもう少ないのだ。

贈与は、原則すべて非課税、贈与税を課する場合のみ法律に列挙する方式に変える方が、高齢化の時代にはかなっている。

マクロの問題を、利己的姿勢・利他的姿勢などミクロの属性に原因を帰着させる議論は、ずいぶん昔に『マクロ経済理論のミクロ的基礎』というテーマで一世を風靡したものだが、学問的な自己満足に近い。

「財政政策」は、何も公共事業や補正予算に限らないのだ。



高齢者間の不平等が若年世代の不平等を生むという話題もあるのだが、それは別の機会に。


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