2016年11月30日水曜日

荷風全集を本日注文する

「日本の古本屋」で永井荷風全集(昭和47年刊行の再刊の方)全29巻が2万円で売られているのを見つけたので本日注文する。

若いころは、漱石、龍之介であったが、歳をとるにつれて永井荷風を愛読するようになってきた。

先週は『つゆのあとさき』を読み直し、昨日は『濹東綺譚』をまた読んだ。『つゆのあとさき』の結末、分かっていても味があり、しかも驚きが深い。

荷風は戦時中の昭和20年3月10日、東京大空襲で麻布区の自宅を失ってしまった。それで岡山市で谷崎潤一郎夫妻に面倒を見てもらいつつ疎開して暮らしたのであるが、『断腸亭日乗』には次のような記述がある。

8月14日。晴。朝7時谷崎君来り東道して町を歩む。2,3町にして橋に至る。渓流の眺望岡山後楽園のあたりにて見たるものに似たり。後に人に聞くにこれ岡山を流るる旭川の上流なりと。その水色山影の相似たるやけだし怪しむに及ばざるなり。正午招かれて谷崎君の客舎に至り午飯を恵まる、小豆餅米にて作りし東京風の赤飯なり・・・・
(出所)岩波文庫版『断腸亭日乗』下巻、272頁より引用

小生は新婚時代に岡山県庁に出向して勤務した。徳吉町の県立朝日高校側にあった古い公舎から、毎朝歩いて相生橋を渡り、右に烏城を、左に黒い本庁舎を視ながら通勤したものである。

庁舎の玄関を入り、階段を8階(であったと記憶しているが)まで上がり、上がった所の左側にある企画部で仕事をしていた。いま「していた」と記したが、若輩で土地勘のない小生は仕事の真似事をしていたにすぎない。それでも窓を背にして座っていたのだから、いま思い出しても、その恥知らずには赤面を禁じ得ず、汗が出そうである。

夕刻、操山を見ながら家路を急ぐときの気持ちは今でもありありと蘇る。不思議なものである。

歳月匆々。時間の前に変わらないものは何一つないが、記憶ばかりは何も古びない。古びないものが本当の財産だという言に従えば、旭川の水の色も小生にとっては、一つの財産である。

2016年11月27日日曜日

雑談: 「明治政権」とは結局何であったのか?

昨日は卒業年次生による中間発表会があったのでその採点員を勤めた。昼食時、久しぶりにあった同僚とランチをした。その同僚の専門はベンチャービジネス論であり、小生の専門は統計分析であるのだが、話は世界やアジア、日本のヒストリー関係になることが多い。

昨日も話は戦前期日本の歩みの話になったが、小生はこんな話をした。

* * *

いわゆる「明治維新」とは、本質的には宮廷内クーデターですよね。主導者は薩摩系・長州系の勢力で、旧幕勢力は「賊軍」に指名されました。敵の名前を公然と指名するというのは、古代の共和制ローマにもあった最終兵器です。ま、敵を攻撃する大義名分です。(小生、歴史の専門家ではないが)色々と読み漁った結果、いまではこう認識するのが、事実に近かったのではないかと思っているのです。

その薩長勢力というのは、1853年の黒船来航から67年の大政奉還までの短い期間において、「薩英戦争」、「下関砲撃」など、欧米勢力に対する軍事的挑戦を組織的に、藩を挙げて実行したたった二つの地方勢力でした。。過激な攘夷戦争を藩を挙げて現実に実行したのはこの薩長二藩だけです。これに対して、幕府側の基本方針は戦争回避です。

軍事的攘夷戦略を現実に選択した地方勢力が、戦争回避を是としていた中央政権を駆逐して、明治政府を発足させた。そうでしょう。何でもそうですが、「創業の理念」はその後の戦略を方向づける基本的要素になるものです。

薩長両藩が選んだ戦争の結果、鹿児島と下関は丸焼けになりました。そして、長い時間をへてから、今度は国家として対外戦争を繰り返し、最終的には日本全土が焼土と化してしまいました。

これは歴史的な偶然ではないと思います。「明治政権」は、そもそもそのような行動を良しとする理念から始まった政権でした。

その結果、日本の国境、日本という国の広がりは江戸時代に逆戻りではなく、江戸時代未満になりました。

琉球は幕府時代から薩摩藩に事実上は服属していましたーま、明治12年の琉球処分がなければ、いまもって中国と紛争が継続していたでしょうが。北のほうは、これは安政元年(1855年)に幕府とロシアが日露和親条約を結んで、択捉島以南は日本の領土になっています。樺太は国境なしで混住地になりました。

アジア近隣諸国との外交関係は言わずもがなでしょう。

明治維新の最終的な結果は、領土だけをみると、逆戻りではなく、後退ですね。民主主義の発展や、身分なき平等な社会は、「明治政権」ではなくて、「戦後日本」の成果ですよ。

明治維新の評価は、これから20年、30年の間に下がることはあっても、上がることは決してないと、私は思ってますよ。

* * *

昨日は、こんな話しをした。

万延元年(1860年)、日米修好通商条約批准書交換のために遣米使節一行が渡米した。随行した咸臨丸には勝海舟や福沢諭吉も乗船していたが、日の丸を掲げたその情景は記念切手にもなっている。その図柄は、発展に向けての第一歩にふさわしく、姿としても、登場人物としても、小生はこちらの話の方が好きである。その時の経緯は福沢の『福翁自伝』で詳細に記されている。

徳川昭武を代表に幕府が参加した慶応3年(1867年)のパリ万国博覧会。出展は幕府だけではなく、薩摩藩、佐賀藩もブースを設けていた。この時点では既に幕府による資金調達、これを阻止する倒閣戦略が水面下で進んでいた。幕臣・渋沢栄一がこのとき欧州を見聞し、その成果を後に還元したのは、予定外の副産物といえる。

大政奉還と明治維新は陰謀の果てにたどり着いた一つの結末である。凛々しいと見るか、「醜悪至極なり」と見るか、立場によって違っていただろう。

2016年11月23日水曜日

宗教 → 神と人間の話題になる

本日の道新に函館・トラピスト修道院の記事があった。

函館市内で訪れるのに便利なのはトラピスチヌス修道院のほうだが、こちらは修道女が祈りをささげる場所である。上のトラピスト修道院では記事の案内によれば20名ほどの修道士が共同生活をおくりつつ修行を続けているそうである。

高台にある。内覧は男性にのみ許されている。いわゆる「女人禁制」である。最近では男女平等原則が広く認められ、教育機関、株式会社、官公庁、更には軍隊においてさえも、性差別的な扱いは全て禁止されるのが時代の潮流になっている。

しかし宗教施設内では、必ずしも現代社会の「常識」にそった運営がなされているわけではない。

これをどう見ればいいか?

***

男女平等観は、日本でも明治の昔、既に福沢諭吉が唱えているところだが、その根底にはヒューマニズムがあるのだと解釈している。

そして、「ヒューマニズム」とは、見えない神よりは現にいる人間の思いに配慮する。そんな思想だと小生は勝手に解釈している。

なので、宗教が命じる行動規範よりは、家族の愛情、男女の愛情。異なった宗派に属していようとも親友が抱く互いの友情。そんな人間的な、自然な思いを尊重するという価値基準から発する。そう思っている。

そんな人間尊重の見方は、信仰から科学、理念から観察への方向転換が支えてきたのだろう。

それをマイナスにとらえるなどあり得ない。

***

しかし、ヒューマニズム過剰の時代になれば、神よりは人間、信仰よりは感情の傾向がどうしても出てくる。

信仰よりは感情となれば、次は信仰よりは欲望にもなるだろう。

ヒューマニズムは、バーバリズムとなり、バーバリズムは動物的なアニマリズムになるのは極めてロジカルである。

アニマリズムに、個人の自由が社会の福祉を実現するという新自由主義がミックスされると、どんな社会になるか?

***

人間に完璧なことはできない。完璧なものも作れない。完全に優れたモラルも思想もない。たとえ大多数の人間が信ずる理念があるとしても、その理念に反した具体例が存在し続けるというのは、否定するべきではない。

宗教の自由、表現の自由というのは、そういうことだろう。

「許せない」という意見は、常に「自分(or 自分たち)の思うとおりにせよ」という独善(or 偽善?)と裏腹である。

2016年11月21日月曜日

未納問題: 給食費 ≒ 放送受信料

先週だったか、TVのワイドショーで某県某市の小学校給食費未納問題をとりあげていた。

「なぜ払わないのか」という理由について当局が調査したところでは、経済的困窮は半分に満たず、過半の保護者は払えるのに払わない。そんな結果であると言うことだ。

理由は実に簡単だ。払わなくても食べられる。これに尽きる。

給食費を払っていない家庭の子供には昼食時に給食を与えない、と。この措置がもしとれるならば、保護者は慌てて給食費を払う可能性がある。給食を出さないなら昼に帰るかもしれない。いずれにせよ、払わないなら提供しない。原理的にはこうなる。

とはいえ、子供に給食を出さないという訳にはいくまい。だから支払わなくともいいのだ、となる。

★ ★ ★

類似の問題はNHKの放送受信料だろう。払わなくともNHKは視れる。だから払わない。

『払っていない人がいるのになぜ私に払えって言うの?おかしいじゃない!』、この本質的疑問に説得力ある論理を示せない限り、現行システムは持続可能ではない。

公園も同じだ。ゴミをポイ捨てしても誰かが清掃してくれる。だから公園はいつも清潔だ。故に、安心してゴミを捨てる。もしも清掃費をまかなう入場料が任意であれば、払った人は損をし、払わない人が得をする。不公平である。故に、公園を維持するコストは税で負担する。規則に違反した場合は「みんな」に迷惑をかけている以上は処罰する。これがフェアであるという理屈になる。

「排除不可能性」があれば必ずタダ乗りを決め込む人が発生する。この点はとうの昔にわかっている。

◆ ◆ ◆

二つの選択肢しかないだろう。

たとえば毎月の給食を任意にして前払いにする。払わない家庭の子供には本当に給食を出さない。ただ、これを円滑に実施するには、今のように教室内で配膳するのではなく、全校共通の大食堂があった方が抵抗感が少ない。昼になれば、給食費を払った子供達は大食堂に行き、そこで食べればよい。払っていない子供は・・・教室内で各自が持参した食品を食することになるのではないか(不憫であるが)。

そうでなければ、税で100パーセント負担するという方式。こうすれば、払っていないのに給食を食べる。そんな不公平はなくなる。

◆ ◆ ◆

ワイドショーによれば某市では給食費未納の家庭に対して債権回収業者に依頼して納入を迫るという。

怖いですねえ・・・、これが第一印象だ。

払わないモチベーションを与えておいて、実際に未納を続ければ、脅す。これでは住民を罠にかけるようなものだ。

もっと理にかなった方法があるはずだ。

2016年11月18日金曜日

先のことは分からないものだ

将来のことはわからない。

2008年にアメリカでオバマ大統領が勝つとは誰も予想していなかったことだ。2016年の大統領選挙でトランプが勝つことも専門家にとっては「想定外?」であったそうだ、と伝えられている。

若い頃に約束したことは、結局、ほとんど守られなかったし、そうしようと思ったことのほとんどは、時間の経過とともに、形を変更し、目的を変更し、結局は予想もしなかった結末になってしまった。

みんなそうではないか、と。

年齢とともに増えるのはシワだけではない。後悔も増える。

◆ ◆ ◆

1920年代から30年代、第一次大戦後の複雑な国際情勢の中で、中国統一を目指して蒋介石が北伐に踏み切り、北京政権が危うくなってきた頃、日本は何もせず干渉せず静観していればどうなっていただろうと考えたことがあった。

日本が蒋介石と敵対しなければ、中国のことは中国国民が解決していたであろうし、おそらく蒋介石が統一政権をつくりえただろう。泥沼の日中戦争もなかった。ソ連が体質的に反共である蒋介石政権を支えるはずはなく、満州の利権は統一政権発足後の交渉マターになっていたであろうし、仮にそうなれば日本は国境を犯すことなく東北部に静かに駐屯し、中国共産党が歴史に登場できる余地も結局はなかっただろう。

まったく別の歴史になっていたに違いない。

その時に合理的だと思われることが、後になってみれば後悔のタネになる。

◆ ◆ ◆

先手必勝はビジネススクールでもよくいう成功への王道だとされる。しかし、失敗への王道でもありうることは教えていない。

これまで数限りなくやってきた失敗。その失敗の原因は、何かの問題を解決するため、将来を先読みして良かれと思って決めたことが、実は失敗の原因になっている。

もう少し放っておけば良かったのさ。遅くはなかったろう。

『まだ、まだ』、『もう少し待て』。実は、こちらのほうが有効な経験則なのだろう。

2016年11月13日日曜日

望ましくないことは最初から分かっている・・・

現内閣の右翼的(極右?)傾向がこの国にとって望ましくはないことは最初から分かっている。トップ(=首相)ご本人はいざ知らず、その取り巻きの暴言・失言・妄言によって、次第に支持率を落とし、早晩自壊するであろうという予測は、2012年後半から2013年にかけての株価急騰で見事に外れてしまった。

思えば、その頃から1~2年がアベノミクスの黄金時代ではあった。

が、本質的な支持基盤の特徴はそうそう変わるものではない。現政権の本質的欠陥が次第に露になる時が増えてきたようにも思われる今日この頃である:
 沖縄県の米軍北部訓練場周辺に派遣されていた大阪府警の機動隊員が反対派に「土人」と発言した問題に関し、鶴保沖縄相が「差別であると断定できない」と述べたことについて、同県の翁長雄志おながたけし知事は11日の定例記者会見で、「大変遺憾で残念だ」と批判した。

 翁長氏は「なぜ沖縄相という役割があるのかも含めて、議論する機会があるなら、しっかりと伝えたい」と述べた。
 また、公明党の井上幹事長は11日の記者会見で、鶴保氏の発言について、「沖縄の皆さんが差別と受け止めることを重く見る必要がある」と苦言を呈した。
(出所)YOMIURI ONLINE, 2016-11-11

『差別であると断定できる』ような妄言が政府関係者の口から発言されていたなら、内閣支持率はその日のうちに5%落ちていただろう。更迭が後手に回れば10%落ちるのではないだろうか。

謝罪することに問題はないのではないだろうか。

これでは本来の政治的目的である憲法審議にとっても逆風が強まるだろう。

取り巻きのチョンボだろう。

人材がいない、のみならず黙って担がれているのではなく、日常思っている不適切な思想をそのまま表現してしまう、そんな政治家が思ったよりも多くいる政権。

ワンマン政権といってもよいし、ツートップ政権であるのかもしれない。が、弱体化は予想されているより案外早く来るのではないか。そんな予想もしているところだ。米政権の交代とは関わりなく。

2016年11月10日木曜日

先行き不透明なアメリカ?

昨日1000円下がった日経平均株価は本日1000円上げて元の鞘に収まった。

大統領選挙でトランプ氏が勝利した直後のNY市場で株価が上げているという事実に安心したものとみえる。昨日は文字通り「吃驚した」から、狼狽売りに出たのだろう。

そのトランプ氏。新大統領が直面する問題は山積だとマスメディアでは評されている。それはそうだろうとも言えるが、特に「来年にはアメリカ景気が後退入りするかもしれません」という人もいるのだネ、これが。

実は最近、アメリカ景気はこの先景気後退入りする可能性が高いという(自称?)エコノミストが結構いる。

本当だろうか?

☆ ☆ ☆

今年の10月時点でこんな報道があった。

 米国は2つの筋書きのどちらかに必ず直面する。次期大統領の任期中にリセッション(景気後退)に陥るか、あるいは米史上最長の景気拡大を経験するかのどちらかだ。
 確率が高いのはリセッションの方だ。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の最新月次調査によると、エコノミストらは今後4年以内に景気後退入りする確率が60%近いとみている。
 これは、次期大統領が景気悪化を招くという評価ではない。むしろ、米経済がその歴史においてリセッション無しに10年以上成長を続けたことがないとの認識に基づくものだ。向こう4年に何らかの要因で経済が変調を来す可能性がある。その要因は景気回復の失速かもしれないし、連邦準備制度理事会(FRB)の政策ミス、あるいは海外発の衝撃かもしれない。
(出所) WSJ、2016年10月14日

もっと前の2月にはこんな記事があった。

米国はリセッション(景気後退)に向かっているのだろうか。市場はそう示唆している。
 ダウ工業株30種平均は12日時点で2015年5月につけた過去最高値から12.7%安の水準にある。安全逃避先としての需要が高い米国債の利回りが低下する一方、高リスク債券の利回りは上昇し続けている。そして、原油価格は約12年ぶりの安値を記録した。
 とはいえ、経済指標からはリセッション入りの気配は見受けられない。1月の雇用の伸びは堅調で、雇用主は人員補充に苦労している。

(出所)WSJ、2016年2月15日

確かにNY市場の株価は上がっていない。上がらない状況はリーマン危機直前に似ている。



しかし、2014年末から横ばい基調はもう2年近く続いている。2年横ばいを続けて、その後で改めて急落するというのは記憶にない。

今回の景気循環は典型的な設備投資循環である。これは株価の水準ではわかりにくいが、NY株価の前年比には明瞭に表れている。


前回の景気の山である2007年第4四半期は金融景気が形成したものだった。今回とは状況が違う―中国は多分にバブル気味ではあるが。

上の図を見る限り、すでに底入れを終えている印象である。というより、前年比という指標は位相差が混じり、現状判断としては後手になりがちである。

実際、鋼材価格は回復基調にある。鉄鉱石も足元では価格が急上昇している。

国際商品市況は景気先行性がある。気が付いてみると、来年初にはかなり景気の体感温度が高くなっている。そんな足取りをたどるのではないか。

最近OECDから以下の公表があった。

[パリ 9日 ロイター] - 経済協力開発機構(OECD)が発表した9月の景気先行指数(CLI)で、ブラジルやロシアなどの新興国に加えて中国やインドなどで成長が加速していることが示された。
米国や日本および、フランスやイタリアなどのユーロ圏では安定成長が見込まれるという。OECDによると、短期的には英国も安定的に成長する見通しだが「欧州連合(EU)離脱をめぐるEUと英国の合意内容に対しては根強い不透明感がある」もよう。


ドイツ、カナダでも成長は加速しているという。

(出所)ロイター、2016年11月9日

先行き不安は景気に明るさが見えてくる、その間際に最も高まるものである。

それにしても「申酉騒ぐ」とは言うが、今年は文字通り騒がしい一年であった。いい加減にしてもらいたいのだが、来年も酉年。経験則によれば、落ち着いた年になりそうもない。が、そろそろ騒擾の時期は終わりかけている。

将来への種まきをするべき時機だと思われる。

2016年11月9日水曜日

米大統領選はBREXITと同じ、二連発となったか

APの米大統領選挙速報を見ているが、どうやらトランプ大統領誕生の形勢になった。トランプ優勢の開票状況を幾つかの州で逆転しない限りクリントン候補に勝機は無くなった。

これで英国民投票に続けて二連発で予想外の結果になる。

世論調査とはなんだったのであろうか?

東京市場は午後になって大暴落。13:45現在で前日比946円安。

2016年11月5日土曜日

石油価格: 供給過剰期の価格カルテルの難しさ

石油価格がまた低下してきた。

たとえばNasdaqからBrent価格を引用すると:


さる9月28日、石油輸出国機構(OPEC)が実に8年振りに石油生産量を減らすことで合意してから世界の石油価格は急速な回復傾向にあった。非OPEC加盟国のロシアもこう言っていた。
減産をめぐっては、OPEC非加盟国のロシアのプーチン大統領がこの日、「世界的なエネルギー部門の安定を維持するためには、現在の状況下では増産凍結、もしくは減産が唯一の正しい決定となる公算が大きい」とし、OPECの減産合意にロシアも参加する用意があることを明らかにしている。
(出所)ロイター、2016年9月29日

しかしながら、イラン、イラクなどサウジアラビアが主導する状況に反発する非主流派が果たして減産でまとまるか。こんな懸念が強まり、再び下落基調に戻っている。

サウジのファリハ・エネルギー産業鉱物資源相は今月のOPEC総会で減産に向けた具体的な合意が得られる「可能性」があると語っている(Newsweek, 2016-10-11)。

***

価格下落期に協調減産ができるかどうかという問題は典型的な「囚人のジレンマ」になる。ライバルが減産に協調するかしないかにかかわらず、自国としては抜け駆けをして増産するという戦略が支配戦略になるからだ。

もちろんライバルも余剰能力をもっているから、自国が抜け駆けをすると報復的な増産を招き、価格は下落へと戻る。

この「囚人のジレンマ」を解くのは極めて困難だ。協調とペナルティを組み合わせたメカニズムを産油国の側で構築しなければならない。そのためには統一的な理念が必要だ。

1973年10月の第一次石油危機の時は第4次中東戦争でイスラエルに勝つというアラブ産油国共通の大義があった。

1979年2月から始まった第二次石油危機は、アラブの大義というのはなかったものの、イランのホメイニ革命による石油生産停止が招いた需給逼迫の中、OPECが協調値上げを決定したことから進行した。米国のシェールオイル業者など有力なアウトサイダーはいなかった。

供給過剰期に理念なき価格カルテルを発動しようとしても決して機能するものではない。

というか、意図的な石油価格低迷はロシアに対するアメリカの経済制裁の一環であるとも解釈できる。

TPP承認案:予想どおり強行採決

TPP特別委員会で本日承認案が強行採決された。

民進党の理事は「安倍総理は強行採決なんて考えたこともないと言いましたけど、うそじゃないですか。今まで見た中で一番ひどい強行採決ですよ」、こう怒っているそうだ。

ハテ、行政府である内閣には国会における強行採決を実行する権限はないはずなのだが ・・・、ま、気持ちはわかる。衆議院議長も怒っているとのことだから。

それはともかく、実際には、理屈は抜きに反対することしか野党に合理的な作戦はない。

なぜなら、ここで協調して可決しても、それは与党の功績だ。野党の支持を増やすという効果はない。いまやっているように反対をして、万が一でもTPP承認案が否決されれば、それは日本の国益を損ねる可能性がある。結果に責任が生じる。が、そんな結果には絶対にならない。とすれば、徹底抗戦することで国民のTPP反対派を自陣にとりこめる以上、安心して反対できる。それが最適反応戦略だ。

与党には多国間TPP折衝で合意済みの内容しか提案しようがない。民進党・共産党は盲滅法バットを振るのと同じ、ただ反対すれば十分である。これ以上に単純な政治ゲームはない。

強行採決は、政権獲得の可能性がほぼゼロに近い「弱体野党」ならではの、必然的結果には違いない。

以上、一言メモ。

追記:
これほど簡単に意図を見透かされてしまうようでは、民進党にとって今回の作戦選択は長期的にはマイナスになるのではないだろうか。そのレベルダウンは憂慮にたえない。

2016年11月1日火曜日

日本はすでに「7割社会主義」の国である

職業生活の終盤に入ってくると、短期の目的に集中することが増える。その分、夢を抱くことは減る。夢が減るので、実際に目覚める前にみる夢もチンマリとツマラナイことばかりを見るようになる。要するに、人間の器が小さくなる。これは悲しいことだ。

悲しいことに、今朝もくだらないことを目覚める前に一生懸命考えていた。ちょっとシミュレーションをしてみたのだな。

もし「お国」が経営管理する公的年金などはなく、各自の創意工夫でやりくりしてきたと仮定すれば、いまどうなっていただろうか、と。

無年金?老後不安?

イヤイヤ、そんなことはない。夢の中では意外といい結果になっていた。そんな筋だったのだ、な。

***

毎月の保険料支払い額は高額である。特に年金保険料は高い。

職業生活を40年続けるとする。年金保険料を毎月平均で5万円納めてきたとする。そうすると支払い合計で一年60万円、40年では元本が2400万円になる。これを投資してきたはずだ。それが40年でどれだけ増えているか、投資成果の評価になる。

小生が仕事をしている間には「バブル景気」もあったし、「失われた20年」もあった。グローバル資本主義の繁栄もあったし、リーマン危機もあった。が、もし自分で自由に米株や英株、欧州株にも投資できたとすれば、2400万円を3倍強の7500万円には出来ていたと、これは自信をもって言える。

米株のIBM、GE、Fordは若い頃から憧れの対象であった。英国の鉱山株(Rio TintoやAnglo Americanなど)は大英帝国の薫りがしてやはり持つのが夢であった。

実際にこんな投資をしていれば国にとられるよりは、ずっと資産を増やせていたはずだ・・・いや、全く夢の中でもカネのことを考えるとは、前に投稿した『徒然草』が書いている通りだ。

起きてからYahoo!で調べてみた。

IBMは1980年前後の14ドルから2000年には118ドルまで上昇した。その後、エクセレント企業としての輝きを失っているが、それでもいま153ドル。10倍に上がっている。フォードを買って持ち続けていれば、リーマン危機で後悔していたろう。しかし、1980年前後の0.99ドルの株価が2000年には24ドルにあがった、その後の崩壊の中で半値まで下がった2002年ごろに売却していれば・・・それでも12倍だ。キリがないので止めておくが、もし自分で投資先を自由に選んでいれば、元本を3倍強に増やすことができていたはずだという想定は、小生の感覚では極めて保守的なのである。

まあ、概算で(もし公的年金制度という厄介なものがなければ)引退時に1億円の資産を築いていた、まあそんな人生であったのではないかな、と。それを世界規模で投資をするとして、1割は現金でもち、残り9千万円を手取り4%で回すとする。そうすれば360万円の年間収入となる。いまの前提では年金はゼロだから、引退後は手取り360万円を柱に夫婦二人が暮らしていくことになる。手元流動性は1千万円である。もし世界経済が成長するとすれば、9千万円の資産額が3割増しの1億2千万円に増えることもあり、その場合「成長の果実」はすべて自分自身が獲得できる。

・・・・・・、これは夢の続きである ー まあ、すべて「取らぬ狸の皮算用」ではあるが。

とはいうものの、現実の生活設計と上のシミュレーションは金額的にそれほどかけ離れているわけではない。いや、おそらくはIT株を基本に今の現実よりは多額の資産を築けていたに違いない・・・。


*** ***


現実には自身で築けていたはずの財産は「年金積立金」という名の国有財産として管理されている。その国有財産の配当を「年金」として受け取るに過ぎない。そして国の都合で、政治情勢によっては、減額されたりする。

小生の引退後の生活は、自分の収入であったにもかかわらず課税されて(公的保険料とはつまり税負担と変わらぬだろう)国家管理されている財産7割と自分が管理する財産3割によって支えられる計算である。

私人に基礎をおく純粋の資本主義社会であれば、国家が個人を生活面で助けるなどということは絶対にない。自分の人生は自分で、そして家族と支えあって生きる。自分の人生はすべて自分で決めるし、家族との情愛の経済的基盤もここにある ー 故に、「家族」を踏みにじる「徴兵」などという制度と「国家による生活保障」とは表裏一体なのであるが、これはまた別の話題だ。

現実には、生活基盤の7割は国が管理している。

日本は(そして欧州も)すでに「実質・社会主義国」であると感じるのは、むしろ自然な思いではないだろうか。

冷戦終結の先例をみるまでもなく、経済制度として競争優位性があるとは思われない。

今朝の夢もまったく内容のない絵空事ではなかったようだ。しかし、そうはならなかった夢のようなことを改めて本当の夢の中でみるというのは、どういうことだ。「正夢」ではないわな、定義からして。

備考:
基礎年金の公費負担は些末な点なので上では無視している。保険料雇主負担がどうなるかという論点も些事なので触れなかった。