N.O.君は高校の同窓以来の旧友というより、本当に親しくなったのは大学院に入った直後、O君の方から『お前、〇〇だろ?高校で同じクラスにいたよな?』と彼の方から声をかけてくれた以降のことである。それからは磐城高校を出たY.S.君を入れた小生たち三人は、授業の合間で時間が出来るたびに、大学の門前にある喫茶店兼和菓子店で長談義にふけったものである。
当時、どんな話題であれほど長い時間、話すことが出来たのか、おそらく複数のバラバラの話題に飛びながら、連想ゲームのようにそれぞれが勝手に色々な事を話したのだろうと思うが、小生にとってはそれまでに経験したことがない程に愉快な時間であったことは記憶している。
そのO君が昨年の夏八月に急逝したことを知ったのはS君からの電話であった。小生が暮らす北の港町では雪模様の暗い日が続く二月のことだった。
小生は、数年前に年賀状じまいをして、SNSで元日の挨拶をすることにした。それでもO君からは年賀状が届き、小生はもらってから返事を書くというやり方に変わっていた。ところが今年に限り、O君からは年賀状が届かなかったので、不審に感じていた。そんなとき、S君から電話があったのである。
O君は、よく言えば非常に個性的な快男子で、世間に関しては非常に批判精神の強い傾向をもっていた。元来は経済学から研究を始めたのだが、Ph.Dの学位は国際関係論でとった。その学位も、はじめは(大人しく?)ある国際経済協力機関に就職したのだが、社内留学して会社を辞め、その後はパキスタン大使館の専門調査員(?)という資格だったかで、日本を留守にしていた。そうこうしているうちに米国の大学に留学して、本式に研究者の道を歩みたいという気持ちが強くなったのだろう、かなり齢をとってから留学をして、学位を無事とったのだ。結婚もアメリカでしたはずである。しかし、日本に残る母親を心配する気持ちが強かったのだろうか、何年かぶりに日本に帰国するときには既に離婚をしていた。
日本に帰ってから教職のポストを探すのに苦労をしていた時期があったが、ちょうどその頃、小生は小役人から足を洗い、北海道の小さな大学に転職していた。彼から相談を受けたこともあるが、微力な小生は何の力にもなれず、それでも神奈川県にある私立大学に教職の地位を得たことは、O君の母上にとっても大変な喜びであったに違いない。
一度、あざみ野にある大学までO君の研究室を訪ねたことがある。研究室の広さに驚いている小生に『理系の学部だからサア、広いんだよ』と説明していたO君の声音がまだ耳の奥に残っている様だ。
その後も、小生が上京するごとに、O君にS君を加えた三人で、横浜の中華街で、あるいは浅草で、あるいは銀座で食事をともにして、社会や経済について、果てしのない議論をしたものである。O君は、現代日本社会には絶望的なほど厳しい見方をしていて、呑気な小生とは常に見方が対立していた。
O君の母親思いは格別のもので、毎年秋には奈良の正倉院展に出かけ、湯河原温泉には何度二人でいっていたことだろう。イタリア旅行も楽しい思い出であったに違いなく、こと親孝行という点でO君に思い残したことはなかったはずである。
ブログやSNSを始めるきっかけになったのも、O君から『日本は民度が低いのじゃないか』と、ちょうど日本が小泉内閣の下で長年の不良債権問題にケリをつけた時期であったか、O君から刺激を受けたからである。O君は、人には「遅れている」と叱咤しながらも、自らはIT知識にうとく、ブログもSNSも身につかずじまいで終わったのが、小生にとっては非常に残念だ。それでも、いかにもO君らしい文章が投稿回数は少ないながらもネットにはまだ残っているので、抜粋引用して記憶にとどめることにしよう。
冷戦後の北東アジアの地域国際環境の変化を考えれば、日本は当然憲法改正を行うべきである。そして、自衛隊を軍隊と明瞭に位置付けた上で、必要な対応を行う必要がある。
・・・
このやり方自体の是非をめぐって、日本国内で大騒ぎになっているというのが、現在の状況である。
一方、対応の方法そのものの是非ではなく、日本が置かれている状況にどう対応すべきかについて、日本国内でまともな議論が行われているとは到底考えられない。
国際環境の変化とそれへの対応のあり方についての冷静な議論と理解が不足する中で、対応の仕方そのものについて不満が高まるという現在の状況は、百年以上前の日露戦争終結のためのポーツマス条約の締結をめぐって、交渉団の帰国時に起きた日比谷焼打ち事件とほとんど同じ状況である。
日本は100年前と同じことを繰り返している、未成熟な国家と言われても、反論する余地は無さそうである。
安倍内閣による「集団的自衛権の容認」と「安保法制」が国会を通過した頃の投稿である。いわゆる《解釈改憲 》の危険性に義憤をあらわにし、欺瞞を押し通す政治家をO君は心底から嫌っていた。これを唯々諾々と受け入れる現代日本の大衆には絶望していた。
現実を前にして平気で原則を捨てる現代日本社会の不誠実ぶり、厚顔無恥ぶりに呆れ果てる心情は、O君と奇妙に共通している。更に、《条文解釈》によって憲法は自由に改正できるという日本人独特の思考回路が可視化されたことから次の文章も出て来たのだろう。
これらの状況を考えれば、今日本が取り組まなければならない問題は憲法改正であり、改正後、自衛隊ではなく、日本軍の存在を憲法で保障し、その上で東アジアで起きている地域国際安全保障問題に対応するというのが、本来なすべきことの流れである。
それにもかかわらず、今回安倍政権が、国民を守るために必要と主張し、集団的自衛権解釈見直しを含め、本来改憲した上でなすべきことを、改憲せずに強引に進めたことは、将来の日本にとって極めて大きな問題をもたらすことになった。
それは、国民の理解と支持を得られないまま、憲法改正が前提となるべき措置を取ったことで、国民が憲法改正について大きな疑問、強い批判を招いた結果、国民が憲法改正に関して否定的な気持ちを一層強めたことである。
自衛隊の明記でなく「国防軍」を憲法によって規定するのが採るべきロジックだろうというのは、小生もずっと以前に投稿したことがある。
自衛隊は憲法が保有を禁ずる「武力」には該当せず
という詭弁は、日本国内では通じても、世界では通じない。そもそも意味を曖昧化することには便利な日本語では表現できても、論理的な英語には訳せない文だ―おそらく陸上自衛隊は"Force"であって"Army"ではないというのだろうが、航空自衛隊は"Air Self-Defense Force"だから、呼称からして立派な"Air Force"(=空軍)だ。というより、その行動内容を目で見れば、使用している戦闘機、ミサイル等々武器ともども、国防に任じられる米空軍、韓国空軍、英空軍、独空軍などと共通であって、だからこそ《共同訓練》も実施可能と考えるのがロジックというものだろう。要するに、「自衛隊」の実質は「日本軍」である。
一言でいえば、戦後日本の民主主義はアメリカから輸入した「押しつけ民主主義」であって、民主主義を運営するべき大衆は、大勢に順応することを考え、是非善悪を自ら考える何の主体性も持てなかった、と。詰まりはこういうことかもしれない。「動かざる原点」を特定の一点に決めないでおく《相対主義》、《状況主義》、《機会主義》は日本文化の核心でもある(と勝手に思っている)。
それまでの理屈を捨て去って、その時々の《直観》や《空気》から行動方針を一変させる日本的突発性はこんな所に根拠があると勝手に解釈している。剛直なO君が絶望するのは自然なことである ― 日本的特質も悪い側面ばかりではないと小生は感じているが。
先週末にO君の墓参りをS君と二人でした。鎌倉まで行ったその日は気温こそ27度前後に上がったが湿度は低く、しのぎやすい快晴であった。苑内の桜は既に葉桜となり、2メートル乃至3メートルの風が吹き渡るたびに、花片が舞っていた。丘の斜面の高い処に位置するO君の墓は探すのに手間取ったが、人出は少なく、森閑とした中で墓前に香を焚き合掌することが出来た。
旧友の墓参はやはり独りではなく、二人でするべきものだと感じた。
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