2026年11月3日火曜日

断想: 時代を表すキーワードは「造反有理」から「コンプライアンス」に。180度の変化とはこの事だ。

 アメリカの中間選挙が迫る中、事前予測に一生懸命な報道界では

世論調査なるものがいかに当てにならないか?信用できないことの原因は?

こんな話題で盛り上がっている様子。

報道機関は既に情報を生産するというより、雑多な情報は外の機関なり会社で作られ、報道機関はそれを伝える、と。そんな分業が確立されていることが分かる。つまり

報道機関は情報流通のパイプであって、例えると「水を流す土管」である。

こうイメージしてもイイかもしれない。

とすれば、マスメディアが社会で有用かどうかは、善い水が流れているか、泥水が流れているかに依存する。

こういう理屈だ。

メディア企業が、情報に関して完全にトランスペアレントというか、土管の役割に徹していれば、それはそれでよいのだが、時に自らが情報生産のプレイヤーとして振舞うことがある。そうなると、メディア利用者は、どこから出た水か、きれいな水か、汚れた水かを識別できない。きれいな水と偽って汚れた水を流せば、水道当局なら営業停止になる。

インターネットが普及し、AIが浸透した今という時代、報道企業が生き残る道は限りなく細く険しい隘路になってきている。

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テレ朝系のモーニングショーはカミさんのお気に入りで、小生も朝食をとりながら視るのが最近の習慣になってしまった。3、4年の間は続いている。

ところがコメンテーターというか、実質的なディレクター役であるのか、玉川徹氏が頻繁に舌禍事件を繰り返し、その度ごとに番組を欠席して謹慎する。それでも復帰しては視聴率を高めるという、そんなパターンが繰り返されている。基本的に支持されているわけだ。

ネット記事にはこんな文章がある:

「玉川さんは番組プロデューサーからかなり厳しく怒られていました。その怒り具合は今までで一番じゃないでしょうか。“電通発言”のときも厳しい処分を下した印象でしたが、それを上回るほどの叱責でした」

その理由は、『モーニングショー』の視聴者層が関係しているという。

「『モーニングショー』は、日々の暮らしを営む一般市民の共感と支持によって成り立っている番組です。そうした市井の人々に寄り添うべき番組で、ホームレスのような社会的弱者を一方的に腐す発言は、番組の信頼そのものを根底から揺るがしかねません」(前出・テレ朝関係者)

さらに、昨今の厳しい企業姿勢も現場の危機感を増幅させているという。

「現在は企業のコンプライアンス意識や人権感覚が極めて厳しく問われる時代です。スポンサーの顔色を強く警戒せざるを得ない制作側にとって、今回の失言は番組存続を脅かす最も危険な一線だったのです」(前出・テレ朝関係者)

失言を繰り返してきた玉川氏だが、担当プロデューサーの激しい怒りで改心するのだろうかーー。

URL:https://news.livedoor.com/article/detail/32718589/

やれ、やれ、また《コンプライアンス》ですか……ため息が出ます。

今という時代のキーワードは、ここ日本ではコンプライアンスであります。反して、アメリカ社会のキーワードは断じてコンプライアンスではない。それは自明であって、明らかに分かることである。

なぜ日本では、かくも「コンプライアンス」に執着するのか?

日本で使用されるコンプライアンスは、単に「法を順守する」という元々の意味を超える意味が付与されて使われ始めている。法ではなく、例えば厚労省の行政指導や、マスコミが発信する世間の雰囲気もまた、日本国民が守るべき掟であるかのように「コンプライアンス」という言葉が使われ始めている。

こんな奇妙な時代は、思うのだが、10年は続くはずがない。守るべきルールは、法律(あるいは地域ローカルなら条例)で成文化して、定義、運用方針とも議会で可決するのが大原則である。

たとえ法律で許可されていないデモであっても、小生の学生時代は社会に疑問をもつ若い者が集結して、路上でデモを繰り広げ、《造反有理》とか、《百家争鳴、百花斉放》などと声を限りに叫んでいたものだ。

そんな時代はもう過去という遥かな彼方に去ってしまった。

実に歳月怱々。

創造的破壊など、そもそもコンプライアンスに反する行為になる理屈だ。

UBERなんて配車ビジネスは、いうなれば「白タク」でしょ? 

正反対の空気がいま世間を支配している。 一体、どんな人たちがこの変化を喜んでいるのだろう?

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