2014年11月24日月曜日

小さい政府 vs 大きな政府。こんな論争がなぜ起こらない?

この年末もまた選挙と政治の季節になった ― というより、ちゃんとなっているかねえ…。

今回のテーマはアベノミクスに対する信任投票であるというが、これは安倍政権による「注文相撲」であるのは分かりきったことである。

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この7~9月期の実質GDPは、確かに季節調整済み前期比で2期続けてマイナスとなった。実は、塩をキズに塗り込むようだが、原系列の前年同期比でみると、より際立った落ち幅となっている。

7~9月期の前年同期比はマイナス1.3%。4~6月期は消費税引き上げの反動があった(はず)とはいうものの、前年比ではマイナス0.2%の微減にとどまっている。

記憶にも残っているだろうが、小売現場では税率引き上げの反動減を先読みして、4月に値下げセールを設定するなど価格設定には工夫がされていた。それで年度末をまたいでもそれほど客足は落ちなかったのである。報道でも何度か伝えられていたはずだ。

とはいえ、前年比にみる7~9月期のマイナスが長期的な目で見てそれほど惨憺たるものではないことも明らかだ。

というより、アベノミクス云々によらず、日本の経済成長力はこの20年間ずっと同じである。

成長力が同じである。これは当たり前なのだな。何も成長力を高めることをしていないからだ。

……カネをばらまいても、日本人の仕事ぶりが実質的に変わらなければ、生産される価値は同じであり、経済は成長しない。

カネをばらまくのは廃業と起業の新陳代謝を加速する。これが目的だ。ところが、別の方向から、日本経済にイデオロギー的なギプスをはめる。こんな逆噴射をすれば、国内にはカネだけが増えて、株価が上がる。そのうちに物価も上がるであろう。

物価が上がれば賃金も上がるだろうが、賃金が上がれば物価も上がる環境にある。つまり、実質賃金は増えない。生活水準はあがらない。生活水準は仕事の中身を変えて生産性を上げなければ向上しないからだ。仕事のやり方を変えるには、世代交代が定石だ。その経路も高齢者の雇用確保で機能不全になっている。

いま日本では、本来は社会保障政策として解決するべき問題を、政府がビジネスを規制する、ビジネスのやり方に介入する手法で何とか対応しようとしている。そうできるのは、企業に対して中央政府の権力が強すぎるためだ。というより、ビジネスの声をきこうとする国会議員をマスメディアが批判するからでもある。

結果として、ビジネス現場の効率性が停滞し、所得が停滞し、暮らしも停滞する。暮らしを支える所得は、ビジネスが生むのであって、政府はピンハネしているだけでカネは本来何も持っていないのである。豊かになるには、政府に要求するより、ビジネスを育てるしか道はない。マスメディアはしばしばその事実を忘れる。

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上図でタテに引いた点線は、安倍内閣誕生が事実上内定した2012年第4四半期を示している。成長力は何も変わっていないが、株価は以下のように推移してきた。

2012年末から2013年の初夏に至るまで信じられないほどのラリーを続けたわけである。

当時の世界的な報道を見ても、黒田日銀総裁によるバズーカ砲(=超量的緩和)と「デフレ脱却」をかかげたアベノミクスが、相当の期待を形成したことは間違いない。多くの国は日本経済が活性化することを喜ぶ。外国にとっても日本経済の活性化は利益になるからだ。




しかし、上に述べたようにアベノミクスによって、というより黒田日銀総裁の<バズーカ砲のみによっては>日本経済は活性化しない。このことが明らかになってきている。雇用が改善したというが、増えたのは非正規労働者だけである。野党の批判はもっともなのである。

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しかし、『当社の株価はずっと下がってますが、社員一同ハッピーに仕事をしていますヨ』と、そんなことをいう経営者は結局は無能である。

株が下がっても、日本企業はみんなハッピーで、非正規労働者も正規労働者になった。一件落着だよね、だからいいんだよね・・・とはならないわけである。

株価は上がったのだから、今後為すべきことは、カネではなくモノの次元。つまり仕事の中身、規制や安全管理、健康管理など仕事のルール、その他の諸々の行政上のシステムを変えていく。残っているのは実はこれだけである。しかし、時間がかかる。全般的にやり遂げるには10年から15年はかかる。新幹線計画並みの根気がいる。

日本と外国を同じシステムにするか、世界市場以上にビジネスにとって有利な制度にしていく。もはや成長にはこれしか道がない。それが理屈なのだが、これをやると生活基盤を奪われる国民が少なからず出てくる。それでも多くの人が助かるなら仕方がない、と。

まあ、こんな風に損得勘定に徹底できるかどうかは、やはり危機感というか、「生き残るためには何をいま為すべきか」と、こんな感性を日本人が共有しないと経済成長は難しいのだ、な。

ま、難しいならこれ以上の豊かさを諦めてもいいわけだ。

こう考えると、率直に日本人がいま為すべきことを語っている政党がひとつもない。これには呆れ果てるばかりだ。某政党などは『まず国会、霞が関が身を切らないといけない』と、そんなことをまだお経のように唱えている。バカではないのか。ほんとにそう思います。

当たり障りのない世間話をしながら選挙をしている。なので、小生、今度の選挙は「井戸端選挙」と言うことにした。本来あるべき「世直し選挙」とは全然別である。為すべきことを率直に語って信任を問うているわけでもない。だから「信任投票選挙」でもない。

2014年11月23日日曜日

人間が変わらないなら、人生は昔も今も似たようなものだ

昨日は本務先の卒業年次生による中間発表会があった。通常授業のように内容の理解を求める場ではないものの、小生も採点員、一部セッションの司会役など、役割の一端を果たしている。

大学で仕事をするのは、企業や官公庁で働くことに比べれば、はるかに楽な仕事である。人によっては、そんなことはない、24時間考えているのだから休みなどはない等々、色々な反論がありそうだが、両方を経験した本人がそう感じているのだから仕方がない。

仕事がそもそも上から降ってくることがない。ザックリといえば、これこそ『大学の自治』である。この一点だけをみても大学は楽である。

それでもこの年齢になると、様々な不満をもったりするのだ、な。ハッピーだという理屈はあるんだけどね。満たされない感覚があるならそれは煩悩なんだけどね。罰があたるんだけどね。わかっちゃあいるが、不足を感じる度合いは一向に減らない。持て余すような心情は確かにある。『もっと大きな仕事ができたのに』とか、『あそこであんな雑用を引き受けなければ貴重な▲▲年間を無駄にせずに済んだ』とか、誰に言えばいいのか分からないことで、言わずに我慢してきたことは誰にでもあるだろう。何をするにしても、人間、そんな気持ちをもつものだ。そういう生物種なのだ、な。

言いたいこともあるだろう。
怒りたいこともあるだろう。
泣きたいこともあるだろう。
・・・
これらをじっと黙って耐えていくのが男の修行である。

全部覚えているわけではない。正確に覚えているわけでもない。ただ、「耐えていく」と言っている位だから山本五十六も普通の人間だったのだろう。それにしても、高倉健という俳優は軍服というか、制服がよく似合ったねえ。

仮に、昔の仕事を続けていれば、続けたなりの結果は出せただろうが、その時はまた人の裏切りや、妬み・誹りを甘んじて受けるという責め苦があったろうし、それより自分の胸中に醜い野心や名誉欲が湧き出すのを止められなかったに違いない。権力への阿諛を覚えずなしたに違いない。そんな騒々しい心こそ「不幸」そのものだと昔から定義されている。

結局はその人間の出来・不出来がその人の人生のアウトラインを決めてしまう。そう思うことが増えた。人生の岐路でどんな選択をするかで具体的中身は変わるし、寿命さえも運・不運によるところが大きい。が、どうなるにせよ特定の時代に、特定の育ち方をして、特定の社会を生きる一人の人間の生は、互いに似ているものだと思う。<英雄>や<先覚者>は実在した人間とはあまり関係ないのだと思う。

どうも暗いことを書いてしまったなあ・・・。「憂鬱」という奴か。

2014年11月20日木曜日

Google Visualization API の1回目のトライアル

以下はGoogle APIの試行である。
まだ細部の使用法はあやふやな箇所があるが、とりあえずモーション・チャートをR:googleVisで作成して保存し、tag='chart'部分をここにペーストするだけだ。 マニュアルを丁寧に読まないといかん。

2014年11月19日水曜日

「今でしょ!解散」―目に余る野党の体たらく

安倍総理が衆議院解散という勝負に打って出た。まあ、政略的には抜き打ち、というか奇襲である。一応は大義名分を掲げているが、要するに「勝てるのは今だ」という戦略的判断であろう。

現政権の今後の見通しについては、民主党が「政治とカネ」を攻撃目標に定める選択をして、いくつか功を奏したことから、小生は予想のとおりと判断して以前に投稿したところだ。こんなことを書いている。
あとは消費税率を予定通り10%に引き上げて体力を使い果たすか、未練に迷い何もかもを後回しにして、結果として指導力を喪失し、そのまま消えていくか。現政権の行方はこの二つのうちのいずれかではないかと予想する。(2014年10月28日)
消費税率引き上げに原発再稼働があり、更にTPP(オバマ政権にもうまとめる力は残っていないかもしれないが)での妥協がある。先細りで追い詰められて解散に追い込まれるより、余力のある「今でしょ!」という思いなのだろうか。

小生、今回の解散は『今でしょ!解散』と呼びたい。

 これに対して、野党は「大義名分がない」、「党利党略というより、総理の個利個略だ」、「自分勝手だ」等々、一斉に反発している。それにまた、野党系マスメディアが「その通りだ」と、甘やかすような提灯記事を掲載するのだ、な。

情けないねえ……。

選挙はしばらくは無かったはずである。それが予想外の時機にやってきた。奪われた政権を奪還するチャンスが向こうからやって来たのだと。なんでそう発想しないのだろうねえ。『飛んで火にいる夏の虫-いや秋の虫か、ヨシ!受けて立とうぞ!』と、そう勢い立つ野党が一党だに見られていない点にこそ、今の日本社会が象徴されている。日本政治の大きな柱たるべき野党の体たらくを明瞭に見ることができる。そう思うのだな。

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自民党幹部がよく口にする「常在戦場」の四文字は自民党の専売特許ではない。河井継之助や山本五十六を産んだ越後・長岡藩が三河以来250年間伝えてきた藩訓である。ある意味、公職に身を置く人間として持つべきスピリットではないだろうか。

こんな風では、与党が勝っても、野党が勝っても、なすべき問題解決はできない ― いや、与党が勝てば、信任されたということで、現在の政治方針に沿って押していくということになるだろうなあ。それも、問題あるんだけどねえ…と、今はそんな風にみているところだ

2014年11月18日火曜日

WEBで結果公開が時代の流れ-Rとplotlyの試運転

ネット上で作図したグラフを公開する仕掛けである"plotly"をインストールした。手元で作図する言語はRでなくともよい。PythonでもMatlabでもよい。が、まずPlotlyに登録し、API利用のAuthentificationを受けておく必要がある。この辺の説明は非常に丁寧なので、説明の通りに進めて以下のグラフを得た。


動的なグラフをWEBで公開するには、この他にGoogle APIも利用可能だ。これについてもRにインターフェースが提供されている。 

ずっと以前には、統計分析の授業をパワーポイントと同期させながらビデオカメラで収録し、それをオンデマンド授業としてストリーム配信する実験をやっていたものだ。もう何年前になるか……?2005年か6年前後のことだと思うから、既に10年も前になる。

当時の目標は、フリーで視聴できる授業を多科目編成し、いわばネット上の「フリー・ユニバーシティ」を立ち上げるというものだった。パワポと同期化した動画ファイル編集には結構高額なソフトを必要とするなど、カネのかかる試みでもあった。 こういう先駆け型かつ労働集約型の研究は、やはり大都市圏に圧倒的優位がある。何か変なことをするのでもヒトが集まるのだな。北海道にいると、そもそも人が少ない。(関心をもつ人を探したのであるが)どの研究者も遠隔授業配信には興味をもたず、そのうちに小生自身が疲弊してきて、ついに止めてしまった。

当地に移住して色々なことに挑戦して、その時々、満足できる収穫を得てきたが、いまでも残念に思っているのは、フリーユニバーシティ構想である。アシスタントを雇用する資金が提供されていれば、周囲の関心が高まるまで何とか続けることもできたのだろうが、科研費というのは必要なときには支給されず、多くの人がやっていて「これは大事だ」という計画にはカネをつける。そんな仕組みであるな。「何の役にも立たなかったねえ」……、役人仕事であると、今ではそう思っている。 ま、フリーユニバーシティと同じで、はるかに大規模な構想である"Gakko"が既に立ち上がった。これから後はビジネスである。

それで随分、ネット経由の成果公開には関心が失せていたのだが、その間に随分便利なツールが登場したものだ。面白い。

2014年11月16日日曜日

結局は「組織」より「人間」なのか

企業にはそれぞれ社風がある。堅く言えば上下の権限格差(=椅子の大きさの違い)から個人に与えられた裁量範囲(=その人でなくとも話しが通じるか)ということになるだろうし、日常のイメージで言えば「理想的な▲▲マン」に企業文化は象徴されているものだ。

社風はどうあれ、やはり人間集団が曲がりにも組織化され、特定の目的が追求されているなら、指導的地位にあるものが実際に組織を動かしているのが望ましい。というか、分かりやすいと思う。

西浦進「昭和陸軍秘録」(日本経済新聞社)が評判らしいから読んでみた。西浦進は著者というより、東大の研究会が何度かインタビューを重ねた記録が本になったものだ。同氏は、満州事変以後の「昭和陸軍」を主として陸軍省軍務局軍事課から身近に見ており、太平洋戦争開戦時には東條首相兼陸相の陸相秘書官の任にあった。戦後は陸上自衛隊幹部学校戦史室長、やがては防衛庁防衛研修所戦史室長を勤めた人物である。

読みどころは多々あるが、やっぱりねえと感じたのは、「私は陸軍省で役人のような仕事をやってまいりましたが、夢はやっぱり馬上で指揮刀をふるって連隊を指揮したかったですよ」という所だ。文章をそのまま引用しているわけではないが、その組織が理想とする人物モデルというのはどこにでもあると。同じだねえと小生も非常に共感したのだな。

昭和6年に満州事変を起こした石原莞爾が参謀本部第一部長になっていた昭和12年、盧溝橋事件を発端に日中戦争が始まった。最初の時期に不拡大を基本戦略にしようと考えたのが石原部長だが、現地に赴いた所、かつて満州事変を見事に「成功」させた石原を模範としているのだと反論されて絶句したというエピソードは有名だ。

「ここで仕事をするなら■■さんのようにやってみたいものだ」、こんな目標は誰でも持っているだろう。それが「組織」ならどこにでもある「企業文化」であり「社風」であり、それが本質的に間違っているなどは中にいる個々人には思いつかないものだ。というより、そんなへそ曲がりは「異端者」として排除されるだろう。

西浦秘録でもう一つ、「組織は誰かが動かしていますから。トップの師団長が立派な人物ならトップが動かします。しかし、人間集団ですから。参謀長が自分より先が見える、そう思えば師団長は参謀長を重んじますよ。結果として参謀長が全体を動かしていきます。一番有能な人間が誰かというのは、顔の見える範囲であれば、いつも話している中で分かりますから。あいつならどう考えるかと。結果として有能な人物が重んじられます。それを下克上というのかどうか……」。これも文章をそのまま引用しているわけではないが、こんなことも言っている。大学という組織は個人商店街のような所だから違うのだが、ずっと昔、小役人をやっていた頃は確かにこうであった。戦前も戦後も同じだねえ。そう感じたのだな。

ここにこそ「年功序列」の弊害がある。「能力主義」で人事を動かすべきなのだ。まだ深く研究しているわけではないが、そんな単純な結論にはならないと感じる。

2014年11月15日土曜日

「戦争」と「交戦状態」

日本の近現代史を勉強していたときは「▲▲戦争」(日露戦争ほか)があると思ったら、「○○事変」(満州事変ほか)がある、更には「■■事件」(ノモンハン事件ほか)もある、まったく訳が分からぬという感想をもったものだ。この辺り、英語でも各種の交戦状態を区別し、使い分けているのだろうか……。日本の場合は、国際法上の宣戦布告をしたかしなかったか、ローカルな武力紛争であるか、参謀本部の作戦計画によるものであったかなど、手続き上の線引きが一応はあるらしい。

近代以前の戦争は皇帝や王の戦争だった。なので一方の君主が亡命したり、継戦意志を放棄すれば、そこで(一つの)戦争は終結した。軍隊は君主の軍隊だから、一般国民とは区別されていた。第一次大戦で独王ヴィルヘルム二世が亡命した時、ドイツ軍は崩壊したわけであり、ドイツ国民の敢闘精神と戦争の有無とは区別されていた。この辺のロジックはロシア革命前後のロシア軍のポジションとも共通する。

君主制国家から民主主義国家になり、戦争は君主ではなく国民がするようになってからは、戦争の終結と戦争責任が曖昧になった。

いや、そもそも日清戦争の開戦前、君主であった明治天皇は『この戦争は臣下の戦争であり朕の戦争ではない』と言ったそうな。臣下が戦争を引き起こしたとすれば「統帥権干犯」にあたる。しかし、この件が大事件になることはなかったようだ。

もし日清戦争で日本が敗北していたとすれば、「戦争責任」の所在で激論が展開されただろう。